02 | ナノ

02



俺は小さいころから、ひたすら冒険が好きな子供だった。
家の近所から、ちょっと離れた山まで。疲れない限りどこでも行った。いや、無理してでも疲れても行ってた。一人でも、ときたま友達とでも。
とにかくいろいろなところにいった。友達と出かけるのは好きだったけど、一人で行くのはもっと好きだった。
危ないから遠くに行くのはやめなさいと母さんに言われても、俺の溢れる好奇心は抑えられなくて、冒険をやめようとしなかった。
母さんも多分、そんな俺を見かねたんだろう。いつしか、危ない事はしちゃだめよ、と毎日釘をさすだけになった。

俺は小さいころからなぜか、人には見えないものを見ることが出来て、それに気付いたのは幼稚園に通うようになったくらいだったと思う。
俺が見えているはずの世界が、皆には見えて無い。気付くのは簡単だった。ふわふわとした黒い綿みたいな塊が俺の周りにはいつも居て、可愛いだろ?って聞いたら、栄純君おかしいよ!ってみんなが気味悪がったから。
それを母さんに話したら、いつもは温厚だった母さんが、なんだか悲しそうに顔を歪めて、俺をぎゅってしてくれた。その時に微かに聴こえた、ごめんね、って声に、多分これはいけないことなんだって小さいながらも俺は思って、それからは極力口に出さないように決めた。
山に一人で冒険にいくと、いろんなものが見えた。街じゃ見えないような綺麗な影も見た。それが楽しくて、小さい俺の興味をこれでもかって惹いたもんだから、俺は冒険が大好きだった。


その日も、いつもと同じ冒険の真っ最中だった。
その日は、山へ。
いつもと変わらず、前に通ったことのある道だったから、ズンズン進んでいく。天気のいい日は、黒だけじゃなくて、キラキラした光の塊みたいな影も見える。綿毛みたいにふわふわと浮くそれらは、凄く綺麗で、幻想的。触るとシャボン玉みたいにパチンって消えた。
それが楽しくて、触っては消し、触っては消しを繰り返す。
それに夢中になっていて、気付かなかった。空は晴れていても、土が昨日までの雨でぬかるんでたこと。小さな足じゃ、そのぬかるみに足を取られると、抜け出すことが出来ないこと。地面を蹴りあげて着地点を失った体が、ふわりと宙に浮いたこと。
その先に、地面が無かったことに。

気付けば体は遥か下に落下していて、その衝撃で全部バラバラになってしまったかと思った。
しぬ、って。
その時、俺は確かにそう思った。


だけど気付けば俺は山の入り口で眠っていて、その時間のことはよく覚えていない。
ううん。
よく、どころか、全く覚えてなかったんだ。

だからその日を境に、今まで見えていた“人に見えないもの”も見えなくなっていたことすら、気付かず忘れてしまっていた。
それは遠い過去の記憶。帰って来た泥だらけの俺を抱きしめた母さんが、なんだか泣きそうな顔で俺をぎゅっと抱きしめてくれたけど、俺はどうしてそんな顔をされるのか全く分からなかったから、母さん痛いの?って聞いてみたけど、その時の母さんは何も答えてくれなかった。




『同じ願い事は。』

『一回しかしちゃいけないよ。』


『もう一度願ったら、その時は。』












ぶわりと風が吹いた。
まるで夢の中から引っ張られるみたいな感覚に目を開けたのに広がるのは暗闇ばかりで、一瞬まだ目を閉じたままなのかと思ったけれど、確かに瞼は開いてる。
奇妙な感覚に襲われて、反射的に辺りを見渡そうとしてみる。だがしかし首が一切動かなかった。よくよく気付けば首だけじゃなくて、体自体満足に動かない。眼球だけが唯一視界の分だけ動くものの、それ以外は一切駄目だ。


「…なんだこれ。」


まるで金縛りにあったみたいな。…つっても、金縛り事態に遭ったことねぇから想像だけど。

夢?
だけど夢にしては、随分とリアルな。
だって触れる空気がやけにリアルに肌を撫でる。


「やっと気付いたか。」
「…え?」


すると突然自分以外の声がして、思わず声が漏れる。
どこから聞こえるんだろうと見渡すけど、人の姿なんてどこにも見えなかった。
ただ広がるのは、真っ暗などこまでも果ての無い黒。視界に映る範囲全て黒で染まっていて、あまりにも純粋な暗闇に、目がおかしくなりそうだ。


「なんだ…?誰かいんの…?」
「んー。誰かいるといえばいるし、いねぇといえばいねぇかも。」
「は…?」
「誰かっていうのが、人間を差すなら答えはノー。」
「…意味が、わからん…。」


まるで謎かけのような応答に、思わず眉を寄せる。するとその声の主がクスクスと笑う音が聴こえた。


「なんだ、ナリばっかり大きくなっても、中身は全く変わんねぇのな。」
「…は?」


何を言われているのか分からずに、首を傾げる。まぁ、傾げたつもりの首が傾げられているのかどうかは疑問だが。


「久しぶり。ちょっと見ねぇうちに大きくなったな、沢村。」


楽しそうに声の主の語尾が跳ねるものの、姿が見えない上に久しぶりなんて言われてもだな…。


「久しぶりって言われても…。」
「ああそうか、お前、覚えてねぇんだっけ。…人間ってのはひ弱な生き物だよなぁ。全く。」
「覚え…?人間…?」


意味の分からない単語ばかり並べられて、いよいよ頭が混乱する。
どういうことだ。今一体どういう状況だ。俺に分かりやすく詳しく説明求む。マジで。
体が動かない。手も、足も、全部駄目だ。やっぱり夢?だけどそれにしてはやけに頭がクリアだ。
なぜかこれが現実だと、体のどっかから何かが告げる。それすらももしかしたら夢の幻惑かもしれないけれど。
戸惑う俺を余所に、得体のしれないものの声が、音が、広い黒の空間に響く。


「あの時あんなに、忠告したのに。」


その透き通るような低い声に、ドキリとする。


「同じ願いは一度だけ、って。」


願い事。
呆れたようなその声音。その言葉に含まれるのは明らかなため息。


「願い事、って…。」


よもや自分が何と会話しているのかなんて分からない。
だけど問いかけずにも居られなかった。
その俺の問いかけに、答えは返って来る。
けれど、その声の主は俺の質問はまるで聴こえないかのようにスルーして、小さく続けた。


「どうしてお前はまた、同じ事願っちまうかな。」
「…え?」
「あんなに忠告したのに。1度だけ。2度目願ったらその時は、―――って。」
「え?なんだよ、聴こえね…っ、」


ざわっと空間が揺れて、ラジオに混じるノイズ音みたいな雑音に、一瞬だけ声が掻き消される。
そのせいでよく聞こえなくて、思わず聞き返したら、次は何事もなかったかのように明朗な声が返って来た。



「沢村、残念ながら、お前は死んだんだよ。」



そのあまりの内容に、目を見開く。


「…はあ?」


なんだその非現実的事項は。


「死んだんだ。お前。覚えてねぇかもしんねぇけど。」
「…死んだ?」
「そう。」


死んだ、って。
誰が?
…俺、が?


「え…?」
「残念な話だよなぁ。まだそんなガキなのに。人間ってのは、本当脆い生き物で困る。」
「ちょっと…なんの冗談だよ、それ…。」
「はっはっは、残念ながら、それが冗談でもねぇんだ。沢村。……ほら、ゆっくり、思いだしてみろ。」


目を閉じる前。
自分が。
一体。
どこで。
どうして。
何があったのか。


何かに導かれるように、その柔らかな声に目を閉じる。広がるのは、目を開けているのと変わらない暗闇。


目を閉じる前。
俺は。
黒を見た。
そう、大きな影。
俺に向かって来る大きな。
道の真ん中で。
飛び出した俺は。
それに、


「――――ッ…!」


感じた熱。助けてと、確かに俺が呟いた。


「思いだしたか?」
「は、…っ…。」


勢いよく閉じていた目を見開く。
思いだした。
そうだ。俺は確か、向かって来たトラックに、はねられて。


『あれは即死だろ…。』


誰の声か分からない。だけどはっきり聴こえたそれは。

死んだのは、俺。



「…嘘、だ…。」
「本当。…っとに、お前って運がねぇよなぁ。」
「嘘、だって、俺、学校に…。さっきまで…!」
「うん。そうだろうな。」
「だって…、…ええ?…え、え…?」
「だけど実際に、お前はあの事故で死んだんだ。沢村。」


さぁっと全身から血の気が引いて行くような感覚に襲われた。
一気に、足元が崩れて行くような。世界が音を立てて、消えて行く。
じゃあ。なんだ。
これは、まさか地獄なのか。
この暗闇も、動かない体も。俺が死んだ、から?


「…っ、」
「お。泣くか?」
「…ッ、アンタ…、」
「ん?」
「アンタは、悪魔…?」
「は?」
「俺は死んだから、ここは地獄で、そこにいるアンタは、悪魔なんじゃ、ねぇの…?」


そう呟いたら、一瞬訪れる長い沈黙。
それを破ったのは、得体のしれないその声の主の大きな笑い声だった。


「はっ…!お前やっぱおもしれぇわ、沢村!!」
「なっ…なんだよ…!何がおかし…!」
「恐くねぇの?死んだんだぜ、お前。恐いとか、泣きたいとか、苦しいとか。そういうの、ねぇの?」
「そ、そりゃあるけど…!でも、まだなんか現実っぽくないというか…。実際俺、今普通に喋ってるし…。」


死んだといわれても実感がわかない。
動けない以外、生きてる時と何ら変わりがないせいだと思う。
大声で笑う声にムスリとしたら、拗ねんなよ、って声が聴こえた。…こいつ、俺の顔が見えんのか?


「残念ながら、ここは地獄でもなければ、俺も悪魔なんかじゃねぇよ。」
「…?」
「でもお前にとったら、天使や悪魔と変わりねぇのかも。」
「それって…どういう…。」
「…呼び寄せる力が強いってのは、考えものだな。」

再び風が、ぶわりと全身を撫でるように吹きあげる。この宇宙みたいな暗闇の中、一体この風はどこから拭いているんだろう。
そしてその風を、俺はどこで感じているんだろう。謎だらけだ。寧ろ、謎しかない。


「初めてだぜ。貧弱な人間風情で、二回も俺を呼びこんだガキ。」


その声が嬉々とした色を帯びて、俺を追って来る。


「なぁ沢村。俺なら、お前を助けてやれる。」


耳を疑う、その言葉。


「え…?」
「……って言ったら、どうする?」
「んだよ、それっ!どっちだよ!」
「イエスかノーかってだけで言えば、答えはイエス。」
「え…!?」


まさか。
そんなことって。

…ありえる、のか?
ゴクリ、と喉を鳴らす。緊張の糸が張りつめた空気が落ちる。


「俺は、妖。お前の強い力が呼びよせた数千の時と生の間に巣食う化け物。」


あやかし。
慣れない響きは、口の中をころりと軽い音を立てて転がった。


「助けて欲しいと、俺に願う?」


問いかけてくる呪文みたいな言葉と共に、風が吹きあげる。
あやかし。
そんな得体のしれないもの。
感じるのは、恐怖。

だけど。


「願う。」
「お。即答。」
「当たり前だ。そうじゃなきゃ、死ぬんだろ。」
「まぁ…そうだな。うん。死ぬわ。」
「それなら当たり前に、願うに決まってる。」


きっぱりと言い切れば、姿は見えないその声の主が、なぜか笑ったような気がした。


「だったらその声で、俺の名前を呼ぶといい。お前の力になってやる。」


名前?と首を傾げるけれど、それに妖と名乗る声は応えない。


「だけどその変わりに、時期が来たらお前の命、俺が貰うよ。」
「…代償、ってやつ?」
「そう。まさか、何も無しに生き返れるなんて思ってねぇだろ?」
「…だろーな。」
「それでも、生きたいと願う?」
「願う。」
「あの時死んだ方が良かったって思う日が来るかもしれなくとも?」


見えない未来は恐い。
それでも。


「俺は今、生きてぇから。そのためだったら、悪魔にだって縋ってやる。」


強く、つよく、そう言い切れば、妖の楽しそうな声が響く。


「いーね。折角1000年ぶりに主人に選ぶんだ、そうこなくっちゃ面白くない。」
「主人…?」
「俺の力で、お前は生きる。お前の命貰い受ける変わり、その時が来るまでお前に俺の力を貸してやるよ、沢村。」


まるで誰かに触れられるみたいな感触が、頬を滑った。
耳に直接囁きかけられるようなその声に。


「1度の願い事は、口約束。」


まるで歌うみたいな言葉が、体の中を真っ直ぐ通りぬけて行く。



「そして再び同じ願いが唱えられる時、それは永遠の契約となって人と妖を結ぶ。」



音は、歌に。風は、命になって。
俺の体を満たしていく。熱い。とてつもなく、体の奥から熱がせり上がってくる。



「契約しよう。沢村。助けて欲しかったら、俺の名前を呼ぶといい。」



名前?


そう、それはもうお前の中にあるよ。


だから思い出して。
そして呼べばいい。
そうすれば俺の力はお前のもの。

そして、お前は俺のものになる。




「お願いだ。“俺を助けろ”…御幸。」




唇がそう自然に紡ぐ時。
頬を撫でる柔らかい風が唇に流れて、まるで口付けのようにそこから何かが流れ込んで来た。


熱い。
あつい。

たまらなくなって、思わず目をぎゅっと瞑る。






『同じ願いを、願っていいのは一度だけ。』


『1度目の願いは口約束。』


『そして2度目の願いは、口付けを。』





そして再び同じ願いが唱えられる時、それは永遠の契約となって人と妖を結ぶ鎖となって、そこに呪われた絆を生むだろう。










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