happy valentine! | ナノ

happy valentine!


*2年目冬/2月



もうすぐだよなァ。

背後を追って来た言葉に込められた、どこかしみじみとした響きを含んだ重さが、確かな力を持って俺の首を振り返させる。

窓の外は、室内との温度差で出来た水泡に阻まれて見えないけれど、少しだけ薄暗さだけがガラスに映るような午後だ。こんな時間に、多忙を極める御幸と共に、部屋で時間を共有しているのは、少し珍しい。
かくいう俺も、結構な頻度で仕事が入ってるから、よくよく考えなくてもこうしている時間は奇跡のような確率ではあるのだけれど、俺も御幸も特にそれを気にすることもなく、ただゆるりと流れていく時間の中に、身をたゆたわせるだけの午後だった。

出かけるという選択肢は、端から存在しない。だってそんなことは、環境が許してくれないわけで。

(…ゲーノー人、だもんなぁ。)

俺も、御幸も。


他人事のようにごちて見るものの、決してヒトゴトでは無い。
2月に入って、今年ももう12分の1が終了したことにしみじみとする暇も無く、相変わらず滝みたく流れていく毎日の中で、ぽっと現れた休日を特別堪能することも無いが、けど決してマンネリ化とかそういうわけではない。(と思う。)隣で本を読んでる御幸をチラリと目で追ってそんなことを考えてから、ゆっくりとソファの背もたれに体重をかけた。


「何がー。」
「2月14日。」
「…あー…、バレンタイン。」


なるほど、もうそんな時期か。
カレンダーを見れば、確かにそこには飾りっ気の無い横文字が並んでた。あんまり縁のない行事だから、カレンダーの中でも気にかけることも無い行事の一つ。正式な祝日でも無い上に、何か特別なことをしないといけないわけでもなく。
こんなことを言うと思いっきり寂しい男子丸出しだけども、中学卒業と同時に事務所に入ってる俺にとって、バレンタインなんて見栄張ろうとしても張れるだけのネタの欠片すらこれっぽっちもないわけで。

店に買い物に行けばピンク色の装飾が目立ち、女の子達の熱が増す。コンビニにチョコレートが並ぶ。14日を過ぎればそれらには全部、半額やら8割引きやらのどこか空しいシールが貼られる。俺のバレンタインの認識なんてそんなもんだ。

14日の仕事の日は、その日の出演者の女の子がチョコレートをくれたり、メイクさんがお菓子くれたりはするし、ファンの子から届いた贈り物の一部を受け取ったりするけど、そういう一種の社交辞令みたいなもの以外で誰かに贈り物をされた記憶なんか全く無い。

(…よくよく考えれば俺ってなんて寂しい男…。)

このまま一生、可愛い女の子に放課後に呼び出されて、ずっと好きでしたって言われながら差し出されたチョコレートを家でドキドキしながら食べるっていう夢のようなシチュエーションに出会えないのかと思うと、なんだか人生損してるような気がしないでもないけど、考えても寂しいだけだからやめておく。

…しかもそんな男のロマンを経た経験も無いまま、その上今は、恋人が男、ときた。


「…現実って厳しい…。」
「…?いきなりどうしたの。」
「何でも無い。心の声。」


本から目を離した御幸の目が不思議そうに丸められるけど、それをひょいっと手であしらう。何となく今この男の整った顔を見ると、俺の自尊心的な何かに傷どころか割れ目が入りそうだった。
そんな俺の態度に、「変な栄純。」とだけ呟いた横顔は、今日もムカツクほど整った澄まし顔。(本人はそんな自覚無いというけど、そう見えるんだから仕方ない。)


「アンタは、」
「んー?」
「アンタは…数え切れないほどいろんなもん貰ってんだろうな。」


決して妬みから来たわけじゃない。来たわけじゃないが。ある種純粋な興味というか。
普段からファンレターや贈り物や、そういう類のものは数え切れないほど貰っているであろうヤツに今更バレンタインなんて…とも思うけど、やっぱりバレンタインとなれば比べ物にならないんだろう、と下駄箱からチョコレートが落ちてくる図をうっかり脳内で再生した。
まぁ御幸はずっと芸能界にいるんだし、下駄箱からチョコどっさりなんて経験は無いかもしんねーけど。段ボールで運ばれてくるチョコやらいろいろやらと、それを見て驚く御幸を想像したら、羨ましい通り越して半分ギャグじゃねーかそれ…と小さく笑いが漏れる。そんな自分の想像に軽く笑ってたら「無いよ。」とだけ短い返事が返ってきて、そのあまりにサラリと告げられた言葉に、うっかりトリップしてたせいで、危うく聞き逃しかけた。


「は?」
「だから、バレンタインの話でしょ。」
「そうだけど…。…今変な言葉が聴こえた気が。気のせいか?無い?無いって言ったか、今。」
「そう。貰ったこともないし、あげたこともない。」
「…冗談?笑うとこ?」
「本気。笑わなくてもいいところ。」


どの口が、どの顔で言うんだ。コイツ。


「うっそだー…。」
「本当。俺って結構寂しい男なんです。」
「いやいやいや…じゃああんなに送られてきた段ボール箱のチョコレートはなんだ…?」
「…段ボール?」
「事務所に大量に送られてきてたじゃん…段ボール…。」
「……何の話?」


あ、やっべ、これ俺の想像の中の話だ。
あまりにも衝撃過ぎてうっかりさっきまでの想像と現実がミックスした。


「……い、いや、そ、そういうイメージだったからさ…!!」


慌てて取り繕うように言えば、ぶは、と噴き出して笑われる。


「なにそれ。俺どういうイメージなの。」
「だ、だって、アンタがチョコ貰ったことないとか!絶対想像出来ねぇじゃん!天下の御幸一也だろ!?アンタ!!」
「なんかすげぇ褒められてるんだけど、御礼言うべき?」
「ちょ、いや、だってさぁ…!」


クスクス笑う御幸が、本の影に顔を隠す。
その振動で座ってるソファがふわふわ揺れた。


「…んー…でもまぁ、正確に言えば、多分知らないだけ、かな。」


本の隙間から、御幸が呟いた言葉が零れる。え?と聞き返せば、もう御幸は笑うっていうよりただ微笑んでるだけで、パラリとその手元でまた一枚紙がめくれる音がした。


「ほら、バレンタインとか誕生日って、何の理由も無く気軽に誰かにプレゼントが贈れるだろ?」
「…まぁ…。確かに普通の日に比べれば…そうかも。」


まぁ、気軽かどうかは置いておくとしても、理由がある分普段よりはそうなのかもしれない。
贈り物をするって経験がほとんどねぇからわかんねーし、バレンタインって女の子にとっては結構大変なんじゃねーのかな、とも思うから微妙なところではあるけど。


「そういう時プレゼントくれる人ってさ、そりゃもちろん殆どが善意とか好意とかが殆どなんだけど、…たまに、そうじゃないこととかあったり、何が入ってるかわかんねーからってことで、基本的に俺んとこまで届くことねぇんだよな。」


栄純とかもそうだろ?と言われて、ああ、と思わず呟いた。
まぁ確かにそういう贈り物は事務所とかマネージャーとかのチェックが入るから、毎年この時期は事務所もクリスさんも忙しそうだ。でも俺らは、既製品や手紙なんかは結構貰う。手作りはアウトがかかったりすることもあるみたいだけど…。でも、全部じゃない。
もしかして御幸って全部規制されんの…?って聞いたら、否定の言葉は返って来なかった。


「それに、期待持たせるのがどうとか、特別扱いがどうとかって問題になるらしくて、その他渡されたもんは昔から全部受け取らないように言われてるから、本気で経験ねーの。」


そう言われて、結構驚いた。
てっきり毎年、プレゼント攻めとかにあって大変な思いしてんだろうなとか、モテる男はいいなこのやろーとか勝手に思ってたから。意外というか、なんか自分の考えの浅さにちょっと恥ずかしくなったというか。

ふうん、と何とも言えずに返した曖昧な返答は、なー?ほら今絶対寂しいと思っただろ、って軽口みたいに返してくる御幸の言葉に語尾が押しつぶされて消えた。

(…ふうん。…へぇ。)

窓の外は灰色。
響く音はまたパラリと御幸の手元で一枚紙がめくれる音だけだった。


まぁ、もうすぐだよなぁ。
今度は、俺が呟く。
うん。
特に何の表情も読み取れない言葉で、御幸も呟く。
























---------------






ほんの気まぐれだった。
そう、言うならば思いつき。

少しだけ自分に余裕があって、しかもその日の帰りが予定より少しだけ早くスケジュールが終わったから、いつもより少しだけ遠いスーパーまで買い物に行けて、そのスーパーがあまりにもふわふわと甘い匂いばっかり漂わせていて、偶然その前を横切ってしまっただけ。

ただそれだけ。

だから手を伸ばしてしまっただけで、つまりこれは半分不可抗力。
ぐつぐつと、さっきまで火にかけられていた鍋からは、まだ小さな白い湯気が立ち上ってる。

“ソレ”に気を取られていたら、すっかり飯は手抜きになってしまったものの、初挑戦のいわゆるお菓子作りは悪戦苦闘たけれど何とか形にはなって、完成品は冷蔵庫に収められている。
見た目はほんの少し不格好だけど、それでも味に問題はなさそうな、それ。


まさか人生の中で、男のためにケーキを焼く日が来るとは思いもしなかった。

(人生一寸先は闇ってやつか…。)
…なんか違う気もするけど。

料理以上に面倒な後片付けも全て終えて、すっかりキッチンが板につくようになった俺の聖域は、既に見事なまで綺麗に片づけられてる。(何度も言うけど、御幸には生活能力ってもんがまるでない。まともに飯も作れねぇし。)

菓子作りがばれる一番の問題である甘い匂いも、だいぶ拡散して、今はだいぶ薄まってきていた。
だけどやっぱりほのかに香るのは、チョコレートの甘い香り。
うっかり家もバレンタイン仕様になってしまったことに気付いて、ちょっとだけ恥ずかしくなる。この匂いのことがすっかり頭から抜けていた。うっかり香りにつられてチョコレート会社の策略に乗ってやったのに、だ。


「…御幸が遅くてよかったよなぁ…。」


時計の針が天辺手前で二つ重なる。窓の外からは、明るい室内に暗闇が少し覗くだけ。

なんだかもう。
御幸と付き合うようになってから、俺はおかしい。
こんな変なことを思いついて実行して。その上一人でそわそわしてるなんて。ほんとにおかしい。


…でもまぁ、たまにはこんなのもいいかと思うわけだ。
だってほら、人生で一度も誰かにバレンタインにチョコ貰ったことないとか寂しいじゃんか。
しかもそれがあの天下の御幸一也だとか、なんか世間様に申し訳ないじゃんか。
だからまぁ、これは俺の義務というか。
女みたいにバレンタインにチョコを渡すわけでは決して無く、寧ろ俺のスマートなプレゼントに、たまには御幸の驚く顔が見れるんじゃないかっていう俺なりの策略。そう、これは策略、作戦、完璧な。

飯の後に、完璧なタイミングでチョコを渡す俺の素晴らしさに御幸を気付かせてやるだけ。


「…そう、これは完璧な…。」
「…なーにが完璧だって?」
「どおうああ!?!?!?」


ぶつぶつ呟いてた独り言に、自分以外の声が突然混じって、うっかり口から心臓が一緒に飛びだしそうなくらいの声量で叫び声を上げた。


「え、ちょっと、何。どうした栄純。」
「え?え?ええ!?ちょ、なんで御幸!?」
「なんでって…、さっきただいまって言ったじゃん…。」


聴いてなかったわけー?と不満そうに言われても、聴いて無いっつーか聴こえなかったっつーか。…いや、言ったか?いつの間に帰って来たんだ。ってか俺はどんだけ一人でどっかにトリップしてたんだろう…?

(へ、変なこと喋ってねぇだろうな…!)

俺の完璧な作戦が。まさか自分で地雷踏んでたら本気で泣ける。


「た、ただいまはもっと聴こえる声で言えよな…。」
「…結構十分大きい声で言った気がするんだけど。」
「俺が聴こえなかったら意味ないだろ!」
「えー。何そのジャイアニズム。」
「良いから!次からは気をつけてクダサイ。」
「…善処シマスー。」


どうやら、バレてはないらしい。
俺の完璧バレンタイン計画は引き続き続行可能だ。

今日はいつもに増して変だなお前、って笑われるけど、ほぼ毎日のように、変だとかおかしいとか言われてるような気がしないでもないんですが。御幸さん。

文句を言いたい気持ちをなんとか抑えて、帰ったばかりでコートを脱ぐ御幸を、じっと射抜くように見つめたら、え…何…?、と少し訝しげな声が返って来た。


「あ、あのさ、め、飯出来てるけど…さ、先に風呂?」
「てか、なんでそんなどもってんの。」
「も、元からだ!」
「…テレビでそんなだったら速攻クリスさんにしかられると思うけど。」
「うう…うえ…ええ、っと…!!じゃあ今日は調子が悪い!」
「え、調子悪い?」


あ、しまった。これは駄目だ。


「…じゃあなんで起きてんの。寝てくれても良かったのに。」


目に見えて御幸の顔が少し不機嫌になる。自分のことには無頓着なくせに、俺のことになるとそれはもう無駄に過保護になる御幸に対してこの手の言葉は地雷だ。
現に、「明日も早いんだから早く寝ろよ」オーラを思いっきり出してる御幸にちょっとだけ圧倒されて言葉を紡げないでいると、はあ、と小さくため息をつかれた。


「…折角買ってきたけどじゃあこれはお預けか。」
「…え?」
「店開いてる時間に買いにいったけど、明日ならまだ平気だろうし。」
「え?」
「調子悪いなら明日にした方がいいな。冷蔵庫入れとくから。」
「……え?」


言うが早いか、俺から離れた御幸が向かう先に有るものに気付いたのは、その手が白い取っ手に手をかけたのとほぼ同時だった。

(ちょ、っと、まて!)

そこは。


「ちょっとま、御幸!!」


制止の声は届かず、御幸が土産(もしかしたらバレンタインのプレゼントのつもりなのかもしれない)として持って帰って来たらしい小さな箱を収めようとした冷蔵庫の中あるのは、さっきまで俺がにらめっこしていたチョコレートケーキ。
茶黒い生地に、雪みたいな真っ白の粉砂糖がかかった、…いわゆるガトーショコラと称されるしろものが、大きめの丸い皿の上に鎮座して冷蔵庫を占拠していた。

当然それを見た御幸の顔には、疑問符が浮かぶ。


「…?なにこれ。」
「う、え…。えええ、っとおですね…!それは…!」


俺の完璧の計画さよなら。
思えば御幸相手にサプライズなんて、儚い夢の中の夢だった…。


案の定まじまじと冷蔵庫の中身を見つめた御幸が、ああ、と小さく呟く。
するとそのまま扉を閉めて、持っていた箱を近くの机に上に置くと、いつも以上に綺麗な顔でにこりと笑った。


「…今日はバレンタインだもんな。」
「…そう、ですね、…まぁ…。」


とりあえず食事の後、そっとスマートにケーキを差し出すっていう俺の計画は脆くも崩れ去り、一気に落胆で肩を落とした。
まぁ、別にいいんだけど。いいんだけどさー…。

小さくため息をついたら、そんなに見られたくなかったの?と御幸が問いかけて来る。


「当たり前だろ…。」
「別に隠さなくてもいいのに。」
「俺が嫌だったの。」
「…俺は気にしないけど?」
「俺は気にする。」


あからさまにしょげる俺に苦笑しながら、御幸が何とも微妙な表情を浮かべた。
それをチラリと見上げれば、一度冷蔵庫の方に視線を向けた御幸が、別に、と小さく声を漏らす。


「沢村くんだってアイドルなんだし、チョコの一つや二つ貰うのは当たり前だと思うし。」


だから気にしないけど、と言われて、思わず顔を上げた。
久しく呼ばれてなかった、沢村って響きよりも何よりも、その後の言葉の方が、気になって。思わず目を丸くして反射的に聞き返す。


「…は?」
「…だから、ケーキだろ?」
「うん…?そうだけど…。」
「別に誰に貰ったかなんて根掘り葉掘り聞く気ねぇし、そこまで気にしなくても。」
「………?誰が、誰に何を貰ったって…?」
「だから、ケーキ。誰かに貰ったんだろ?」


二人して首を傾げる。…なんかこんなやり取り前にもしたよなぁ。
御幸と俺ってなんかよく食い違う。すれ違うというより、食い違う。
今も何となく、二人してボタンかけまちがってる気がして。その違和感に漸く気付く。



「…あれは…俺が作ったんだけど…。」



御幸との間に落とした声が静かな部屋の中には妙に響いて、え?と聞き返す御幸の言葉が鼓膜を揺らした瞬間、ハッとして一気に顔がカカカカッと熱くなった。


「え?」
「…〜!!!や、やっぱ忘れろ今の!今のなかったこと!!」
「ちょっと待った栄純、それは無理。」
「無理でもなんでもいいから忘れろ!絶対!!聞かなかったことに!!」
「いや無理、絶対無理。もう聴いた。忘れません。だからほらもう一回言って。」
「覚えてんならいいだろバカ野郎!!!」


逃げようと思って踵を返したら、その瞬間後ろから腕を掴まれる。
強い力に引き寄せられて、そのまま行きたい方向とは逆向きに引っ張られる引力。
こういうときの御幸は素早い。気付けばすぐ後ろに居たその胸元に引っ張り込まれるまでの時間は多分、コンマだった。


「……ずりぃ…。」
「どっちがだよ。…なぁ、栄純。」
「……んだよ…。」
「…本当?」
「なに、が…。」
「さっきの。本当?」
「………嘘ついて、どうすんだよ…。」
「…な。もう一回言って。あれが、誰のために、誰が作ったもんなのか、って。」


なんだその、答えが用意されまくってる解答用紙。


「…ヤダ。」


言うとおりになるのは癪なので、ちょっとした抵抗を試みて見るも、御幸は何も言わない。
ただ、何も言わないけど、ゆっくりと俺を見るだけ。…振りかえらなくても分かる。先を促すように、見てるだけ。
結局折れるしかない俺を、分かってて。


「…アンタに、…御幸に、バレンタインにやろうと思って作ったんだよ。今日。」


ほんの気まぐれで、思いつきだけど。


「俺はアンタと付き合うのが初めてだし、…アンタが今までどんな風に過ごしてきたかはしらないけど、手慣れてるアンタがいろんな場数踏んで来てんだろうなってことくらいは分かる。それでも、…だ、誰にもバレンタインにプレゼントして貰ったことねぇとか言うから!この初めてだけは、俺が貰ってもいいかと、思って…。」


頼むから、何か言え。喋れ。ムカツクような言葉でいいから。
無言の御幸が、憎い。


「俺は女じゃねぇけど、今日は好きなやつを喜ばせる日の、はずだから。」

だから、いいだろ。



そこまで言えば、後ろから流れてくる、細く長い息の漏れる音。


「参ったなぁ…。」


それに混じって、御幸のどこか珍しく頼りない声が響いた。


「栄純って本当、色々俺のツボ突くどころか、えぐりだしていくから、困るわ、マジで。」


え?と思った瞬間に、さっきまで強い力で引っ張っていた腕が、俺の体を後ろからぎゅっと包む。
首から回された手に引き寄せられて、肩に埋まる茶色が、くすぐったい。


「こんな嬉しいバレンタインは、」

生まれて初めて。


その声があまりにも真剣だったから、妙にくすぐったくなって身を捩った。
けれど御幸は予想以上に強い力で俺を抱きしめてて、思うように動けずにすぐ諦める。
そんな御幸を、バカだなぁと思いながらも、そうっと顔の前で組まれる手に手を伸ばしてそうっと指で触れたら、少ししてその指に御幸の片手が絡んだ。



「…大げさだなぁ。」



抱きしめられた腕の中で、失敗した計画に少しの残念さは残るものの、何となく、…これはこれでいいかと思ってしまったりもして。



「…………ハッピーバレンタイン。御幸。」



ぽつり、呟いたら。
用意したチョコレートよりもずっとずっと甘い声が、ありがとうと耳元に落とされる音だけが、聴こえた。






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