リアル・モノクローム | ナノ

リアル・モノクローム



*番外編:沢村脱走後の御幸
多少の流血表現有



生物兵器。
簡単に総称するならば、俺や、組織にいる子供はみんなそういう存在だ。
自我が目覚めるのが早いか、それともこの閉鎖的空間に閉じ込められるのが早いか。そんな小さい頃に施設へと運ばれて来て、親の顔も知らないまま、どうして自分がここにいるのか理由を考えることすら出来ないまま、幼い肉体は組織の研修者達によって実験的に身体を内からも外からも作りかえられ、命令を絶対として生きることを定められる。肉体も精神も整備され管理され、縛られ服従する、世界を知らない絶対服従の生物兵器。
社会に属さない子供にとっては、与えられた知識が全てだ。取り巻く世界に教わることがその人間の全てを形成する。だから、そう、例えば、人を殺すことが悪いことだと、ここにいる子供は誰ひとり知らない。
他の子供が箸の使い方を覚えるように、ここの子供はナイフの扱い方を覚える。他の子供が遊具での遊び方を覚えるように、ここの子供は人を殺す方法を覚える。なぜならそれが自然で、それだけが世界だから。
人の学習能力は、酷く純粋で、だからこそ恐ろしい。


ランクAの改造と調教を受けた俺の体は、もう人間というのもおこがましいほど。研究員の誰かが、「最高傑作だ。」と言っていたのをどこかで聞いた。薄い皮膚の下、赤いランプの灯った小さな機械が見える。その下に流れているであろう血管は、その機械に隠されて見えなかった。だから本当に俺の体に他の奴と同じように赤い血が流れているのかどうかも分からない。案外切り落とした腕の先からは、無機質なコードが何本も飛び出してくるんじゃないかと、考えたこともある。
痛みとは何か、忘れてしまった。狭い狭い真っ暗な部屋の中で、扉が開かれる瞬間を待つだけの毎日。けれどその扉が開いた先に待っているのも、終わりのない赤だけなのだ。そして今日もまた、ガチャリと扉が開く音がして、低い声が俺の体にスイッチを入れる。


「……仕事だ。」


ああどうしてこの世界はこんなにも静かで、こんなにも真っ暗なんだろう。









「そもそもどうして、あの若造に研究のことが…伝えたのは誰だ…。」
「それはこの前も審議しただろう、大体私は、計画のことを知らない人間を組織に引き込むこと自体に反対して…、」
「だがあの知識と才能は惜しいと君も言っていただろう!?」
「それはそうだが…っ、」


ペタペタと、廊下を歩いているとある一室からそんなやり取りが聴こえた。
無機質な灰色の廊下の上、俺が歩くたびに赤い斑点が出来る。引きずる足はもしかしたら折れてるのかもしれない。仕事帰りに怪我はよくあることだ。怪我すること自体はどうでもいいけれど、骨折をすると懲罰房にいれられるからそれは少し困る。骨折をすると、せめて骨がくっつくまでは使い物にならないから、次はもっとうまくやれ、怪我をするくらいなら死んでこい、と罵られるのが面倒くさい。だから骨はくっついてるといいなぁと思う。
持っていた手の平に握れるサイズの小ぶりなナイフを服の裾で拭く。そろそろ慎重しないとこれももうすぐ切れなくなる。人の血や脂を吸い取り過ぎると、金属はすぐに錆びて、切れ味が格段に落ちる。人の幽霊だとか怨念だとかは信じていないけど、こういうのはちょっと呪いのようなものにも見えた。
水を浴びたら部屋に戻らないと。少し前までなら、なるべく早く部屋に戻って、沢村さんのところにダッシュしてたけど、今はもうそれも無い。思わず落ちるのは最近よくつくようになったため息だった。


「とにかく、沢村栄純を逃がしたことは、無視し難い最大のミスだ。」


聴こえて来た名前に、ピタリと足が止まる。
思考を止めていた脳が動く音がして、ドアの方へ向けた視線が中を捕える。僅かに開いた瞳孔が捉えたのは、かつて沢村さんが着ていたのと同じような白衣を身に纏う大人の姿。よく見る顔もそこにはあった。蚊の鳴くような音でも捉える聴力と、どこにでも焦点が一瞬で合わせられる目が、伸びた視線の先を捕え、反射的に気配を消す。


「聞けば、ランクAが手引きしただとか。」
「他の子供も手を貸したとも聞いたぞ…。」
「なぜ沢村がランクAと接触を―…。」
「ランクAの勝手な行動を無視していたのは―…。」
「そんなことよりとにかく今は、アレが勝手に外に出ないように手を―…。」


交わされる言葉が、全部ノイズのように乱れて聴こえる。
それが酷く煩い。不快で、気持ちが悪い。沢村さんの声は、いくら聞いても飽きないくらい、綺麗な色をしてたのに。
同じような他人の声。だけどそれは、仕事場で聞く悲鳴より、やめてと懇願される声よりずっとずっと聞き苦しくて、頭が拒否する。
煩い。
煩い。
煩い。



「だが、聞けば、沢村栄純は逃走途中に死んだとの話だが…。」




…え?







一瞬乱れた心が、ザワリと嫌な音を立てた。



「ああ…、でも出血痕だけが見つかって、遺体は上がって無いとか…。」
「あれは致死量の出血だっただろう。助かってるわけがない。そのまま海にでも落ちたか…。」
「だが遺体が上がるまでは捜索は続けるべきだと―――、」


鈍い痛みが頭を走る。
泣きそうな顔。俺を置いてはいけないと、必死に告げるその顔が、頭に浮かんだ。
御幸、と。
俺を呼ぶ柔らかい声。



「どちらにせよ、死んでいてくれれば好都合。」



最後に少しだけ振り返った後ろ姿が、上手く思い出せない。


死んだ。

死んだ。
死んだ。

誰が。
沢村さんが。


死んだ。
 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ?死んだ。



生きていて欲しいとそれだけを願って、手を離したあの人が?



(死――…、)



スイッチが入る。

気付けば、いつもかけている眼鏡を外して、その辺に投げ捨てていた。
引っかけるように持っていたナイフを握り直す。地面を蹴る。そこまでほんの一瞬。開いたドアの中、眩しいくらいにぎらつく蛍光灯が下品に室内を照らす。何個も驚いたように見開かれる目を見た。


「…ランクA…っ!?」


振り上げた腕、ドアを蹴ってその反動で小柄な体を空間にねじ込む。自分よりずっと体格のいい大人の胸元に入り込んで、その無防備に晒された首元に、銀色の刃物を突きたてる。赤い雫が頬を汚すのが、銀色に反射して映った。次の呼吸を吸うよりも、地面を蹴りあげて体をくるりと回すのが速かった。視界が一回転して、両足が着地する。「とめろ、」と、誰かが叫んだけれど、その声すら、赤く染まる次の一瞬。


駆け付けた他の研究員に数人がかりで止められるまで、俺は歯車の壊れた暴走した機械のように、暴れ続けた。


結局その後、骨折なんかよりずっと重い罰で懲罰房に入れられて、何日も何日も自由を奪われた。
出て来た後はもう、危険物としてのレッテルを貼られて、今まで以上に監視をつけられる毎日。
だけどその時の俺にはもう、何も残っていなくて、何もかもがどうでもよかった。その後数年、どうやって生きていたのかあまり記憶が無い。




機械のようだと言われ続けていたけれど、今の俺は紛れもなく機械そのものだ。
行動に感情は無く、生活に理性は無い。プログラムされたフロー通りに動く0か1の命令に添う機械のように。ただ忠実に、言われたことを言われた通りに、与えられたことを求められるとおりに行うだけの、ただの機械。
いやまだ、イエスやノーの二択が与えられる分、幾分か機械の方がマシかもしれない。俺には拒否権もなければ、選択権も無いのだから。

人の血が赤いということを、見過ぎて忘れた。
錆びた鉄のような、血の香りがいつも鼻の奥の粘膜の部分にこびりついて離れない。それを不快だと思う感情も既にどこかに消えた。
あの人がいなくなった世界はモノクロで、例えば今目の映るものがどんな色をしているのか分からなくなった。色彩感覚なんてものは遠い日に置いて来てしまったんだろう。無くなったものは多い。人としての理性も尊厳も、何もかも。けれどその何を失うことよりも、アンタを失ったことが、俺は何よりも悲しいんだ。
ああ、まだ、俺にも。
何かを悲しいと思うことがあるのか。
…そういえば、俺の喜怒哀楽を全部引き出せるのは、あの人だけだった。

沢村さん。沢村さん。
世界にはあまりにも人が多すぎて、おかしいかな、アンタの姿がどこにも見当たらないんだよ。

なぁもし、
アンタ以外の全部を消してしまったら、俺はアンタを見つけられんのかな。
なぁ、沢村さん。沢村さん。

頭の中、知らねぇやつの悲鳴ばっかりが響いてアンタの声が聴こえないんだ。


『…御幸…っ!』


どうせ失うのなら、あの時あの手を取っていればよかったんだろうか。
後悔を語る俺の手元に、今日もまた赤黒い水溜りが出来る。そこに落ちる、新しい水。


それはなぜか赤くは無く、色の無い雫だけが、赤い世界にゆっくりと落ちて、ジワリとそこに波紋を広げた。



なぁ沢村さん。
頬を流れるこれは、なんだろう?
凄く温かいのに、凄く苦しいんだ。


なぁ、沢村さん。
あんたが教えてくれたことしか俺は知らないんだよ。



「…、わ、むら、さん…。」



それはもう届かない、世界から消えたあの人の名前。






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