綺麗になった世界にて | ナノ

綺麗になった世界にて


*後日談:その後の二人



なんていうか。
こういうのってなんつーの?
………デジャヴ?


「沢村さーん。」


朝一番、クローゼットを開けた扉にくっついていた鏡と睨めっこしていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聴こえた。
ちょいちょい跳ねた髪を気にしていたこともあって、認識はしたものの、返事をするってことをすっかり忘れていたら、バタバタと音がして、すぐにそれが軽いノックの音に変わる。
間髪開けずに開いた扉の先、襟元と前髪を弄りながら振り向けば、「あれ?」と言葉を漏らしながらドアノブに手をかける御幸の姿がそこにあった。


「起きてたんだ。珍しい。」
「おー…。」
「返事ねぇから寝てんのかと思ったのに。」
「寝ぐせと真剣勝負してた。」
「ははっ。…あ、飯出来てるけど、食う?」
「食う。」


コクンと一度頷きつつ襟元を直して、クローゼットの中からネクタイとジャケットを手に持つ。
反動でクローゼットが閉まるほど勢いよく閉じてやれば、俺より少し早く部屋を出ていた御幸の後を追う。


「朝飯なに?」


リビングにつくまでに追いついて、ふと思いついたことを口にすれば、隣を歩く俺に少しだけ視線をやった御幸が、ゆるりと微笑んだ。


「…卵はオムレツでいいんでしょ?」


……よくお分かりで。










御幸と一緒にもう一度暮らすようになってから、特に意識するまでもなく、意識する暇も無く御幸は俺の生活に馴染んだ。
御幸がいなくなってからの日々の方が、ずっとずっとどこか不安定の中にいるようだったせいか、まるで本来そうであったかのように、御幸が生活の中にいるのがあっという間に普通になっていった。

御幸の体が、入院を必要としなくなってから数日後、入院中にいろいろと考えていた通り、俺は今まで住んでいた家を手放して、新しく買ったマンションに、御幸と共に暮らしている。
“発信機”だった御幸が滞在していたあの家はもうすっかりバレているし、危険は一つでも少ない方がいいから、と二人で決めた。あの家に帰れないことを御幸はすげぇ申し訳なさそうにしてたけど、御幸が言うほど俺は特に気にしていなくて、寧ろ二人だけなのにあんな広い家に住んでること自体無駄な気もしたし、引っ越しってなんかわくわくすると言えば、流石の御幸にも笑われる始末。

仕事もやめようかと言えば、俺の職場までは報告の対象に入れてなかった、と御幸が言うので、とりあえずは保留のまま。次の職場が決まったら変わればいいか、と、最近休みの日にこっそりハローワークにも通ってる。
御幸は、組織が用意してくれていた偽の“18歳御幸一也”で在学していた大学を中退して、今は飲食店でアルバイトをしながら、いろんな資格取得に奔走しているらしい。
世界から、世間から、ずっと隔離された場所で過ごしてきた御幸との間に落ちる生活のギャップはたまに感じるものの、元々御幸は、俺と生活しても何ら違和感のないように訓練されていたから、そこまで不自由は感じることもなく。
ちなみに御幸の経歴は、どこをどうしていたのか、高卒扱いになってるらしいけど、もちろんずっと施設にいた御幸に学校に通った経験は無いから、バイトを始めれば、それはそれは知らないことばかりで最初は戸惑うことばっかりだったと笑っていた。
まぁ、基本的に1度やったことは何でも出来るようになる方だったので、今は特に何の弊害も無く日々を送ってるみたいだけど。


朝起きれば、俺より少しだけ早く起きた御幸が朝飯を作ってくれる。これは前御幸がいた時と変わらない。
夕食は、先に帰った方が用意をする。連絡は常にメールで。…まぁ、大体は御幸がするんだけど。(俺は材料買ってくるだけ、ってことも少なくない。)
あまりにも普通な、そんな毎日。
たまに連絡が上手くいかなくて、夕食当番がブッキングしたりして笑い合う。そんな些細なことが、幸せだと気付ける分だけ幸せだと、思えるくらいにこの生活が当たり前になって来ている。


「…さん?…沢村さん?」
「へ…!?」
「…何ぼーっとしてんの。」
「…俺、ぼーっとしてた?」
「すっげーしてた。」


名前を呼ばれてハッと意識を戻したら、首を傾げた御幸の顔。
持っていた箸が何も掬うことなく、目の前にゆらゆらと揺れている。
…いっけね、思いっきりトリップしてた。


「普通に考え事してた…。」
「何回呼んでも返事ねぇから、どうしたのかと思った。」
「う…。」
「別にいいけどさ、あんまゆっくりしてると、遅刻するんじゃね?」


ほら、と指さされた先には、棚の上に置いてある時計。
それは既に8時を指していて、あと少しで出ないと遅刻が決定することを知る。


「…!!遅刻!!」
「だから言ったのに…、…って、なんかいっつも言ってる気がするわ。これ。」


ケラケラと御幸が笑った。
まだ半分部屋着みたいな状態の御幸は、きっと今日は遅出番なんだろう。
慌てて残りの飯を掻き込む俺を見ながら、御幸がゆっくりと箸を置く。その落ち着きはらった余裕のある態度に、相変わらずどっちが年上か見失う。
それになぜか凹むのは、前に一緒にこうして飯を食っていた時と変わらないけど、あの時は「20近くちがう子供相手に…。」と思っていた分、ちょっとだけ今の方が気が楽だ。…つっても、現実10歳ちかく、年は違うわけなんだけども。
まず朝飯用意されてる時点でどうなんだと思うところだけど、そこは割愛して貰う。


「…っし!ごちそーさま!」
「お粗末様でした。」
「さ、皿…。」
「俺がやっとくからいいよ。気にしないでも。」
「悪い…!夕飯は俺が片づけるから!」


言うが早いか、席を立つのが早いか。
御幸の答えを待つ前に、隣の椅子にひっかけてあったジャケットを手にとって、置いていた鞄と一緒に引っ掴む。
前は8時半に出れば間に合った職場も、今や8時過ぎには出ないと完全に遅刻コース。
朝の30分は俺には結構痛手で、だからこうして今も遅れそうになっているだけで…、…別に俺が成長しないわけでは全然無い。これっぽっちも無い。

バタバタと靴を履く俺を、玄関に出て来た御幸が見下ろす。


「沢村さん、今日は遅くなりそう?」
「や、何も無ければいつも通りだと思うけど!」
「そ。じゃあ俺よりちょっと早いかもな。」
「御幸今日遅い?」
「金曜夜だし、ディナー込みそうだからちょっと片づけ時間かかるかも。」
「了解。じゃあ夕飯用意出来たらメール入れとく!」
「…沢村さんの夕食ね…。」
「ぬ!?なんか文句が?」
「……出来なさそうなら、食いたいもんの材料だけ揃えといてクダサイネ。」


…ほう。
…御幸はどうやら俺のことを相当侮ってるらしいが、俺だってやればできる男だぞ、やれば。
ちょっとやらねぇだけで。
ちょっと米を洗剤で洗ったくらいで。
ちょっと目を離してフライパンの焦げ焼きを作ったくらいで。


「……わかった。」


でもまぁ美味いモン食いたいのは俺も同じだから、素直に頷いておいた。
それにほっとしたみたいな御幸を見て、やっぱりなんかしてやろうか…と、晩飯作りのはずが、悪戯心にシフトしたものの、とりあえずは目の前の事!と、遅刻をしそうな現実を思い出して、トントンと靴を軽く打ちつけて履き終える。

ああやっぱり、朝は余裕がねぇなぁ…。
そう思っていれば、沢村さん、と御幸が俺を呼んだ。


「ん?」
「ネクタイ。また曲がってる。」


伸びて来た腕に攫われて、振り向いたところを器用な手つきで直される。


「…いつになったら結べるようになんの。」


呆れたように御幸が言いながら、クスクスと笑う。
それにふいっと視線を逸らしながら、照れ隠しのように体を反転させた。

…お前がこんな風に俺を甘やかす限り、そんな日は来ねぇような気がする。


「…っ、もう行く!」
「はいはい。」


綺麗に正された胸元。よくもまぁ人のネクタイをこんなにも綺麗に結べるもんだと感心するほど綺麗な形をした結び目を一度チラリと見下ろした後、じっと御幸の顔を見た。


「いってらっしゃい。沢村さん。」


ひらひらと手を振る御幸。
それをじいっと見ていると、不思議そうに御幸が首を捻った。
数秒間、視線だけが交わる。

(…、まぁいっか。)

少しして、小さく息を吐いてから置いていた鞄を手にとり、体を翻す。
無駄にしていい時間はどこにもない。ただでさえ暫く休んでたせいで、最近いろいろ厳しく言われてるし。


「…いってきます。」


小さくそういって踏み出そうとしたと同時に、逆の方向に軽く引っ張られた。


「え、」


思っても見ない方向に力をくわえられて、反動で簡単に揺らいだ体は、後ろ向きに引かれた力に従って落ちる。
思わず顔を見上げれば、そこには意地悪い笑顔を浮かべた、御幸の顔。


「……キスしてほしいなら、言ってくれたらいいのに。」


顔全体に影が落ちて、一瞬で唇を掠め取られる。
引っ張られた腕と逆の方向の手で頬を撫でられて、いってらっしゃい、と今日二度目の挨拶が指と一緒に頬を擽った。


「…っ、だあもう!!いってきます!!」
「はいはい、いってらっしゃい。てんぱって事故んなよー。」
「誰のせいだ!!」


御幸の笑い声をBGMに、バクバクする心臓を抑えつつも家を後にする。
乗ったエレベーターにある鏡に真っ赤な顔の自分が移って、ポーン、と1階に着いた瞬間に、そんな顔を振りきるかのごとくダッシュした。



ずっと変わらず、忙しい朝。
バタバタと、忙しなく過ぎる時間は、紛れもなくどこかの家族のようで。
ずっと変わらない、相変わらずなひと時。


でもそれに加えて今は。


(…あっちぃ…!)


抑えた唇が伝える熱を冷ましながら走る会社までの道のりで考える。





結婚する、ってこういうことなのかな。
――――なんて、思ったりする。







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