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「あい、てててて!!」 「それくらい我慢してくださーい。」 「いてぇもんは、いてぇの!!」 俺の反論を軽くスルーしながら、御幸が思いっきり傷口に消毒液をかけて、包帯を巻きなおす。 器用にくるくると両手を使って腕に巻きつけてくれるその手際はめちゃくちゃスムーズで、上手い。俺一人でやるとこうはいかない。 が。 今、その御幸の手にも同じように思いっきり包帯が巻かれている。 数週間は絶対安静だと言われたはずの男が、どうして俺の怪我の手当てを手伝ってるのか。 「ほーんと、沢村さんって不器用。」 クスクス笑いながら、巻き終わった包帯の上を最後にぽんっと叩かれると、ズキッと少し痛みが走った。 それを見て顔をしかめる俺に、笑う御幸。 鬼だ。コイツ鬼だ。 っつーか、何なの?何なのコイツ! 俺を笑う御幸の全身には、いたるところに包帯が巻かれていて、しかも居場所はベッドの上だ。 体こそ起きあがってはいるものの、どう見てもその様子は重症患者。巻かれている包帯の下には、痛々しい手術痕がまだ生々しく残っているはず。対する俺はただ腕や足にところどころ傷があるくらいで、どう見ても軽傷患者でしかない。 どちらが“手当てされる側”なのかなんて、一目瞭然。…なのに。なんで。どうして! (…なぜ俺の方が御幸に手当てされてるわけ…?) 年上の面目どこ行った。 「…俺だって一人で包帯くらい巻ける…。」 「っていってこの前やらせたら、案の定包帯が包帯の意味なしてなかったんじゃなかったっけ?」 「……お前、俺のこと完全に舐めてるよな…。」 「うん。」 「…か、っわいくねぇ…!少しは年上敬う態度の一つくらい見せろ、馬鹿!」 怒鳴り声を上げれば、御幸がケラリと軽く笑う。 その様子に少しだけ拳を握りしめれば、キッと一人で笑う御幸の方を睨みつける。 「大体お前!」 ガーゼを沢山貼り付けた御幸の顔が、こちらを向く。 「息子とか…18歳って……嘘ばっかじゃねぇか…!」 ここに来る少し前に倉持さんや、亮介さん、そして御幸に白状させた事の顛末。 大体はこの前倉持さんに聞いた通りではあったけど、その中で疑問に思っていたことが一つ。 どうしても、御幸と俺の年齢計算が合わないのだ。 あの時はあまりにも混乱していてそれどころではなかったけど。 俺の記憶が曖昧なのは、事故に遭ったと思っていた18歳の頃の話で…。倉持さんから聞いた話では、その頃に俺は組織を抜けだそうとして、記憶がぶっ飛んだらしい。その逃げるのを手伝ってくれたのが、当時ちびっこだった御幸。 が。しかし。 そこで問題になるのは、御幸の年だ。 俺が18の時、現在18歳の御幸は普通に計算すれば生まれてるかどうかもさだかじゃないくらいの年。 まさか、と思って問い詰めてみたら、御幸はしらっとした顔で白状した。「年齢詐称って便利だよね。」…と。 「えー?だって、26なんて言ったら速攻で嘘ばれるじゃん。沢村さん自分何歳だと思ってんのよ。」 34歳で26の子供が居たらさすがにおかしいでしょー?…って。 まずその“息子”設定に無理があるとは思わなかったのか。…まぁ、ちょっと俺もドキッとしたけど。そりゃ、ちょっと、もしかして…とか思ったりもしたけど。 とにかく、今思えば御幸の周りは無理やりに嘘で塗り固められていて、冷静に考えてみればおかしなことだらけだった。 「じゃあ大学は!?」 「別に大学なんて何歳でも席おけるし。」 「ぐ…。」 「一応俺、組織派遣の工作員だぜー?沢村さん騙すための材料なんて、頼めばいくらでも用意してくれたよ。」 「信じらんねぇ…。」 「だってそうでもしないと、突然家に置いて貰うなんて無理あるじゃん。」 「十分無理あったっつーの!!」 「でも、置いてくれただろ。」 ニヤリと御幸が笑う。 突然御幸が家に来てから、暫く一緒に過ごした日々がガタガタと頭の中で音を鳴らして一気にリフレインする。 「他にも何か隠してんじゃねぇだろうな…?」 まぁ結局。 過ぎたことをぐちぐち言っても仕方がないわけで。 納得はいかないけれど、とりあえずジロリと御幸を睨みながらそう言えば、ベッドに腰掛けた御幸の顔が緩んだ。 「ないよ。…あっても、聞いてくれたら全部本当のこと言うし。」 「本当だろうな…。」 「うん。」 「……今度嘘ついたらクリス先輩に頼んでその無駄にイケメンな顔弄って貰うからな…。」 「…それは褒め言葉じゃねぇの…?」 「…。」 御幸が皮下の異物除去手術をしたのは、まだ3日ほど前だ。 最初術後の様子を見た時は、一瞬くらりと眩暈を覚えたもんだけど、あっけらかんとしていた御幸は、次の日は普通に起きあがって話すまでになって。 それから少しすると、こうして俺の手当ての手伝いすらするようになった。 驚異的な回復力だと、クリス先生も笑ってたっけ。…驚異的っつーかバケモンだろ、もう。 そう言ったら、御幸は『俺ちょっと痛覚鈍いんだよなァ。』って笑っておられましたけども。 「お前って実はロボットかなんかなんじゃねぇの…?」 「…なんかそれ笑えないからヤメテクダサイ。」 「……そうだな。」 実際御幸の体の中からは、ロボットもびっくりなくらい色々な装置が出て来たわけだし。 こんな手術きっと、クリス先生も前代未聞だっただろうな…。 改めて、自分が結構大変な事態に巻き込まれていたことを実感して、背筋がゾクリとしたもんだ。 その御幸の体から取り出した機械は既にもう全部壊されて、こうして病院という一つの場所にとどまっていても、追手の心配は無い。まぁ、あんなに建物自体思いっきりぶっ壊したら、向こうも向こうで今大変なんじゃねーかな、とも思う。 亮介さんからいざという時のために、行方くらましのための妨害電波発生装置を預かってはいたけれど、どうやらこの恩恵を受ける必要は無さそうだった。 俺も俺で、最後に瓦礫の間に落ちそうになった時に少し怪我はしたものの、それだけ。 怪我が酷かったところはまだジクジクと生々しい傷跡を残してはいるけれど、日に何度か消毒して包帯を変えていれば、後はもう、日にち薬だろう、と。 なんだか全部、夢みたいな話だった。 結局難しいところや詳しい事はよく分からないけど。 でも。 一番隅の病室に、こっそり入院してる御幸のところに朝やってきて、面会時間ギリギリまで居座ってから、家は少し遠いから、取ってある近くのホテルに帰る。そんでまた朝、御幸の所に来る。 それはもう熱心に仕事詰めの毎日を送っていたこともあって(仕事しかすることがなかったともいえるけど)、有給も給料も暫く充分なくらい潤っているから、御幸が退院するくらいまでは充分にこの生活が続けられるはず。 そんな、数日前からは想像も出来ないほど、穏やかな日々が、俺たちの間には流れていた。 そして御幸からしてみれば、きっともっと。 「退院したらさ。」 「おう。」 俺の包帯巻きなおしを終えた御幸が、少し視線を外しながら、小さく呟く。 そのどこか遠くを見るような目を見て、なぜかドキリとする。 「まずは俺、住むところ見つけねぇとなー。」 「え!?」 「…って、なんでそこで沢村さんが驚くの。」 「え?だ、だ、って…!」 「…さすがにもう、置いて貰えねぇだろ。赤の他人なんだし。」 ドキン。 さっきより明確に、心臓が煩く鳴った。“赤の他人”。御幸の口からそう言われると、なぜか急に心臓が早鐘を打った。 (…家族、だって。言ったのに。) 俺は勝手に、退院したら御幸はまたあの家に戻って来るもんだと思ってた。 だから俺は御幸におかえり、といったし、御幸もただいまと答えたんだって、勝手に。 けれど思えば、ギリギリでも繋がっていた“息子”という関係が白紙に戻った今、御幸があの場所に帰って来る理由なんて、どこにもないんだ。 俺と御幸を繋ぐもの。 その不安定で脆い細い糸に、今更ながら、気付く。 家なんか、探さなくても。 あの場所に、あの家に。 二人で暮らしたあの場所に、戻ってくればいい。 …その簡単な誘いが、声に出来なかった。 「そんな顔しなくても、」 御幸がクスリと笑う。 「別に永遠に会えなくなるわけでもねぇだろ。」 「おー…。」 「俺はもうどこにも行かないし。あ、携帯も買うし。戸籍とか、そういうのどうなってんのか知らねぇけど…。」 「…おう。」 「いざとなったら亮介さんに頼んで…、ああ、あの人そういう偽装とかも得意な人でさ、」 「ん、」 「……沢村さん。」 「…なに?」 曖昧な返事を返す俺を、御幸が真っ直ぐ見つめる。 その目を見返しながら、緩く首を傾げた。 一瞬、流れる沈黙。 空気だけが、二人の間を抜けた。 「………思い出した?」 何を。なんて。 言われなくても分かった。 御幸がこんな風に明確に言葉に出すのは初めてだったから、少し圧されてしまったけれど、引いた分ぎゅっと拳に力を入れて踏みとどまって、…やがて首をゆっくり左右に振った。 「………いーや、全然。」 「…そっか。」 「なーんかたまに、それっぽいこと思い出すような気がしないでもないんだけど。でも、それだけだな。正直やっぱり、よく分かんねぇ。」 「まぁ、そうだろうなとは思った。」 「悪いな。…本当ならここは、全部思い出して、感動に浸る場面なんだろうけど。」 「別に。何となく、沢村さんは思い出さないような気がしてたから。」 「……なぁ御幸。」 「ん?」 少しだけ、声のトーンを落とす。 ずっと、気になっていたことがある。御幸を追うって決めて、そして見つけて、一緒に帰るって決めた時から。ずっと。 御幸が俺の方を見る。不思議そうに開かれる両目。その奥からは、何も読み取れなかったけれど。 息を吸う。喉から少しだけ冷たい空気が肺に流れ込んでいって、生々しく体の中を駆け巡った。 「俺は、昔のことを思い出せなくても、お前が大事なことに変わりねーよ。」 だって俺が大事だと思うのは。 危険を冒しても、助けたいと思ったのは。 突然やってきて、意味の分からない理由で住みついて、ネクタイ結ぶのが上手くて、オムレツ作るのが上手い…そんな、今目の前に居る御幸で。 確かに昔のことを思い出したら、もっともっと、御幸のことを大事に思うのかもしれないけど。 けど所詮それは推論だ。 今だって充分、これ以上無いってくらい、御幸のことは大事だと思ってる。 けど、御幸は? 御幸は、どうなんだろう。 「お前が大事に思ってる“沢村さん”は。」 俺とは違う。 昔の俺も、そして今の俺も知っている御幸にとって、俺は今どう映っているんだろう。 分けて考えろというのがおかしいかもしれない。 けれど、昔の俺に対してどこか覚えるこの感情は、多分。 「それは、俺…?……それとも、お前の中の、俺なのかな…とか。」 多分、――――これは紛れもない、嫉妬だ。 俺は御幸の中に巣食う、過去の自分に嫉妬してる。馬鹿だと言われるかもしれない。でも、俺にとってそれくらい、過去の自分はもう、ある意味自分から切り離された存在で。 黙り込んだ御幸は、何も言わない。 チラリと覗き見たけれど、目も合わなかった。沈黙が、痛い。 どうすることもできずに、黙り込んだ。さっきよりずっと、全身に心臓があるみたいに、ドキドキする。 傷口よりずっと、体の奥の方が痛かった。 「…ほんと、敵わねぇなぁ」 突然に、呟かれた言葉。 弾かれたように顔を上げれば、そこには穏やかに笑う御幸の顔があった。 「え?」 「折角俺が、我慢しようって決めたのに。」 「え?え?」 「…前も言ったけど、俺はさ、アンタから、すぐに離れていなくなるつもりだったんだよ。生きてることさえ分かれば、それだけでよかった。それなのに。」 「御幸…。」 「沢村さんは、どこまでいっても俺が知ってる沢村さんで。でも、違うことだって沢山あった。昔の沢村さんは煙草なんて吸って無かったし、もっと子供だったし…、あと、今よりもう少し賢かったし。」 「おい。」 「はは、…そういう、俺のガキの頃の記憶とはかみ合わないところが見つかる度に、戸惑ったのも事実だけど。でも。」 御幸の手がゆっくりと伸びて来る。 いつかされたみたいに、その手が顔を撫でる。親指が瞼をなぞって、頬骨に触れる。 柔らかく滑る手がくすぐったくて身じろいだら、ゆっくりと離れて行った。 (あ…。) 「俺にとって、アンタとの生活はすげぇ心地よくて…離れがたくなるほど、幸せで。」 「みゆ、」 「曖昧な記憶の中の…憧れに近かった“沢村さん”のことをすげぇ大事だって思うようになったのは、今のアンタに会ったからだよ。」 「みゆき…。」 「だから、昔のこと、覚えて無いなら、それでいいんだ。正直俺だって全部、覚えてるわけじゃないし。だってあの時の俺、まだ10そこそこのガキだぜ?忘れてることも、勝手に思い出塗り替えてることだってある。」 へらりと御幸が笑う。 「俺が大事にしたいのは、今目の前にいる沢村さんとの、これからだから。」 先のことに目的を持つのは初めてだって言っただろ? その笑みに、今まで心の中にかかっていた靄が晴れていくような気がした。 なんて単純。子供みたいな、感情。これが、もうそろそろ30も半ばにいくような男の有り様かと思えば、自嘲の笑みすら落ちた。 けど、悪く無い。 最近の俺は、ちょっと、怖くなるくらい幸せだ。 「でもね、沢村さん。昔のことは、まぁいいよ。…でも、俺が数日前に言ったことは、ちゃんと覚えてるよな?」 「え?」 「いくらなんでもそれは忘れたとは言わせない」 さっきまでそれはもう穏やかだった御幸の琥珀色の目が小さく光る。 逃げるのは許さない、といったような強い光に、たじろいだ。 「沢村さん、俺、アンタのことが好きなんだよ。」 数日前に感じた潮風の冷たさが一気に蘇って来た。 家族としてじゃない、好きだと。 御幸に告げられたあの日が一気に波みたいに押し寄せてくる。 カッ…と、一気に全身の血が沸騰したみたいに滾った。さっきとはまった違った意味で、御幸の顔が見れなくなる。反射的に顔を逸らしたら、沢村さん、とその声が更に折って来た。 「もう、父親だなんて言わせねぇから。」 「うう……!いじ、わるい…!」 「あれだけ熱烈な告白してくれたあとに、そんなこと言われても。」 返す言葉も無い。 (俺だって本当は!もう分かってるけど!) そうじゃなければ、あんな危ない所に助けに行こうなんて思わない。 御幸のこと、何があっても守りたいなんて思わない。 …倉持さんや亮介さんと御幸の間にある世界を、羨ましいなんて思わない。 こんな風に御幸のことばっかり考えて、苦しくなったり、幸せになったりなんか、しない。 答えを出すための判断材料は、充分すぎるほど揃っていたけれど。 それを素直に口に出せるほど、俺には勇気が備わってなかった。 「う、」 「折角距離置こうと、思ったのに。」 「距離、って…。」 「だから、住む場所だって別にして…アンタに逃げる場所やろうって思ったのに。」 「あ…。」 「そんな俺の心遣い全部壊すようなことしたのは、アンタだよ?」 御幸の手が、固まっている俺の手首を掴む。 その力はどう考えても怪我人にものじゃない。掴まれた場所から、溶けてしまいそうなくらい、熱い。 心臓が煩い。今日一番の、大音量。死んでしまいそうなくらい、苦しい。 「……好きだよ、沢村さん。…アンタの答えは、聞かせてくれねぇの?」 凛とした御幸の声が、落ちる。 掴まれたところが、熱い。 けれど少しだけ。 ほんの少しだけ、その手から感じるのは、震えだ。 それに気付いて、ハッとする。御幸の目が、俺を捕える。その真っ直ぐな瞳の中に映っているのはもしかして。 御幸だって、きっと。…怖いと思っていたり、するんだろうか。 そう考えたら、一気に頭の中がすうっと軽くなる。開いた口は少しだけ乾いていて、声が震えたけど。 「……………すき。」 自分が思ってるよりずっと簡単に。 口を出た言葉は、何よりもシンプルだった。 「俺も、御幸が、すげぇ好き…。……だと思う。」 その言葉に一瞬固まった御幸が、次の瞬間、弾かれたみたいに大声を上げて笑った。 「だと思うって、何だよそれ…!」 「う、うっさいな…!オブラートに包んで伝えるのも、大人の男のスキルで…!」 「ほんっと、沢村さんって…!」 「ん、だよ……っ!!」 げらげら笑う御幸に、突然恥ずかしくなって、一気に顔を熱が駆け巡る。今俺絶対、顔、真っ赤だ。恥ずかしくなるくらい、きっと。 「すっげー、好き。」 そういって御幸が笑う背後で。 陽だまり溢れる空の下。 今日も世界は泣きそうになるくらい、綺麗に光っていた。 [TOP] |