16 | ナノ

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それは最初から決めていた最後。

思えば多分、あの人に再び会った時から決めていた。
幸せになって欲しいから、幸せでいてほしいから。
そのためには一番何が必要で、何が邪魔なのか。俺自身が一番分かっていた。



邪魔なのは、俺の存在。
そして一番必要なのは、そんな俺が彼の前から消えることだ。
出会わなければ良かったとは思わない。
だって彼と出会ったから、暗闇しか知らなかった俺は今、こんな幸せな気持ちで逝ける。

最後の最後まで、貰ってばかりだった。
ああそういえば、

(好きだとは告げたけど、ありがとうって言うの…忘れたな。)

約束を破った俺に、あの人は怒るだろうか。…もしかしたら、泣いてくれるだろうか。
それは少し、望みすぎかもしれない。



「…ありがとう、沢村さん。」



その声は、音と煙に掻き消されて、誰にも届くことはなく―――――――…。











煙の臭いが全身にまとわりついて来る。
呼吸するのも億劫なくらいだから、もちろん視界なんて殆ど見えない。
茶色なのか白なのか、よく分からない煙が目に染みて、鼻の奥をツンとさせて、思わず零れそうになった涙を寸でのところでこらえた。
頼りにならない視界。元々地の利も無い場所で、更に進行方向すらままならなくなってしまえば、出来るのはただがむしゃらに床続きに進むことだけ。

(なんでだよ…。)



戻ってくるっていったのに。
いってらっしゃいって言ったはずなのに。…これは一体、どういうことなのか。
御幸の考えが分からない。御幸が何をしようとしているのか、分からない。
けれど今ここで御幸を見つけないと、なんだか全部駄目になる気がして、そんな焦燥感だけが心の中を渦巻いて、その不安だけが俺の脚を動かしていた。

ガラガラと音はしているけれど、歩いている廊下が崩れているわけではない。
さっきの爆発音は多分、建物のどこか…一部から起きたもの。だから多分、この漂う噴煙の元にさえいければ、…きっと御幸はそこにいるんだと思う。
奥に奥に進んでいく度に、煙の濃度が増す。色がどす黒くなって、重さも増したような気がした。
目に染みる。息もしづらくなっていく。鼻で息を吸ったらツンと目がしらに涙が一瞬で溜まった。口で息を吸ったら、喉に何かが張り付いて、一気に肺の中まで煙が充満していくかのように感じた。

(…なんとなく、だけど。)
―――こうなるんじゃないかと、思っていた自分は、居た。

それはただの勘だけれど。でも、なぜか確信に近い思いだった。
あの時、一人背を向ける御幸を見て。
こうなるんじゃないかと、俺は本当は分かっていたんじゃないのか。
なのに、止められなかった。

俺はいつもどうしてこう、毎回毎回全てが遅いんだろう。
後から後悔するのは、もう沢山だと、何度も思ったのに。

(……えー…?)


ピタリ、と足が止まる。

一瞬脳裏を何かが掠める。それはここ最近、何度か感じてる奇妙な感覚だ。
なんだ、と思うけれど、その答えが出るよりも先に、はっきりとしない視界の中に、人影を見つける方が先だった。


「………御幸…?」


名前を呼べばその目が、驚愕に見開かれる。
はっきりとは見えなかったけれど、けれどなぜか、くっきりと、俺の目には見えた。


「なんで…。」


声が聴こえる。それもなぜか明瞭に。
気付けば走っていて、触れるくらいの距離にきてやっと、御幸だと分かった。
その薄汚れた全身を見て、ぐっと伸ばした手で胸倉をつかむ。


「こんなところにいるんだってのはもう聴きあきた!!」


思いっきり息を吸いこんだら、思わず噎せた。
ゲホゲホと、肺の中をいっぱいにする汚れた空気が、体を巡る。くらりと軽く眩暈がした。
ここまでずっと、こんな粉塵の舞う空間を走って来たんだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。
御幸の胸倉をつかむ腕の握力が、弱弱しく緩む。
そんな俺を、呆然と見下ろす、御幸の目。


「どうしてあんたはこんなところまで追ってくるんだよ…。」


どうして、なんて。
そんな。
そんな、当たり前の、ことを。


「当たり前だろ!!お前がどこに行ったってな…!俺はいくらでも追っかけて、そんで引きずって帰ってやる!!」
「なんで、俺のためにそこまですんの――…?」


御幸の声が泣きそうに聴こえたけど、泣きたいのはこっちだ、バカ野郎。
本当に、どうして。
どうして俺がこんなことまでしなきゃならないのか。
聴きたいのは、こっちだ。バカ野郎。


「俺は…!大事な事全部、忘れちまってるのかもしれねぇけど!」


踏ん張れ、足。
どうにか声を張り上げて、御幸を思いっきり睨みあげる。


「今の俺は確かになんもおぼえてねぇよ。でも、お前と一緒に暮らしたのは、事実だ。それだけでもう、家族だろ!!」
「…俺は、アンタに迷惑しかかけられないんだよ、沢村さん。」
「そんなの今更だ、バカ!」
「…もっと…もっとだよ。これからもきっと、迷惑をかける。多分、一生、」
「だから!家族なんてそんなもんだ、って…!」


この押し問答を、何度したのか。
煮え切らない御幸の態度に苛々して、ここでこんなこと、してる場合じゃないって分かってはいるけど。


「逃げんなよ、御幸…。」
「沢村さん…。」
「お願いだから、もう、一人にすんなよ…!」


ぎゅうっと、服を握る手に力を込めた。
ピクリとも動かない御幸の顔から視線を逸らして、ただゆっくりと下に落とす。
訪れる沈黙が、痛い。
流れて行く時間が、ひどくゆっくりに感じた。



「………アンタに迷惑をかけるのは、分かってた。」
「え…?」
「沢村さんが、生きてるかもしれないって分かった時。俺が接触すれば、いい事にはならないって、分かってた。」
「御幸…。」
「だけど、俺が。…俺が、我慢できなかった。」


ポツリ、ポツリと、御幸の声が頭から降って来る。


「少しだけでいい。本当に、覚えて無いなら、無かったことに出来るかなって、思った。それなら、少しくらいなら、って。だけどアンタ、やっぱり沢村さんなんだもん。やになるよな。ホント。…全然覚えてねぇとかいいながら、実は全部うそで、本当は全部覚えてるんじゃねぇのってくらい、沢村さんなんだよ。本当、やになる。」


御幸の声は穏やかだったけれど、まるで全部ひとつひとつが涙の落ちる音みたいに聴こえた。
だから全部無かったことにしようとした、と。
一番迷惑をかけるものだから、


消えてなくなってしまえば、それでいいんじゃないかと思った、と。



「バカ!」



御幸が全部言い終わるより前に、反射的に叫んでいた俺の声が、空間を裂いた。
その声に驚いたように、漸くピクリと御幸の体が動く。


「なぁ…お前、俺と家族になりたかったって言ったじゃん…。」
「沢村さん、」
「俺だって、そうだった。ずっと一人だったから…だから、お前と一緒に居るのがすげぇ楽しくて、」
「…沢村さん…。」
「お前は意味わかんねぇやつだったけど、ずっとこのままだったらいいのにって、思ったりも、して…!」
「沢村さ、」
「なのにお前は、また俺を一人にすんの…?」
「……ッ…!」


言い終わるより前に、思い切り御幸に体が引き寄せられた。
ぼすんっと音を立てて、引っ張り込まれる体。
じわりと、温度が触れたところから移って来る。


「どうして…。」


その声が泣いてるように聴こえて、背中に回した腕で、あやすようにポンポン叩いてやると、抱きしめる腕に強く力が籠って、その腕の中で小さく笑った。

やっと取り戻したと、ようやく、思える。


「…そんなの、家族なんだから当たり前だろ。」
「沢村さんって、苦労性っぽいよな…。」
「お前には、言われたくねぇけどな。」



二人して、笑う。
その空気が妙にくすぐったくって。


(…ああ、多分きっと。家族って、こんな感じなのかも。)

少しくすぐったくて、照れくさい。
だけど、触れあう体温に安心して。その温かさに、掬われる。
そしてそれは、



「…おかえり。御幸。」
「ただいま。沢村さん。」



――――唯一無二の、帰る場所。








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