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何が起きたのか、全く分からなかった。 「え?…え?」 気付けば御幸を映していたはずの視界がいつの間にか真っ暗になっていて、瞬きも、呼吸すらも忘れたかのような錯覚に襲われる。 けれどそれは一瞬のことでドサッ…と、背後で何かが落ちたような音がして、我に返った。 思わず振り向こうとした俺の体を、強い力で引っ張り寄せたのは、御幸の左手。 ぐいっと左手を引っ張られて、俺の体は、俺の意思とは反対に、ボスンと目の前の御幸の体に落ちた。 視界がまた、真っ暗になる。もぞもぞと体を動かすと、少しだけ体の間に隙間が出来て、眼球が捉えうる範囲だけ視界が開く。 引っ張られた手とは逆の方向に握られているのは、まだ硝煙をほんのりとその先から漂わせる、 「…拳、銃…?」 御幸が握っていたのは、見覚えのあるもの。 そうだ、さっき半ば強制的に倉持さんから手渡されたものと同じ。 そこには御幸の手の平に納まった拳銃があった。 捕まっていたはずの御幸が、どうしてこんなものを持ってるんだろう。 というよりさっきまで拘束されていたはずの御幸の手足が、いつの間にか自由になっていて、冷静になればまずそこに驚いた。 「…お前一体、今何して…?」 「…沢村さんがイイモノ持っててくれて、助かった。」 はぁ…とため息をつく、御幸。 その意味が分からずにぱちぱち目を瞬かせると、それに気付いた御幸が、驚いて何も言えずにいる俺を見ながら、トントンと軽く自分の胸元を銃を握った拳で叩く。 少し意味が分からず蹂躙した視線が、ふと自分のジャケットに止まる。そのポケットには、先ほどまでその重さをずっしりと伝えていたはずの銃が無かった。「え、」とバタバタと自分の全身を空いている右手で叩く。けれどどこからも、その重さも硬さも感じられない。 じゃあ、まさか。 御幸が今持っていたこれ、って…。 思い付いた、正解に近いであろう“可能性”をそこでやっと理解して、けれどなかなかその事実を飲み込むことは出来ない。 呆然とする俺の頭に、御幸が体を寄せる。 「咄嗟に見つけて撃ったから間に合ったけど…急所は外せなかった。…だから、見ないで。」 ぐっと、握られた左手に力が籠った。 さっきの銃声は、御幸が発したもの。 だとしたら多分。その後に落ちた何かが崩れるような音は…たぶん。 ゾク、と背中が震える。その至近距離に“何が”あるのか、考えなくても分かった。 触れている御幸にもそれが伝わったのか、銃を床に置いた御幸が、ゆっくりとまるで子供をあやすみたいに俺の頭を撫ぜる。 …これ、逆じゃないか、と思うものの、反論出来ない。 「無事でよかった。」 「御幸…。」 あの一瞬で。 たった一瞬でこんなことをやってのける御幸の異常さを改めて目の当たりにして、俺は何も言えなくなる。 ほんの数秒の出来事だった。俺が瞬きをするような間に、御幸が行ったこと。 黙視どころか、認識すら出来ず。 格が違う―――倉持さんが言った言葉の意味を、身を持って体感した。 重い拳銃の握られた腕に、抱き寄せられる。 そしてまた、守られた。 「……お前、一体何者…?」 「はっは、それは俺にも分かんねーんだわ。」 「それに俺も…一体何なんだよ…。」 ついていけない思考が、鈍い音を立てる。元々あまりいい方ではない頭だけれど、今回ばかりは仕方がない気がする。 すると、そんな戸惑う俺とは逆に、小さく笑みを浮かべた御幸が、ぽんぽんと俺の頭をゆっくりと叩きながら笑う。 「何って…沢村さんは、沢村さんだよ」 その声音に、胸を過るのははっきりとした安堵。 さっき一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、御幸のことを怖いと思ってしまった気持ちが、一瞬で引っこんで消える。 知らない人間のように見えた御幸が、ちゃんと“御幸”に見えた。 少し張りつめていた空気が緩んで、絡む視線が緩く撓む。取り囲む灰色も、数メートル後ろにあるであろうものも、依然として取り巻く環境は変わらないのに、まるで二人で過ごしたあの家で向かい合っていた時のような穏やかな雰囲気に、こんなときだと言うのに少しだけ嬉しくなる。 だからだろうか、次に口を開いて飛び出した声は、さっきまでよりずっと軽いものだった。 「……お前ってすっげーのな。なんでも出来んじゃん。」 「そう?でも出来ないことは出来ねぇよ?」 「でもすげー。なんかこう、……スーパー、マン…的な?」 「…もうちょっとカッコイイ例えなかったわけ。」 「いや、だって、うん、…なぁ?」 「でもまぁ、俺が守るのは沢村さんだけだけど。」 「…キザー…。」 「そこは喜んでくれないと。」 二人してケラケラ笑い合う。そんな時間が妙に穏やかで、状況を忘れそうになる。 結局いらなくなってしまった残りの鍵を、さっき小湊さんがしていたみたいに指でくるりと回しながら、笑う。 そしてするりと、飛び出した言葉。 「お前って本当昔から鍵開けんのだけは得意だよなぁ。」 御幸の目が見開かれる。 「え?」 「…へ?」 突如御幸が驚いたような声を上げるもんだから、思わずびくっと体を揺らして、逆立った毛並みを震わせながら、何だよ、と問いかけようとすると、どこか呆然としたような御幸の手がずしりと重くなった。 「沢村さん、どうして、それを、」 「え?」 「だってそれは、昔の――、」 驚いた御幸が目を見開いて、恐る恐る俺に手を伸ばしてくるのがスローモーションで見えて、けれどそれが届くより前に、さっき横に置いた銃へと御幸の手が伸びた。 またあまりにも一瞬で頭を引き寄せられて、その横から伸びた腕に握られた銃器が鈍くガシャンと立てた音だけが一連の行動の後を追うように鼓膜を震わせる。 が。 「ハイハイ、邪魔して申し訳アリマセンね、っと。」 聴こえた言葉は聞き覚えのある、声。 御幸が発する空気が緩む。 「…倉持。」 「そろそろ亮さんがきれそうだから、ちょっと一区切りして後でやれよ、お前ら。」 どうやら声の主はやはり倉持さんだったようで、御幸が構えていた銃を下ろした。 けどなぜか、俺を拘束する腕だけはそのままだ。 (…え?なんで?) さっきと同じようにもぞもぞ動いてみるけど、御幸は離してくれる気はないのか、なかなか抜け出せない。図らずも御幸に抱きつくような形になっている俺たちを見た倉持さんの盛大なため息が背後から聞こえて、御幸!と思わず声を上げた。 けれど御幸は、それでも離してくれる気はないようで。 「……お前、外に居たのになんで、」 「あー……。悪かったな、一匹そっちいったろ。」 「ったく…そこに転がってるから、どうにかしろ。沢村さんに見えないように。」 「へいへい…ったく、人使い荒いよなぁ、テメーはよ。」 そのやり取りで、反射的に振り向こうとした俺を止めた御幸の理由が分かって。あ、と声を漏らした。 そうか、忘れてたけどそういえば後ろにはまださっき御幸が撃った人の、…。 知った声が聴こえて頭から飛んでたけど、ズルズルと何かを引きずるような音が聴こえてちょっとだけまた背筋が冷たくなった。 「咄嗟に撃ったにしては、こりゃまたキレーに急所だなァ?御幸。」 「…無駄口叩くのはいーから。っつーかお前が取りこぼしなんて、随分珍しいこともあるもんだな?」 「俺はお前とは違って、半人前だしよ。」 「……わざとだろ。」 「まっさか。」 俺の頭の上を越えて、二人で交わされるやり取りから、この二人が随分と仲がいいことが伺えた。 気心が知れた、というか、気兼ねがなさそう、というか。 こんな過酷な環境の中共に居たのなら、そりゃあ確かに絆も深くなるよな、と考えて、ちょっとだけ心の中がモヤっとする。 (…もやっと?) ん?と自分の心内を過る影の正体が分からずに首を傾げる。 なんだろう、今の。 「沢村さん。」 「おあ!?」 「…何どっか一人で行ってんの。」 「おお…おお…申し訳ない…。」 「…もしかして聞いて無かった?」 「…………申し訳ない…。」 はぁ…とため息が落ちてきて、シュン…と小さく体を縮める。 どうやら俺が一人トリップしてる間に話は進んでいたらしい。そうっと振り返った先、扉付近に立っていた倉持さんも、なんだかため息をつくのが見えた。…少年二人にため息つかれる俺って…。 「だから、ここから逃げるって話。」 「逃げる…?」 「そう。」 「み、御幸も…?」 「え。もしかして置いてく気?迎えに来るだけ来といて。」 「いや!そんなわけ!!」 ぶんぶん首を横に振れば、おかしそうに御幸が笑う。 そうか、…そうか、逃げるのか。 そうだよな、そのために来たんだもんな。 何しに来たのかと言われれば確かに御幸を助けるためだけど、それより何より「御幸と話したい」って気持ちの方が大きくて、それしか見えて無かった俺は、その後どうするかなんて具体的には考えてなくて、だけど、実際一緒に逃げれるんだと思うと、急に嬉しくなって、自然に笑みが浮かんだ。 「退路は亮介さんに任せるとして…いろいろと画策して誤魔化して貰ってるけど、そろそろ限界だろうし早めに動く方がいいな。」 「倉持、そこで転がってるやつから銃取って。」 「あ?…おらよ。」 「どーも。あ、お前いる?」 「俺はさっき廊下で出会った数人から拝借済み。」 「そ。」 「沢村は…。」 「お、俺は持ってても意味ねぇし…。」 「…まぁ、そうか。…んで、問題は御幸の発信機だけど。」 倉持さんの言葉にハッとする。 そうだ、発信機。(と、盗聴器)御幸を縛るのは、それだ。 御幸の体自身が発信機―――…それがある限り、どれだけ逃げても、意味がない。逃げられない。 「もう盛大にバレてんだし、無事にここさえ出て、すぐに摘出すりゃいいんだろうけど…。」 「普通の病院にゃ行けねぇしなー。」 御幸と倉持さんが苦笑する。…そういや、こいつらって、どうなんだろう。戸籍とか、保険書とか、そういうの。 それに体の中に埋め込まれた発信機を摘出してくれ、なんて確かに普通に行っても絶対信じて貰えない。 そんな都合いい事を、引きうけてくれる医者なんて―――…。 「あ。」 俺の声に反応して、二人が同時にこちらを見た。 (いるじゃん、“医者”…!) 脳裏を過った、穏やかな表情に、…そして思えば、この騒動の始まりとなったその顔に。 沢村は反射的にスーツのポケットをごそごそと弄っていた。 不思議そうにこっちを見る二人分の視線を受けながら、俺が取りだしたのは携帯電話。 「俺に、ちょっと心当たりが…。あ、今ってここで話しても御幸の盗聴器って聞かれねぇ?」 「ああ、今なら亮介さんが…。」 「ん、ならいーや。」 言うのが早いか、登録順表示のアドレス帳の一番上から引っ張りだした番号にダイヤルするのが早いか。 電話越しに、はい…?と聴こえた相手の声に被せるように用件を離した俺の言葉に、『お前は本当に厄介事ばかり持って来るやつだな。』と、呆れたような声が返って来る。 けれど、否とは言わないその相手に、頬を緩めて。 『だってクリス先生、専門外科っすよね?』 ほんの数日前と同じ言葉を電波に乗せ、へらりと笑った。 *** ならそろそろ行こうかと、電話を終えて少しして、部屋を出ようとした時だ。 施設の場所は倉持さんが電話で伝えた。近づき過ぎるのは危険だから、あるポイントで落ち合う約束をして、そこからクリス先生の指示通りに動く。 先生の病院までは少し遠いから、そこまで動いて手術をすると間に合わない可能性があるからということで、クリス先生の知り合いの病院の手術室を借りて、御幸の手術を行う。その間、場所の撹乱と情報操作をしてくれるのは言わずもがな今回多分一番の立役者、亮介さんだ。 それが終わったらすぐに場所を移して、そこから先は自由にすればいいとのこと。 発信機さえなければ、遠く離れた場所で組織が御幸を追うのも少しは難しくなるだろう。そして、俺のことも。 一気に開けた未来に、全員が意気揚々と行動に映そうと思った時。 御幸がポツリと、言葉を漏らした。 「…あのさ。出来るなら、俺は他の子供も逃がしてやりてぇんだけど、」 それに眉をしかめたのは、倉持さんだ。 「…それは無理だろ。」 「俺みたいなのとか…全員は無理でもさ、せめてお前らみたいなタイプの子供は檻さえ出してやれば勝手にどこへでも逃げれるだろ。」 「俺らが逃げるのだっていっぱいいっぱいなのにか。」 「…頼む。」 じ…と、御幸が倉持さんを真っ直ぐに見る。 それに最初は頑なに首を横に振っていた倉持さんの方が、少しして、折れた。 「…分かった。」 「倉持さん!?」 「だけど、そんなに持たない。亮介さんだって、限度がある。」 「分かってる。この上の階の子供だけ。」 「な、なら俺も…!!」 「いーや、俺一人で行った方が絶対早い。」 「う…。」 それを言われてしまうと何も言い返せない。 俺が足手まといになることなんか、簡単に想像できた。 けど、折角会えたのに、また別行動なんて。 多分御幸みたいな境遇の子はここには沢山いて、それをずっと見て来た御幸が、その子らを助けたいっていうのは分かる。 だけど、なんだか嫌な胸騒ぎがして、俺はすぐにそれに賛成出来なかった。…例え、非情だって言われても。 「ならせめて、倉持さんか小湊さんに…。」 「亮介さんには退路の確保して貰うし、倉持まで離れたら沢村さんに何かあった時に誰も対処出来る人がいねぇだろ。」 ぺしっと額を軽く叩かれた。 そんな顔すんなって、と笑われる。 叩かれた額を抑えながら御幸を見れば、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。 「大丈夫、今度はちゃんと、沢村さんのところに戻るから。」 子供にするみたいに頭を撫でられて、御幸が立ちあがる。 それにつられて俺も立ちあがって、御幸、と小さく名前を呼んだら、また笑われた。 その視線の先にあったのは、不格好に揺れる、ネクタイ。 ここに来る前に御幸を真似て、自分で結んだ、それ。 「……本当アンタって不器用。」 御幸が笑いながらネクタイに手を伸ばす。そしてそのまま慣れた手つきでシュルリと音を立てて、首元を綺麗な形で結わえた。 それがいつぞやの、朝の風景をリフレインさせる。 「御幸、」 「…いってくるね、沢村さん。」 いつもと逆のやり取りがなぜか違和感を感じて、言葉が出なかった。 大丈夫だともう一度言われて、銃をポケットに突っ込んだ御幸が、横をすり抜けて行く。 俺の横を通り過ぎて、それに合わせて振り返れば、扉付近にいた倉持さんの横も通り過ぎる時、倉持さんが不愉快そうにため息をつくのが見えた。 それに、苦笑する御幸の姿が、遠ざかっていく。 扉の外にいたのか、変わりに小湊さんが室内に入って来た。 「倉持は本当何だかんだで御幸には甘いね。」 「言い出したら頑固なんすよ、アイツ。」 そう話す二人をどこかぼうっと客観的に見ながら、俺はさっきまで傍にあった温もりが急激に冷めていくのを感じて、なぜか身震いした。 なんだか、妙に胸がざわつく。 「じゃあ沢村、俺らは先に…」 「ごめん、倉持さん!」 「あ!?ちょ、おま…!」 気付けば、走りだしていた。 倉持さんの横をすり抜けて、御幸の跡を追うように廊下へ。 足だけが取り柄だと小湊さんが称していた倉持さんも、流石に俺がこんなことをするとは予想していなかったのか、一瞬反応が遅れる。それを狙って、走り出す。 ただの、予感かもしれない。 何でも無いかもれない。 背後を追ってくる倉持さんの制止の声を振り切って、思わず走りだしていた。 なんでだろう。 なぜか、嫌な予感がした。 ……御幸。 建物の構造なんて分からない。けれど無意識のうちに見つけた階段を上ろうとした時、聴こえたのは。 それは大きな爆発音だった。 [TOP] |