14 |
「漸く、どういうことなのか分かってきた?」 小湊さんの、厳しい言葉が身を貫く。 歩きながらそれにコクリと頷けば、「そう、いい子だね。」と、明らかに年下の少年から言われる。けれどそれに反論する口は動かなかった。 あれから、後ろを追って来る足音は消えて、多分まだ探されているんだろうけど、居場所は撹乱出来ているらしい。 それも多分小湊さんのおかげで、その証拠にまだその手の中には、入る前から持っている小さなリモコンが握られてる。 あれがなんなのかは分からないけど、きっと相当重要なものなんだろうな、とは分かった。 だってさっきから何度か監視カメラの前を通るのに、全然見つかる様子も無ぇから。 涼しい顔でそんなことをやってのける。さっきの倉持さんといい、本当に何なんだろう、この少年たちは。 そして確か、倉持さんは御幸のことを「自分とは格が違う」と言っていたはず。この子たちだけで充分抜きんでたものを感じるのに、その子に「格が違う」と言われる御幸は一体なんなんだろう。 分からないことと、理解出来ないことが多すぎて、戸惑う。 足がさっきまでより随分と重くなったように感じた。 「……御幸はさ、沢村をこういう世界に巻きこみたく無くて、遠ざけようとしてたんだよ。…ま、元々は沢村もこっち側の人間だったんだけどさ。」 「分かってる、…つもりだったけど…。」 「まぁ実際ね、こんなこと、体験したってよく分からないとは思うよ。だから沢村がそんな顔してんのも納得出来るっちゃ出来るんだけど。」 「…俺そんな変な顔してます?」 「うん。すっごい変な顔。」 きっぱり言われて、思わず苦笑した。 感情が顔に出やすい方だとはよく言われてたけど、それはこんな時も変わらないらしい。 「…正直、すっげー戸惑ってる。話聞くのと実際目でみるのは全然違って、今まで俺が生きてきた世界からは想像もつかないようなことばっかりで。…どういう顔して、御幸にあったらいいのかわからなくなった。」 追いかけて来たのは自分のはずなのに。選んだのは俺なのに。 戸惑う自分が分からなくて、いい年した大人が情けない。 今更ながら、御幸が隠そうとしてくれていたものの大きさを知って、あの背中がどれだけ大きかったのか、知った。 怖い、とも思った。 けれど何より。 「早く御幸に会って、話がしたい…。」 何も覚えてないけど。まだ半分夢みたいだけど、今も、昔も、御幸が俺のことを守ろうとしてくれたのだけは分かるから。 スーツのポケットに突っ込んだ銃がズシリと重さを伝えて来る。 俯きがちだった視線を上げる。ゆっくりと進んでいた歩が段々と遅くなり、上げた視線はまるで何かを見極めるかのごとく静かに佇んでいた小湊さんの視線とかちあった。 短く流れる沈黙。それが、緩む。 「…ここで、ここに来たこと後悔してるなんて言ったら、どうしてやろうかと思ったけど。」 「…?」 「そうだよな。…沢村は昔からそんなやつだった。」 「そうっすよ、亮さん。コイツ、基本的にバカなんすから。」 「は?え?ちょ…バカ、って…。」 その横から、倉持さんがケラケラ笑う。どうして二人にこんなことを言われるのか分からない俺が戸惑ったように視線を揺らせば、さっき小湊さんが男から奪った鍵を取りだして、俺に向かって放り投げる。 思わず手を伸ばせば、それはカシャンと軽い音を立てて、手の中に納まった。 「前は助けてあげられなかったから、そのお詫び。」 「え?」 「沢村は、忘れてるかもしれないけど。」 その言葉を聞いて、その目を見て、ああ俺は本当にきっと大事なことを沢山その記憶の中から取りこぼしてるんだなって、思った。 つい最近まで自分の記憶に欠落があるなんて思いもしなかったから、実際記憶喪失なのだと言われても、不便に思う事は一つもなかったけれど、こういう目を見ると、何だか心が痛む。 そういえば御幸もたまに、こんな目をしていたような気がする。 細い指が、少し先の扉を示す。真っ白な扉。他と何も変わらないその扉を指さした亮介さんが、「あそこが懲罰房。」と呟いた。 この鍵が、その扉を開けるものだと気付いて、ぎゅっと強く握る。 「多分中に見張りはいないと思うから、俺らはここにいるよ。」 「御幸の馬鹿にいろいろ文句言われんのはごめんだからな。」 「小湊さん…倉持さん…。」 「今度はちゃんと逃げろよ。」 名前を呟くと、早く行けとばかりにシッシッと手であしらわれる。さっきまで怖いとさえ思った二人の少年に、今はそんな気持ちは全く無かった。 二人を追い越して、扉に向かう。手の中の鍵と、ポケットの銃だけが、俺に現実を伝えていた。 「………ったく、沢村のくせに、忘れるなんて、生意気。」 真っ白は、純粋な色だ。 何にも染まらず、何にでも染まる。純粋な色。 けれどその優しいはずの色が、今はただただ眩しく、目を焼くようだった。 対峙する扉がとても大きなものに見えて、一度大きく頭りを振る。 こんなところまで追って来てしまった自分を、御幸は怒るだろうか。…怒る?呆れる? なんて言えばいいのか分からない。けれど、今はただゆっくりと、その鍵穴に鍵を通した。 震える手で鍵を開けた扉の先。 久々に見えた顔に、発した声は掠れて、きちんとした音にならなかった。 「みゆき、」 それなのに、地面を見ていた御幸の顔がバッと勢いよく上がって、最後に見た時に泣きそうだった瞳が、驚きの色でいっぱいになって見開かれる。部屋の中は真っ暗だったのに、どうして、と如実に語る瞳がはっきりと見えた。 「バカ、野郎…!」 涙の変わりに零れ落ちる言葉。 御幸の口が動く。けれど遠すぎて聞き取れない。ただ、寄せられる眉に、俺がここに来たことをやはり是とは思っていないことだけは伝わって来た。 俺を見つけたらしい御幸の顔が、思いっきり歪む。 駆け寄ったら、鉄格子の向こう、全身ボロボロになった御幸がいた。 「…なんで…。」 「なんでって…助けに来たに決まってんだろ…。」 「なんで沢村さんを連れて来たんだ…!!倉持も!亮介さんも!!」 どこにそんな気力があるのか、どうみても薄汚れて疲労感を纏う御幸が叫ぶ。ギリッと噛みあわせた歯に力を込めて鬼気迫る様子で叫ぶ様は、俺の知ってる穏やかな御幸とかけ離れていて一瞬返す言葉を失う。 ギラギラと、暗闇の中でも眼鏡の奥で光る瞳の光が、眩しい。 けれど負けじと、ぐっと手に力を込めると、握っていた鍵でガシャガシャと俺と御幸を隔てる鉄格子を解放した。 ギイ、とどこか古びた音が鳴って、それと同時に踏み込んだ先、暗い壁が迫って来るみたいな狭い部屋は、閉塞的な雰囲気が妙に息苦しかった。―――懲罰房、その響きがまさに相応しい場所。 「なんで、来たんだよ…。」 「や、逆に聞くけどお前さ、俺が来ないとでも思ったわけ?あんな話聞いて…、…俺、そんなに薄情に見える?」 「………それでも俺は、来て欲しく無かった。」 「御幸…。」 「アンタには、こんなところ、似合わない。」 「…俺、元々ここにいた人間だって、聞いたんだけど。」 「それは、…。」 苦しそうに歪む顔を見て、考えるよりも先にその頬に手が伸びていた。 「なんだよ、そんな顔すんなよ。折角来てやったのに。」 お前って顔だけはいいのに、台無し。 ふ、と笑ってそう呟けば、御幸の眉がきゅうっと真ん中に寄った。 目に見えた不機嫌面。ちょっと珍しいかもしれない。 「…だから来いなんて言って無い。」 子供みたいな押し問答。 落ちる沈黙を破ったのは、御幸の大きなため息だった。 「…話、倉持から聞いた?」 「うん。」 「聞いたのに、来たわけ?」 「…おう。」 「…感想は?」 「驚いた。」 「……だろーな。」 短い言葉の応酬の間、御幸に触れた場所がゆっくりと緩んで行く。 薄汚れたその顔に、少しずつ光が戻っていくのを感じたのはきっと気のせいなんかじゃない。 御幸の体がすこし動いて、視線がゆっくりと絡む。 「狭い世界しか知らないあの頃の俺にとって、沢村さんが全部だったんだ。」 御幸が落とす言葉に、やっと御幸の口から聞ける、と、胸を過ったのは安堵だ。 急激に現実が、現実味を帯びて行く。 「アンタは覚えて無くても、俺はずっと覚えてる。だからあの時、ただ生きていて欲しくて、逃げろって言ったのに。…だから今回も、あの時と同じように逃げて欲しかったのに。」 そうぽつりぽつりと落とす子供のような御幸の声を拾うように、そっと頬を下から撫でる。 触れた頬は乾いていて、涙なんて流れてなんかいない。 けれど、まるで泣いてるようなその声音に、きゅっと小さく胸元で音が鳴った。さっき全力疾走して肺が膨らませた時よりずっと、息苦しくなる。 「どうして、来るんだよ、アンタは…。」 その場に膝をついて両手で顔に触れて、少し高いところにある位置にあるその顔を覗きこむように見上げる。 ただ呟き落とされる御幸の声が降って来るのを受けながら、俺は何も言わない。御幸の声だけが、静かな空間に響いた。 でも…と、呟きの続きを、御幸が消えそうな声で囁く。 「心のどこかで、もしかしたら沢村さんはここに来るんじゃないかって、思ってた自分もいるんだ。」 「…実際、来てやっただろ。」 「でもやっぱり不本意だけど。」 「折角来てやったのに、そういうこと、言う?」 ふ、と。 空気が緩んで、互いの笑い声が混じる。 ああ、御幸だ。 難しい事、俺にしてはいろいろ考えたけど、そんなことより何より。 考えることは、もっとシンプルで。 「…お前が無事で、よかった…。」 漸くついた安堵の息に、御幸の顔も綻ぶ。 それに、何か言おうと口を開いた瞬間――…、 「…っ、沢村さん、!!」 突如、御幸の表情が一気に消える。 耳を劈く、大声。 その全てを五感が状況を脳に伝えるより早く。 パァンッ、と。 今日何度か聞いた乾いた音が、俺と御幸の周りの空気を一瞬で、引き裂く。 鼓膜を震わせる音に合わせて、体が揺れた。 [TOP] |