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その場所は、想像した建物とは全く違うものだった。 「…なんていうか……、」 ぼうっと見上げた高層ビル。 それは街中にあれば、風景の一部としてあまり意識しないようなオフィス街のビルのようで、どう見ても「あやしい実験」の行われているあやしい組織の隠れ家だとは想像も出来ない。 けれど、高層ビルの森に佇めば特に違和感もないその近代的なビルも、ひっそりと物静かな山の中にそびえ立つと、覚える違和感に妙な気分にもなって来るのもまた事実だ。 「想像とは違った?」 「はあ……なんかもっとこう…工場っぽい感じというか…、そういうの想像して…。」 「まぁそうだろうね。でも見た目よりずっと、ここは牢獄だよ。」 「ここに、御幸が…?」 「言っとくけど、これは御幸が望んだことじゃねぇんだからな。」 「分かって…る。」 コクンと一度頷く。 御幸が望んだこと。それは、俺に全部忘れて、もう関わるなってことだったけど、そんなことを俺が許せるはずもない。 俺のことを知ってるっていうなら、そこまで予想しといて貰わないと困る。 じゃないと、うっかりこんなところまで追ってきちまうじゃねーか。 車を運転していた小湊さんが、何やら手に持っていたリモコンのような機械を操作して、辺りを見渡す。 それを何の気なしに眺めていると、ふと目が合った。 「…気になる?」 「…何、してんすか?」 「企業秘密。」 「…はあ…?」 「と言いたいところだけど…まぁ種明かしすると、ちょっとセキュリティ進入して穴作ってみておいたんだよ。じゃないと中、入れないし。」 そんなこと簡単にしちまえるって、どんな…? 指さされた建物の入り口を見れば、確かに監視カメラらしきものが見える。 けれど小湊さんがいうにはあれはフェイクで、あれ以外に見えない小型カメラが巡回式で辺りを録画してるんだとか。…ほんとどんなSFだよ…。 難しい話はよくわかんねぇけど、この人が凄そうな人だってことは理解した。…多分年下だけど。その辺は気にしないでおく。 「御幸がいるなら、多分、」 「懲罰室だろうね。」 「懲罰室…?」 「まぁ簡単に言うと、“悪い子にお仕置きする部屋”…かな。」 ニコニコ笑う小湊さんに、ひくりと口元がひきつった。可愛らしい表現を選んでいるが、その内容は随分とえげつない。 聞いた話から相当ヤバそうな組織だと聞いてたから、思わず背筋が冷たくなる。 そんな俺の様子を目ざとくみていた倉持さんが、まるで馬鹿にしたように横でふっと笑う。 「びびってんのか。」 「びびってない!」 売り言葉に買い言葉の域。返した言葉があまりにも大きくて、思わず口を塞いだけど、案の定二人には睨まれた。…すいやせん。 そんな俺の様子にため息をついた倉持さんが、ビルを見上げながら言う。 「そこまで警備がいるわけじゃねーしな、比較的簡単に行けるとは思うけど。」 「…途中見つかったら?」 「ダッシュで逃走。」 なるほどなんて原始的かつシンプルで分かりやすい方法。 それなら俺でも覚えられる。 …どうやら随分と危険らしいってことは、理解した。 「見つかったら!」 「ダッシュで逃走!」 「よし、変なことすんなよ!」 監視カメラが妙な音を立てて鈍い動きをする隙間を縫って、俺は二人と共に建物の中に一歩を踏み入れた。 見つかったら、ダッシュ。 確かそういうことだったはず。それは聞いた。確かに聞いた。 でも。 「ダッシュっつうか、これ全力持久走…!!」 乱れる息が走り去った場所に残って落ちる。 正直、もうネクタイなんかどうでもいい。走りにくい革靴がとにかく憎い。滑って取られそうになる足をどうにか踏ん張って、ぐんっと前へ一歩一歩重く踏み出す。 普段から、会社と家の往復だった体に突然のこの激しい運動はレベルが高すぎる。ああ…日頃の運動不足が憎い。 つーか、どこが“比較的簡単に行ける”だよ! 「なぁ!アンタ等にとっては、これって比較的簡単なレベルなわけ!?」 「……。」 返事が返って来ない。 既に息が上がってへろへろな俺とは違って、どこか飄々とした表情で少し前を走る二人は見た所肩もそう上下していないし、あまり息が乱れている様子も無いから、多分わざと返事をしないだけだ。 (そうか、違うのか。違うんだな。) 複数の足音が背中を追ってくる音がする。怖いもの見たさに一瞬振り返ってみれば、そこにはまだ誰もいなかったけれど、多分角を一つでも曲がれば、自分達を追って来る影が見えるんだろう。 建物に入って数分は良かった。 比較的簡単にという言葉通り、監視カメラも監視の姿もどこにも無く、倉持さんいわく「最近人員不足なんだとさ。」とのことで、よく分かんねぇけど不景気の波はこんなところまで来てんのか、なんてことを暢気に考えたりもしてたくらいだ。 けど、エレベーター使うと乗ってこられたらアウトだから、って理由で階段を上に向かって上っている時、なぜか途中から、上からも下からも俺らを挟むようにして多くの足音が聴こえて、三人顔を見合わせたのが最初。倉持さんが小さく、「もしかして見つかったかも。」と言ったのを皮きりに、建物内に警報音が響いた。 どうして、と思うのより、最寄りの階に向かって飛び出す方が先。 走りながら、なんで見つかったんすか、と聞けば、手の中にもったリモコンを弄りながら、小湊さんがにっこり微笑んだ。 『……フェロモンじゃない?』 そんな風に小首を傾げられて、モテモテだね、とクスリと笑われたけども。 正直ぜんっぜん!笑えないし嬉しくねぇ!! 追われてる人数すら分からないのに逃げるってのは、考えてる以上に体力とか精神力とか、そういうもの諸々を一気に奪う。 どこまで行くのか、どこに向かってるのか…それすらも分からないからなおさらだ。 変わらない景色。痛いくらい目を焼く取り囲む白い壁。走る度にキュッと音を立てて鳴る床。長い、廊下。曲がってもまた、同じ景色。 加えて途中にある扉も全て真っ白だから、前に進んでいるのに全く進んでる気がしないのも悪い。 走ることに集中しないといけないと思うのに、そんな風景が流れていくのを見ながら、俺の頭を過るのは『昔本当にここに自分がいたんだろうか』ってことだ。 どれだけ見渡しても、何も分からない。俺にとってここはどう考えても初めて来る場所。 よく、記憶喪失になった人間が、何かをきっかけに思い出したりってのはテレビで見たりするけど、今のところそんな兆候は全く無い。 (本当に、ここに俺が…?) いくら話を聞いて、実際その場所に降りたってみても、実感なんて一つも沸かない。いっそ気持ち良いほどに。 「…よっぽどお前が邪魔なんだな。」 「…え?」 前を走っていた倉持さんが漏らした言葉に、俯きがちになっていた顔を上げる。 汗が米神から首に伝う。吸い込んだ息が肺を通り抜けるのが気持ち悪かった。 「監視カメラだって逸らしてたし、警備の目も無かったのに、これだろ?…どー考えても待ち伏せされてたとしか思えねぇし。これ。」 「待ち伏せ、って…。」 「…御幸のこと、追ってくるって読まれてたんだよ。多分な。」 「そんな…。」 「…この分じゃ、今頃あのバカ男死んでたりして。」 ピタッと、一瞬足が止まる。 死――…? それに気付いた倉持さんが、驚いたように目を見開いた。 「…このバカ!いきなり何止まって…、」 後ろからは相変わらず追いかけてくる足音が聞こえるのに。倉持さんの怒声も、聴こえるのに。 それが一瞬で遠くに行ってしまったみたいに、ぶわっと俺をよく分からない真っ黒な闇が取り囲んだ。 御幸が、しぬ。 ドクンッと、気持ち悪いくらいに心臓が跳ねた。 死ぬ、 …死ぬ。 頭を支配する、その一言。 考えもしなかった。そんなこと。 …というか、俺は多分この期に及んで、まだこれを現実だと信じ切れて無い自分がいることに、気付く。 意識をすれば、簡単に全身に鳥肌が立った。 ああそうだ、これはちゃんと現実で。現実であるからこそ、“死”が確実に、隣にあるんだ。 (御幸が死んでたら、どうしよう。) 今更ながらとてつもないシンプルな不安が全身を覆って、闇に呑まれそうになった。 しかしそれを切り裂くように劈く大声に、ハッと我に返る。 「倉持!後ろ!」 叫び声が鼓膜を揺らすのが早いか、全身を自分ではない何かの力で押されるのが早いか。 脊髄反射にも似た反射感覚で眼球が横をすり抜けて行った影を捕えた。 べしょっと音がして自分が顔面からこけたんだと気付いた時には思いっきりぶつけた鼻がヒリヒリと痛みを訴えて来て、腕をついて体を起こそうとすると「動くな!」と叫ばれビクンッと全身が震える。 言われたままに膝と顔を地面につけるような何とも間抜けな格好で、よく分からないまま目線だけをきょろきょろと動かす。 全く何が起きているか分からなかったけれど、パァンッと映像の中でしか聞いたことのないような鋭い音が空気を揺らして、思わず顔だけ振り向く。そこには、さっきまで前を走っていたはずの倉持さんと、数人の知らない男の姿。 全員、同じような黒い服を着ている。顔の判別がつかないのは、機械的な印象を与える大きな黒いサングラスのせいか。 「…大丈夫?立てる?」 目の前に、手が差し伸べられる。顔を上げればそこには、全くもって変わらない表情でこちらに手を差し出す小湊さんの姿があった。 その顔に浮かぶうっすらとした笑顔が、今はやはりどこか不気味で、そしてなぜかどこか安心した。 差し出された手を取って、体を起こす。 その瞬間、パンッとまた乾いた音が響いた。 驚いて、今度は体ごと振り返る。 「沢村が止まったりするから。追いつかれちゃったんだよ。」 「…すいや、せん…。」 「まぁ、倉持がバカなこと言ったりするからだしね。責任取って処理して貰えばいいよ。」 乾いた音の正体を、視覚が捕える。 あれは多分、…銃だ。拳銃。本物を見るのはもちろん初めてだけど、直感ですぐに分かった。手の平に握られているそれは、簡単に人の命を奪えるもの。 普通に生活していたら、一生出会う機会だってないかもしれないようなもの。 その銃口は、走る倉持さんに狙いを定めていた。 思わずハッとして小湊さんを見る。 「た、助けないと…!」 助けるっていってもどうしたらいいのか分からないけど。 焦る俺をゆったりと眺めながら、小湊さんは首を左右に数回振った。 「死にたいの?」 「え、」 「死にたくなかったら、大人しくしときな。大丈夫だから。」 パンッともう一度、破裂音にも似た、銃声が響く。 けれど倉持さんは倒れることなく、一気に距離を詰めた。1対、3。人数も、武器も、どう見ても不利なのに、小湊さんの表情は一切揺らがなかった。 「倉持は足だけが取り柄だからね。」 相手が握る拳銃は、倉持さんを捕えることなく、逆に胸元まで飛び込んできたらその脅威も意味を為さず、ただの道具に成り果てる。 中央に居た男の胸元に飛び込んで、鳩尾に一発。咄嗟に狙いを構えた隣の男の顎を蹴りあげて、そのまま地面についたその足を軸にして、体を大きく捻るようにしながら逆足で首を上から叩きつける。 それは一瞬の出来事だった。 「すっげ…。」 ほんの数秒前まで圧倒的に不利だった状況を、ものの見事にたった一人でひっくり返してしまった。 強いだけじゃない。場馴れしたようなその洗練された動き。ふー…と倉持さんが息を吐き出してがっしがっし頭を掻くまでまるで魅入られたようにぼうっとしていた。 「…だ、だいじょう、…ぶ、…、」 何か言わないと、と思って開いた口が凍る。言葉が出てこない。 すると、それに気付いたのか、ジロッとまるで睨むようにこっちをみた倉持さんが「あー…、」とどこか罰が悪そうに呟く。 「…悪かったよ、その…、御幸が死んでるかも、なんて言って。」 伸した男が持っていた拳銃を奪いながら言う言葉じゃない。 「……いえ…。」 「まぁ、実際お前の餌にするつもりっぽいし、かなりの確率でまだ大丈夫だとは、思う。けど、お前が来たってことがバレたらそれもどうかわかんねーし。…亮さん!」 奪った銃を手元でがしゃがしゃ動かして、ぽいっと倉持さんがそれを放る。 それは綺麗な半円を描いて、俺の少し後ろにいた小湊さんの手元に落ちた。 拳銃。 こんなに間近で見るのはもちろん初めてだ。 両手でガシャガシャ手の中の銃を弄りつつ、弾倉を覗きこんでいた倉持さんがゆっくりと歩いて来て、両手に持っていた片方を俺に差し出す。 「……え?」 「護身用。持っとけ。」 「いやでも俺、使い方とか知らねぇし…!」 「ダブルアクションだから難しい操作はいらねぇよ。狙い定めて引き金引くだけ。簡単。」 「簡単って…。」 「大丈夫。…これはお前を守るもんなんだから。」 「守るもの…。」 「あった方が良かったって泣くより、一応使えなくても持っとく方がいいだろ。折角なんだし。」 そういって手渡されたものは、ずっしりと手の中で重さを感じた。 想像しているより、ずっと重い。片手で構えるだけでも重労働そう。 一発でも当たれば命が奪えるもの。その重さに少し背中を冷たいものが走った。 それを簡単に手渡す、少年。チラリと見れば、倉持さんから受け取った拳銃を、慣れた手付きでポケットにしまう小湊さんが見えた。 その光景の異常さが。 この建物全体を包む異様な空気に驚くほどしっくりときて、自分の身に降りかかる危険を知る。 手の中の銃が、更に重くなった。 こんなところに、御幸がいるのか。 …こんなところに、俺はいたのか。 「…行こうか。」 整理されない頭が気持ち悪い。誘うように問いかけられた言葉にのろのろと体だけを動かして、倒れている男達に背を向ける。 その横を、さっきと同じように倉持さんがすり抜けた。 「倉持は本当に、こういう時は便利だね。」 「…少しは手伝う素振りくらい見せてくださいよ。」 「沢村止めてやったじゃん。飛び込んでたら死んでたよ。」 「……。」 「それに俺は倉持と違って、性格が悪いのだけが取り柄だから。」 前を行く二人の会話を右から左に流しながら。 よく見れば小湊さんの指には、いつの間にかしゃらりと音を立てて、多くの鍵のついた銀の輪が回っていた。 …いつのまに。 [TOP] |