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「………ありえねぇ。」 呆然と落ちる俺の声に、だから言ったでしょ、と、サラリと返って来る返事に、頭が更にぐるぐると無駄に混線した。 我が物顔で我が家のソファ(御幸が来るまで俺の生活の全てだった場所だ。)を陣取る二人組が語る話は、まるでドラマか何かの中のような突拍子もないものばかりで、俺はただ一人突っ立って阿呆みたいに口と目を大きく開けることしか出来ず、そんな俺の反応も予想済みなのか何なのか、二人とも淡々と説明した後にちらりと俺の方を一瞥しただけで特にそれからは何も言わない。 二人の様子をかわるがわるに視線を左右に小さく揺らして見比べてみるものの、俺の口から漏れたのはもう一度小さく唇を震わせた「ありえない。」の一言だった。 それに反応したのは、小湊…サン。 「あり得なくても、あり得なく無くても、実際それが事実なんだから仕方ない。」 そうあっけらかんと俺の戸惑いは一蹴され、二の句が続けられなくなる。 「…そんなあっさり言われても…。」 「信じられない?」 「…はい…。」 「だから言っただろ?信じられないような話ばっかりだ、って。」 まぁ、そう前置きされたのは、されたけど。 そうだけど、そう言われればそうなんだけど、だけどさ。 「……正直どこの映画の設定なのか、としか…。」 「まぁ、それが正常な反応だな。」 俺の呟きに、倉持サンの軽く高らかな笑い声が重なる。 「だって…、突然そんなこと言われても、」 信じろっていう方が、無理じゃね…? 「あ?」 「だ、だって!」 「…マジでヤベェ実験いくつもやってる悪の組織があって、お前は昔そこの研究員で、組織の秘密知って逃げ出したところを御幸に助けられて逃走して、その途中で記憶無くして、死んだと思ってたお前の存在が確認されて、その調査に派遣されたのが御幸だったって話が信じられねぇ、と。」 「今聞いてもまったく現実味がアリマセン。」 「まぁ、素直な子は嫌いじゃないんだけど、信じて貰わないとこっちも困るんだよね。」 困るといいながら、俺の家のソファで既にお好きなことをし始めておられる気がするんですが。 …というか、どうみても年下だよな、この二人。 なんで俺こんな下手に出てんの?よく考えればなんでなわけ。 なんかもう、いろいろと許容量越えてて頭パンクしそう。会社で飛び交う専門用語ばかりの会話よりずっと性質が悪い。 「御幸が沢村に何も言わずに出て行っちゃうからさ、俺達がわざわざ説明しに来るっていう迷惑被って上げたってわけ。これでも俺も倉持も、沢村にはちょっと借りがあるんだよ。…あ、今の、じゃなくて、昔のね。」 「…ってことは小湊…サン、も、倉持サンも…、その…。」 「俺は組織の情報処専門。いわゆるハッカーとかクラッカーとか…情報隠ぺいとか、そういうの?そんで、倉持は…、」 そう言葉を区切った小湊さんが、ちらりと倉持さんの方を見る。 数秒落ちた沈黙で悟ったのか、倉持さんががっくりと肩を下ろす。 「…俺は御幸と同じ。主に派遣工作員ってやつだ。」 「ああ、そうそう。そんなのだった。」 「…忘れないでクダサイ…。」 「忘れてないよ。わざと、わざと。」 「…。」 なんか段々倉持さんが不憫になってきたんだけど。…っていうか今結構重たいことサラリと言わなかったか。この人。 掴めない二人のマイペースなやり取りに、これが彼らの自然なんだろうってことは理解した。 けど、以前俺は自分の身の振り方をどうしたらいいのか判断が出来ないままでいる。 そもそもこの二人は本当に御幸の知り合いなんだろうか。俺、なんか騙されてるんじゃないだろうか。 そんな疑心暗鬼が顔に出ていたのか、一瞬睨むように俺を見た倉持さんが、ポケットをごそごそしながら近づいて来た。 「信じるか信じねぇかは、まぁ別に俺らの知ったこっちゃねぇけどよ、」 無造作にポケットに突っ込まれた手が差し出されて、反射的手を伸ばせば、ぽろりと倉持さんの手の中から何かが落ちる。 それは小さな白い、紙屑、のような。 「…多分御幸はさ、お前が本物なのかどうか、本物ならどういう状況なのか、組織から何か持ち出してねぇかってのを確かめるよういろいろ言われてたはずだ。御幸から聞いたときは驚いたけど、お前マジで何も覚えてねぇみたいだし。…何も持ってなかったみたいだし。」 え?と、その言葉に顔を上げる。 今となっては随分と前に感じる、御幸との最後の記憶が一瞬で蘇る。 あの時俺は、御幸に渡したはず。そうだ、今この手の中に手渡された紙切れを御幸に渡した。 ぎゅっと、思わずぐしゃぐしゃになって丸まった硬い紙切れを握りしめる。 「御幸は俺にこれを託した。これが何か分かるだろ?」 「……俺が、」 俺が御幸に渡した、紙切れ。 「これはな、組織の名簿だ。お前が持ち逃げしたうちの多分1枚。きっともっとあるのかもしれない。お前が覚えてねぇだけで。名簿一枚つってもな、あいつらマジでそういうとこ厳しいからさ。」 あいつら、と指される人物がだれなのか、果たして本当にいるのか、一体何なのか良く分からないけど。 久々に見つけた御幸との接点を、ただただ離さないように握りしめた。 「御幸は俺にこれを託して、戻った。なんでか分かるか?」 「…分からない。」 「今のお前は正直言って組織に対しては無害の人間で、そもそも死んだとも思ってたくらいだし、何も知らないなら放っておいてもいいか、ってことになってんだけど。でもお前のその手の中にあるもんがもしバレたら、そうもいかなくなるわけ。口封じにズドン、くらいヨユーでやるだろうな。」 「まさか、」 「ありえないなんて今更言わないだろ。もう充分いろいろ、アリエナイ。」 「…っ」 「ま、折角記憶が無いなら、いっそ全部無かったことにしたい。御幸はそう思ったんだとよ。」 あの時。 これを受け取った時の御幸は一体どんな気持ちだったんだろうか。笑っていたと思うけど、何だかよく思い出せなかった。 耳に煩く鳴り響いていた、波風の大音量のサウンドだけは何度もリピートするのに。それに掻き消されるみたいに、御幸の表情が薄れて行く。 「沢村の監査期間を終えて組織に戻る前に、御幸は俺にソレを手渡しに来た。万が一でも自分からそんなものが発見されたら、ごまかしが利かなくなるからだ。」 「ごまかし、って…。」 「沢村栄純は無害、放っておいても問題ナシ、ってしてぇんだろうよ、アイツは。」 「まぁまず、無理だろうけどね。」 小湊さんが口を挟む。ハッとしてそちらを向けば、ソファでゆったりと組んでいた足を組みかえながら、意味深な笑みを浮かべていた。 そのどこか計り知れない表情の深さに、ドキリとする。 「無理、って…。」 「組織つっても、ある意味縦社会でさ。俺らみたいなのにもランクがあんだよ。御幸はその中でも、ムカツクことに格が違うわけだ。アイツの体は昔から、あいつのもんであってあいつのもんじゃない。」 「どういう意味…?」 「…皮一枚引っぺがしてみりゃ、ある意味ロボットみたいなもんだな、あれは。盗聴器に…ああ、発信機もあったかな。」 絶句する俺に、ふっと笑った倉持さんが、「だからヤベー実験いろいろしてるって言ったろ。」と軽い調子で言う。 それヤバイどころじゃないんじゃ…と思うけど、今この状況で普通とか世間とかそういう常識的なフィルターを通して見ること自体、野暮だってことくらい俺でも分かる。なんだか感覚が麻痺して、俺も普通じゃ無くなってるのかもしれない。 「盗聴器だけは、俺が回線権傍受して、ヤバそうな発言は送信途中でいくらか削除してやってたけどね。じゃないと当の昔に大問題だって。でも発信機は流石に毎回毎回位置撹乱させるのは厄介でさ。あんまりサーバに長居すると、向こうにもさすがにばれちゃうし。」 「ま、そんなこんなで、御幸は“沢村栄純は組織にとって無害”って結果を報告するためにあっちに戻った。だから自分からまた沢村に接触することは、まず無理だと思う。…そもそもそれ以前に、アイツが無事でいられる可能性もどーなのってくらいだけどさ。」 「倉持。」 「……あー…。」 咎めるような声が響いて、空間がピリッと一瞬で硬直した。 罰が悪そうな倉持さんが、ポリポリと頭を掻いて視線を揺らす。チッ、と舌打ちが聴こえた気もした。 けれど気にせず、考えるより先に口が動いてた。 「…どういうこと?」 御幸が無事でいられないかもしれない、って。 そんな言葉が、聴こえた気がした。 「お前が気にすることじゃねぇよ。」 「そんなこと言われても、俺は、」 「…御幸は、御幸を通して組織が沢村を観察してたことを知ってたから、お前に何も話せなかった。けど、何も言わずに姿を消したら、お前が気にして自分を探すかもしれないって思ったから、そうなる前に俺たちに説明役を依頼した。つまり、御幸からの伝言は、“全部忘れて幸せに”ってことだ。シンプルだろ?」 「…分かんねぇ。」 「バカでも分かることだ。」 「全然!!分かんねぇし!!俺が聞いてんのはそんなことじゃなくて!!」 あまりにも唐突でスケールのデカい話で、飲み込めない。 ありったけのグルグルと戸惑う気持ちを吐きだすみたいに大声を出せば、流石の倉持さんも少し驚いたように体を引いた。 「…言ったじゃん。御幸自身が、盗聴器みたいなものだったんだって。」 そんな空気をやんわりと切り裂くような、穏やかな音が響く。 ソファに座っていたはずの小湊さんが、いつの間にか倉持さんの横に腕を組んで立っていた。…いつの間に。 「俺は出来る限りのことをやってやったけど、それでも漏れが無いとは言い切れないし…そもそもアイツには前科があるからね。」 「使えない道具は始末、ってのは、どんなドラマや漫画の悪役にはありがちな設定だろ?」 「…じゃあ、」 「アイツが簡単にくたばるタマだとは思わねぇけどな。」 「御幸だしね。」 聴いているだけでも、体の奥がゾワゾワするような話。 背筋が急に冷たくなる。そんな話を、どうしてそんな冷静に出来るんだろう。この二人は。 自分の理解出来ないこと以上の現実を、受け止めきれない。けれど確実に言えるのは、御幸はいつだって俺の、ために。 何も身に覚えが無い俺にとっては、今もまだ、信じきれない部分も多いけど。でも。 (御幸は、俺を騙すようなヤツなんかじゃない。) 握りしめれば、手の中の紙切れだけが、今の俺にとって現実を示す全てだった。 「とにかく説明はこれくらいで。プラス御幸の依頼には、もうひとつ。…お前をどこか組織の目の届かないところに隠してやってほしいってのがあったわけだけど。」 「まぁ、突然の引越しだし…リクエストくらいは聞いてあげるよ。どこに行きたい?」 突然やってきた、得体のしれない、ガキ。 俺を父親だと言い、勝手に家に住み着いて。 勝手に俺の生活圏内に入り込んできて、俺の周りでいろいろして。息子っつーより、あれじゃ良く出来た嫁みたいなもんだった。 お陰で俺は結局、自分で飯も作れなければ、ネクタイだって結べないままで。 お陰でこんな、よく分からないことにも巻き込まれるし、散々で。 御幸にさえ会わなかったら、今頃平穏無事に今までと変わらない毎日を送ってたんだろうし、コンビニのパンを不味いと思う日が来ることもなかったと思う。どうしてくれる。 …そして多分、ここでこの二人に一言頼めば、その“今までと変わらない毎日”に戻れるんだろう、ってことも簡単に予想がついた。 既に、『騙されてるかもしれない』なんて考えは頭の中になかった。 ホント、迷惑なガキ。 『…好きなんだよ、沢村さん。』 何が、家族だ。 こんな、こっちが困るような捨て台詞だけ残して行きやがって。 拳を、握りしめる。 握力で固められた手の中の紙屑が、硬度を持って手の平をゴツゴツと叩く。 胸元に、手を伸ばす。 彼女とでも別れたかと、同僚に笑われた、曲がったネクタイに指が触れる。 少し引けば、しゅるりと音を立てて、胸元でひらりと長い尻尾が揺れた。 …ああやっぱり、ちょっとだけ不格好だ。 (なんだお前、ここにいたのか。) ぽん、と一度だけ軽く胸元を抑えれば、一度目を閉じて、すぐに真っ直ぐ、同じく突然やってきた、得体のしれない二人の少年の顔を見た。 「じゃあ、――――御幸の、ところへ。」 波風は止んで、変わりに泣きそうに笑う、御幸の顔が見えた気がした。 [TOP] |