02 | ナノ

02



…………………おかしい。





「沢村さん、今日の朝、スクランブルとオムレツどっちがいい?」
「……オムレツ。」
「オッケ。中ふわふわのヤツな。あ、シャツはクローゼットん中だから。」
「おー…。」
「帰りは何時?また遅くなりそう?」
「いや、今日は多分定時だから…。」
「ああ、じゃあ7時には帰って来るかな。」
「……たぶん…。」




馴染んでいる。




…なにが?

御幸が。
俺の生活に。

すっかり馴染んでる。

そして俺も。
すっかり生活のなかに御幸がいることに馴染んでる。
御幸がここに居座り始めてから、もうすぐ一ヶ月。
最初こそたどたどしかった家事全般だけど、元々物覚えが早いのか、一度教えたら、教えてたはずの俺よりすぐに全部上達して、今では俺の助けがなくても一通りのことをしてくれるようになった。

最初こそ怪しさ満点で、警戒の一つや二つや、それどころじゃなく10個も20個もしてたもんだけど、今や警戒のけの字もない。
なぜなら、そう。
そんなの決まってる。

(すげぇ楽…。)

パリッとした清潔なシャツに着替えて、ネクタイを適当に閉めたら、スーツの上着を腕にかけて、一度扉についていた鏡を見てから、クローゼットをパタンと閉めた。
部屋のドアを閉めて廊下を歩く。
………こんな立派なクローゼットがあったことも実はすっかり忘れていたくらいで。
そもそも、リビング以外の部屋を使うのも数年ぶりのことだった。
ずっとあかずの間だった部屋を、生活出来る空間に変えてくれたのも、言わずもがな、御幸だ。



いきなり、息子だとかなんとか言ってやってきたときはどうしようかと思ったけど。
まず身に覚えがないし、証拠もない。
怪しいことに関わるのはごめんだったし、なんとか帰って貰おうと思ったんだけど、…。
証拠見せろ、って言われて、DNA検査の結果見せられたら、何も言えなかったわけで。


実は、俺自身、18くらいの時にバス事故に巻き込まれてて、その前後数年の記憶がちょっと曖昧になってるとこがある。
記憶喪失みたいな重症なモンじゃねぇんだけど、どれくらい記憶に欠落があんのか、俺自身もわかんねぇし、まぁあったとしても生活には困らないくらいだったから、あまり気にしなかった。
……から、完全に否定することが出来なくて。
そんな大事なこと忘れるはずがねぇし、ありえねーって思ってはいるけど…でも…。


「おはよ、沢村さん。」
「おはよー…。」
「はは、相変わらず寝起き悪いのな。…あ、オムレツには塩だっけ?」
「ん。」
「オムレツに塩だけってのも珍しいよなァ。」
「いいだろ別に、そざ、「“素材の味を大切にするときには塩が1番”だろ?」
「………。」
「ははっ!ほんとに母さんの話の通りだよなぁ、アンタ。」


笑いながら向かいの席に座る御幸を一度睨みつけてから、両手を打って、小さくイタダキマス、と呟く。
そのまま塩を降りかけたオムレツに箸を刺した。


とろっと割ったところから流れ出てくる半熟加減はいつも絶妙で、朝からちょっと幸せ気分。
いつの間に覚えたんだと聞くけど、はぐらかされるばかり。……最初はフライパンに湖出来るくらい油引いてたくらいだった癖に…。


ほんのり塩味のオムレツを噛む。
…………本当に御幸は、俺の趣向を凄くよく知っていて、母さんから聞いたと言うそれらは、恥ずかしくてあんまり俺が周りに言わないようにしてることなんかも含まれてて、少なくとも、御幸が俺に無関係では無いことは明らかだった。

息子云々を信じたわけじゃねぇし、そこまで単純じゃねぇけど、行くトコが無いって言ってる少年(しかも仮にも息子らしい)を放り出せるほど、俺は鬼畜じゃなかった。


……まぁ、引き入れてみたら、コイツがまた、馴染む馴染む。
あれよあれよと生活の中に入り込んできたかと思えば、今やこれが普通ってくらい快適に過ごせる。

御幸ってホント、何者なんだろ……。


「……さん?…沢村さん?」
「へ!?」
「何ボーッとしてんの。」
「や、!ちょっと!考え事!!」
「ふぅん。…あんまゆっくりしてると遅刻するよ?」
「え!?……え!?」
「ほら、もうすぐ八時半。」
「嘘!!?」
「本当。」
「や、やべ…!遅刻!!!」
「だから言ったのに。」
「う、わ、わ!あ、つーか御幸は!?お前学校は!?大学!!」
「俺今日2コマ目からだもん。」
「…1年だからって舐めてたら後で痛い目みるぞ…。」
「今日はたまたま2コマからなんですー。…ってか、遅刻ギリギリの沢村さんに言われたくねーなァ。」


…………なんかこれじゃ、どっちが年上か分かったもんじゃねーな……。


急いで朝食をかきいれ、けど、挨拶だけは忘れない。
ごちそうさまでした、と早口で告げれば、お粗末サマでした、と返ってくる。
このやりとりも、だいぶ、慣れた。
最初はなんかすげぇくすぐったかったけど。


「皿はいいよ。俺時間あるからやっとくし。」
「マジで!?助かる!」
「変わりに夕食の後よろしくー。」
「分かった!!じゃ、行ってくるわ!」


椅子にかけていた上着を引っ掛けて、用意していた鞄を引っつかんで玄関に向かう。
そのまま、靴もひっかけて何度かつま先をトントン打ち付ければ、急いでドアに手をかけた。


相変わらず、なぜか朝はいつも余裕が無い。
これはずっと変わらない。



けど。


「あ、沢村さん!」
「へ?」
「ちょっと待って、」


なぜか追いかけてきてた御幸の手が伸びてきて、振り返り様に胸元に伸びてきた。

ふわりと至近距離で御幸が動く気配がして驚いていると、シュルリと小さな衣擦れが聞こえる。
見れば、ポン、と叩かれた胸元には、さっきまでの適当な結び方とは違う、しっかりとした結び目のネクタイがシャンと形よく結ばれていた。

それに御幸が、満足そうに微笑む。


「よし、男前。」
「……最初から男前だ、バーカ。」
「はっは、ソーデスネ。」


ふんっと鼻を鳴らして、二人で笑い合う。
…そういえば御幸が来てから、俺のネクタイが曲がったまま会社に行くことは無くなった。
不器用な俺は就職して何年経っても毎日いろんな方向に独創的に曲がるネクタイに四苦八苦していたけど、最近じゃこうして御幸が直してくれるのが自然で、そういえばこれもすっかりいつのまにか馴染んでんなぁ…。

暫く流れる穏やかな空気に、ちょっと時間を忘れてそんなことを考えたけど、ハッと我に帰って慌ててドアに手をかけた。
やっべ!!遅刻!



「……っ、と、いってきます!」



くるりと振り返って、慌てた声でそういえば、手を振る御幸の姿。



「いってらっしゃい、沢村さん。」




ずっと変わらず忙しい朝。


だけど、そういって見送られる朝は。
…そう思ってしまうには、十分な時間だった。








もし本当に家族がいたら、こんな感じなのかな。
―――なんて。









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