* 別れさせ屋御幸×体育教師沢村 【アンケート3位】 その男を見る度に、全身がとてつもない音量で警鐘を鳴らす。 近寄っては駄目だ。 関わったら駄目。 絶対によくないことが起きるから。 本能が、そう告げる。 思えば、初めて見た時から、そうだった。 あの男の底の見えない深い色は、見た者全てを簡単に掌握する。 「…ここは部外者以外立ち入り禁止なんですけど。」 「父兄は部外者じゃないでしょ?沢村センセ。」 キィッと音が立ててぐるりと回って、いつもなら自分だけが使用しているはずの学校独特の古い灰色の椅子が回る。 安物の大量生産品である頼りない細身の本体が、ジョイント部分を軋ませて嫌な音を響いて眉をしかめるが、それ以上に沢村の顔をゆがませたのは、その上にある人の神経を無駄に逆なでする完璧すぎるほど整った造形の笑みだった。 沢村の視線を受けて、組んでいた足を組みかえて、その上に頬杖をついた男を見下ろして、沢村はまるで絞り出すような、どこか苦虫をかみつぶしたような声で呟く。 「…御幸、さん。」 「はーい?」 「…本日、二者面談の予定はなかったと思うんですが。」 その前に、俺はどのクラスの担任も持ってねーしな。 先生と呼ばれていても、実はまだ教員採用試験は通って無いから、正確に言うなら教師ではなく、講師。 卒業校である青道から声をかけてもらって、少年野球の監督と、体育教師を兼任しているだけの雇われ教員。なのに。 「あれ?そうでしたっけ?」 いけしゃあしゃあと言ってのける御幸さんの言葉を、一体何回聞いたことか。 毎度同じセリフ、同じ調子で、しらじらしく言われるもんだから、すっかり耳にこびりついてしまった。 「ふざけるなら、帰って貰えませんか。仕事があるんです。」 「仕事熱心だね。偉いなぁ。」 「…御幸さん、今日お仕事は?」 「んー?今日は、…おやすみ?」 「…3日前もそう聞きましたけど。」 「自由な社風がウリなんです。ウチって。」 「…アンタ見てると何となく分かります。」 ふん、と鼻を鳴らした音が以外にも大きく室内に響き渡る。 相手は父兄という少しばかりの遠慮は、もうとっくの前に沢村の中から消滅しかけている。 最後の理性的な部分だった敬語という砦も、陥落間際に近い。 けれど、そんな沢村の失礼な態度なんて気にしないといった風な御幸は、ただただ張り付けたみたいな笑みを絶やさないだけだ。 「…ま、それに、これも休日出勤みたいなもんだしなぁ。」 「は?」 「あー…でも今は私情か。」 「…なんのことですか。」 「ん?こっちの話。」 聞き取れないくらいの声量で呟かれた声は、にっこりと怖いくらい綺麗に笑う笑顔の裏に隠された。 その様子に、背中を走るゾクリとした何とも言えない、何か。 (…なんだ?今の。) けれど、その答えはもやもやとしたわだかまりを残して消えた。 そのもやもやを誤魔化すようにぶるりと首を振ったら、小さく漏らされた笑いが耳を擽る。 御幸さんの浮かべる妖艶な笑みが妙に艶やかで、一瞬感じた本能的な“何か”に身震いすれば、どこか感心したような御幸さんの声が届く。 「へぇ…沢村先生って。」 「…っ。」 「鈍そうだなぁと思ってたけど、案外鋭いんだ。」 さすが先生、と言われても、なんで褒められてんのか分からない。 けれど、どういうことですか、と問いかけることも出来ず。 (…まず俺、この人の笑い方が、あんま好きじゃねぇんだ…。) 何かを含んでいるような、笑っているのに笑っていないような、そんな。 好きじゃない、というより、色々なものを内包しているような、笑みに対して覚えるのは、ある種恐怖に近い。 (ああ、そうか。) 俺は、この人が。 怖い、のか。 父兄にこんなことを思うのは間違ってるかもしれない。 教師として、いけないことだということは重々理解ってる。だけど。 「沢村、せんせ?」 「は、い…?」 「そーんなびくびくしなくても。…別に取って食ったりしないですよ。」 こんな冗談。 普段なら軽く受け流すのに、 どうして。 固まった口が、動かない。 他の誰にも感じたことのない感情に支配された全身がふるえるのは、純粋な戸惑い。 「…本当カワイーなぁ。沢村先生。」 「…それ、いい年した大人にいうセリフじゃありませんよ。」 「いい大人っていうより、沢村センセーに言ってるんですけど。」 「父兄の方にそう言って頂けるのは、教師冥利につきますよ。」 「へぇ…、…父兄、ねぇ。」 どうしてそこで笑う。 「はは!じゃあ俺、そろそろ行きますね。」 「…結局何の御用だったんですか。」 「ですから、二者面談、ですよ。」 にっこりと笑ってたちあがった御幸さんが、一度時計にチラリと視線を映して、ゆっくりと扉の方へと向かう。 一枚壁を隔てたとこには、既に騒がしい廊下に繋がっている。 けれどその扉に手をかければ、御幸さんが動かす前に、外部からの力で勢いよく戸が開いた。 「…あ!パパ!」 「あ。」 「あ。」 無邪気な声と、俺と、御幸さんの声が重なる。 すると、目をくりくりさせた可愛らしいツインテールを揺らす女の子が、職員室の前に立っていた。 この子は確か。1年生の。 「じゃあそろそろ、俺は帰りますね。沢村先生、また。」 「…はい。サヨウナラ。」 出来ればもうしばらく来ないで欲しいんですけどね。 「センセーさようならあ!」 ぶんぶんと御幸さんに手を引かれて幸せそうにもう片方の手を振る少女は、酷く愛らしい。 思わず緩む頬を抑えて手を振り返すと、途端に室内がシンと静かになった。 「…。…仕事しよ。」 ぼそ。 粒嫌居た声に、返答はない。 さっきまで御幸さんの座っていた椅子が、どこか寂しげにゆれていた。 (ほんと、よくわかんねぇ人。) はぁ。 重いため息が零れる。 少しして、何かが途切れたように、騒がしくなる校内。 その中で、まるで何かに取り残された、ような。 妙な空間に、ぱらり、と資料をめくる音が響いた。 「…結婚考える時期かなー…。」 (幸せって。) (いいなぁ。) 「ねぇねぇ。」 「うん?」 「どおして、御幸さんのこと、パパって呼べって言ったの?」 手を繋ぐ少女が、無邪気な声で、めいっぱい見開いた瞳を揺らしながら、首を傾げつつ、隣を歩く男の顔を見上げる。 それに曖昧な返事を返して、そっちその小さな手を握り返す、男。 「さぁ。どうしてでしょう?」 「変よ。おかしいわ。だって御幸さんは私のパパじゃ―――…。」 「しー。」 開こうとした女の子の口に、男の細く長い指先が触れる。 丸められた、黒い瞳。 よく似ている。 子供のそれは、男のよく知る“彼”の目に。 汚いことなど何一つ知らないような、真っ直ぐ、透き通った、絶対的な黒に。 全部裏切って、絶望させて、壊れるところが見たいと思う、黒に。 「それは俺と君と――――君のお母さんとの、内緒、ね。」 帰ろうか、と引かれた手の先で、少女はやはりあどけない笑みを浮かべる。 それはまるで、絵本の中の“幸せ”を具現化したような風景。 その手を握る男は、とてもとても綺麗な声で泣く、悲劇を告げるカナリア。 (純粋なものを見ると、壊したくなるのは、…サガ、 かな?) ふふ、と男が楽しそうに笑えば、人形のように少女もカラカラと笑う。 その時は、誰も知らない。 幸せな物語の終焉の先には、いつもカナリアの姿があることを。 それは、男以外は誰も知らない。 (幸せって。) (イイ、なぁ。) [TOP] |