* 御幸×プロ沢村 黄金世代。 新人が粒ぞろいだと称された俺らの世代の中で、そいつの名前は他に引けを取らず、霞むことなくいつも輝いていた。 高1の時には、既に雑誌に取り上げられるほど注目を浴びていて、高2、高3と年を重ねても、その原石は着実に宝石へと磨きあげられていった。 青道高校の御幸一也。一年にして、青道の一軍メンバー、正捕手。 各校からのラブコールを一身に浴びた、天才。 …けれどその名前は、ある時を境に一切囁かれなくなる。 稲実のエース、成宮鳴の名前がドラフト会議に上がる頃も、翌年、青道の降谷暁、沢村栄純の名前が高校野球という舞台を飛び出した先で呟かれるようになっても。 「御幸一也」の名前が表舞台に出てくることはなかった。 御幸一也はどうした、と、耳に入ってくることももちろん少なくはなく。が。しかし。 (どうしたもこうしたも、…“こう”ですよ…。) はぁ…、重いため息をつけば、のしっと肩にかかる重力が増す。なーにー?と頭の上から降って来る甘ったるい声を、小さく首を振ることでふるい落とし、それに対する不満の声を一蹴。 「何、じゃねぇよ!重い!」 「だって、ちょうどイイトコに頭があるからさぁ。乗っけたくなるってもんだろ?」 「な・ら・ね・ぇ・よ!」 「ケーチ。」 「枕使え、枕!」 「枕は低すぎ。」 「じゃあ抱き枕買え!」 「俺今、バイトやめたばっかで金ねぇし。」 …っの野郎…ああ言えばこう言う…! つーか、今なんて言ったこいつ。 バイトやめたばっか?やめたって…はぁ!? 「バイトって、コンビニの!?なんで!?この前はじめたばっかだろ!?」 「この前って…もう1か月も前だけど。」 「“まだ”1か月だ!!」 しれっと言い放つ御幸の顔を振り払うように頭を大きく動かしたら、案の定バランスを失った御幸の体がぐらりと揺れる。 顎にちょっと重めに頭をぶつけて、変な声を上げる御幸を睨みつけながら、どういうことだよ、と出来る限り重たい声で呟いた。 けれどそれに対する御幸の声は、そんな俺の声とは打って変わって、とても軽い。 「まぁ、また次だってー。」 「もう何度目だ、それ。毎回毎回バイトやめる時にそれだろ!」 「お。沢村にしてはよく覚えてんな。偉い偉い。」 「うっせぇ馬鹿にすんな!つーか働け!!」 「だから、次また探すって。ほら、こうして今日もわざわざコンビニから求人情報誌を取ってきたわけで。」 俺の後ろから伸びてきた手が、にゅっと体の横を通り過ぎていって、その辺の床に散らばっていた赤い表紙の薄い冊子を手に取る。 確かにそれは、よく見る求人情報誌。コンビニなんかに並んでる、確かにそうなんだけども。 「…御幸それ、先週のだろ。」 御幸が手に持ってる求人情報誌。確かそれ、先週も同じ表紙だった。 表紙なんて毎週殆ど変わんねぇけど、でも今回は覚えてた。見出しが、先週と一緒。 だから振り返って、御幸の目を見たら、やっぱりその目には「ばれたか」って色が浮かんでて、俺は自分の眉間に皺が寄っていくのを感じた。 (…こいつ…。) 思わず反射的に御幸の手から、薄い冊子を奪い取る。 あ、って声が聴こえたけど、お構いなし。 そのままそれを思いっきり丸めて、近くのゴミ箱に投げ入れた。 ボスンッ、大きな音がして、軽かったらしいゴミ箱が揺れる。 近かったこともあってきちんと中に納まった情報誌が、ゴミ箱と一緒にゆらゆらと揺れて、頼りない音を立てた。 「…バレたか。」 「バレるわ。」 「はは、沢村も敏くなったなー。」 「俺だっていつまでも変わらないわけねーだろ!」 「…そうだよなぁ。」 ポツリと御幸が落とした呟きが、妙に寂しげな音を孕んでいてドキリとする。 だけど表情こそいつも通りで、そのギャップにまた、心臓が妙な音を立てた。 御幸、と名前を呼べば、返って来るのは掴みどころのない笑みだけ。 「…アンタは変わんねぇよな。」 ある種皮肉を込めた言葉。御幸が気付かないわけがない。 だけど、御幸は何も言わない。小さく落とされた、そうだな、って声に、俺の方が無性にむかついて。 「アンタって本当、何も続かねぇよな。バイトも、…彼女も。」 「そーなんだよなぁ。悲しいことに。」 「…ここまできたら、あんたに原因があるんじゃねぇの。」 「ま、否定はしねぇかなー。」 「しろよ、否定。」 「だって俺もなんとなくそんな気がすんだもん。」 「もん、じゃねーし。…つーか、さ……、なぁ。アンタさぁ。」 俺の声が少しだけ変わったのを感じ取ったのか、御幸の体が一瞬軽く固まった。 微細な変化だったし、瞬きしてたら感じそびれるほどの小さな動きだったけど、背中に体がくっついてるから、分かった。動揺、というか。 (違う、…“身構え”られた気がする。) 多分御幸は次に俺がなんて言うか分かってる。 そして、それを“言われたくない”ことは俺だって知ってるけど。でも。 敢えてそれを口にする。 「…アンタもう、野球は、」 やんねぇの。 知ってる。返って来る答えなんて、分かりきってるけど、でも。 「…沢村。」 後ろから伸びてきた両手が、俺の首に巻きつく。 まとわりつくように絡んで、目線の先で交差する両手。ぐっと少しだけ、その腕に力が籠る。 「御幸、」 「沢村、愛してるよ。」 (ああ、また…。) いつもと同じ、答えが返って来る。 いつだって捨てきれない俺の“もしかしたら”を一言で断ち切るような、重さを含んだコトバ。 「御幸…。」 「愛してる。…な、ちゃんと働くから。明日からまたちゃんと。」 御幸の声が、小さく背中越しに聞こえる。 別に弱弱しいわけでもない。いつも通りの、御幸の声だ。だけど。 (…愛してる、なんて、誤魔化す時にしか使わねぇくせに。) 小さく息を吐く。回された腕にそっと両手を添えて、今日もまた振られた“もしかしたら”を胸の奥にしまい込む。 愛してる、って言葉に全部を包み込んで隠して。 一歩を踏みこむことが出来ない、俺ら。 一番傍に居るはずなのに、触れられない部分がもどかしくてもどかしくて。 でも。 その言葉を跳ねのけられるほど、俺も御幸も強くはなかったんだ。 [TOP] |