ありきたりに、全部悪い夢ならばよいのにと思う事は結局全て現実だった。

あの後、頭の中が真っ白なままで指定された病院へ向かってみれば、全の両親とはち合わせた。
当たり前だが母親は泣いていたし、父親も重苦しい面持ちだった。
全の容態を聞かせてくれたのは父親。
救命措置により命は取り留めたものの頭を強く打っており、このまま意識が戻らない可能性も強い…─との事だった。

その日、冥は話を聞いただけでそのまま帰途へとついた。

涙は出なかったが、かと言って何とも思わなかった訳でもない。
こういうのを頭の中が真っ白というのだろう、混乱の極みで頭が働かず感情が停止してしまったようだった。


──−−‐‐‥


「冥、今日の放課後近くの茶店に…、」
「待って、放課後は…ホラ」
「気を使って貰わなくても大丈夫ですよ?でも、やっぱりごめんなさい。今日もお見舞いに行ってきますから」
「…うん」
「こっちもごめんね」

そんな会話が何度繰り返された事か。
あの事故があった日から早一週間が経とうとしている。
放課後に全の見舞いに行く事が冥の日課となっていた。
全の意識は未だに戻る事がなく、しかし容態自体は安定しており…─、所謂植物状態となっていた。
あの日以来、冥の中での全の存在についての意識は真っ白になっていた。
何も考えられない、けれど、顔を見なければ落ち着かない。
もしかしたら考えて、落ち込んでしまう事を無意識に避けているのかもしれない。

そして今日もまた。

病室にはかすみそうが飾られていた。
何度か全にそっくりの髪色をした綺麗な女性が花を入れ替えているのを見かけている。
彼女が誰なのかは未だに分かっていないが、きっとこのかすみそうも彼女が持ってきたもの。

「ずっと眠っていて、飽きないものですか」

目を閉じたまま、ただ普通に眠っているようにしか見えない全に向かって呟く。
呟いたところで反応がある訳もない。

「…楽しい夢でも見ているなら、私にも教えてほしいものです」

こうやって独り言を連ねていく事をもう何度も繰り返している。
虚しくなった事もあったが、ただ黙ったままでいる方が虚しく切なくなったから、こうやって独り言を重ねるようになった。

「…今日は来るのが遅かったので、もう帰りますね」

やはり何の変化もない全へと向かってそう言って、その日の日課を終える。
何も変わらない、空虚と化した日常。
その日は雨が降っていた。
パステルカラーの傘を片手に家路につく。
夕方の商店街、行き交う人の群れをぼんやりと眺めながらゆっくりと歩く。
活気ある声もどこか遠い世界のもののように思えた。
流行の服を飾るショーウィンドウに映る自分の顔だけは生気もなく…─、

「…………!」

生気がない、という事はなかった。
それは冥の姿を映しだしてはいなかったから。
否、一目見ただけなら冥と見間違えたかもしれない。
しかしそこに映るのは顔立ちは冥にそっくりではあっても、冥本人ではなかった。
長い髪、水色を基調とした複雑で不思議なデザインをした服。
セミロングで制服姿の冥とは違う。
驚きに動きを止めた冥に対して、映り込んだ“誰か”はゆるりと動く。
片手をあげ、手招きをするように動かし、

『やっと…会えたわ』
「…っ!」

脳内に直接声が響く。
落ち着き払った淡々とした女性の声だった。

『これで…やっと…』

奇妙な現象にその場から逃げ出したくて仕方がなかった。
けれど足が動かない、そして道行く人々は何故か立ち止まったままの冥に視線を向けすらしない。

『冥、貴女を…探してた。…来て、“こちら”へ』

その声はキーンと耳鳴りのように脳内に響き渡った。
その声を聞いたのが、その時の冥の意識の最後となる。
急激に深い眠りに誘われるように冥の意識は途絶えていた。

ショーウィンドウには、突如として倒れた少女に驚き戸惑う人々と、そして投げ出された鮮やかな色の傘が映し出されていた。


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