「…っていう事だから、今日の部活はなし。マネージャーも集まらなくていいって話だから、冥もそのまま帰って平気」
「分かりました。珍しいですね、部員が揃わないなんて」
「みんな忙しいらしいっすね、こういう時に限って」
「大会前なのに…」
「みんなやる時はやるって分かってるし、…まぁ、大丈夫だとは思うけど」

白い雲がゆっくりゆるゆる流れるのを眺める─…晴れた日の屋上。

他の生徒達の姿はない。
というのも、木曜は美化委員による屋上の清掃日で、昼休みは美化委員しか屋上に入れないと決まっている。
そして全が美化委員であるが故、屋上の鍵を持ち出せ、今全と冥はこうして屋上でのんびりしていられる。
あとでクラスメイト達に冷やかされるのだと思うと、冥としてはこのまま屋上に居座ってしまいたいくらいだった。

「それで、話はそれだけですか?」
「いや…。これだけだったら屋上には来てないっすよ。今日の朝、荒瀬って子に告白されたって」
「三年にまで話が広まってるんですか?」
「うん。冥、モテてるからね。みんな気になるんじゃないっすか」
「…そうですか?…それで、何でしょう?」

やっと色恋沙汰の話題から逃れてきたと思ったらまた同様の話題。
ほんの僅かながら冥の声のトーンが下がる。
全もそれに気付いていない訳ではなかったが、話を切り上げる事はなかった。

「断らなかったんだって?」
「しつこかったんです。だから、考えさせてって言ったんです。…あとで断りに行くつもり…」
「荒瀬って子、本気にしかけてるよ。断らないなら目があるんじゃないかって」
「…え?」

フェンスに背を預け、流れる雲を追っていた冥の視線が全へと移る。
予想外の言葉にぽかんとしている冥に対し、全は眉を潜めて小さく息を吐き出し言い募る。

「気を付けて。ただでさえ冥はそういうのに疎いんだから。早く断り入れた方がいいっすよ」
「……はい」
「自分が興味ない事だからって、まわりはそういう風には思わない。冥の恋愛事情は、何故か注目されてるみたいだしね」
「それは、分かってます」
「分かってるなら気を付ける。見てて心臓に悪い」

何だか説教されてるみたいだ。
ぽつりとそう思うと同時、この状況が酷くつまらないものになってくる。
勿論、全が言っている事は正しいのだけれど、正論であるが故に素直に従いたくないのだ。
それで、つい。

「…全も、私の事を気にし過ぎじゃないですか?何ででしょう」

不機嫌さも隠さずに言ってしまった。
言ってしまってから何を言っているんだ自分は、と慌てかけたが、慌てている姿を見られるのも癪で口をつぐむ。
冥がさっきまでしていたように、雲の行方を視線で追っていた全だったが、一拍置き大きく息を吸い込んでからガシャリと音をたてフェンスから背を離す。
その音に肩を竦める暇もあらば、またガシャンと派手な音がした。

「何で…だと思う?」
「…全?」

退路を塞ぐように両脇に手をつかれ、目の前には怒気も一切感じさせず、寧ろ真逆に緩やかで意図の読めない笑みを浮かべた全の顔。
がらりと変わった全が纏う空気にビクリと肩を揺らし、一変した状況に混乱しかけている脳内を整理しようと必死になる。

「好きじゃなきゃ、こうはしないよ」
「…なっ、」

好き。
その単語を聞いた途端にかっと顔に熱が集まって言葉に詰まる。
じりじりと顔と顔との距離を縮められ、互いの吐息が感じられる程、唇が触れ合いそうになるその瞬間まで、全く身動き一つ取れずされるがまま。
その刹那に混乱状態のまま目を瞑って全の肩に手を置き押し返そうとしたが、その意味は一瞬にして霧散した。

「…と、こうなり兼ねないから気を付けろって言ってるんだけど」
「…え…?」
「ホントにキスする寸前。嫌なのか嫌じゃないのか…、危なっかしい」
「…え…!」

聞こえた全の溜め息、それから離れていく気配に大急ぎで目を開けば苦笑いをして肩を竦めている全の姿。
そこでやっと気付く。

─からかわれた…─?

「全…っ!」
「無理矢理キスなんてしたりしないっすよ」
「もしかしてからかいました!?」
「冥にあんまりにも危機意識がないもんだから、つい」
「つい、でこんな事しないでください!…もう…、話は終わりましたよね!私は部屋に戻りますから」

照れと羞恥心とあとはちょっと怒り。
真っ赤になった顔を隠すように慌てて全から顔を背けて扉の方に向かう冥。
それを見送りながら。

「…あーあ、俺の馬鹿。どうせならしちゃえばよかった」

アスファルトの地面を見据えながら無表情に呟かれた全の言葉は、誰にも届く事はなかった。


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