小説 | ナノ
ヤンデレが木舌を追いかける

生温い液体が付着した白い手がおれの頬に触れる。ぐちゃり、と嫌な音が耳元でした。
「木舌さんに酷い事する奴はみんな死ねばいいんですよ」
そう言って紅潮した顔でおれを見つめるなまえちゃん を見て、やっぱりこの子は少し変だったんだ、と確信した。


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また視線を感じる。
ここ一ヶ月くらい、ずっとだ。毎回周りを確認してみるものの、誰が見ているのか全く分からない。くるり、といつもの様に後ろを振り返ってみたが、やはりそこには誰もいない廊下があるだけだった。

「なんだか、最近誰かに見られてる気がするんだ」

食堂へ向かう道中、谷裂にそんな事を漏らすと、「酒の飲み過ぎで頭までやられているのだろう」とすっぱり言われた。同僚にその言い方はあんまりではないか、と抗議するとふん、と鼻を鳴らして「自業自得だ」と一喝された。いつになく厳しいなあ。「でもさあ」と言いかけると、言い終わる前に「貴様、禁酒は続けているのだろうな」と返され、それ以上何も言えなくなった。


食堂へ着いて席に座る。なんだか浮かない気分だ。もしかしたら本当に酒の飲み過ぎで、おれの精神状態がやられてしまっているのだろうか、と本気で心配した。「なあ、おれ一回医者にでも行った方がいいのかな」と何気なく谷裂に言ってみると、「そうだな、アル中は一度通院すべきだ」と言われた。そっちじゃないんだけどな。
はあ、とため息をついて顔を上げると、テーブルを1つ挟んだ向かいの席に女の子が座っている事に気がついた。肩より上くらいの真っ直ぐな黒髪で、黒目の大きい目が特徴的だった。中々可愛い子だ。沈んでいた気分が少し高揚する。「なあ、谷裂。あの子中々可愛くないか」と隣の谷裂に耳打ちをすると、「あぁ?」と非常にうっとおしそうに向かいの席に目を向けて、「知らん」と言って再び箸を付けていた蕎麦をすすり始めた。女っ気のない奴だなあ。

「地獄に仏とはこの事か」

そんな事を小さく呟きながらおれも箸を持った。初めて見る子だな。あれ、でもこの子なんか見た事がある様な…。いつだっけ…?そんな事を考えてチラリと再び視線を向けると、ずっと俯いていたその子がふいに顔を上げて目が合い、どきりとした。まるでおれの考えが見透かされていた様に、その子は口角をゆるやかに上げて笑っていた。持っていた箸がぽろりと落ちる。それと連動して、谷裂の膝の上におれが食べていたカレーうどんがつるりと落ちた。もちろん汁も跳ねる。やばい、と思った時には時既に遅しで、「貴様ぁぁぁ!」という谷裂の怒号と共に、おれの後頭部からぐしゃりという音がして意識が途絶えた。


次にその子に会ったのは2日後の事だった。肋角さんの部屋へ向かうと、その子がいた。「あ」と思わず声を漏らすと、振り返りこちらを見て、ぺこりと頭を下げられた。「面識があったのか」と肋角さんに聞かれ、「いえ…」と口ごもると、「この前食堂でお会いしたんですよ、ね」と微笑まれた。初めて声を聞いたが、少し幼さの残る声だった。

「仕事だ。こちらの男手が足りなくてな。応援で来て貰った」
「よろしくお願い致します」

深々と頭を下げられ、「あ、こちらこそ…」と思わず帽子を取って頭を下げた。そういえば、この子はおれが谷裂にボコボコにされる一連の成り行きを見ていたのか。何となく動揺しているのが伝わったのか、肋角さんが口元を上げながら「仲良くしてやってくれ」とその子に言う。なんだかおれの方が年下みたいで、少し気恥ずかしかった。

「さて、仕事内容だが、今回は戦闘が絡む。行けるな、木舌」
「はい、大丈夫です」
「酒は仕事後にしておけよ」
「わ、分かってますよー」

酒を飲むにも肩身の狭い世の中になったものだ。肋角さんから仕事内容の説明を受ける。今回は亡者討伐らしい。戦闘は苦手だったが、四の五の言っていられない。それよりも、こんな女の子に戦闘任務を任せて大丈夫なのだろうか。ちらり、とその子を見ると、肋角さんが察した様に、「戦闘については問題ない。むしろお前の方が心配だ。また目玉を取られるなよ」と言われた。「面目ないです」と苦笑いしながら言うと、横でその子の表情が一瞬固まった気がした。ん?と思って目線を向けると、別段変化はなかった。気のせいだったのかな。
「くれぐれも気をつけて行けよ」と肋角さんに見送られ、二人で部屋を出て歩く。

「そういえば、名前はなんて言うの?」
「なまえです。よろしくお願いします、木舌さん」
「なまえちゃんね」

改めてよろしく、と笑顔を向けると、なまえも笑い返してくれた。可愛いなあ。あれ、そういえばどうしておれの名前知ってるんだろう。「おれ、自己紹介してなかったよね」と言うと、「肋角さんから聞いたんですよ」と言われた。ふうん、とあまり気に留めないで歩みを進める。今回は可愛い子とペアになれてラッキーだったなあ。ヘマして格好悪い姿を見せない様に気をつけよう。


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しばらくやっていなかった事をすると、やっぱり身体は鈍るものだなあ、と思った。こんな事なら谷裂に相手をして貰っていれば良かった。ズキズキと鈍い痛みの走る腕を見ると、中々の量の鮮血が滲んでいた。しゃがみ込んだおれの目前には、頭部目掛けて鉈が振り下ろされていた。あーあ、また脳天ぱっくりで医務室コースかあ…。なまえちゃんが見ているというのに、情けない。諦めて目を閉じると、生暖かい液体が顔にかかったのを感じた。しかし、傷みは感じない。おかしいな、と思って目を開けると、おれが取り落とした大斧を振り下ろしているなまえちゃんがいた。ゴミを見るような目つきで、真っ二つになった亡者を足蹴りにしている。
女の子に助けて貰うとは、これ以上情けない姿は晒し様がないのではないかと思った。「ごめんね」と言いかけた所で、再び大斧が風を切る音がした。今度はおれの背後で何かが潰れる音がする。

「汚い手で触るな」

女の子ってこんな声も出るんだ、と思うくらい、どす黒い怒りを込めた様な声だった。呆然としている間に、なまえちゃんがその場にいた亡者におれの武器を振り下ろして行く。辺り一面が血の海と化した頃、連戦で息を荒げたなまえちゃんがこちらを振り返った。「木舌さん、大丈夫ですか!?」とおれに駆け寄り、腕の傷を確かめている。

「痛かったですよね…すぐ治療しないと…あ、あいつらは全部殺しましたよ!木舌さんに傷を付ける亡者なんて、頭を割っても足りないくらいですね。そういえばこの前木舌さんの目玉を抉った女が居たんですよね。許せない。数十倍にして返してやろうと思ったんですけど、冥府は中々警備が固くて忍び込めなくて。あ、そういえば今日肋角さんに言われてたのに、仕事前のお昼からビール飲んでましたよね?最近特によく飲んでるんだから、ちょっと控えないと身体に悪いですよ?」

てきぱきとおれの腕の出血を拭きながら、世間話をする普通の女の子と何ら変わらない口調で話をするなまえちゃんの言葉をぼんやりと聞いていた。ちょっと待ってくれ、その台詞の中に色々とおかしい事がいくつかある。なまえちゃんがおれの目玉を抉った亡者に仕返し?忍び込む?いや、それよりもどうしておれが今日昼間にビールを飲んだ事を知っているんだ。食堂ならまだしも、おれは部屋で一人で飲んでいた。その現場を見れる人物は誰もいなかったはず。そこまで考えて、ふと最近の視線の事を思い出した。嫌な考えが頭をよぎる。なまえちゃんの顔を見ると、視線が合った。頬を赤らめて恥ずかしそうに「そんなに近くで見られたら、恥ずかしいです…」と下を向いてしまった。これが全く普通の女の子だったら、おれは相当喜んでいたと思う。ただ、今の状況では素直に喜べない。意を決して口を開いた。

「あ、あのさ。なまえちゃん」
「はい!」
「どうしておれが、昼間に飲んだ事知ってるの?おれ、その時部屋に一人だったはずなんだけど」

そう言うと、なまえちゃんは「あっ!」と自らの失言に気付き、恥ずかしそうに顔を手で覆ってしまった。赤らめた顔を覆った指の隙間から、ちらりとこちらを見た。

「だって、木舌さんの事は何でも知っていますよ」

その言葉が聞こえた瞬間、思わず気が遠くなりそうだった。なんて事だ。ここ最近感じていた視線は間違いなくなまえちゃんだったんだ。部屋に居るときも外に出ているときも、この可愛らしい見た目の女の子がどこかからおれの事を見ていたというのか。いや、でもそもそもなんで。

「ど、どうして?」
「え?どうしてって…そんなの、当たり前じゃないですか…」

赤らんだ頬に、少し潤んだ瞳で上目遣いにおれを見つめる。傍目から見たら非常においしいシチュエーションだが、今は正直不安と若干の恐怖しか感じられなかった。頼む、それから先は言わないでくれ。

「木舌さんが、好きだからです…」


ああ、なんてことだ。



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