小説 | ナノ
佐疫と密着(わたし視点)

男性にしては柔らかな髪が頬に触れる。心なしか良い匂いもしている気がする。潜めた息がすぐ顔の横で聞こえ、思わず身体に力が入る。心臓は自分でも分かるくらい速く動いていて、呼吸困難になりそうだ。

薄暗い廃ビルのこれまた薄暗いロッカーの中でわたしと佐疫は息を潜めている。平腹に借りた漫画に、こんな展開があった気がする。あの時はいいなぁ、なんてぼんやり憧れていたけど、いざその場面になった今、逃げ出したくてたまらない。このロッカーの扉を開けて走り去りたかった。わたし、変な匂いしてたらどうしよう。さっきまで全力で亡者を追いかけていたものだから、心なしか身体が汗ばんでいる。この状況が尚更汗の分泌を促している気がしてならない。佐疫くん、キミはどんな時でも涼しそうな顔をしているね。「ごめんね、苦しくない?」だなんて、その申し訳なさそうな表情にも、育ちの良さが見て取れる。これが田噛だったらと思うとぞっとする。


かれこれ20分は経過している気がする。本当はもっと短いかもしれないけど、このロッカー内での時間はとてつもなく長く感じられた。
佐疫とたまたま仕事が一緒になり、この廃ビルまでやって来た。そこで亡者を見つけ出し、佐疫の華麗な銃さばきで向かって来た亡者の脳天には見事な風穴が開いた。しかし、そこで問題は起きた。「なんか銃声聞こえたんだけど」と複数の男女の声が聞こえた。よくよく考えると、ここは現世だった。誰も居ないと思っていた廃ビルに、運悪く肝試しにでもやって来た人間が居たんだ。「警察」とかいう単語も聞こえる。佐疫もわたしも現世では立派な銃刀法違反だ。獄卒が警察に捕まるとか笑えない。かと言って屋敷へは人間のいる方向を通らなければ帰れない。足音が近付いてきて、「どうしよう」と右往左往していると、「こっち」という声と共に手を引かれ、ロッカーの中に押し込まれた。背中をロッカーの壁に押し付け、必然的に佐疫がわたしに覆い被さる体勢になった。距離の近さに思わず声が出そうになったが、佐疫が手でわたしの口を覆って厳しい顔をして首を左右に振った。彼の厳しい表情は初めて見たので、思わず息を止めて上下に何度も頷くと、いつもの笑顔に戻ってくれたのでホッとした。


「ねえ、もう、出てもいいかな」

「念のため、もう少し様子を見よう」

人の気配はもうしなかったが、わたしの勘より佐疫の意見に従った方が確実だと思った。
押し殺した声で交わす会話でさえも、息がかかりくすぐったい。思わず身を捩ると、佐疫の腰に手が触れた。びくり、と佐疫が一瞬硬直する。「ご、ごめん」と慌てて謝ると、「いや」と小さく聞こえた。ちらりと顔を見ると、薄暗い中でもいつもの優しい表情がそこには無い事が分かった。いつも緩やかに口角の上がっている口元はまるで斬島の様に真一文字に結ばれている。目もいつもの様に笑っていない。間違いなくなにか怒っている。せめて少しでも距離を取ろうと思い、密着していた足を動かす。その瞬間、佐疫にこんなに腕力があったのかと思う程両肩を強く捕まれ、「動かないで」と言われた。恐ろしく冷たい声だった。息を飲むと、ハッとした様な表情の佐疫が、「もうそろそろ大丈夫そうだね。出ようか」と言ってロッカーの扉を開けて何事も無かったかの様にスタスタ歩いて行ってしまった。

新鮮な空気を吸い込みながら、急にどっと疲れを感じた。帰って寝よう。あと平腹に、あまり漫画に憧れない方がいいよって教えてあげよう。ついでに佐疫を怒らせないように、とも。






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