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そこからどうやって帰ったのかは記憶にない。

「女将さん、助けてください…!」

旅館へと辿りついたレッドたちは、息を整える暇もなく母屋の玄関へと駆け込んだ。
すでに支度に取り掛かっていたらしい女将が、驚いた顔をしてこちらを見る。

「いかがなさいましたか!?リーフ様の具合がよろしくないのですか?」

グリーンの腕に抱えられている気を失ったリーフを見て、彼女の容体が悪化したと考えたのだろう。
血相をかえて彼女の元へと近付く。

「違います、すみません、俺たち、……森に行ったんです」

そんな彼女の動きを遮るようにグリーンが言い放った。
瞬間、眉間に皺をよせ、険しい表情を見せる女将。
そして1度レッドとグリーンを厳しい目で見つめたあと、視線をリーフへと落とした。

「…とにかく、病人の方を連れまわすのはよくありません。すぐにお伺いしますので、どうぞ皆様の部屋でお待ちくださいませ」
「は、はい…」

あまりに気迫の籠った声でそう告げられ、たじろぎながら頷くレッドとグリーン。
彼らの返答を聞くと、女将はにこりと小さく笑って一礼しどこかへ向かった。
そんな女将の後ろ姿を尻目に、チラリと壁に飾られた時計を見ればまた朝の4時。
こんな時間にも関わらず綺麗に小紋を着こなし、化粧もしていたことからすでに仕事に入っていたことが伺える。
少し冷静になった2人が僅かな罪悪感を覚えるも、リーフの姿を見て間違った判断はしていないと自分達に言い聞かせた。
女将さんには申し訳ないけど、自分たちだけでは不安でしょうがなかったのだ。

レッドたちがリーフを布団に寝かせて間もなく、女将が部屋に来た。
昨晩のショックも影響しているのだろう、いまだに深い眠りについているリーフの布団を手早く整えた彼女は、睡眠の邪魔にならないように、と襖を1つ隔てたテーブルの方へと2人を導く。

「お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ、忙しい時間にすみませんでした」

ちゃんと人のいる所へ帰ってこれた安心感からなのか、そわそわと落ち着かないレッドとグリーン
チラリとリーフが寝ている方へ視線を向ける。
少し強く刺激を与えすぎたのか、精神的な疲れと肉体的な疲れが同時に襲っているのか、いまだに目を覚ます気配がない。

「…それで、みなさまは森へ行ったとのことですが」
「は、い…」
「そこで、何をご覧になったんですか?」

やや厳しい口調で女将が尋ねる。
彼女の質問に、反射的に顔を見合わせるレッドとグリーン。
素直に自分達が体験したことを伝えて、この人は信じてくれるのだろうか。


「……とても信じてもらえないとは思うんですが」
「えぇ、どうぞ話してみてください」
「実はボクたち、心霊体験をしたんです。あの森の、洋館で」

続きを待っているのか、黙っている女将。
レッドの後をついで、グリーンが口を開く。

「すみません、でも興味本位で…。最初は昼間にあの森へ行ったんです。どんな感じなんだろうって。…中は思っていたよりも普通で、楽しみながら探索してました」
「探索…。もしかして、苔の生えた岩の所まで?」
「はい、そこにも行きました」
「…まさか、お触りになりました?」
「え?あ、はい…」

予想外の所で女将が食いつく。
てっきり洋館の下りを離すまで、このまま黙って聞くのかと思っていただけに一瞬言葉に詰まった。
…しかし、ふいに頭の中に映像がフラッシュバックする。

「(…そうだ、あの岩は儀式の!)」

カン…カン…
という耳障りな音も、少女のうめき声も全て思い出してしまった。
あまりに衝撃的な映像だったために、本能的に記憶から消していたのだろうか。
思わず吐き気をもよおす2人。

そんな彼らをいたわるように、どこから取り出したのかハンドタオルを渡す女将。
彼女は無理強いすることなく、2人が話せるまで黙ったまま続きを待った。

「…すみません、嫌なこと、思い出しちゃって…」
「大丈夫ですよ、無理しないでください」
「ありがとうございます。…あの、話逸れるんですけど、あの岩って触ったらまずかったんですか?」

落ち着いたグリーンが、恐る恐る女将に尋ねる。
彼女は2人を安心させるためか、穏やかな表情を浮かべてたまま、しかし少し困ったように眉尻を下げた。

「森自体に近づくな、と先代…私の母からきつく言いつかってました。間違えて入ることになっても、決して苔の生えた岩にだけは触るな、と。触れば魅入られるからと教わってきました。それでつい、口を挟んでしまって…。私の知っていることはお話しますから、どうぞ先に続けてください」

確かに、肝心なのは洋館のくだりからだろう。
そう同意した2人は、その後、古びた洋館を見つけたこと、リーフが2階に人がいると言ったこと、そして昨晩体験した恐怖の出来事を思い出す限り出来るだけ丁寧に話した。
途中、いまでもリアルに思い出される光景と恐怖に声を震わせ、言葉に詰まりながらも、一生懸命女将に伝えた。
女将も、茶化すわけでもなく、急かすわけでもなく、レッドとグリーンのペースに合わせて耳を傾けた。
彼らの口から紡がれる生々しい描写は、決して聞き耳を立てたい内容ではなかっただろうに、嫌な顔一つせず、時には体調や精神を案じながら相槌を打っていた。

「……以上が、俺たちが昨晩体験した出来事です」

全てを話終えたグリーンが、反応を伺う様に女将を覗き見る。

「そうですか、そんなことが…。それで、先代たちはずっと森に近づくなと言い伝えて来たのかもしれません」

彼女が予想していたよりも激しい体験を聞き、眉間に皺が寄る。
しかし、ゆっくりと1度深呼吸をした後、覚悟を決めたように女将は口を開いた。

「…お話させておいて申し訳ないのですが、実は、私自身なぜ森に近づいてはいけないのか、いったい昔あの森で何があったのか、詳しいことは何も知らないんです」
「………」
「それでも、何かの役に立つかもしれません。私が先代から受け継いできた話をそのままお伝えします」
「はい」
「…昔、ハクタイの森の辺りには、バイベン村という、ひとつの小さな村が有りました。その村は豊な村ではありませんでしたが、自給自足を行って、貧しくともその村だけで全てを済ませていたそうです。だからとても閉鎖的で、他村と関係を持つこともほとんどなく、たまに移り住む住人がいるくらいで、生まれてから死ぬまでその村しか知らない子も多いような村だったそうです」

洋館の本で見た村の名前に反応する。
女将には本の内容や日記のことなど一切話していなかっただけに、動揺した。

「バイベン村にも、そういった閉鎖的な村にありがちな、いわゆる風習というものがあったそうです。それも、とても残酷な。その内容を先代たちが知っていたのかは分かりません。ですが、だから決して近づくな、関わるな、と強く言い聞かされてきたそうです。このあたり自体、とても古い土地ですから、実際にその村以外にも残酷な風習を持った村はいくつもありました。昔の方々は、本気でそういった生贄の儀式などで飢饉が解決すると、そう信じていたのです」

生贄の儀式。
その言葉にあの映像の様子を思い出した。
まるで何かに取りつかれたかのように必死で祈願しながら、ぶつぶつと言葉を呟いて祠の周りを回る女性たち。
正気の沙汰じゃないと思ったが、子供のころから他の世界を知らずに、それが正しいと育てられた人間の集まりがあれば、どんなに残虐なことでも正当化されうるのかもしれない。

「ですが、ある日突然その村は消失してしまったと言います。詳しいことはわかりません。突然、その村全体が火に飲まれてしまった、と。それから何十年という時間をかけて、廃れたその森に木々が浸食し、いまのハクタイの森となりました。『もりのようかん』と呼ばれる屋敷のみが、なぜかその姿をいまだに残しながら。…ごめんなさい、村についてはそれ以上何も知らないんです」
「いえ、貴重なお話をありがとうございました」
「他に何か聞きたいことはありますか?」
「あの洋館は、なんであそこにずっと建ったままなんですか?」

ふいにレッドが尋ねる。
その質問に、女将の顔に影が差した。

「昨日、お客様が森で迷われたから近づかないでほしいと申し上げたのは覚えておいでですか?」
「はい」
「そのお客様というのが、洋館を取り壊そうと計画していた方だったんです」

よく訳が分からず頭に疑問符を浮かべるレッドとグリーン。
そんな2人の様子を知ってか、女将が詳しい内容を話すべく言葉を続ける。

「実は、洋館の取り壊しは何度も話にあがっていました。ハクタイシティの住民は、バイベン村の話を少なからず知っていますから、反対するものが多かったのですが、あの森の場所を使いたいというシンオウのお偉いがたはたくさんいらっしゃって…。私たちの話など聞く耳もたず、ついに洋館の取り壊しまで行われようとしたことがあったんです」
「…そ、それで?」
「取り壊しに当たって必要な機材や人件を把握するため、その方たちが下見にいらっしゃった時のことです。その時当旅館をご利用いただいたのですが、洋館取り壊しの責任者の方が、森へ下見に行かれたままその日は帰って来られませんでした。正直な話近づきたくなかったというのが本音ですが、探さないわけにはまいりません。苔の生えた岩にさえ近づかなければ大丈夫だろう、とのことで、捜索は開始されました」

あまり話したくない話なのだろう、眉間に寄った皺はまだ治らない。

「懸命な捜索活動でしたが見つからず、途方に暮れていた3日目のこと。ふと、その方が旅館の方へと帰って来られました。来ていた服もボロボロで、顔面蒼白にしながら、ガクガクと震え、何かに怯えているのです。小さな物音にさえ過敏に反応し、『あの洋館を壊してはいけない、あの洋館を壊してはいけない』と取りつかれたように呟き続けていました。とてもじゃないですが、責任者がそんな状態になっては作業は続けられません。結果、取り壊しは見送られることになりました」
「………」
「先代方の時にも何度もそういった話は持ち上がったようですが、洋館に入るとその人間に何かしらの不幸があったようで、取り壊すことが出来ず、今のように放置されるようになりました」
「そう、だったんですか…」
「その責任者の人は、いまどうしてるんですか?」
「…詳しくは私も存じ上げません。ただ、精神を病んでしまわれたようで、病院に入ることになったとだけ伺いました」

重々しい空気に全員が口を噤む。

「他に何か、聞きたいことはございますか?」
「…いえ、忙しいのに、突然ありがとうございます」
「とんでもございません。…リーフさん、早くお目覚めになるといいのですが」

心配した様子でリーフの方に目を向ける女将。
リーフはいまだに苦しそうに呻きながら、それでも目を開かない。

「あの様子が続くようでしたら、お医者様をお呼びいたしましょう」
「…そうですね、お願いします」

なんとなく、医者を呼んでも無意味だということは、3人が直感的に思っていた。
だからこそ今まで呼ばなかったのだが、何もしないよりはましかもしれない。

「それでは、申し訳ないのですが1度仕事に戻らせていただきます。リーフさんに何かあったら、いつでも読んでくださいませ」
「はい、本当にありがとうございました」
「レッドさんもグリーンさんも、今日はゆっくりお休みください。きっと、ご自身が思っているよりも疲れておいでです」
「そうさせてもらいます」
「それでは、失礼します」

丁寧にお辞儀をして部屋を後にする女将。
残された2人はどちらともなくリーフの傍に腰を下ろした。

「…はぁ、まだ実感わかねえ。悪夢だったって言われた方がすっきりするぜ」
「うん。疲れてるはずなのに、全然眠くならない」
「だな。正直、いまになって体震えてくるし。…女将さんの話聞いてる間も収まんねえから、どうしようかと思ったぜ」

そういいながら、ガタガタと震える手を見せるグリーン。
安全な場所へ帰ったことに対する安堵からなのか、心なしかその声も震えている。
それはグリーンだけでなく、レッドも同様だった。
リーフがいたからこそ気丈に振る舞えたが、本心では恐怖で気が可笑しくなりそうだった。

「…にしても、バイベン村ね。生贄の儀式なんて、考古学者の妄想ぐらいにしか思ってなかったからな。思い出したくねえけど、思い出しただけでも気色悪いな」
「あぁ。どうしてあんな残酷は風習が根付いちゃったんだろう」
「閉鎖的な村っつってたからな。…そうだ、あの本!レッドあの本持ってるか!?」
「あの本?」
「洋館の中で見つけたやつ!お前、上着のポケットにしまってただろ!」
「あ、そうだった」

そういって上着のポケットから本を取り出すレッド。
古来伝承の民俗学、と書かれたそれは、光の下で見るとその古さを実感する。

好奇心が勝ったのか、それとも詳細を知って安心したいのか。
理由は分からないが、魅せられたようにその黄ばんだ本を開く。

「…つっても洋館の中で見た内容しか、バイベン村のことは書かれてねえな」
「書きなぐった後も、何て書いてるか分からない」
「だよな。…でもさ、思ったんだけど。この村、別に全焼しなくても遅かれ早かれ確実に滅んでたよな」
「なんでだよ。別に時代の移り変わりに合わせて、村の在り方が変わったかも知れないだろ」
「そうだけどさ。でも、硝子目が生まれたのって、飢饉の前だったんだろ?そういう子が生まれたのって、純粋に、母親の栄養失調が原因なんじゃねえの?そんなの繰り返してたら、絶対に滅ぶだろ」
「………」
「女が生まれるって書いてあるけどさ、これも飢餓の影響で女しか生まれなくなることがあるって聞いたことあるし…。シンオウは雪の国だから、季節によって蓄えられる食物の量が顕著に変わるだろうし。儀式をしたから作物が得られるようになったんじゃなくて、大寒波が来たから急激な気温変更に食物が反応して飢饉を免れただけだろ、たぶん」

つらつらと考察を述べるグリーン。
さすがはオーキド博士の元でフィールドワークを手伝いながら育ってきた者と言うべきか。
あっけにとられたレッドは、幼馴染の思わぬ才能の発揮に言葉を失った。

「ん、うぅ」

すると、そんな彼らの会話がうるさかったのか、リーフが起き上がった。
まだ眠いらしく、ごしごしと目をこすっている。

「リーフ!お前、大丈夫かっ!?」

やっと意識を取り戻したリーフに安堵し、慌てて尋ねるグリーン。
レッドも心配そうに彼女の様子を伺っている。

「んー、おはよ、レッドくん、グリーンくん。……あれ?」

ふと、不思議そうに自分の手を見つめた。
そしてぐーぱーと動かしたり、キョロキョロとあたりを見渡す。

「リーフ?どうしたの?」

そんな彼女の様子をみて、レッドが尋ねる。

「……真っ白で、何も見えない」

そういってリーフは、レッドたちの声がする方へ顔を向ける。
そんな彼女の瞳をみてレッドとグリーンは言葉を失った。



彼女の瞳は、青い硝子玉のように、色が透けてしまっていた。



*



あれから、5年の月日が過ぎた。
それ以降あんな心霊体験に見舞われるようなことはなく、平穏な毎日を過ごしている。
今でも、あの事件が夢だったんじゃないかと思うことが良くある。
ちょっとした好奇心が生んだ、ただの悪い夢だったんじゃないかと。
平和な日常を過ごす度に、そう思ってきた。


ただ、あれから5年経った今でも、
―――――リーフは目が見えない。


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