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「逃げるぞっ!」

最初に冷静さを取り戻したのは、グリーンだった。
姿が見えないにしても、この部屋に留まっていてはまずい、そう直感した彼が声をあげる。
その後はただ、無我夢中だった。
リーフの悲鳴に触発されたように、反射的に体が動いたのだろう。
無心でその部屋を飛び出て、扉を閉める。
壁に背を当て、睨み付けるようにその部屋を見ていた。

はぁっ、はぁっ、はぁっ、…

たった数歩走っただけであったが、呼吸が安定しない。
動悸も再び激しく脈打ち、汗がどっと噴き出る。
恐怖が、体を興奮させているのだ。

「もうやだ、もうやだぁ…っ!」

へたり、と腰が抜けたように座り込んだリーフが、涙を流しながら訴える。
精神的な限界が来たのだろう。
その呼吸も、もはや過呼吸に近い。
だがレッドとグリーンにも、もはや彼女をフォローする余裕は残っていなかった。
怖い、その思いだけが全身を支配していた。


*


どれくらいの時間が経ったのだろう。
数分か、はたまた数十分か。
体内の時間の感覚すら狂ってしまい、正確な時の流れが分からなかった。

ただ、突然リーフからすがるように握られた手。
その感触に、レッドとグリーンは冷静さを取り戻した。

「リーフ…」

優しい声で、グリーンが幼馴染の名前を呼ぶ。
そしてレッドは、彼女の頭をそっと撫でた。

「大丈夫だ。…ごめん、俺達、頼りなかったよな」

申し訳なさそうにそう呟くグリーンに、リーフはふるふると首を動かす。

「ううん、ごめんなさい…。違うの、レッドくんもグリーンくんも、何も悪くないの」
「リーフ、落ち着いて。誰も悪くない。はやくここを出て、マサラタウンに帰ろう。そしたら、きっといつもの日常だ」
「ちがう、ちがうの…」

力なく、リーフが繰り返す。
震えながらも、ぎゅう、と強く握られる手を、2人は無言で握り返した。

「(さっきよりも、ずいぶんと冷たい。まるで、氷みたいだ…)」

血の通っていないようなその冷たさに、内心焦りを覚える。
急がないと、やばいかもしれない。
彼らは必死で暖めるように、リーフが安心するまで彼らは彼女の手を握り続けた。


*


「…ごめんね、もう大丈夫だよ」

ゆっくりとリーフが繋がれた手を離す。
どれくらいの時間そうしていたのかは分からないが、ついぞリーフの手が温まることは無かった。

「ちょっと混乱しちゃってた。でも2人がいてくれたおかげだよっ!ほんと、ありがとう」

乾いた涙の後が、痛々しい。
震えはまだ収まっていなかった。
怖いのは、変わらないのだろう。
無理やり作った笑顔の下で、肩が震えている。

「落ち着いたか?」
「うん、心配かけてごめんね」
「いや、ボクたちこそ、守ってあげられなくてごめん」
「ううん、守ってくれてたよ。今も、ずっと。レッドくんとグリーンくんが手を握っててくれたから、わたし、この声も音も匂いも、気にしないでいられたの。本当に、すごく落ち着いたの」
「リーフ…」
「だから、ありがとう」

もう1度お礼を告げるリーフ。
声と音とは、先ほどリーフが下から聞こえると言っていたものだろうか。
俺達が感じない恐怖と、1人で戦っていたんだな…。
ただ逃げ、手を繋ぐくらいしか出来ない自分達の無力さに、悔しくなる。

「次は、絶対リーフを守る」
「グリーンくん…」
「うん。だから、安心して。ボクたちが付いてるよ、リーフ」
「レッドくん…」

真剣にリーフを見つめる。
リーフも、そのまなざしに応えるように、力強く頷いた。

「…理由はわかんねえけど、リーフが狙われてるのは間違いねえ。早いとこ原因なりを突き止めて、抜け出すぞ」
「あぁ。…次で最後の部屋だ、覚悟決めなきゃな」
「うん」

ジッと最後の扉を見つめる。
その部屋は、明らかに他の部屋とは異質な感じがした。
子供部屋とも、また違う、異様な雰囲気。
暗く、重たい空気だった。
入りたくない、という思いを必死で抑え込み、3人は扉の前へ進んだ。

「重苦しいな」
「うん…。怖い、ね」
「あぁ。…ボクも、本当はちょっと怖い」
「なんだよレッド、頼りねえな」
「うるさい、グリーンは怖くないのかよ」
「怖いに決まってんだろ!」
「ふふ、みんな怖がりだね」
「あぁ、でも大丈夫」
「だな。俺達3人一緒だからな」
「うん…!」

やっと、3人に自然な笑顔が戻る。
体の震えは収まらないが、不思議と、3人でいれば大丈夫だと、そう確信していた。

「じゃあ、開けるよ」

レッドが、扉に手を伸ばす。

ギギギギギ…

錆びついた音と共に、少しずつ開かれていく扉。



**



「………っ!」

扉を開けるとそこには女の子がいた。
幼い、幼い女の子だ。
ただじっと隣の部屋を見ていた。
こちらのことなど、全く関知していない。

瞬間、少女がゆっくりと、すべるようにこちらを向いた。
そして、歪な笑顔でにこりと笑う。

「あ…、あぁ…っ!」

その姿に、思わずリーフから声が漏れた。
反射的に逃げようとするが、体が動かない。
金縛りだ。

瞬間、スーッとこちらへ近づいてきたかと思うと、目の前で消える。


「なっ!?」

あまりのことに、声すら出ない3人。
すると。

ドンッ!!

「わあっ!」

突然、誰かに背中を押された。



部屋の中へ入った瞬間、バタンッと閉じられるドア。
叩いてみるが、何の反応もない。
ガチャガチャと乱暴にドアノブを動かすが、開かなくことはなかった。

「どうなってんだ…!」

グリーンがそう呟いた瞬間。
ふいに、背中が寒くなる。

「ひぃっ」

リーフの声が部屋に響く。
恐る恐る後ろを振り向き、彼女の目線の先を見る。

そこには、先ほどの、
――青い目の女の子が立っていた。

少女は、涙を流すように、赤い血を滴らせていた。
幼い少女の白い頬を、真っ赤な血がつたい、落ちる。
ぴちゃり、ぴちゃり、と赤い血が床を汚していく。

「あ、うあ…」

その姿を見た瞬間、再び恐怖を思い出してしまった。
もはや、ちゃんとした言葉すら出てこなかった。
いつの間に金縛りが解けていたのか。
しかし体が自由になったところで、恐怖で動かない。
へたり、と腰が抜けたようにリーフが座り込む。

こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわい…

再び、恐怖に脳が支配されていくのが分かる。
明らかに異質な空気を纏うその少女の存在、ただそれだけ、たったそれだけだ。
少女は、襲ってくるわけでも、話しかけてくるわけでもない。
ただ、立っているだけ。
それだけなのに、全身が恐怖した。
意味もなく涙が溢れ、嗚咽が漏れる。
それなのに、息の仕方すら分からなくなっていく。

こわい…

1度植えつけられた恐怖は、そう簡単にぬぐえるものではなかった。
それを見て、ニタリ、と少女が笑う。
その笑顔が、3人はただただ恐ろしかった。

『やっト見つけタ』

ガンッ、と頭に鈍い衝撃が走る。
思わず目を瞑ると、脳内に、映像が流れ込んできた。

『きれイな、キれイナ、真っ黒ノ瞳』




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