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09
中庭に足を踏み入れてみるが、連絡通路の時のように何かが起こる気配は無かった。急ぐ必要も無かったので、リーフが歩くペースに合わせながら、あたりを警戒しながら進む。
中庭の造りは中心に大きな池のある左右対称となっていて、教室棟、特別棟、昇降口に囲まれている。見上げた空は相変わらずの夕焼けで、そこに風は吹いておらず、ただ生暖かい空間だった。
「なぁレッド、まもるくんってどんな奴なんだよ」
「知らない」
「…はぁ?」
「聞いたことないんだ。たぶんポピュラーな話じゃないだけだとは思うけど…」
「ヒビキやコトネは?」
「ボクも初めて聞きました」
「私も…。もしかしたら、この学校限定の七不思議かもしれません」
この学校限定ね、と繰り返してグリーンは思考を巡らせる。自分たちの通う学校は、まだ寺子屋として年齢を問わず教えていた頃から考えれば、つい1年前に130周年を迎えた歴史と伝統のある学校だ。第一次世界大戦の始まる数年前に設立された、この地方で最も古いもの。聞いたことのない化物が言い伝えられているからといってもなんら不思議ではないだろう。
「いまのところ姿は見えないが、花子さんと同じように発動条件とかがあるのか?」
「そうだったらいいなぁ…」
「とにかく、姿が見えない内に池に行こう、ぜ…」
「どうしたんですか?グリーンせん、ぱ…」
言葉を途中で詰まらせたグリーン。そんな彼の視線を追えば、池の淵に座る小さな男の子の姿があった。コチラを見ているわけでなく、ただジッと近くの鉢植えを見つめていた。そんな彼の姿を視界に捉え、続いたコトネも言葉を詰まらせる。
見たところ普通の男の子である。10歳くらいだろうか。髪は黒いおかっぱで、灰色の制服を着ていた。レッド達の通ったこの高校と姉妹校の小学校も制服の学校だったが、それとは違った。彼らの制服は黒だったし、この男の子は軍帽のような帽子まで被っている。
「迷子、じゃないよな」
「…でも見た目は普通」
これまで出会ってきたのは皆、下半身がなかったり、焼けただれた跡だったり、口が裂けていたりと異形な姿をしていた。それに比べて、この男の子は顔色もよく、むしろ小奇麗だった。
「……まもるくん?」
恐る恐る、といった風にリーフが声をかける。すると、男の子がゆっくりと彼女の方へと顔を向けた。
可愛らしい容姿をしていた。瞳はぱっちりと大きく、頬はピンク色、それに幼子独特の少しぷっくりとしたほっぺたがさらにその愛らしさを助長させていた。
しかし、いくらその見た目が可愛らしいからといっても、6人の警戒心が解けることはない。いつ襲いかかってくるのか、ビクビクしながら様子を伺う。
「まもるくん、だよね…?」
もう1度、リーフが尋ねる。すると男の子はコクリと頷いた。6人に、緊張が走る。
「…やっト、帰っテきてクレた」
少しの沈黙の後、まもるくんがそう呟いた。独り言なのか、6人に話しかけているのかは分からない。ただそう呟くと、彼は小さく微笑む。いままで対峙してきた化物とは違う、子供らしい笑みだ。その笑顔をみて、ほんの少しだけ緊張が解ける。
しかしそれも、まもるくんが立ち上がった瞬間には元のピリピリと張り詰めた空気に戻っていた。グリーンがゴクリと唾を飲む。
「待ってタのニなァ…。マタ時間切れ」
1歩、1歩と、ゆっくり近づいてくる。今までで1番恐怖を感じない相手にも関わらず、なぜか体は動かない。ただ息だけを繰り返しながら、確実に近づいてくる少年から目を離せないでいた。
あと1m、それぐらいまで近付いて彼は足を止める。そして、にこりと微笑みながら小首をかしげた。
「次ハ、忘れナイでヨ…?」
そう言って手をリーフの方へ伸ばしながら、もう1度にこりと微笑んだ。レッドとグリーンでさえ反応できず、ただ一連の行動を見守るだけだった。
しかし。
「マタね」
「あ、ぁ…いやああああっ!」
彼の顔が、見る見るうちに腐っていったのだ。そしてすぐに辺りに立ち込めだす腐敗臭。
リーフの悲鳴により我に返ったことで、体は動くようになった。が、今度は恐怖で行動に移せなかった。つい先ほどまで透き通るように白かった肌が、紫色に黒くただれていくのだ。吐き気が込み上げる。
「フふフフ、アハハハは」
手を伸ばしたまま、腐りながら狂ったように笑いだす少年。
そして、
「きゃあああああ!!!」
彼の右頬の肉が ズルリ、と崩れ落ちた。
ベチャリッ、という生々しい音が響く。そのあまりの光景に、リーフが再び悲鳴を上げた。それでも腐敗はとどまることはない。右頬だけなくなった彼は、アハハと変わらず笑い続けながらギョロリと視線を這わせ、1人1人を見つめる。
突然、少年はガクリと膝を地面につく。左足が腐敗したのだ。地に伏しながらも、その右手は伸びたまま、笑い声すら止まらない。
ガクガクと体中が震えるのを感じながら、それでも6人は逃げることが出来なかった。ジリジリと後ずさりながらも、背を向けることにより大きな恐怖を感じていたのだ。
目の前で腐り、肉が削ぎ落ちていく男の子。息の詰まりそうな光景に、6人はただジッ耐え忍んだ。
*
「みんな、無事か?」
ずっと耳に響いていた笑い声が止み、骨すらサラサラと崩れ去ってから、やっとグリーンが口を開いた。その顔色は、お世辞にも健康とは言えないほど青ざめていた。
「…体には、異常ないです」
そう返すヒビキの顔色もまた、蒼白である。全員が今みた非現実的な光景を、五感で感じていた。正常な精神でいられる者など1人もいなかった。いつも冷静なレッドでさえ、眉間に皺を寄せている。
「リーフ、コトネ、無理してねえか?」
「…うん、へいき」
「私も、大丈夫です…」
「そうか」
明らかに平気そうな声色ではなかったが、敢えて追求することはなかった。
「んじゃ、さっさと池調べてみるか」
「ん」
もはや赤黒い跡だけ残り、人の形すら残っていないまもるくんの立っていた場所を避けて池の方へと進む。何事もなかったかのようにその水面は静まり返り、レッドたちを待ち受けていた。
「…あれが、俺達の世界なのか?」
池を囲うように覗き見る一同。その水面に自分たちの姿は映ってはいなかった。ただ、反転した中庭の風景のみが写りこんでいる。そこに映る空はコチラとは違いまだ青い。それを見て、自分たちが来たときの空の色を思い出した。
「…たぶん」
「でもどうすれば戻れるのかなあ」
「大鏡の時みたいに飛び込んでみる、とか?」
「失敗だったらびしょ濡れだな」
「まぁ、その時はその時ってコトネ」
それぞれが感想を述べていると、ふとシルバーが思い出したかのように口を開いた。
「…結局、七不思議の7つめってなんだったんだろうな」
一瞬、訪れる沈黙。
もう経験したいなんて思いはしないが、逆にこんな体験までしたのだから知りたかったという思いは、どこかにあったのかもしれない。
「さぁな。でも、知らない方がいい事ってあるんじゃねーの?」
グリーンの言葉に、シルバーは言葉を返すことなく小さく微笑んだ。そしてもう1度みんなで視線を交わし、頷きあう。
「……行くよ」
レッドを筆頭に、次々と池の中に飛び込んでいく。否、吸い込まれていった。バシャンと水が跳ねることなく、その池は6人を受け入れていく。大鏡を通って来たときと同じ、ぐるぐるとした浮遊感を感じながら、6人は反転した鏡の世界を後にした。
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