春千歳

「……比日野さぁ、休みの日に戸倉とどういうところに行くの」

 ぐりん、と正面で戸倉お手製の弁当をかっ込んでいた比日野がこちらを向いた。
 口に詰め込んだ米を飲み込むまでしっかり十五秒。

「とっとととと戸倉ぁーーー! 世紀の大事件だぞ戸倉ーーーーー!!」
「うるせぇな」
「うるさくもなるだろ! どうしたの京ちゃん!? 比日野くんに話してごらん!!」

 ぺちぺち額を叩いてくる手を振り払う。丁度トイレを探して席を離れていた戸倉が比日野の叫び声で戻って来てしまった。比日野が「岸に女の影が!!」とか言うもんだから、戸倉まで信じられないことを聞いたとばかりに「え!?」と口元を手で覆う。
 どいつもこいつもうざい反応しやがって。

「え、いつから!? どんな子!?」
「岸くんみたいな男を許容できるあたり菩薩みたいな子なのは間違あらへんと思うけどな……可愛い? 写真ある?」
「ない」

 ある。新詩はどうでもいい近所でも、とにかく出掛け先で何かを見つけるたび僕と写真を撮りたがったから。
 彼女は我儘を言わないし普段ああしたいとかこうしたいとか自分の考えを押し出してくることも稀だが、写真だけは何故か妙に粘るのだ。僕なんかと写真撮ってどうするの、と訊ねると、岸くんと撮るから意味があるんでしょう、と微笑んでいた。
 僕に合わせて背伸びしながら時折文句を言う新詩がおかしくて、わざと屈んだりせず突っ立っているだけの、記念写真と呼ぶには諸々のクオリティが低い写真が何枚か携帯に入っている。

 でもそれを比日野と戸倉に見せるのは惜しい気がしたので、写真なんて撮ったこともない振りをした。二人は「それもそうか……」と何故かすぐ納得して乗り出し気味だった身を引く。
 遠まわしに貶されているような気がするが、それはそれとして。

「そやけど、デートスポットなんて人それぞれやろ。その子のことわからなきゃアドバイスもなにもないで」
「うんうん。例えばデートだって言って事前に相談もなくディズニーとか連れてかれたら岸は心が死んでしまうだろ?」
「うん……」
「潔いまでに即答だなぁ」

 ……正直一度検討したことはある。多分新詩はああいう人の集まるテーマパークでもしっかり楽しめるだろう。しかしその隣にいるのが僕では彼女が哀れだ。
 僕の顔色を窺い、自分だけがはしゃいでいることに気付いて、少しずつ落ち込んでいく。花が萎れるように小さな頭が俯いていく。ふわふわくせっ毛の髪が元気を失くしていく。想像に難くない。

「当たり前だけど、合う合わないがあるんだよ。アドバイスするのはいいけど、ちゃんと一旦持ち帰って彼女と相談した方がいい」
「突然連れ出して引き摺り回すような誘拐未遂みたいな真似はしないよ」
「そりゃそうだ。彼女はインドア派? アウトドア派?」
「えー……」
「強いて言うならよ、強いて」

 強いてみても、新詩は多分、僕が行くと言ったら大体の場所にはついてくるだろうな、としか思えない。
 好きなのは水族館。出会ってからかなりの回数通った。行動範囲を広げて普段行かない離れた水族館まで巡った。さほど興味もない魚の話を何度したかわからないくらいには。
 いちいち大袈裟な表情でこちらを見上げる新詩の顔を横目に見るのが好きだった。

 新詩が笑うと、あの白々しいほど華奢な身体から滲み出る光が強くなる。曙光にも似た温かな光がこの両目を焼く。

 目を焼かれた僕には、大して変わり映えしないラインアップの展示を繰り返し眺めることも苦ではなかった。
 魚一つで一喜一憂する姿はちっぽけで、それでいて特別だった。直後に「寿司食う?」と訊ねた時の反応を含めて、期待を裏切らないというかなんというか(性格が悪いんだね……と静かに窘められた)。

「…………ゴリゴリのアウトドアでは、ない。いつも会う時は外だけど」
「ふむふむ」
「あー、じゃあ植物園とかどうかな? 天気関係ないし、お花めちゃくちゃ好きーではなくても、嫌いな女の子はおらんやろ」
「植物園」

 水族館と形式が似ているからか、植えられた植物を眺めてあれこれ喋る新詩が簡単に想像出来た。
 それは所謂デートスポットなのか。比日野と戸倉が「俺らも今度行ってみるかー」「うん」と話しているから、多分そうなんだろう。

「で、どんな子? 京ちゃんはその子のどんなとこに惚れたの?」

 うざったらしく両手で頬杖をついた比日野が顔を覗き込んでくる。顔を逸らしておにぎりを食べながら、こんな感じの質問新詩にもされたな、と付き合った夜のことを思い出した。
 どいつもこいつもこの手の質問を繰り返す。飽きないんだろうか。好意の理由はそんなに重要だろうか。わざわざ言葉にしなくても、眼差しや仕草や言葉の調子で、僕が彼女から目を逸らせないことも、彼女が僕を愛していることも明白なのに。

 僕が眉を顰めると比日野は笑い、「言葉にすることにも意味があるんだよ岸先生」と言った。

「診断が確定したら症状の説明するだろ。患者が知りたいこと、俺達医者が知っていること。言葉の限りにさ。"知らない""わからない"は怖いから知りたがるんだ。言葉で安堵を得る。それと同じようなもんじゃないかなぁ」
「"知らない""わからない"方がいいって奴も一定数はいる」
「はーい屁理屈ー。そんなことばっか言ってっと早々にフラれるぜ岸く〜ん」

 例えその理論が正しくても僕が新詩のことを話す理由にはならないだろ。
 微妙な気持ちで比日野と睨み合っていると、戸倉が仲裁でもするかのように優しい子なんだろうねぇと言いながら魔法瓶の蓋を開ける。紙コップにお茶を注ぎ、比日野に差し出した。

「……人が好すぎて、ヘンな奴を引き寄せて損ばかりしてる。知り合ってから少なくとも三度は不審者を追い払った」
「え? 警察呼ぶような事案?」
「一歩間違えばそれもあった」
「……怖い話してたっけ……?」

 怖い話に分類してもおかしくはない。本当に、今までどうやって生きてきたんだと問い質したくなるくらい彼女の周囲は奇人変人と危険に満ち溢れていた。
 待ち合わせ場所で見ず知らずのオッサンに腕を引かれてどこかへ連れていかれそうになっていた時は流石に肝が冷えたものだ。あの事件を経てから新詩を外で待たせておくことがいかに危険か身に染みてわかった。
 あれは最早生まれ持った才能だ。普通の人間じゃああはいくまい。

「早くに親を亡くしてる。……ただ優しいだけじゃない、どこか陰があるから、それに惹かれて集るのかもな」

 そう呟くと、会ったこともないくせに戸倉が少し寂しそうな眼差しになった。僕の周りには感受性の強い人間が多すぎて困る。
 戸倉はもう一つの紙コップにお茶を注ぎ、こちらに差し出して言った。

「ほな、猶の事その子のこと、岸くんが幸せにしたってな」
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