「新しい仕事を教えようと思う子が、何人かいます」

 そう言って、仕事の合間に作っていた教育要領を取り出す。
 応接室の机を挟んで向かい合う東仙隊長は、お茶の入った湯呑を片手にどこか嬉しそうに微笑んだ。

「教えてもいいと思える隊士がいたのか、それも複数人」
「ええ。今年は平均して出来がいいと思います。喜ばしいですね」
「全くだ」

 半分開けたままの引き戸の隙間から、爽やかな風が吹き込んできては、時折甘い花の香りを運んでくる。
 今現在の九番隊舎内で、東仙隊長と互いに腰を下ろし落ち着いて話が出来る場所は応接室しかない。そもそも応接室は来客を受け入れる場所であって会議室では無い、と隊長と私は自分に言い聞かせるように繰り返しているけれど、今のところ代替案が出た試しは無かった。大前提、来客の頻度が高くないのだ。
 別に四六時中応接室を占拠しているわけではない。訪問があればすぐに片付けられる。そもそも滅多に人は来ないし……という具合に、ずるずる使用を続けてしまっている。

 何より、日当たりがよく隊舎内の隊士達の様子を大まかに音で把握出来る位置にあるこの部屋は使い勝手がいいのである。
 この部屋で隊長と内議をするたび、彼につられて少しずつ私も聴力が鍛えられていっている気がしてならない。これは足音で人を判断できるようになる日も近いぞ、と内心気にしていたり。

似てるんじゃなくそのものなんだよ


 教育要領を掻い摘みながら一通り説明し、東仙隊長が気になった箇所に適宜答え、時折訂正や補足を入れていたら、あっという間に四半刻が経っていた。

「……とまあ、色々言いましたけど、あまり先々計画を立ててこちらが先走っても仕方がないので、本人達の意志を確認して。あとは習得の速度如何になるんですが」
「反対意見は無いよ。細かい微調整は水月に任せる」
「はい、任されました」

 急須から湯呑にお茶を注ぐ。少し冷めてしまっていて、もう湯気は立たなかった。
 それを口に含み、少し考えてから「……少し心配なのが、」と切り出す。

「特に昇進を期待している二人とも、卒業成績はバランスが取れていていいんですが、実技、実戦においてはそれぞれ種類の違う不安要素があるように思います。皆戸くんは経験不足と自己肯定感の低さによるものだと分析しました。……こちらはとにかく現場で回数を重ねながら本人と対話していくしかないと思うので、長い目で見ていただければ」
「卒業したばかりの新人に不相応な期待はしないさ。万が一があっても、うちの隊士は皆大抵のことでは怯まない」
「そうですね」
「最後の砦に水月もいることだしな」
「はて?」

 最近の東仙隊長は笑っていれば私が誤魔化されると思っている節がある。
 別に貶されている訳ではないからこれ以上追及はしないけど、あんまり適当なことを言われても困ってしまうなぁ。

「それで、もう一人の方は?」
「……檜佐木くんの方は、皆戸くんとはまた違う感じで――」

 ――あれはきっと、戦うことへの懼れ。
 状況的には同期入隊隊士を眼前で負かしてみせた私に怯えていると考えても違和感は無い。無いけれど、それは違うだろうと直感している。

 あの一瞬。
 呼吸の仕方を忘れてしまったような表情を浮かべた血の気の引いた顔。
 戦慄く唇が零そうとし、けれど音になることは無かった言葉は、結局聞けず仕舞い。

 顔に残る傷跡と何か関係があるのかしら、と想像はする。けれどまだそこまで踏み込んでいけるほどの信頼関係を築けているとは思わない。
 たとえ築けていたとしても、踏み込むのは私以外が適切だ。
 黙り込んだ私の方へ顔を向け、東仙隊長は湯呑を置くと「改めて状況を整理してみようか」と言った。

「入隊後初めての白打の修練中、御門靖が皆戸由良と行き過ぎた・・・・・試合を行った。水月は初動が重要と考え、御門の人格を考慮したうえ、観衆の前で御門に指導を行った。そうだな?」
「はい。以降御門くんとは一切目が合いません。恐らく嫌われました。悲しいです」
「まあその悲しみは追々。――その直後、御門が抜けたことで合わなくなった人数の埋め合わせの為に水月が檜佐木修兵と組手を行った。その講評中、檜佐木の様子が気にかかった。……私が当日に受けた報告は以上だ。記憶と何か相違点はあるか」
「ありません。忘却していなければ……」

 机の端に置いていた手帳の、当時の日付の頁を捲る。「……していないようです」辞書のようになっている記録の文字を目で追いながら頷いた。
 手帳に出来事を記録した後、その記録をもとに東仙隊長に事後報告をしたんだから。内容が食い違っていたら困ってしまう。

「彼が心に抱えている問題が何なのかわからない以上、下手なことは言えませんし出来ません。ですが護廷十三隊に入隊した以上、『戦えません』は通用しない。何より彼が、それによってより深い傷を負いかねないから……」
「刀を握ることは問題無いのか」
「……どうでしょう。竹光を持たせて素振りをさせた時は問題無いように見えましたが、対人になると、少し。"刀を握る"、"対人"……いえ、敵を想定した状況そのものに所以のある反射なのかも」
「霊術院時代に何か事故や事件に巻き込まれたか――或いはそれ以前の問題か」
「……」

 どちらともなく口を閉ざした。訪れた沈黙の間を縫うように、修練場の方からは竹光同士をぶつけ合う激しい音が聞こえてくる。
 その音に耳を傾けながら、陽光に照らされる隊長の、褐色の頬をぼんやり眺めた。こうして机を挟んで話をしていると、私達が上司と部下になる以前の頃の気持ちが微かに息を吹き返してくるような気がした。
 真っ当な振りをしていると、自分が何故この明るい部屋に罪のあるまま留まっているのか、忘れてしまいそうで。

 耳奥に蘇る聞こえるはずのない湿った音を、頭を振って振り払う。

「どれだけ時間が掛かるとしても――彼を戦士にします」

 結果として彼自身が何を思い何を決めようとも、始まりに刀と伴に在ることを選んだのは彼自身なのだから。
 少なくとも私は、戦士としての路を示してもらったから今を生きている。私にはこれ以外に檜佐木修兵という青年を救う手立てが無い。
 彼の恐怖の所以は未知だけれど、恐怖そのものは既知だ。

 懼れはやがて、泥のように足を縺れさせる。
 恐怖心をただそれとして飲み干す方法を彼はまだ知らないだけ。

「檜佐木は戦えると思うか、水月」

 愚問だと思った。
 東仙隊長は、わざわざ問わずとも私が何と答えるかわかっているはずだ。


「戦うほかないと識っていることこそが、何にも勝る恐怖です」


 独り言のように言って、片手で手帳を閉じる。乾いた音が鳴り、それを合図に東仙隊長がふっと表情を緩めた。
 ……大体、檜佐木くんを昇進候補筆頭に据えた私に待ったをかけない時点で概ね同じ意見だろうに。
 私が檜佐木くんを試そうとしているのと同時に、東仙隊長も私を試しているのかもしれない。他者を試すに相応しい冷徹さと客観視が私にあるかどうかを。
 机の上に広げていた書類を揃えていると、隊長が廊下の方に顔をやって「水月がつくのなら皆戸も檜佐木も問題無いだろう」と呟いた。

「君は他人の心が解る人だから。ただ、無理はせず分担出来る仕事は分けるように。新人指導にかまけて残業ばかりしていたら、流石に対策を考えなければいけなくなる」

 九番隊が再始動してから、東仙隊長はよく「心当たりはないのに人事局に勤務時間超過を心配されている」とぼやいている。
 正直十二番隊の頃よりは圧倒的に労働時間が少ないので、これしきで苦言を呈されるのはちょっと納得がいかないけれど、まあ、余計な心配をかけさせていると思って甘んじて受け入れよう、という姿勢だ。

「ふふ。もしそうなったら仕事を教える振りをして誰かに押し付けちゃうかも」
「嘘だな。そんな器用なこと出来ないだろう、君は」

 そよ風が頬を撫でて心地いい。風の温かさで明るい方がわかるから廊下の方を向いているんだろう。
 心なしか呆れを滲ませた東仙隊長の言葉には答えず、目を伏せ微笑んだ。

「いい風ですね」
「ああ、そうだな」


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