真央霊術院を卒業し入隊した隊士がまず初めに覚えるのは、自隊の受け持ち場所と守護配置、そして報告書の書き方だ。
 現世駐在任務や虚の討伐など覚えることは他にもあるけれど――死神の主だった仕事は瀞霊廷の守護。特に駐在任務は、就くことが決まったらその時に手続きや内容を教える……有り体に言えば後回しでいい。

「廷内守護の訓練、本当に必要なのかなってこの時期になると毎年思うんですけど」
「君がそれを言うか」
「だって、名目上の訓練なんて、彼ら霊術院で飽きるほどこなしているでしょう。最終的に配置場所に辿り着ければいい訳ですから、それなら演習や討伐の方に重きを置いた方がより実践的な訓練になると思うんです」

 苦笑する東仙隊長の手元に書類を差し出すと、難なく判が捺される。
 新人教育の方針は厳密な決まりが無いので、隊独自の色と言うか、特徴がよく出ることが多い。
 恐らくどの隊も廷内守護、演習、事務処理の三点を中心に教育計画を立てていくことになると思うが、私はその中の廷内守護については十二番隊時代から疑問を持っていた。

 守護と言ったって、日々の仕事は巡回だけだ。何度も何度も巡回指導を繰り返す意味が正直よくわからない。
 もちろん巡回路や注意点を指導することは必要だけど、本当に重きを置くべきなのは実戦訓練の方だと思うのだ。

「ほとんど慣習のようなものだからな。今年の指導の結果を見つつ、来年度からは教育計画を変えてみるか」
「ええ、そうしましょう。十一番隊を目指す訳じゃないけれど、その方が死神らしいと思いますし、空いたままの席次も候補が増えますよ」

 書類を回収しつつ息を吐くと、指先に判子を摘まんだままの隊長が苦笑した。

「君、なんだか昔と比べて血の気が多くなってないか?」
「ええ、そう思いますか? 嫌だな、私はただ一刻も早く人事局からの催促を止めたいだけなのに……」
「……まあ、それも一理あるけれど」
「でしょう」

 別に隊士達を追い立ててまで取り組むべき急務ではないけれど、空の席次がいつまでもあることもまた問題だ。
 これ以上問題を先送りしない為にも、早め早めに先手を打って後進育成に着手するべきだろう。ようやく副隊長不在ながらに東仙九番隊の運営が軌道に乗ってきて余裕が生まれ始めているのだから、今やらない手は無い。

「とは言え、新人や他の隊士を追い詰めるつもりは無いので。もしやりすぎだと感じたら止めて下さいね、隊長」
「勿論。私の言葉で止まってくれればいいが」
「いやいや、私のことなんだと思ってるの」
「ははは」
「何の笑いですかそれは」

望ませないために何ができるか


 午後からは道場で白打の指導がある。新人達の実力を確かめる目的もあり、新人同士で一通り組手をさせた後、現役隊士との組手も時間内で予定していた。
 午前の廷内守護の指導は他の席官に任せていたので、交代で指導と観察に入ることになった。

 板張りの道場で足袋を脱ぎ、裸足になった新人達が思い思いに体術を繰り出すのを眺めながら、あの子は筋がいい、あの子は少し苦手そう――などと手帳に簡易的に書き記していく。
 はじめは観察されていることに緊張しているような面持ちだったが、やっているうちに霊術院の授業を思い出したのか、手つきや足さばきが慣れたものに変わり始めていた。

「水月三席、どうですか」
「どうって……うーん、皆基礎はいいんじゃないですか。霊術院卒業してるだけある」

 隣で様子を見ていた阿佐部八席が苦笑を浮かべる。求められていた感想と違ったのかもしれない。
 でも、一人ひとりの評価を今此処で声に出してしまうのもまた違う気がするし。本人に聞こえる場所で口にする評価は扱いが難しい。起爆剤にも鎮静剤にも成り得る。
 結局首を竦め、「見どころがありますよね」と無難な感想を口にした。

 ――と。

「うぐっ」

 ダンッとひと際激しい音が響き渡る。
 呻く声のした方に目を遣ると、華奢な男の子が、大柄な男の子に背負い投げか何かをされたのか床に転がっているところだった。
 大の字になったまま、背中を強く打ち付けたのか、呼吸が上手く出来ずに口をはくはくと開閉させている。

「……乙子さん、今のは……」

 流石に目に余ったのだろう。阿佐部くんが思わずと言った風に顔を顰める。
 「公私混同はしません」と普段は頑なに席次で私を呼ぶ彼が、知らず知らずのうちに呼び方を誤ってしまうほどに、一連の技は暴力的であり、誇示的であった。
 私はと言えば、ここまではっきり自我と自尊心の強いひとを久し振りに見たので、驚きや呆れよりも感心が勝ってしまっている。

「ふふ、まだ院生の気持ちでいるんですね。可愛らしいじゃないですか」

 ――と言いつつ、今のはちょっと見過ごせないなぁ。
 入隊してまだ日も浅いのに怪我だなんて可哀想だし、九番隊が修羅の国か何かだと思われてしまうかもしれない。

 仕方なく手を叩き組手を中断させ、道場に散らばっていた新人達を呼び戻す。
 汗を滲ませ肩で息をする面々の顔ぶれを流し見ると、先ほどの大柄な男の子に「御門くん」と呼びかける。

「凄まじい音で驚きました。君は白打が得意なんですか?」
「はい、白打と剣術には自信があります」
「そうなんですか。では、新人同士の組手ではもしかしたら物足りなかったかもしれませんね。配慮が足らずすいません」

 いえ、と答える声は至極従順、であるように聞こえる。
 彼の人となりは詳しく知らないが、自己顕示欲が強いのかな、という印象を受けた。この場で最も席次が上である私に指名され、話をしている。これから褒められると思っているのかもしれない。
 そんな状況そのものに満たされている両目はとても眩しく、こちらの目が眩みそうだ。

 道場内に集められた隊士達の視線が私と彼とを見比べ窺っている。
 普段あまりこういう場に出てこない私が、よりにもよって新人に声をかけたことで緊張感が高まったようだった。恐らく、私が何を考えているのか、そしてこれから何が起こるのかについて。

 居心地の悪さに後ろ髪を掻きながら、小さく息を吸う。
 吐く。

「じゃあ、ちょっと私と組んでみましょうか」
「……は」

 隠すことのない失笑が浮かぶ。
 体格もよく、背の高い彼と、お世辞にも体格に恵まれているとは言えない私。もしかしたら、先んじて勝敗が脳裡に浮かんだのかもしれなかった。
 霊術院を卒業したばかりだって言うのに、自分で言うのは嫌だけど現役の席官相手にどうしてそう都合のいい妄想が勝ってしまうんだろう? 随分楽しい子なんだな、と印象を少し改める。

「あら、私とでは不満でしょうか? 隣の阿佐部八席と代わってもいいんですが。私より彼の方が、貴方と背丈が近いですから」
「いえ、光栄です。三席自ら指導してもらえるなんて」

 力の誇示。――隠し切れない光を灯す双眸に促され、観衆のいない道場の中央へ進む。
 九番隊に異動してから、毎日欠かさず剣の方は鍛えてきたつもりでいるけど、白打で対人戦など久しくこなしていない。
 せめて恥ずかしくない打ち合いが出来ればいいけれど。


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