今回の演習で行う一騎打ちの勝敗は、仕合っている当人達の降参か、一騎打ちの講評を担当する東仙・浮竹隊長のお二人による「止め」の掛け声で決まる。
 わざわざ広大な第二演習場を使用するので場外などは無く、単純に力で相手を負かすか、隊長二名にこれ以上は危険とみなされるかの二つに一つだ。
 他所の隊と比べて穏健な雰囲気のある十三番隊と九番隊でこういった形式の演習を行うのは珍しいことだと思われるかもしれないが、ここ数年は他の隊も個人の実力を重視する演習や模擬仕合をよく行っている。
 恐らく他意や複雑な思惑なんてものは無い。ひとえに実力のある隊士を見出す為だろう。

 十三番隊は漸く隊長格が揃ったが、他の隊はまだそうではない。
 それは九番隊も例に洩れず、対海燕さん要員のおまけ的な私を除く出場者には、この演習の内容次第ではこの秋〜冬にかけて昇進の打診を順次行い、来春には一斉に席官の空席或いは副隊長の座を埋めてしまおうと東仙隊長と決めていた。
 ……なので本当に、ほんとうに私はただのおまけ出場だ。
 対戦は最後に回されると言われたので、順番が来るまで他の隊士達の実力をゆっくり観察させてもらうことにする。

どんなばかげた戯言でもいい


「檜佐木くん」
「――っハイ!」

 今まさに十三番隊の同期入隊者と戦っている皆戸くん――の様子を演習場の内部に設けられた待機場兼観覧席(申し訳程度に茣蓙を敷いてある)から食い入るように見ている檜佐木くん。
 その横顔があまりに白かったので思わず声を掛けたのだけど、突然熱した火箸でも当てられたような仕草でぐるんとこちらを振り返ったので、少し驚きながら「ちゃんと息吐いてますか?」と薄い背中を擦った。

「吸ってばかりも苦しいですからね。ちゃんと吐いて、それから吸って……」
「す、すいません……乙子さん、あの、俺……」
「謝るところじゃないです。いいんですよ、緊張するのは当たり前ですから」

 どれだけ息を吸っても酸素が回ってこない焦りには覚えがある。「ね」と三白眼を覗き込み微笑むと、彼は強張った頬を一層引き締め頷いた。……緊張や不安をやり過ごす術を知らなさすぎるのかもしれない。
 きっとこれまで苦しい場面が何度もあったろうに、そのたびに愚直に正面から自分の感情に向き合って来たんだなぁ、と羨ましいような妬ましいような錯覚を覚えた。

 不要な懐古から目を逸らすように、演習場の方に視線を戻す。
 開始直後は対戦相手同士で緊張して動きがぎこちなかったが、冷静になれば皆戸くんは同期と一騎打ちで充分戦える実力を持っている。斬術の粗を上手く鬼道で補って、勝敗の天秤は彼の方に傾き始めていた。

「彼は凄いな、もう複数の鬼道を同時並行で使えるのか」
「霊圧の燃費が良いんでしょう。後は本人がそれを自信に思えれば文句は無いんですが」
「今期入隊者であそこまで立ち回れる奴はそういないだろうからなぁ。九番隊は豊作だったらしい」
「隊士達の指導が上手いんでしょう」

 隊長格二人は穏やかに観戦している。
 縛道の六十二『百歩欄干』で相手の退路を塞ぎ、本命の六十三『鎖条鎖縛』で相手の自由を奪って確実に攻撃を当てる。頭の中で常に最適解を計算し続けている彼だからこそ出来る技だ。新人であれだけ出来れば間違いなく優良可を飛び越えて秀がつく。
 東仙隊長の言う通り、総合的な実力では文句無しの優秀者にも関わらず、皆戸くんは斬術や白打……己の実力で敵を破り切れない自分を卑下する傾向がある。
 戦い方が派手だと確かに目を惹くけれど、死神の本分は見世物になることではなく確実に敵を倒し瀞霊廷を守ることだ。
 早いうちに見えない相手への劣等感と折り合いをつけて意識が変われば彼はまだ化けるだろう、というのが九番隊教育係達による皆戸くんへの評価だ。

「――ッ参りました!」

 皆戸くんの斬魄刀が対戦相手の頸に鋒を向けている。お互い胸を大きく上下させ息も絶え絶えと言った風だが、皆戸くんの顔にはまだ幾分か余裕があるように見えた。

 初戦は九番隊の勝ち。次戦は檜佐木くんの番だ。
 皆戸くんが待機場に戻ってくるのを顔面蒼白で見つめて硬直している檜佐木くんの背中をばちん! と叩いた。
 一騎打ちが終わり静かだった演習場にその音は存外大きく響き、隊長格も他の参加者も、場外から見学している他の隊士達も何だなんだとこちらに注目する。檜佐木くんは口を開けたまま「は」とか「う」とか呻いている。
 私は口角を上げ、言った。

「負けたら基礎訓練一から通しでやり直し、辞退は私と百本勝負が妥当でしょうか?」

 悲鳴を上げながら檜佐木くんが待機場を飛び出していった。

 半泣きの後ろ姿を目で追いつつ、くつろいでいる海燕さんが「こえー上司だな」と揶揄うように言ってこちらを一瞥する。

「慎ましやかなのは良いことですけど、戦う前から逃げ腰では困りますから」
「乙子が怖くて震えてたんじゃねえの、あの新人」
「あら、それなら良いんですけど」

 ……本当に。それだけのことなら単純で良かった。
 せめて傷口が広がるようなことにはならないと良いのだけど、と心の中で溜め息を吐いた。



 檜佐木くんには苦しい戦いになるだろう、と始まる前からわかっている。
 何せこの一騎打ちは相手が降参するか、外野から待ったが掛かるまで戦いが終わらない。自分の意思や都合で戦闘を切り上げることは出来ないのだ。
 真剣を握り、人と相対する状況では、正直今の檜佐木くんが正常に戦い抜けるとは思えない。
 彼はまだ対人戦において刀を下ろさずいられたことがない。勝ちを諦めている訳ではないけれど、負けを受け入れていることだけは確か。

 今回の一騎打ちで、檜佐木くんがどこまで自分の恐怖心に耐えられるか。
 彼が戦うべきは十三番隊の新人ではなく、己の内から湧き出る恐怖そのものだ。

 十三番隊の隊士が先に動き出す。斬魄刀を抜き、正眼の構えから斬りかかる。
 檜佐木くんは開始位置のまま、自らの斬魄刀でそれを受ける。黒鉄の刃同士が咬み合い、一合、二合と打ち合う。瞬歩で二人の位置が入れ替わり、鍔迫り合いになる。
 檜佐木くんが重心移動で上手く相手の斬魄刀を払い除け、手のひらを相手に向けた。

「破道の三十一『赤火砲』!」

 魔弾のような赤い炎が放たれる。斬魄刀で切り裂かれた霊圧の塊は複数に割れ、荒れ放題の更地を木っ端微塵に砕く。
 疎らに薄く生えていた芝の焦げる煙と土埃で視界が悪くなる。まるでそれを待っていたように、檜佐木くんが全力で地面を蹴った。
 強い踏み込みの一歩。草履の底が地面を擦り砂埃を舞わせる。剥き身の斬魄刀を右手に握った影が、後退し距離を取った相手へ一直線に迫る。

 見学者が沸く最中、私は檜佐木くんの意外な選択に目を瞠った。
 待機場にいた顔面蒼白の彼が、まさかここに来て正面からの直接攻撃を選ぶとは。敵のいる状況で自ら刀を揮うことには拒絶反応に近い忌避感があったはずなのに、地面を抉るほど鋒を低めた下段からの切り上げは予想の斜め上だった。
 檜佐木くんの斬魄刀が相手の肩を掠める。
 腰から仰け反った相手を深追いしすぎて前傾姿勢、勢い余って倒れ込みそうな体勢から次の一歩で無理矢理持ち直す。連撃に入るかと思われたが、檜佐木くんは転倒間際に持ち堪えると、そのまま瞬歩で場内の岩陰に移った。
 修練用に均された他の演習場と違い、木々や剥き出しの岩、在る物は在るまま壊れたものは壊れたままに放置されているのが第二演習場の良さだ。

「……見るからにビビってる癖に視野はそこまで狭くねえ。やるな、あいつ何て言ったっけ?」
「檜佐木修兵くんです」

 海燕さんは感心したように顎を擦る。これほど広い空間を使っていいと与えられても、新人同士だとどうしても場が狭くなりがちだ。
 緊張と不安からお互いの鋒くらいしか見えなくなり、馬鹿の一つ覚えのように剣戟の応酬、最終的にはただの力比べとなってしまう例も少なくない。
 せっかく他隊の隊士と広い場所で実践的な模擬戦が出来るのだから、試せるものは試せばいいし、使えるものはとことん使った方が良い。まだ学ばなければいけないことが多い新人だからこそだ。
 その点、先程の皆戸くんの戦いは小規模にまとまり過ぎていたかもしれない。実際、虚や外敵と戦うことを想定するなら周囲にあるものや環境を利用して立ち回った方が有利に立てることもある。
 海燕さんの言う通り、あまりに顔面蒼白でガチガチに緊張していたので少し心配していたけど、檜佐木くんは檜佐木くんなりに緊張や不安と戦いながら、新しい戦い方で自分を試そうとしているのかもしれなかった。
 その気概が見えただけでも、方々を回って申請書や許可証を掻き集めて場を整えた甲斐があったと言うものだ。

 新人同士の真剣勝負では、まだ斬魄刀主体の戦術は見られない。
 そもそも斬魄刀は霊術院を出てから得られる武器だ。自らの内にいる斬魄刀の本隊と対話をして"名"を聞き出さなければ始解は出来ない。
 入隊して日が浅い隊士達の斬魄刀は、ほとんどの場合鋭利な刀の域を出ない。
 すると必然――

「破道の三十三『蒼火墜』――!」

 十三番隊の隊士が檜佐木くんの身を隠した岩の方へ青い炎を放つ。それを追いかけるように術者本人も斬魄刀を構え飛び出す。

 ――このように。霊術院で習った鬼道をふんだんに使用した戦いになる。

 蒼火墜が岩を破壊すると同時に、上段に構えた刀が振り下ろされる隙間を縫って黒い影が跳躍し、少し離れた大木の影へ。崩れた大岩の破片を足場に方向転換し、逃れた檜佐木くんを追って再度刀を振り上げる。
 普段の戦い方とはまるで違う。速度重視で障害物の間を跳び回る檜佐木くんの動きを追って、対戦相手はあっちへこっちへと振り回されていた。
 時折飛んで来る破壊された破片を縛道の八『斥』で弾きつつ、瞬歩を織り交ぜながら演習場内を跳び回る檜佐木くんを目で追った。檜佐木くんの顔に汗が浮かんでいるのが見える。

 場外では見学する不参加の隊士達が、逃げ回っているともとれる檜佐木くんの挙動に野次を飛ばしそうな雰囲気を漂わせ始めていた。
 剣呑な空気を背に、海燕さんは膝に手をついてじっと場内の様子を観察している。

「……そっちの檜佐木、随分頭脳派なんだな。見た目だけ見たら斬魄刀ぶん回して一直線に向かって来そうな顔してるのによ」
「そうですね、見た目だけなら。でも彼、思いのほか繊細で真面目な子ですよ。勿論頭も良いですけど、ここまで戦い方を変えて来るとは……」

 答えはすぐに、目に見える形で現れた。
 檜佐木くんを追いかけて跳び回っていた十三番隊の隊士が、唐突に演習場の中央で動きを止めた。

「……おい、どうしたんだ、あれ」
「なんか変じゃねえか?」

 演習場の外がざわめき出す。違和感の正体は目を凝らせば視認可能だ。
 木々と木々の間を繋ぐように。あるいは枯れた大木から地面へ。障害物同士を結ぶ、無数に曳かれた『伏火』の細い細い罠。

 破道の十二『伏火』。低級鬼道ながら、あの糸と呼んで差し支えない細さで霊圧を編むのは、霊術院を出たばかりの彼には至難の業だった筈だ。それを成し遂げてしまう確かな実力が、彼を主席卒業生たらしめる所以なのか。

 檜佐木くんが広い演習場内を体力を削ってまで移動し続けていたのは、各所に『伏火』を張り巡らせ相手の動きを止める為だった。
 捉えられるかどうかギリギリの速度で移動しながら各所で大きな攻撃を続け相手を翻弄していたのは、相手の注意を自分へ集め、場が整うまで周囲に散りばめた霊圧の残滓を気取られないように。

「檜佐木、お前……!」
「……悪いな。正面切って競り合える程、俺は自分を信用出来てねェんだ」

 刀を構え直す。檜佐木くんが『伏火』の網目を掻い潜り飛び出した。
 相手は一瞬躊躇った。「破道の五十四――」彼は自分を取り囲む霊圧の網に向け炎を放つ。「――『廃炎』!!」
 斬りかかった檜佐木くんが中央へ到達するより先に、『伏火』の網に炎が燃え広がる。十番台と五十番台の強度と威力は比べるまでもない。
 ある一定の範囲まで『伏火』に燃え広がると、炎は一度大きく激しく燃え上がり、煙を上げながら一気に網を焼き切った。
 視界を遮る煙を斬魄刀の一振りで切り裂き、煙の向こう側に居るはずの檜佐木くんへと語りかける。

「これで仕込みは無駄になった! 次はどうするんだ、ひ」

 さぎ、と続くはずの声が途絶えた。
 斬魄刀を振り上げ攻撃態勢に移っていたはずの檜佐木くんは、両手を突き出して明らかな鬼道使用の体勢を取って相手が姿を現すのを待ち構えていたからだった。

「破道の五十七……『大地転踊』」

 周囲に散在していた岩の破片が、その大きさや重さを無視して動き出す。
 彼が無暗矢鱈に障害物を破壊しながら移動していたのは、この時の為でもあったのだ。
 彼はどちらを本命として動いていたのだろう。『伏火』で相手の動きを封じて降参を引き出すつもりだったのか、それともそれは『大地転踊』での物理攻撃の為の布石だったのか。
 何にせよ、『大地転踊』に決着をつける威力は期待出来ない。攻撃も大ぶりだ。破道ではあるけれど、あくまで補助技の側面が大きい。
 ああ、けれど、本人もそれは承知しているようだった。

 岩々が鋭利な切っ先を相手に向けて放たれる。
 もう誤魔化しも攪乱も必要ない、敵は撃ち出される岩石を回避しながら檜佐木くんを迎え撃たなければならない。
 檜佐木くんも、今度こそ決定的な一撃、それを自分が揮う覚悟を決める必要がある。
 逆に言えば、檜佐木くんは今まで自ら決定打を放つことを避けて行動していた。搦め手の準備に時間と霊圧を割き、直接攻撃はしなかったのだ。
 だからこそ、お互いが今ここで決着を付けなければならない、と直感している筈だ。
 飛び交う礫を掻い潜り、互いの斬魄刀が今一度交錯する。


「――、あ」

 勝敗を分けた要因を強いて上げるなら。
 細かい作業で霊圧を消費したことと、それから。
 これだけの大勝負を仕掛けておきながら、檜佐木くんの身体が結局は戦いそのものを拒絶してしまったことだろうか。


 声も無く檜佐木くんの身体が前につんのめるように崩れる。見えない壁にぶつかったかのようだった。
 勢いで刀は地面を転がり飛んでいった。直前まで斬り合う筈だった相手が突如視界から消失したことで相手は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに地面に倒れ込んだ檜佐木くんを再捕捉し、その背中に鋒を突き付けた。
 それで全ては決着したのだと、その場にいた全員が理解した。

「止め! ……西條、檜佐木、よく戦ったな!」

 浮竹隊長の制止の声で、十三番隊の彼は肩の力を抜きその場に尻もちをつくように座り込んだ。檜佐木くんも、うつ伏せでいた身体をごろりと仰向けに転がし、口を開けて必死に息をしていた。
 お互い動き回って体力と集中力の限界だったのだろう。

 隣で海燕さんが「九番隊、粒揃いじゃねえか」と言ってこちらを見る。
 私は地面に倒れたまま起き上がれない檜佐木くんの方に目を向けたままそれに頷いた。

「十三番隊もですけどね。一勝一敗かぁ」
「ほー? お前のことだから"勝敗は二の次ですよ"とか言うかと思ってたけど?」
「あまり負けが続くようだと野次馬が増えそうなので」

 海燕さんは意外そうに目を丸くした後、大笑いしながら私の背中を思い切り叩いた。それに息を詰まらせつつ観覧席を立つ。
 場内で動けずにいる檜佐木くんの方へ歩み寄ると、細かい擦り傷の出来た腕を両手で掴み、彼の身体を起こす。檜佐木くんはそれで漸く朦朧としていた意識が戻ってきたようで、私の顔を見るなり挙動不審になった。

「後ろがつっかえてますから、とりあえず観覧席まで除けましょう。歩けますか?」
「き……基礎訓練、やり直しですか……?」

 疲労困憊の身体に鞭を打って立ち上がろうとする檜佐木くんが震えた声で言った。脅し半分冗談半分のつもりだったけど、私の言い方が悪いのか真に受けすぎる彼が悪いのか。
 あまりにも悲愴なこの世の終わりみたいな絶望感を全身で演出しているので、思わず噴き出しそうになるのを堪えながら首を竦める。

「まあ……それについては追々。大丈夫ですよ、殺したりなんかしませんから」

 むしろ私の方が危機ですし、と呟く。檜佐木くんは「え?」と声を上げて私の視線を追った。
 次はまだ席官同士の一騎打ちだ。私と海燕さんの戦いまではまだ少し時間がある。
 この後の試合内容によっては、私達は今よりも周囲の声援が喧しい状況でしのぎを削る羽目になるかもしれない。ほとんど見世物になることは私も海燕さんも承知するところだけど、だとしてもお互い心中穏やかではないはずだ。

 檜佐木くんは私と少し離れた場所に座っている海燕さんとをじっくり見比べた後、自分の腕を掴んでいる私の手に目を向け、「……乙子さんも緊張するんですね……」と無邪気なことを言ってのけた。


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