十番隊の哨戒班回収任務を終えた翌日。
 仕事で一緒になることもないし今はあまり外回りをすることもなくなったので、そうそう会うことはないだろうと思っていた松本さんとは、すぐに再会することとなった。

「あら、松本さん」
「げっ……」
「げって。私、嫌われてますねぇ」

 からから笑うと、眉を顰めていた松本さんは取り繕うように咳払いで失言を誤魔化した。
 別に好かれていようが嫌われていようが、他人から向けられる感情は等しく大事な指標なので、どんな反応をされようと気にならないのだけど、流石に平隊士が他所の席官にしていい反応ではないことはわかっているらしい。

「水月三席……も、呼び出し喰らったんですか?」
「ええ。多分松本さんが呼ばれたのと同じ理由でしょう」

 手に持った斬魄刀を見せると、松本さんはいよいよ肩を落とした。

「どんな理由があったって、自分の斬魄刀を他人に触らせるなんて冗談じゃないわ。しかも技術開発局なんて何をされるか……」
「信用ないですねぇ。大丈夫、松本さんの斬魄刀は真っ当な検査を済ませたらそのまま戻って来ますよ。私のには爆弾の一つや二つは仕込まれるかもしれませんが」
「ば……爆弾?」
「ええ。爆弾」

 松本さんは冗談だと思ったのか口端を引き攣らせたけれど、これが案外冗談でも何でもなかったりするんだよなぁ。

 ――そういうわけで、私達は現在技術開発局の応接室にいた。
 招集理由は、"先日の荒守市への出動時、現地で同一の虚を斬魄刀で斬ったため"。

ここが舞台であるあいだ


「……では、この同意書に署名を。なお、斬魄刀は大体二日程度で返却出来る予定です」

 斬魄刀を検査のために提出すること、そして検査のために斬魄刀を分解する可能性があることに対する同意書を私達に差し出したのは、相変わらず顔色の悪い阿近くんだ。
 外行きの口調なのは松本さんがいるからだろう。
 多分私のみが相手だったなら、わざわざ応接室まで呼び出さず逆に阿近くんが九番隊まで私の斬魄刀を回収しに来ていたはずだ。

 あっさり署名を終えた私とは対照的に、松本さんは椅子に浅く座ったまま腕組をして一向に筆を取る気配が無い。
 私と阿近くんの視線が同時に向かったので、松本さんは居心地悪そうに肩を竦めた。

「……水月三席が提出するって言うなら、あたしの斬魄刀は別に必要無いんじゃないの?」
「より多くのパターンとサンプルを採取するために検査数は多い方がいいんです。……何度も申し上げてますけど、現時点でアンタと水月三席だけが荒守市で虚と接触してンです。ご協力お願いしますよ」
「この後現地で本調査だってあるんでしょう? その時に好きなだけ検査なり何なりすればいいじゃない」
「……だからですねェ……」

 机を挟んだ向かい側に座る阿近くんの口角が引き攣る。眉のあるところはぐっと寄って、口調こそ丁寧さを保っているが態度のせいで慇懃無礼と呼べる域にまで達してしまっているのは誰が見ても明らかだ。
 涅さんと比べて感情の起伏が緩く常識人というだけで、阿近くんもそこそこ気が短い。松本さんも頭ごなしに他人へ斬魄刀を預けることを拒否してしまっているせいで、二人の間は出会って間もないとは思えないほど険悪になってしまっている。

 涅さんが本格的に舵取りをするようになった十二番隊・技術開発局は益々秘密主義の傾向を強め、それに比例して周囲からの印象も悪くなっていく一方だった。
 涅さんをはじめとする技術開発局の面々がそもそも人の目を気にしないタチではあったけれど、昔と違って隊と局の補助関係もなくなったようだし、外への風通しも今はほとんど無いんだろう。
 おかげで創設当時の「何をしているんだかわからない怪しい奴らが何をしているんだかわからない怪しい組織」の風評が再び固定されてしまって、十二番隊と技術開発局を敬遠する者も少なくない。
 私が義眼のメンテナンスで技局へ通っていることを知った九番隊の隊士にも、時折真剣に心配されてしまうくらいだ。

 自分の魂と霊圧を分けて鍛える斬魄刀を他人へ預けるというだけでも抵抗が強いことだと言うのに、あまつさえ預け先が技術開発局ともなれば、松本さんがこれほど激しい嫌悪感を示すのもわからなくはない。

「……あー、阿近くん。そもそも私達が接敵した虚には何か異変を観測していたんですか? 検査の根拠は?」

 膠着状態の二人の間を少しでも和らげたくて、片手を挙げて質問の体をとった。
 こちらを一瞥した阿近くんは私の顔を数秒見つめ、少しだけ肩の力を抜き椅子の背もたれに背を預けた。

「いえ。ただ、哨戒任務のそもそもの発端となった異常霊圧の分析結果、どうやら負の魂魄の特徴――つまり虚のものであるらしい、と結論が出たんで、調べる価値アリだろうと技局の方で意見が一致してます」
「なるほど。私達の斬魄刀を調べることで追加情報が得られれば、今後行われる現地調査にも役立てられることがあるかもしれない、ということですね」
「そういうこと。……っつーわけで、大人しく斬魄刀を渡して下さると助かるんですが」

「お二人ほどじゃないがこちらも暇じゃないんで」と阿近くんが顎を上げる。松本さんは腕組をしたまま一切阿近くんの方を見ない。完全に会話拒否の姿勢だ。
 うーん、困った。
 阿近くん一人で松本さんを説得出来るとは正直まったく思えないし。かと言ってこのまま松本さんの協力が無いままでいたら、今後の調査に影響が出る可能性も否定出来ないし。

「……松本さん、他人に斬魄刀を預けることに抵抗があるのは重々承知なんですが、技局の人達も別に刀を折ったり変なものを混ぜたりする訳ではないので……」
「そんなの当然でしょ。……よくもまあ易々と他人に刀を預けたり出来ますね。どうして? そこの副局長が昔の男とか?」
「ゴフッ」
「やだ阿近くん汚い……」

 松本さんの暴言に阿近くんが噴き出した。可哀想なくらい咳き込むのを眺めていたら、息も絶え絶えの阿近くんに「アンタは否定しろ!」と睨まれてしまった。

「違いますよ。昔十二番隊にいたので、阿近くんとはそこそこ付き合いあるんです。ね」
「そこそこっつっても十五年無いくらいでしょ」
「十五年はそこそこの範疇じゃないですか? 出会ったばかりの頃はまだ私の腰くらいの高さに頭があって……」
「乙子さん、もう何も喋らんで下さい!」

 一人で怒って叫んでいるからか、阿近くんの顔色が土気色から若干人らしい温もりのある肌色に回復してきているように見える。
 目を剥いて怒る阿近くんと笑って誤魔化す私を見比べ、松本さんはきょとんとした表情を浮かべた。嫌悪や敵意の感情が薄まっているように見えたので、ここぞとばかりに隣に顔を向ける。
 もし技術開発局に血の通わない倫理観を欠いた科学者集団の印象を持っていたんだとしたら、このどうしようもなく人間らしさを隠せなくなった阿近くんを目の当たりにすることで少しはその冷たい印象を払拭出来ていたらいいのだけど。

「もし自分の知らない場所で斬魄刀を扱われるのが嫌なら、検査に立ち会うのはどうでしょうか? 二日間預けるのではなく、検査の時間に松本さんが斬魄刀を持って技術開発局に来て、その場で持ち主立ち合いの検査を。検査内容も、松本さんの許可したもののみに限定して」
「そんな時間の無駄――」
「無駄と言うなら、こうして押し問答している時間が何より時間の無駄でしょう。斬魄刀はただの刀ではなく、死神が死ぬまでを伴にする相棒です。その意味と重みを汲み取ったうえで多少の譲歩と妥協を受け入れなければ。……今後もこうして局外の死神といちいち揉めていくつもりですか?」

 あの人に出来ないことを貴方がやって。補佐とはそういうことですよ。……とは、わざわざ言葉にせずとも伝わっただろう。
 押し黙った阿近くんの顔を覗き込み首を傾げると、数秒の沈黙を経て、彼は深いふかい溜め息を吐いた。
 それを了承ととって松本さんに「それでどうでしょうか? 松本さん」と訊ねる。

 何だかんだ阿近くんは退けられても、今度は局長――つまり涅さんが直接出向いてくるかもしれない。今の彼なら例え相手が女性でも無理矢理斬魄刀を強奪していくくらいの無茶はやりそうだ。
 出来れば今、ここで互いの妥協点を見つけてほしいけれど……。

 祈るように青い瞳を見つめる。
 すると、思いのほか彼女はあっさりと顎を引き、「それなら、まあ」と首を縦に振ってくれた。

「よかった。では松本さんのものだけ同意書を書き換えなくちゃね。阿近くん、私のものはそのままで。斬魄刀も今預けます」
「あー、ハイハイ。ったく、勝手に話進めちまうんだから……」

 ブツブツ言っている阿近くんに手を合わせる。涅さんもああだし、きっとこれから先彼はもっと沢山苦労していくだろうな。

「ごめんね、ありがとう。迷惑かけます」
「本当に。俺が断れねェのわかってて詰めてくるあたりがタチ悪いっすよ」
「ふふ、ごめんね」

 鼻で笑い、阿近くんは松本さんの分の同意書を持って応接室を退室した。
 足音が充分遠ざかったのを確かめると、松本さんはすすすと肩がぶつかるほどの至近距離まで身を寄せてきた。びっくりして身を固くした私を他所に、彼女は潜めた声で「……本当に昔の男じゃないんですか?」と囁く。

「違いますよ……阿近くんが可哀想だから、もう言わないであげて下さい。あんまりいじると怒りで血管が数本切れちゃうかも」
「ふーん……」
「松本さんも、ありがとうございます。私は立ち合えませんが、もし何かあったら相談に乗りますよ。技局には顔見知りが多いので、程度にもよりますけど力になれることがあるかもしれません」

 微笑むと、松本さんは「乱菊でいいです」と言った。おや、と小さく目を見開く。

「九番隊の水月三席って、もっとこう……感情がない機械みたいな人かと思ってました。鉄の女だとか聞いてたから」
「あら、そうなんですか。別に機械と思われていても構いませんけど、"鉄の女"? ……は初めて聞きました。ちょっとかっこいいですね」
「うん、そういうことを躊躇なく言い切るところはやっぱりちょっと気持ち悪いけど、思ってたのと少し違うみたい」

 そう言って松本さん――乱菊ちゃんはニコリと笑った。大人っぽい顔は人懐っこい雰囲気に様変わりする。冴えた目をする大人びた子だと思っていたけど、どうやらこちらの明るく素直な方が素のようだ。
 きっと彼女は近いうちに席官、あるいはそれを飛び越えて副隊長に昇進するだろうな。
 哨戒任務に参加していたからきっと実力は折り紙付きのはずだし、この気の強さと素直さがもっと表に出てくるようになれば、やがては他の隊士達も惹きつける優秀な上官になるに違いない。

 彼女と檜佐木くん、先に昇進するのはどちらかしら。と、執務室に置いてきた後輩の顔を思い浮かべた。


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