現世に出てからの行動は、断界を移動する最中に大体の方針を決めていた。
 今回連れてきた隊士は、すでに現地で理由の不明瞭な異常が観測されているという点を踏まえ、単独行動をさせても問題が無い程度の実力を有し、かつ現世任務の経験がある程度ある者――この二つの条件のもとで九番隊から選んでいる。

「現世に渡った十番隊士は計六名。全員で一人ずつ回収出来ればすぐ済みます。十番隊の皆さんは手違いによる出動だったこともあり通信機の類は未所持ですから、十番隊士を確認・回収したら必ず無線で情報を共有することを厳守して下さい」
「なんで単独行動前提人数の哨戒任務なのに通信機未所持なんですかね?」
「通信機は正規の命令文書を確認後、参加隊士を選抜して調査班の責任者が十二番隊から引き取る手筈だったからだろ」
「そうね。そもそも現世・尸魂界間を通信で結ぶ需要が出てきたのってここ十数年のことでしょう? 通信の安定性がどうとか機能性がどうとか、まだ色々試験中だから台数そのものも少ないんだと思いますよ」

 ……多分。現在の十二番隊、技術開発局の内情についてはほとんど知らない。
 ただ、目にするたび形や仕様が変わっているところを考えれば、恐らくまだ納得出来る性能には至っていないのだろう、ということはわかる。
 とりあえず必要想定数をばら撒け、とならないのはそういうわけだろう。

 閑話休題。

 魂魄消失事件と虚化事件から十年近く経つが、未だ瀞霊廷は些細な異常や異変にも敏感だ。山本総隊長が護廷十三隊を開いてから、永く静かな時を過ごしてきた尸魂界にとって二つの事件はあまりにも影響が大きかったからだ。
 十三隊の隊長格の穴も埋まりきらず、事件の爪痕が完全に癒えたとも言えない今、これ以上戦力や組織運営に打撃を受ける訳にはいかない。
 例の事件も発端は流魂街の住人の魂魄消失から始まった。――現世の特筆すべき点を持たない一都市の、取るに足らない細やかな異変だとしても、些事と捨て置くことは出来ないのである。

「繰り返しになりますが、現時点で得られている情報と少しでも相違があったり違和感があったりしても、まず自分の身の安全、そして現地に散らばっている十番隊の皆さんの回収を最優先して下さい。無線による連絡はこまめに行いましょう。大袈裟なくらいが丁度いいです」
「水月三席こそ、何か起きたら連絡下さいよ」
「何と遭遇しても一目散に逃げると此処に誓って下さい」
「あれれ、風当たりが強いですね」

 後ろを走っているのは、私が九番隊に異動してきてから幾度となく任務を共にしてきた手練れの隊士達だ。仮に現地で不測の事態が起こったとしても、各自の判断で対処出来るはず。

 ――傍らを浮遊する地獄蝶がひらりと羽搏き、駆ける私の鼻先を追い越す。穿界門の終わりを目掛け地面を蹴った。
 穿界門が開く。光の差す方へ飛び込み、短く息を吸う。

「ではくれぐれも迅速に――散!」

 私の声に合わせ、五つの黒い影は散開した。

鉄くさい幻


 一番隊から哨戒任務の打診を受けた日に、荒守市については少し調べていた。
 たとえば重霊地などの特別な事情のある地域であるのか、あるいは過去に重大な事件や事故の起きた土地ではないか。魂魄の回収率、魂葬の様子や整と負の比率、虚の補足率などを。
 記録が始まったあたりから現在までを大体確認したと思うが、特に気になる点はなかったと記憶している。

 となれば、今回観測された異変は突発的かつ偶発的なものである可能性が高い。たとえ人為的なものだったとしても、霊圧の異常だけでは後者の説を支持するには根拠が弱いし。
 まあ、そこらへんは異常を発見した技術開発局と今後改めて派遣される正規の哨戒班が調査を進めていくことだろう。

『――こちら源田。散開地点から南西に二町の距離にて十番隊隊士を一名発見。合流します』
「水月了解です。通信機で親機の位置は補足出来ますね? 十番隊の方と合流した人から私のもとへ集合です」

 地面を蹴り建物の上に飛び移る。まだ昼間ということもあって生者の行き来もかなりある。荒守市自体がそこそこの規模の都市なので、これでは霊圧があちこちに散っていて異常の調査も何もないだろうな。

 そんなことを思いながらひと際高い建造物に移ったところで、行き交う人々の隙間を縫うように駆ける黒装束が視界を過る。
 胸元に付けている小型無線機を掴み、言った。

「こちら水月。今誰か私の目前を横切りましたか?」
『こちら後小路。自分は違います』
『下野、同じく!』
『阿佐部も違います。多分三席の周辺半径五町にウチの奴らはいませんよ』
「ですよねぇ。……水月、十番隊と思しき方を一名目視で確認。追います」

 無線を切り終わらないうちに、尸魂界ではあまりお目にかかれない高さの建造物から飛び降りる。洋装と和装の人々が入り乱れる人混みの間を一切減速せずに駆け抜け、先ほど視界に入った死覇装の背中を追った。

 数十、数百の細かい霊圧が散らばる市街地のなかを、細い糸を辿るように一つの霊圧の痕跡を追うのは骨が折れる作業だったが、幸い完全に見失うほどの距離を開けられる前に再びその姿を目視することが出来た。
 よく見れば抜刀している。金色の髪を揺らし駆けるその姿はまるで何かを追っているようだ。……"何か"と言っても、死神が抜刀して追うと言えば虚しかあるまい。
 瞬歩で一気に距離を詰め金髪の女性死神を追い抜くと、振り向きざま抜き放った空海月で虚の頭を一閃した。
 切断された断面から塵になって消えていく虚を間に挟み、突然現れた私に目を瞠る女性隊士から空海月の鋒を逸らし、口角を上げる。

「十番隊の方ですね? はじめまして、九番隊第三席の水月乙子です。現在荒守市で哨戒任務に就いている十番隊隊士全六名を回収する任務で来ています。お名前を訊いてもいいですか?」

 いつも通りの笑みをつくったつもりだったが、彼女は私を正面に見据えたまま警戒の色を顔に滲ませた。敵対するつもりはないようで、ややあって「……十番隊、松本乱菊」と答えが返ってきた。
 「はじめまして」は恐らくこの対面に相応しい挨拶だったはずだ。顔も、今しがた聞いた名前も覚えが無い。本当に、私が忘却している訳ではなく、私と彼女は初対面だ。
 そのことに少し安堵しながら、「急な話で驚きますよね。説明します」と刀を収める。

「先日十番隊に此処荒守市の哨戒任務命令が下ったと思いますが、それが一番隊内での手違いだったそうで……本当は十番隊ではなく九番隊が受ける予定だったんです」
「ああ……成程。おかしいと思った。通信機の一つも持たされないまま各員単独調査なんて」

 冷めた様子で浅く頷いた彼女は、現世に渡る前から任務に疑問を持っていたようだった。とは言え、下された命令にいちいち疑問を呈する隊士はいないし、指揮を執るのは哨戒班を束ねる班長――つまり席官だ。いち隊士である彼女にその権限はなく、とりあえず言われるがままに出動した、という感じだろう。

 さもありなん、と苦笑しつつ、無線機で追跡した一名と合流したことを共有すると、他の隊士から次々と合流の報せが飛び込んできた。
 聞けば、六名全員が無事十番隊士の回収を果たし、無線機の信号を辿ってこちらへ向かっているらしい。

「そういうわけで、一度帰還します。全員集まったら開錠しますから、それまで少し待ちましょう」
「了解」

 目的は九割果たせた。手持無沙汰になると、いつもの癖で初対面の松本さんの外見をじっと観察してしまう。
 こればっかりはいつまで経っても止められない。今後その人と対面した時、そうであると識別するための重要な情報の取捨選択だ。

 金色の髪。瞳は青空の色。澄んでいる。つんと上を向いた唇と冷めた双眸が若さを滲ませている気がする。女性らしい体つきだけど、顔はまだ少し幼さが透けて見えた。
 背は私より少し高い。首に鮮やかな朱色の布を結んでいてお洒落だ。手入れの行き届いた見た目で、きっと美意識の高い子なんだろうと思った。華やかな雰囲気によく似合う。

 ――と、澄ましていた顔が僅かに歪む。
 居心地悪そうにこちらを一瞥すると、「……あたしの顔、どこか変です?」と低く唸った。
 それが何だか……多分口に出したら嫌な顔をされそうなので言わないけれど、懐かない野良猫のようで、申し訳ないなと思いながら口元を手で隠して笑ってしまった。
 この刺々しい感じ、なんだかすごく懐かしいな。

「いえ、……いいえ。ごめんなさい。綺麗だなぁと思って」

 嘘は言っていない。松本さんはじっとこちらを睨んでいたけれど、私がそれ以上何も言わないので、諦めて息を吐いたのだった。
 そうこうしているうちに、覚えのある九番隊の隊士達の霊圧が集まってきた。点呼をとって問題が無ければこれにて帰還となる。

 荒守市の調査はまた日を改めて行われる。今回は慎重に慎重を重ねて三席が指揮をとって出動したが、恐らく次回の本調査に私は呼ばれないだろう。
 今後の動向にもよるだろうけど、今のところ由来・根拠不明の異常霊圧が観測されただけで魂魄の大量消失や虚などの大量出現は起こっていない。
 すっきりはしないが、やはり今後の調査結果を待つしかないだろう。
 脳裡に過る暗い記憶を振り払うように、まだ明るい空を仰いだ。

 ――視界の隅に映った、小さな背丈の人影から目を逸らす。
 あれは誰でもないし、そこには誰もいない。未だ残る未練が気紛れに現れる幻覚だ。


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