「水月、少しいいか」

 執務室にて、他の隊士達と膝を突き合わせ書類の書き方を教えていたとき、扉を開けた東仙隊長に手招きされた。
 普段はこちらの様子を窺って話しかけてくる隊長にしては珍しく、穏やかではあるけれど有無を言わせない口調だったので、ひとまず筆を置き隊士達に断って席を立った。
 室内で話す内容でもないらしく、廊下に出てから後ろ手で執務室の戸を閉める。

「察するにあまり良い話ではなさそうですけど……なんでしょう?」
「先日、現世への哨戒任務の話があっただろう」
「ええ、覚えています。特定の地区で断続的な霊圧の揺らぎがあったとか」

 懐から手帳を取り出し頁を捲る。"現世・荒守市周辺にて霊圧異常観測。哨戒任務の打診あり。"と上部に書き残されていた。
 元々荒守市周辺はお隣の十番隊の管轄地区内なのだけど、その十番隊は現在も隊長不在で上位席官達が苦労しながらなんとか仕事を回している、といった状態なので、通常業務の駐在と見廻りに加えて新たに哨戒任務に人員を割かせるのは酷ではないか……ということでお鉢が隣の九番隊に回ってきたわけである。
 どの隊も人員に余裕があるわけではないが、未だ隊長格不在の隊は他の隊が助けていかなければいけない。

 東仙隊長と私はそういう意見でほぼ一致し、話を持ってきた一番隊には出動命令さえ下ればいつでも動ける旨を伝えていたはずだ。
 その話は総隊長にもすぐに上がっただろう。その答えが今返って来たんだろうか?

「その話が何か? ああ、もしや現地調査の名目で十二番隊が先行動員されたとか?」
「もっと簡単な話だ。……手違いで哨戒命が十番隊にいったらしい。十番隊の席官が隊士数名を連れて現世に渡ったそうだ」
「……哨戒規模は?」
「半径約三里といったところか」
「そこそこの広さじゃないですか」
「そう。だからこそ動員させる人員数を考えてウチに話が回ってきたわけだしね」

 いや、わけだしね。じゃないですって。
 東仙隊長が言わんとしていることは粗方察してしまったので、つい先刻閉めた扉を少し開け「皆さん、特別出撃報告書はまた今度! 私は外します!」と言ってから再び閉めた。

憐憫が追いついてくる前に


 手違いの発端は一番隊からの命令書の届け間違いではあったけれど、そもそも十番隊が穿界門を使い現世へ向かうことを止めなかった穿界門の管理部の対応にも問題があったらしい。
 通常、よほどの緊急事態などの例外がない限りは、穿界門使用に際して地獄蝶や穿界門それ自体の使用申請が必要になる。これらは所属隊と名前、あとは目的地や使用理由などを必要に応じて記入すればその場で許可が下りるので、そこまで煩わしい手続きではない。もちろん、状況によっては事後申請も許されている。
 また、地獄蝶の使用は飼育部が、穿界門の通行履歴は定期的に隠密機動が検めているので、申請洩れや不足があった時は後日呼び出しを食らったりもするので、穿界門を使う時は手続きをしっかり行っておくのが暗黙の了解となっている。

 ――今回の十番隊の穿界門使用の申請書を受け取った者は、その内容をよく確認しなかったらしい。
 突発的な任務や演習・訓練などならともかく、事前に打診や通達のある任務については一番隊を通じて総隊長から穿界門使用の予定が予め知らされるそうなので、申請書の中身を確認していれば、寸でのところで出動隊が正しくは十番隊ではなく九番隊であることに気付けただろうに。


 九番隊から数名腕の立つ隊士を招集し地獄蝶を人数分引き取ったところで穿界門に戻ると、門の前では東仙隊長がわざわざ見送りに来てくれていた。
 「ひとまず十番隊の隊士達を連れ帰ってくるだけでいい。その後改めて哨戒任務が命ぜられる手筈だ」と隊長が言うので、それに頷きつつ、肩を竦めてみせる。

「……こんな時に言うのもちょっとどうかと思いますけど、私、こういう不意の出来事で現世に行く時、必ず何かしらの事件に遭遇して負傷するんですよね」
「……水月……嫌なことを言うな……」
「いつも気を付けてるんですけどねぇ。なんでか痛い目ばかり見てるんです」

 へらりと笑う私の肩を阿佐部八席がちょっと叩いた。「縁起でもないこと言わんでください」はい、ごめんなさい。
 不幸を私が呼びこんでいるのか、私が不幸に飛び込んでいるのか。
 今度は身体のどこかを失うようなことにはならないといいけれど。

「――では、人員回収隊、行って参ります」
「ああ。万が一現地で異常を感知しても調査を行う必要は無い。全員、五体満足で戻ってくることを第一目標にしてくれ」
「東仙隊長まで縁起でもない……」
「あは、了解です」


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