永遠を識るこどもたち
「お邪魔しまぁす。五番隊からお届けものですー」
隊首室にやってきた市丸くんが大変ゆるく用件を告げながら顔を出したので、走らせていた筆を止め顔を上げた。
周囲を書類で囲まれ、私の半径一丈はここ最近ずっと足の踏み場がない。案の定、この惨状を目にした市丸くんは「わぁ」と(まったくそうは聞こえないけれど)感嘆の声を上げる。
「相変わらずの仕事熱心でびっくりしてもうた。これ全部乙子ちゃんの仕事なん?」
「いやぁ、そういうわけじゃないんだけどね。過去のあらゆる記録にちょっと用があって……」
実は今月分の会計をしている最中、使用材料ごとに在庫管理をするための帳簿を一種類丸々紛失していることに気付いてしまったのだ。
発覚した時は正直気絶したままひと月ほど目覚めたくない心地がしたけど、思い返せば心当たりはある。
遡ること数週間前、浦原隊長・涅さん・ひよ里ちゃんと私の四名で、一度予算配当や在庫管理などを見直すために、技術開発局が創設されてから私がつけてきたありとあらゆる帳簿を蔵から引っ張り出してきたことがあった。
あまりの膨大な紙の量に、会議そのものは最も広い開発棟内部の一室を私用して行われたのだけど、恐らく蔵から隊舎、隊舎から開発棟へと移動していたその時に一冊――年数にして言えば三年と少しの私の血と涙と汗の結晶である帳簿を紛失してしまったのだと思われる。
『開発棟に私物を一晩置いたら二度と戻らないと思え』。
色々なところで様々な私物を紛失する浦原隊長を見た局員・隊士達の合言葉だ。
実際帳簿は私物ではないけれど、蔵から運び出すのも私、何かあった時に参照するのもほとんと私のみという状況なので四捨五入したら私物だ。きちんと管理をしていなかった私が悪い。
そういうわけで、涙を堪えて過去三年間程度の開発局で管理している日報を元に、在庫管理の帳簿を一から作り直しているのだった。
私の周囲に広がる書類はすべて、仕事大好き局員達が文字通り寝る間も惜しんで研究に没頭した証となる記録媒体だ。
これを失くすと広大で深甚な局内ほぼ全域を巡らねばならず、帳簿と違って再作成はほとんど不可能になるので、紛失防止に普段人の出入りが無い隊首室に籠もっている。
隊長には事情を説明したうえで数日間は隊首室を占領することを伝えてある。「使わないんで大丈夫っス!」って、それはそれで問題ある気がするけど。
「ごめんね、そこらへんに置いておいてもらえればあとで確認します……急ぎだったりしますか?」
「ううん。でもウチの隊長から伝言預かっとるよ」
「平子隊長から?」
「"マユリには内緒にしたってな"って」
うーん、なんか嫌な予感。
直感に従い一旦筆を置き、机に乗りきらず床に広げた書類の隙間を縫うように歩く。市丸くんの目の前まで辿り着くと、差し出された書類を受け取って捲った。
……確かに宛先担当者は私になってるなぁ。隊長印もある。
「……あぁ、なるほど……観測機駄目にしちゃったのか……」
「ウン。現世駐在組の方が軒並み全滅みたい」
「台数結構いきましたねこれは……涅さん、怒りはしないだろうけど」
「脳の方に何か問題があるのでは?」とか「検査の必要があるかネ?」とか言いそうだ。それが容易に想像出来てしまうからわざわざ私宛てに便りを出したんだろう。
開発局が創設された年に涅さんが作った超小型観測機は、あれから様々改良と議論を重ねたうえで、護廷十三隊全隊士に持たせる(私から言わせれば寄生させる)許可が下りた。もちろん強制ではないので一部観測機を使用していない隊もあるけれど。
五番隊は平子隊長の「現世駐在組の安全性が高まるならええんちゃう? 見た目はともかく」という一声で駐在隊士の同意のもとで観測機を稼働させている。
ちなみに、観測機は一定周期で十二番隊・技術開発局に返還され、修理点検を経る必要がある。
観測機を全壊させたことはいずれ涅さんにも知られる運命だったわけだ。
恐らく私からいい感じにやんわりと二十台弱が壊れたことを伝え、穏便に代替品の受け渡しを済ませたい。そんな魂胆だろう。
「うーん……平子隊長の意図を察するに、涅さんに報告する前に代わりの観測機を引き取ってもらった方がいいかもしれませんね」
「ほんま? そんなにすぐ出せるのん?」
「出せるよ。在庫は私が預かってるからね。開発棟の第一区画内だし、多分涅さんには気付かれないと思うけど……」
持って帰れる? と訊ねると、市丸くんはケロッとした顔で「ウン」と頷いた。
見た目がかなりアレなので、正直私は必要な時以外は保管庫を開けたくない。びっくり箱扱いだ。
頼もしいなぁ、流石だなぁと感心しながら、市丸くんを伴って隊首室を出た。
「市丸くん、あれ平気なんだ? 私まだ無理なんだぁ、見た目が」
「ボク、虫平気だもーん」
「はぁ、すごいねぇ」
* * *
そんなわけでやってきた開発棟第一区画。
開発局の施設では最も浅い場所だ。開発局に来客があった時に使う形ばかりの仮設応接室もあったり、比較的マトモな研究所じみた部屋が多い。
奥に進むにつれ、研究室の一つ一つがそれぞれ独立した独房のような様相になっていくので、私は基本用事が無い限りは第一区画までしか立ち入らない。
「じゃあ、ちょっとここで待っててね。保管庫から観測機出してくるので」
「はぁい」
仮設応接室に市丸くんを待機させ、第一区画の鉄扉を押し開いた。
あちこちから飛んでくる「乙子さんだ」「おはようございまーす」の声達に応えながら、壁の鍵掛けのなかから保管庫の札がついた鍵を指で引き抜く。
「保管庫開けまーす」
「ハイ。……珍しい」
保管庫は一応、開発局で創り出した重要なモノが仕舞い込まれている。ことになっている。
なので開閉者以外の局員・隊士に保管庫を開閉することを伝え、鍵を返却するまでを監視してもらうのが形式上正規のやり方だ。
今日はたまたまそばにいた阿近くんが手を止め椅子を降りてくれたので、彼を伴い第一区画の最奥まで進む。
「五番隊から市丸くんが来てて。……市丸くんのこと知ってましたっけ?」
「五番隊の第三席」
「そう。五番隊の現世駐在組の持ってた観測機が全壊しちゃったから、代わりの受け渡しをします」
「……それは……副局長には……」
「まだ内緒でお願いします」
阿近くんはみるみるしょっぱい顔になった。きゅっと眉を寄せ、心底嫌そうな表情百パーセントになりそうなのを六十パーセントほどで堪えながら「お願いされました……」と小さく頷く。
万が一私が報告する前に涅さんにバレても、どちらにしたって最終的に叱責を受けるのは私だから安心してくれていいのに。
まあ、実際ご機嫌を損ねられた涅さんと近くでお仕事をするのは彼ら局員だものね。それを考えれば他人事でもないのかも。
「観測機全壊って、どんな扱い方したらそうなるんだ」
「それは当事者達に聞いてみないとわからないけど……上で足踏みとかしたのかな」
「現世駐在任務ってそんなに愉快なんですか」
「ごめん、流石に足踏みは適当言いました」
苦笑しながら保管庫の扉に一つ目の鍵を挿す。難なく周り、二つ目の鍵。
保管庫は第一区画の最奥に位置する部屋丸ごと一室のことだ。
鍵は三重になっていて、一つ目は表層――部屋の入口に位置する扉の鍵。これは鍵で物理的に開く。
二つ目は鍵と暗証番号の組み合わせ。どちらか一方では開かない。二つ揃って初めて破れる警備。
それらを通過してようやく最後の扉。こちらには鍵穴などは一切なく、技術開発局員、あとは十二番隊の数名のみの霊圧で開閉する封である。
涅さんからは、何らかの事件・事故で保管庫を開けるよう第三者から強要された場合、開発局の貴重な資産を守るために自害しろと言いつけられている。
――ひやりと冷たい鉄扉に手のひらを当て霊圧を込めると、いつも通り開錠時特有の仰々しい音が鳴り響いた。
重い扉を引き開ける。これだけ厳重に保管されているにも関わらず、中身は雑多で整理整頓からはほど遠い状態だから奇妙だ。大事ならそれ相応に扱えばいいのに。
研究者と言うのは、どうも一様に知り尽くし、創り終えた(あるいは飽いた)ものに対しては急速に興味関心を失っていくようなのだ。
設置・運用するものであれば定期点検等で触れる機会があるからまだマシだけれど、この保管庫に放り投げられたものの多くは二度と日の目を見ることは無い。この観測機は量が多いために保管庫に追いやられているだけだ。
「あった。何度見ても見た目がこう、無理だなぁ」
「副局長また怒るぞ」
「開発物に私が感想言って怒らなかったこと無いでしょう、そういうもんなんですよ、様式美みたいなものです」
「美しくはない」阿近くんが冷静に首を横に振るのを見下ろし、観測機の入った箱を小脇に抱え空いている方の手で小さな頭を撫でた。
「阿近くんにもいずれわかるよ、この美しさが」
「また適当言ってる……」
「これは適当じゃないですよう」
様式美じゃなかったらただのいじめだ。
そこんところが阿近くんはまだよくわからないらしい。
仮設応接室に戻ると、市丸くんは待ち侘びたとばかりに「首伸びてまうかと思ったぁ」と立ち上がる。
素材感剥き出しで飾りもない机に観測機の入った入れ物を置き、顎の下あたりで揺れる銀髪の頭を阿近くんにしたように撫でた。
「ごめんね、保管庫開けるのってちょっと時間掛かるんです。ええと、いくつだっけ?」
「十八あれば足りるよ」
「十八ね。……うん、申し訳ないんだけど必要な分取ってもらっていいですか?」
市丸くんが笑い出した。だって、こんな見た目の観測機がわんさか入った箱に手を入れたくないじゃないか。
一匹……間違えた、一機だけならまだなんとか我慢出来るけど、ここまで沢山あると拒否感も一入だ。
白く細い手が躊躇なく箱にツッコまれるのを「うわぁ」と見守りながら、やがて十八機を取り出し終えたのを確かめ箱を閉じる。
確認の意味を含め、何故か半歩後ろに控えている阿近くんを振り返ると、小さな頭が縦に振れた。
「じゃあ、あとは稼働台帳更新のために書いてもらいたい書類を平子隊長まで届けてもらえますか? そっちは隊舎の方にあるから、もう一回それ持って戻ってもらうことになりますけど……」
「ええよ。こんなちまいのやったら大丈夫」
確かに、観測機は"小型"と言うだけあってかなり小さい。私でもその気さえあれば片手で十機くらいは余裕で握っていられるから、市丸くんが両手を使えば充分すぎるくらいだろう。
「阿近くん、そういうわけで一旦隊舎に戻ります。保管庫閉める時はまた呼びに行くからよろしくね」
顔を上げた先で、阿近くんの三白眼と視線が合わずに一瞬当惑する。
彼は割かししっかり目を見て話を聞いてくれる子なので、こういう風に話しかけた時に余所見をしていたり視線が迷子になったりしているのは珍しかった。
私が何か言うより先に、阿近くんは自分でどこかに向けていた意識をこちらに戻し、肯いてくれたけれど。
開発棟を後にし、隊舎へ戻っている間、市丸くんが笑い混じりに「ボク、嫌われてるなァ」と零した。
呟きの意味がわからず、素直に「え、誰に?」と訊ねると、市丸くんは更に笑みを深くして小首を傾げた。銀色の髪がさらさらと白い頬を滑る。
「さっきの開発局の子ぉに。あんまりじっと見つめられるから穴開いてまうかと思ったわぁ」
「えーっ、嘘だぁ。阿近くん、嫌いな人には見向きもしないよ。見られてるってことは大丈夫ですよ、ほらちょっと……目つきが悪いかもだけど、悪い子じゃないし」
慌てて首を振って否定するけど、市丸くんは笑うだけで何も言わない。
さっきまでの阿近くんの動向を記憶の限りに振り返ってみるけれど、特におかしなところには思い至らなかった。割と誰に対しても塩だし、会話が弾む方でもない。私もたまにお喋りが過ぎて拒否される時がある。
他人の機微には敏感な方だと思っていた。だからいまいち市丸くんの言葉が信じられない。
「ま、ボク別にそういうの気にせえへんしいいけどね。ご用事の時はこれからもお邪魔させてもらいます」
「はい、それはもう是非に。……はー、全然気付かなかったけどなぁ」
しつこく首を捻る私に、市丸くんは「愛情の裏返しやね」と言った。どこか淡々とした口調に聞こえて、私は言われた意味を深く考えられないままオウム返しする。
「あの子、ボクみたいなのが乙子ちゃんのそばにいるのが心配でしゃあないんちゃう? で、それを乙子ちゃんに悟らせて心配ささへんようにしとる」
「はぁ」
「アハハ、ピンときてないね」
「きてない……」
隣を歩いていた市丸くんが足を止めたので、つられて立ち止まる。気が付けば隊首室の前だ。ぼんやりしていて全然気が付かなかった。
「乙子ちゃんが大好きなんやねぇ。愛されとるねぇ」
死神と言ったってまだまだ年若いはずの市丸くんが、まるでおじいちゃんのように言うのがおかしくて、お腹を抱えて笑い出してしまった。
実際どうかはわからないけど、そうだとしたら嬉しいね。
――その後の私は、市丸くんと別れ保管庫を閉めるため戻ってきた私を見るなり、阿近くんが「生きて帰ってきた……」としみじみ呟くので、市丸くんの言葉を思い出して笑いが止まらなくなって阿近くんを不機嫌にさせてしまうのだった。