ひなたのcircus

 梶くんと握手を交わしてから、時々登馬と一緒にいる梶くんを目にするようになった。
 私と登馬の関係に変化はないし私の生活サイクルが変わった訳でもないので、頻度は低いけれど、習い事の帰り道にすれ違ったり、家の窓から歩いている二人を見かけて手を振ってみたり。

 これが登馬の言う『人慣れ』の為の努力に該当するのかはわからないけれど、いまいち視線の合わなかった梶くんは段々、私の目を見て手を振り返してくれるようになった。
 それに比例して、臆面なく人の目をじっと見つめてくる様子だとか、ちょっと鋭利すぎる感情の起伏だとかの様子で、段々登馬が梶くんを気に掛ける理由の方も察しがつくようになってきた。

 だからと言って、私と梶くんの関係が変わることもないのだけど。

「柊くんとなまえちゃんって付き合ってるんですか?」
「は?」「ええ?」

 梶くんの唐突な問いかけに、私と登馬は声を上げた。
 まさか全く同じ反応を同時にするとは思っていなかったのか、登馬の隣で梶くんはびくりと肩を竦ませる。慌てて謝りそうな雰囲気だったので、別にいいけどと手を振った。

 ちなみに梶くんによる「なまえちゃん」呼びは何だかんだで定着しつつある。照れれば照れるほど墓穴を掘ることになると気付いたらしい。
 年が一つしか変わらないのに"さん"はちょっと変な感じだし、と言ったら、口をもごもご歪めつつも納得したようだった。

「質問自体はいいんだけど……なんで?」
「なんでって……仲良いし……オレが知ってるヤツらで、男と女なのにそんな風に喋ったり歩いたりするの、見たことないから」
「はぁ……ですってよ柊さん、どう思います?」
「オレに投げんな。みょうじさんはどう思うんですかよ」

 敬語が滅茶苦茶だ。
 うーん、と腕組をしたり額に手を当てたりしてじっくり考えてみる。

「……そもそもさぁ、小学生とか中学生の分際で付き合うとかなんとかって早くない? こちとら恋とは何ぞや? 状態なんですが」
「それだ」
「ね。登馬のことは信用してるし、同い年の男の子よりは好きだけど、でも付き合うとか……そういうのはないかなー」
「同じく」
「あんたこそ全部私に投げてんじゃん」

 私達がぽんぽん喋るので、質問を寄越した梶くんは瞳をきょろきょろさせながら口を半開きにさせてほとんど置いていかれていた。
 最初はなんとか梶くんも会話に入れようと話を回したりしていたけど、どうやら梶くんは話題の中心にいるのは楽しいけど話の流れに加わることに関してはあまり気にしていないようだった。それがわかってからは、私もあまり会話の参加率は気にしないようになった。

 それにしても、登馬と付き合っているのか、なんて梶くんが考えていたことが意外だ。
 ずっと登馬の後ろをついていっているから、私という遠くもないけど近くもない微妙な距離感の女に登馬を奪られないか不安になっちゃったのかな。
 でも本当に、今のところ登馬と付き合うとかそういうことは考えられない。何より、親同士がかなり仲良しで家ぐるみの交流があるのにいざ私達がそういう関係になってしまったら居た堪れなさすぎる。色んな感情がごちゃ混ぜになって爆発していそうだ。
 登馬も大体同じ意見らしく、似たような想像をしたのか二の腕を擦っている。

「……大丈夫だよ、登馬のこと奪ったりしないから。そもそも私達趣味も性格もそんなに近くないから一緒にいてもそんなにやることない」
「ち、違ぇ! そういうんじゃない! です!!」
「あ、そう?」
「じゃあオレか? 大丈夫だよなまえと付き合ったりなんかしねーから」
「それも違う!!」

 梶くんがギャンギャン吠える。こうなると、彼が首に掛けているヘッドホンを登馬が耳に装着させ、私が彼のパーカーのポケットから飴を取り出して差し出す。ここ最近で習慣になりつつある一連の流れだ。様式美がある。
 けれど梶くんは頭を振ってヘッドホンを首に戻し、私が差し出した飴は受け取って包装を破った。頬が膨らんでいるのは飴を銜えているから、という訳でもなさそうだ。

「……"これ"、腹立つこと言われても聞こえないように、でしょ。オレが叫んでる時につけさせるのはなんか違う気がする……」
「ほんとにね。そのうち都合悪くなったらすぐヘッドホンつけさせてくる男になるよ」
「適当言ってんなよお前」

 私の頭を登馬の拳が直撃する。手加減に手加減を重ねているから痛くも痒くもないけど、これも痛がる振りが様式美だ。
 頭を抱えて距離を取った私を一瞥して、登馬は言った。

「まあでも──なまえとオレは同じレベルの馬鹿だから。そこんとこは他のヤツらとはちょっと違うかもな」
「……まだ言ってるのそれー」

「おんなじ馬鹿?」梶くんがこてんと首を傾げた。もうずっと前の話だ。私達が同じ馬鹿だからこの腐れ縁が続いていると言うのは正しいかもしれないけど、それにしたってずっと前のことを引き合いに出すのはどうかと思う。
 私が半ば呆れて登馬を見ているので登馬も説明をするつもりはないようだった。何も言わず梶くんの頭をワシワシと撫でる。

「なまえちゃんも喧嘩出来るんですか?」
「いや出来ねえよ。弱い。喧嘩なんかしたことねえよ。みょうじなまえと書いて非力と読む」
「それは流石に嘘でしょ。私より非力な人沢山いるよ」

 登馬にしては珍しく適当なことを言っている。本人なりに誤魔化しているつもりなのかもしれない。思惑通りにはいかず、梶くんは頭の上にクエスチョンマークを沢山浮かべているけれど。

「でも、ほっとくと何しでかすかわかんねえクソ度胸はある。……梶も気を付けろよ。気緩んでっと馬鹿しでかされるぜ」
「お、オレが馬鹿しでかされる側……?」
「嘘吹き込まないでよ、私のことなんだと思ってるの」

 私が立ち止まると、登馬と梶くんも一緒に足を止めた。
 何故だか今日は私が塾に行くまでの道をついていくと二人が(というか登馬が)言い出したのだ。
 流石に塾の目の前で見送られるのは居心地悪いので、手前の信号で別れることにした。学校に行くのと比べて多少軽い鞄を片手に持ち直し、「じゃ、ここまでで」と空いている方の手を挙げる。

「帰りは何時頃だよ」
「え? 帰りは迎え来るよ。なに、どうしたの急に」
「そうか。……ま、気を付けて過ごせよ」
「なに? 暗殺でもされるのか私は?」

 登馬は答えず、ズボンのポケットに手を入れたまま私を見送る姿勢をとった。梶くんもそれに倣って、登馬の横で私を見ている。
 ……言い表せないけど、なんだか妙な感じがする。
 けど具体的に何がどうとは言えなかったので、踵を返し信号の変わった横断歩道へと踏み出した。


* * *


 いつもは登校くらいしか一緒に行動しないはずの登馬がわざわざ習い事の送迎まで気にするような素振りを見せる理由と言ったら、まあ、私の身に何かしらの危険が迫っているからに他ならない。
 ここら辺ではよくある話だ。まこち町を中心に、その周辺は不良や半グレ人口がかなり高い。
 誰かを伸して上に立ちたいヤツとかとにかく苛立ちを他人にぶつけたいヤツとかが日夜殴り合い罵り合い破壊活動エトセトラに勤しんでいる。

 登馬は小中学生の枠で見れば、ここら辺で番を張れるレベルの強さだ。だから正面から挑んでも登馬に勝てないヤツは、たまに登馬ではなく登馬の周りのものを傷付けたり壊したりすることで登馬にダメージを与えようとする。
 今回はそのお鉢が私に回ってきた──そういう、回りくどいんだかシンプルなんだかわからない理由だ。


「おい、そこの小学生」

 小学生、と呼ばれたら身体が勝手に反応してしまう。相手が自分のことを呼んでいるのかはわからないけど、確かに私は小学生という身分だから。
 そこには疑問も違和感も挟まる余地は無かったので、顔を上げかけた私の背中を強い衝撃が襲ったのには全く反応出来ず、コンクリートの上に倒れ込んでしまった。

 痛みとか驚きに目を白黒させていたら、うつ伏せに地面に伏せる私の肩を誰かが掴んで仰向けに転がした。背負っているランドセルが今しがた衝撃を受けたところに当たって痛い。
 青空と太陽を背負ってこちらを見下ろす顔ぶれに見覚えはない。し、逆光になって顔なんかよく見えなかった。

「あーあ。こんなガキ殴るとか最悪だなお前。人としてどーなん?」
「暴れたら面倒だから一発で黙らせろっつったのお前じゃん」
「もしもーし、生きてる?」

 あ、一人、背中にバッド担いでる。あれで殴られたのか、私。
 眩しさに段々目が慣れてくると、状況を把握しようと思える余裕が生まれてくる。我ながら図太いと思う。
 制服だけど、顔立ちや雰囲気なんかは多分高校生っぽくない。"こんなガキ"相手にいきなり背後からバッドで一撃なんて、ろくなヤツらじゃないだろうな。

「うっし、行くぞ。柊には伝えたんだろうな?」
「多分な」
「多分? アイツ来なかったらコイツ殴られ損じゃん」

 肩や腕を掴まれて簡単に身体が持ち上げられる。ランドセルが倒れていた場所に捨て置かれていくのが見える。でも、身体に上手く力が入らなくて、動けなかった。



 しばらく人気の多い道を避けて歩いて、辿り着いたのは住宅街からも大通りからも離れたところにある寂れた公園だった。公園と言っても遊具らしい遊具はなくて、申し訳程度のベンチと水飲み場があるだけ。
 普段から溜まり場として使っているようで、広場には同じ制服を着ているヤツが何人もいた。
 砂利が敷き詰められた地面に下ろされると、肌に細かい石が突き刺さって痛い。暴れる元気もない私をうつ伏せに転がして、手首を後ろで交差させて結束バンドで縛った。ロープとか紐じゃないあたり、手馴れているなと思った。

「柊と一番仲良い女なんだって?」
「別に……幼馴染だけど、一番かは知りません」
「あ、そ? まあ一番だろうが二番だろうが正直どうだっていいんだわ。ただ、男フクロにするより女捕まえといた方が良い盾になる、使えるだろ。所詮小坊だからなァ」

 その所詮小坊相手にこんな手を使わないと勝てない、っていう事実には気付いているんだろうか?
 たぶん登馬と喧嘩して負けたとか、そんな感じなんだろうな。
 登馬がどうとか言って知らない人に絡まれるのはこれが初めてじゃない。ただ、中学生にこうして囲まれて殴られて、連れ去られたことは今まで一度もなかった。

 人質とろうが武器を持とうがこいつらは登馬には勝てない。それは太陽が西から昇ったとしても変わらない事実だ。


 でも、さっきバッドで殴られた背中が痛い。
 痛くて、ちょっとだけ、怖い。


 怯えが身体の芯まで到達しかけた頃、公園の入口に人影が現れた。
 慌てて走って来たのか、砂利を踏みしめる足音が激しく鳴って、荒い呼吸音がここまで聞こえてくるようだった。
 その音を聞いて──私は思わず首を捻って入口の方に目を向けた。

 現れたのは登馬じゃない。

「何だお前、柊は──」

 私の頭上で中学生が困惑の声を上げ、梶くんは走り出した。

 いつものパーカーのフードを風で暴れさせ、彼は低い姿勢で入口からベンチまでの砂利道を一直線に疾走する。
 中学生達が何か喋っているのなんかまるで聞こえていないみたいに駆けて、一番近くにいた坊主頭のヤツを勢いのまま蹴り倒した。ゴシャッと重く鈍い音が血と共に粘ついた。

 あまりの早業に沈黙した中学生達を、獣の咆哮のような喚き声が追い立てる。
 私の知っている、怒ったりおどおどしたり笑ったり忙しい梶くんはどこにもいなかった。
 目の前にいるのは、誰だろう。
 馬鹿らしいと思うけど、本気で心の隅っこでそう思ってしまうくらい、歯を剥き出して吠えながら中学生達に襲い掛かる彼は別人のようだ。

「……か、梶くん……」

 地面に伏せたまま動けない私の声は当然彼には届いていない。
 公園内にいたヤツらが一斉に梶くんを取り囲んで、梶くんは飛んでくる蹴りもナックルをつけた拳もバッドも避けずに突っ込む。
 殴られたヤツが殴り返そうと顔を正面に向ける。その蟀谷を梶くんのスニーカーの爪先が直撃する。鎌のような蹴りに意識を刈り取られた仲間の姿に怯んだヤツの、手に持った角材を梶くんの手が掴んで力任せに引っ張る。前のめりに体勢を崩した金髪を鷲掴みにして、ボールを蹴り上げるみたいに下がってきた頭に膝をぶち込んだ。
 梶くんの紺色のスキニーパンツの膝が、まるでそこだけ水をかけたみたいにどす黒く湿っているのが見える。彼が屈んだ拍子に砂利が薄赤く染まったので、血で汚れているのは誰が見ても明らかだった。
 膝蹴りをまともに喰らって崩れ落ちたヤツに、梶くんは容赦なく肘を叩きこむ。トドメと言うにはあまりに執拗な一撃。
 登馬の言っていたオーバーキルってこれのことか、と現実逃避じみた思考が浮かんだ。

 さっきから縛られた手首を滅茶苦茶に動かしているけど、一向に解ける気配がない。嵐のように暴れ回る梶くんに目を釘付けにされながらなんとか立ち上がろうと藻掻いている。
 小学生と中学生の喧嘩で何を、と何も知らない大人や他所の不良は思うかもしれない。けど、あんな動きを加減も躊躇もなく繰り返していたら、多分、人を殺してしまう。


 中学生達の安否なんか心配していない。
 でも、あのまま放っておいたら、梶くんは人を殺してしまうかもしれない。


「──と……登馬……登馬! 登馬、早く来て! 登馬!」

「なまえ!!」

 私の絶叫に応える呼があった。
 地面に伏して起き上がれないまま首をもたげる。暴れ回る梶くんや中学生達の隙間を縫って、登馬達が駆けてきた。

「と、登馬! 梶くんが、梶くんが……!」
「わかってる! お前、怪我は!?」
「してない! はやくこれ解いて!」

 登馬と一緒に来てくれた柳田やなくんが結束バンドを引き千切ってくれた。「うわ、みょうじ血ィ出てる!」「松本お前戦え!」松本くんまっちゃんが悲鳴を上げる最中、近寄ってくる中学生を殴り飛ばしながら登馬が怒鳴る。
 やなくんは肩に担いでいたランドセル(道端に残していったものだ)を私のそばに置くと、小さな声で「危ないからここにいろ」と言い残して加勢しにいった。

 ……加勢と言ったって、中学生達はもうほとんど梶くんによって倒されている。
 三人の本命は、戦意どころか意識すらも喪失しかけている中学生達に更なる追い打ちをかけている梶くんを止める戦いだ。

 とっくに四肢が脱力しているヤツの胸倉を掴んだまま、力任せに殴り続けている梶くんを背後から登馬が羽交い絞めにする。すぐに振り払われて、登馬に攻撃しようと振り向いた彼をまっちゃんが背中から覆い被さって地面に押さえつける。梶くんの方が身体は小さいはずなのに、全体重をかけているまっちゃんの下から梶くんは這い出してしまう。おまけに踵で顎を打ち抜くように蹴り上げられて、まっちゃんの首が勢いよく反った。

 ──止まらない。

 登馬が梶くんを殴る。ほとんど脊髄反射みたいなスピードで梶くんが殴り返す。登馬はガードする。何度か殴り合って、流石に梶くんはその場で蹈鞴を踏んだ。
 でもまだ、眼差しが正気じゃない。
 怒りとか憎しみとか、そういう感情がぐちゃぐちゃになった鬼のような形相で、登馬越しに誰かを睨んでいる。

「梶! もう終わった!」
「みょうじも無事だっつーの!」

 誰の声も届いていない。──ぞっとした。これは駄目だ。このままじゃ皆危ない。
 登馬と梶くんが殴り合う。梶くんは完全にノーガードだから、放った拳ぜんぶが直撃してる。痛くないわけ、ない。つらくないはずない。

 そんなのは見ていられない。

「梶!!」

 登馬の怒声が合図となって、私は滑るようにしながら砂利の上を駆け出した。
(title by エナメル)

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