伸びすぎた影が爛れてく

※学バサとは似て非なる現パロ



 私と佐助は、きっと本当はこんな風に仲良くするような人間同士じゃなかったんじゃないかと、たびたび思う。
 そんなことを言うとおちゃらけて傷付いた振りを大袈裟にしてみせる佐助は、その実しっかり突き放されたと思って傷付いていたりするので、口に出す都度にフォローが必要なのだけど、私は今まで何度もそう思ってはひっそり肩を落としてきた。

 私と佐助が互いを認識して名前を呼び、話をするようになったのは小学生の頃だ。
 私達が通っていた小学校は一年から六年までの間に二回、つまり三年と五年の年にしかクラス替えをしないので、二年はクラスメイトの顔ぶれが変わらない決まりだった。
 五年生になって初めて猿飛佐助と同じクラスになった。二組だった。出席番号は離れていて、別に席が近くになることもなかった。

 ただ、委員会が同じになった。
 クラスの全員がクラスの係、もしくは委員会に所属することになっていて、男女一人ずつのペア。
 私はたまたま装飾委員会とかいう、ちょっと珍しいけど仕事内容はすごく楽な委員にありつけて、多分同じような理由で同じ委員を選んだ佐助と並んでしまったのだ。

 当時の佐助はちょっぴりクラス、…というか学年から浮いていて、子供らしからぬ大人しさと大人顔負けの皮肉屋にずば抜けた運動神経であまり、いやかなり友達がいなかった。ちょっと人嫌いの気も入っていたように思う。
 私もそんな噂の猿飛佐助を遠巻きにしていたうちの一人で、最初は共通の話題もないのに猿飛くんと一緒に一年間なんて無理だよぉ、なんて弱音を吐いていたっけ。

「……悪かったね、俺が一緒でさ」

 だからそんなことをぽつりと、二人しかいない教室で佐助が言った時には心臓はおろか世界がすべて止まったような心地がした。
 別に彼のことを心底嫌っているとかそういうわけじゃない。
 ただオレンジがかった明るい髪色が珍しくて、いつもつまらなさそうに一人でいる横顔が近寄りがたくて、授業が終わったらすぐに帰ってしまう後ろ姿が冷たく見えて、……。

 よく知りもしない彼のことを、みんなと同じになって突き放して遠巻きにしていた罪悪感みたいなものもあった。
 だけど委員になって半年経った頃に洩らした佐助のその一言があまりにも寂しくて。

 ……思わず、机を両手で叩いて席を立った。

「悪くなんかない! 私、他の委員会面倒だったから装飾委員選んだだけ! 猿飛くんも一緒でしょ? じゃあ私達、同士だよ! こころざし一緒のなかま!」

 その時の、折り紙片手に私を見上げる佐助の、ぽかんと呆気にとられたような表情と言ったら、写真に撮って残したいくらいに面白かった。
 後から「面倒だったから消去法で選んだなんて私だけだったかもしれない」と焦った時にはすでに言葉を取り消すのには遅すぎて、佐助が堰をきったように笑い出してしまった後だった。

 初めて佐助が教室で笑った。初めて佐助が私の前で笑った。
 本人曰く、「折り紙の花片手に力強く後ろめたいことを言うなまえが面白かったのがいけないんだ」とか何とか。
 まあ、その時下手な嘘で取り繕わなかったのが正解だったらしい。

 翌年の委員会は装飾委員ではなかったけれど、佐助と同じ美化委員になって一年間花壇の手入れやごみ拾いに精を出した。

 小学校を卒業して、ほとんど全員が同じ中学校にエスカレーター式に入学。当然佐助もいた。
 クラスは別れたけれど、示し合わせたわけでもないのに同じ委員会になった。「なまえの考えそうなことなんてぜーんぶお見通しだよ、面倒臭がりさん。"消去法"でしょ?」と笑われては言い返すこともできなかった。
 そんな風に三年間を過ごした。


 そして、高校へ。


「よーっすなまえ、お待たせ」
「だいぶ長かったね。もうテスト明けのグラウンドの話してたんでしょ?」
「そう。もー俺様参っちゃうよ。野球部のお歴々ったら話通じないんだから……」

 夏休み前の前期最後のテストだった。
 三年生の私達はこのテストの結果をもとに通知表がほぼ確定し、進学や就職なんかに使われることになるので一切手が抜けない。

 その点佐助はほとんど常にオール五目前みたいな安定っぷりなので、本当は今回のテストもそこまで切羽詰まって勉強する必要はないんだろうけれど、私が張り切っているのを見て「じゃあ俺様も〜」となんてことないように勉強道具を持参してきたのだ。
 だから今日の佐助は若干手荷物が多い。普段の彼は置き勉派なので極端に荷物が少ない。鞄もペラペラで中に入っているのは財布とペンケースくらいなものだ。

「真田くん、真面目だから押し通すとかできないよね。これだけ熱心に運動部がみんな頑張ってるんだから、グラウンドの一つや二つ増やしてあげればいいのに」
「あ、野球部を説得するっていうのはもう捨て策な感じ?」
「だって無理でしょ。片倉くんはともかく伊達くんってあんまり譲歩するタイプじゃないじゃない? 片倉くんも伊達くんが入ってくると急に頑固になっちゃうし」
「右目の旦那は元から頑固でしょ……」
「そうかな。私はいっつも親切にしてもらってるけど」

 言いながら片倉くんの席を見ると、佐助は納得いかなげな顔になって「な〜んで右目の旦那が一緒のクラスで俺様だけハブかなぁ」と乱暴に頭を掻いた。
 ……ちょっと隙があればすぐにこれだ。
 高校に入ってから、私と佐助は一度も同じクラスになったことがない。私としてはわざわざ探さなくても佐助の方から顔を見にくるので不満も不平も一切ないのだけど、佐助は何故か三年間一度もクラスが同じにならなかったことに陰謀めいた何かを疑っているらしい。
 そんな馬鹿な、と笑ったら大真面目に拗ねるので口にはしないけど、まるで子供みたいだ。

「絶対、俺様がなまえと仲良くしてるのを妬んでるヤツがいるんだよ」
「そんな暇な人いないよ。ほら、勉強しに来たんならワークの一つや二つ出して」

 ぶすくれる佐助を適当にあしらって参考書を開くと、佐助が覗き込んでくる。

「それ新しいやつ?」
「そうだよ。教科書とワークはもうだいぶやっちゃったから、新しく買ってきた」
「へー。熱心だねぇ。そんな判定厳しい大学目指してたっけ?」
「そういうわけじゃないけど、でも勉強は出来るに越したことないでしょ」

 ふうん、という生返事。佐助はあまり勉強に時間を割かない。地頭がいいので勉強はサボっても何とかなっているらしい。
 いつものテスト期間も二学年下の幼馴染という真田くんにつきっきりであまり自分の勉強をしていない。
 だからこうして私の自習に付き合う、なんて言い出したことも珍しいことだ。昨日言われた時はちょっと驚いて二度見してしまった。

「……でさ。その大学ってランクどれくらいなの? A?」
「さっきから質問ばっかりね。そんなに私の進学先気になる?」
「ま、気にならないって言ったら嘘になる。――俺、お前好きだしさ」

「あ、うん、そっか」

 ……これだ。そこらの女子なら勘違いして舞い上がってるだろうな。
 佐助は何と言うか、……今はだいぶ和らいだとは言え元が人嫌いの気があって、その反動なのか一度懐に入れた相手にはつくづく甘い。
 どうやら私のこともこの八年でしっかり懐に入れてくれたようで、平然と「なまえ好きだからなぁ」などと宣ってみせる。
 最初はおお……とおっかなびっくりどっきりしていたけれど、今ではすっかり慣れてしまって「そっか〜」と平らかな心で受け流せるようになった。

 ――思うに、佐助の好きには見えない順位付けがある。
 まず先頭に来るのは後輩で幼馴染の真田くん。彼とは部活も同じで、事あるごとに世話を焼いている。
 何だか幼馴染、という関係だけで語れるような仲でもないような気はするのだけど、私の知らない時間が彼らにはあることは承知しているので口出しはしたことがない。
 ちなみに真田くんと佐助が幼馴染だということを知ったのは真田くんが高校に入ってからだ。それまでは幼馴染がいること自体知らなかった。

 次に同級生のかすがちゃん。何と言ったって彼女だ。
 あんな綺麗で隙のない女の子と平凡な私には接点がないので詳しいことはやっぱり知らないけれど、佐助曰く「腐れ縁」。
 彼女に対する佐助の眼差しは何と言うか、……恋や愛と表現するには欲のない、心底大事なものを案じるような色を時折見せる。かすがちゃんは二学年の担任である上杉先生ガチ勢という噂なので、多分本当にそういう関係ではないんだろう。
 たまに見る二人の様子は完全に兄弟姉妹のそれだ。

 そして、おこがましくも私。もしかしたら佐助には他にも大事なものや好きなものがあって、私は三番目ですらないかもしれない。
 私も佐助は友達としての"好き"なので三番目だろうが四番目だろうがどっちでも構わないのだけど、こうも「好き」を簡単に口にするような男が近くにいると自然と身の危険を感じるものだ。

 最高学年になってからは自然と進学先や就職先のことに話題が移っていくものだけど、佐助がそれとなく私の進学先を気にするたびに「もしや私は大学に行っても佐助と一緒にいるのか?」と近い将来に疑問を持つのである。
 だって考えてもみろなまえ。目の前で頬杖をついて勉強する気のない男を見ろ。

 佐助は綺麗な顔をしている。彼から色恋沙汰は正直聞かないけれど、先輩後輩関わらず女子からは色々佐助に関する話を耳にしてきた。つまり佐助はモテる。
 背も高いし、足は長いし、すらーっとしていて隣を歩かれると正直緊張する。制服は着崩されて若干チャラチャラしているけど、昔と比べればだいぶ落ち着いた方だ。
 人当たりもまあいいし、普段は軟派者だけどここぞと言うときはしっかり自分の考えを持てる。

 ……なんでこんな男と私は八年も友達やってるんだろう?


「佐助、私より頭いいんだから、私に合わせてランク下げて大学選んだりなんかしたら駄目だよ」

 微苦笑を浮かべ口にした言葉に、言葉以上の意味はなかった。
 ただランクが上の大学に入った方が就職に有利なのは確かだし、大学のパンフレットにされていた大学生男女の顔を自分と佐助に置き替えたら言いようもなく胸がそわそわした。それだけだった。
 私にとってはいつもの進路話の延長上の冗談めいた助言のつもりだったのだけど。


 会話が途切れる。おちゃらけた返事が返ってこない。
 参考書から視線を上げる。


 視線の先の佐助は、


「――俺と一緒が嫌みたいなこと言うね」

 深すぎる瞳でこちらをじっと見据えていた。


・なまえさん
 佐助の友達。進路が別れてもたまに連絡を取り合ってたまにご飯を食べにいくような仲になるんだろうと思ってる。
 八年一緒にいたのに友達のことをあまりわかっていない。

・佐助くん
 夢主の友達。人嫌い。色々思うところがありすぎる。
 現代の高校三年生猿飛佐助は口下手になりつつある。



 廊下の隅に佐助を見つけた。開けられた窓の縁に両肘をかけて誰かと話している最中のようだった。
 いつもなら鬱陶しい口調で絡んでくるので、橙色の髪の後ろ姿を見かけようものならすぐに道を迂回するが会話の最中。
 あの佐助がわざわざ足を止め、全身で"会話の姿勢"をとっているのだから、間違ってもこちらに来ることはあるまい。

 そう安堵しつつ、心の中でふと疑問が湧き上がる。
 ならば話の相手は誰なのか?

 佐助の交友関係を考えれば、ああして足を止め雑談に興じる相手として一番に浮かぶのは真田だった。
 けれど奴は人一倍声が大きいから、相手が真田であればこの距離でもあの喧しい声が聞こえてくるに違いない。いつも振り回されているはずの佐助があんなに落ち着いているのも妙だ。

 そうでなければ体育の武田先生か? それも違う。
 他の独眼竜や竜の右目とああして親しげに話すことはもっと考えられない。死角となって見えない話し相手に既知の誰を当てはめてもしっくりこない。

 ……好奇心に負けて、そっと廊下の最奥を覗き込む。


「――でさ。俺様もう参っちゃって。昨日は晩飯も諦めて寝ちまったわけ」

 甲斐の若虎を前にした時とは違う、どこか弾むような楽しげな声。
 一拍遅れて聞こえるのんびりとした笑い声。女の声だった。

「すごくいいんじゃない、青春って感じするよ」
「どこが!? ほんっとお前ズレてるしわかってない! 旦那達のヤバさをッ!」
「あはは、わかりたくもない」
「ひっでぇ……」

 制服姿の女子生徒が佐助の隣に立っていた。一度も染めたことなどないような黒髪と校則を守ったスカート丈。上履きの色は二年だ。
 知らない女だった。

 不思議なものを見たような心地でその二人をしばし眺めてしまう。
 あの――あの猿飛佐助が、あんな顔を?




「かすが、見てただろ。五限のあと、廊下」

 部室でだらけていた佐助が唐突にそう言ったので、勢いよくそちらを見てしまう。
 まるで覗き見を咎めるような声音とは裏腹に、その視線はこちらではなく手元の手帳に落とされていた。
 怒っても笑ってもいない。ただ単純に事実を述べているだけの静かな横顔だった。

「たったまたま通りがかったところにお前達がいただけだ! まるで私が覗きをしていたような言い方はやめろ!」

 あの陽だまりのような光景を思い出しながらまくしたてると、佐助はそこまで言ってないけど、と苦笑した。

「別に見られたからって困るようなことはないんだけどさ」

 そう言って椅子を漕ぎだす。どう見ても「困るようなことはな」くもない表情だった。
 …そう推測しつつ、好奇心に従って「同級生か」と問いかける。

「いんや。俺は来年こそ同じクラスになりますようにって毎年心底祈ってるけど今のところ隣のクラスが関の山」
「……お前……そんな冗談言うのか……」
「なんつー顔してんの? 俺様馬鹿にされてる?」

 ひでえ、と笑いながら橙色の頭が机に突っ伏す。ヘアバンドに押さえられた髪が何だか覇気を失ってへなりと垂れさがっていた。
 その正面の椅子に座って、十秒の沈黙。

「…………好きなのか」
「めっちゃ好き」
「……恋か」
「わかんない。でも旦那やお前とはまた別枠だってことだけは確か」

 あまりの覇気のない声に愕然とした。あの猿飛佐助をこんな状態にしてしまう名も知らぬ二年の女に畏敬の念すら湧いてくるようだ。

 訊いてもいないのに勝手に喋り出した佐助の語りによると、件の相手と出会ったのは小学五年の頃。
 それから中学を三年間共にし、高校は佐助が誘ったのだと言う。
 クラスが同じにならない代わりに、休み時間はほとんど廊下に連れ出すか自分が教室に侵入するかして話をし、校外でも暇があれば必ず声をかけてどこかに遊びに行くとか。

「喧しいかしつこいかだったら先に俺様の方が愛想尽かしてたかもだけど、あいつマジでこっちの思考全部読んでんのかってくらい程よい距離で近くにいるんだよなぁ。真田の旦那にちょっと疲れた時とか、あののほほ〜んってした顔見ると何でもどうでもよくなるって言うか……」
「……」
「でもなんか俺の方が一方的に会いにいって連絡して声かけてって言うのはちょっとモヤる……好きなの俺だけみたいじゃん……」
「お前……」

 それは恋なのでは……?

「面倒臭いな……」
「溜めて言われると余計傷付くんですけどォ……!?」

 私はこんな風に感情に振り回されて喚く猿飛佐助を知らない。
 こんな人らしい・・・猿飛佐助を見たことがない。
 明確な心の機微が見てとれるのに、鳶色の双眸は心ここにあらずといった様子でぼんやり窓の外を見つめている。


 強がりも誤魔化しもなく、ただ剥き出しになったひとりの人間がそこにはいた。

「……けど、否定は出来ねえな。アイツは――なまえは俺のことただの友達だと思ってるけど、……もしかしたらそれ以下かもしれないけど。俺はなまえがいないかもしれないこの先の未来なんか心底嫌なんだから」

 どうしてかな、と乾いた自嘲が夕方の部室に溶けていく。

「溺れそうになるくらい平和な時代に生まれたのに。欲深いったらないよ、まったく」


 今言ったことを一言一句違わずにその女の前で復唱してやればすべては解決すると言うのに、目の前の平和な時代に生まれた"猿飛佐助"はそんなことも出来ないほど変わり果てていた。
 目の前の夕陽に照らされる十八歳の男は、そういう人間になっていた。



 余談ではあるが、「何度好きって言っても『あ、そっか』って流されるのを繰り返してたら段々正解がわからなくなってったんだよ! 多分これは俺様そんなに悪くない!!」と大声で怒鳴った佐助に、自分はやはり恵まれているのだとぼんやり思った。
 ならば「好き」以外の言葉を選べ、お前あの猿飛佐助だろう、と言いかけた口は自分の手で塞いだ。
 こういうことは多分自分で気付かなければ意味がない。……多分。

・佐助くん
 情緒豊かな自分についていけないので友情と恋情の区別がまだ曖昧。
 ところでどの『猿飛佐助』と自分を比べてるんですか?

・かすがさん
 二年。まだ新聞部にいる。
 急に感情が隠せなくなる『猿飛佐助』に若干引いてるけどこれはこれで面白い。
 いつも自分が揶揄われてるから高校にいる間は同じ話題でめいっぱいやり返してやろうと思ってる。

・なまえさん
 そこまで親しくない友達相手ならわざわざ廊下に出たりはしない。


(title by afaik)

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