「想定外」に捨てられたわたし

(※佐野家や過去に関する捏造多数、微妙な近親相姦表現注意)



「まーたこんなとこにいた」

 地平線から太陽が顔を出し始めた早朝も早朝、ド早朝。
 少なくとも普通の学生が起き出すような時間帯ではない、薄暗いリビングのドアを開けて兄がやってきた。
 グレーのゆるいスウェットで、お腹をポリポリ掻いている。黒い髪にはしっかり寝癖をつけて、見るからに寝起きといった出で立ちだ。
 頭からタオルケットを被り、窓の方を向いて床に三角座りをしていた私のもとへちょっとふらふらした足取りでやってきて、隣にしゃがみ込む。

「いつからいたんだよ」
「まだ起きてそんなに経ってない」
「ほんとか〜? 兄ちゃんに嘘吐いてねぇだろうな〜?」

 兄が自分で「兄ちゃん」と言うのが珍しいので、隣の白い顔を何となく見上げてぱちくりと瞬きする。なかなか答えない私に、兄も不思議そうな顔をしてぱちぱちと瞬きした。
 我が兄ながら、間抜けな顔だ。起き抜けだから余計にそう見えるのかもしれない。

 これがあと数時間もするとちょっとダサいリーゼントをキメて、関東最強の暴走族の総長になるのだから人間って見た目じゃわからないものだ。
 先に兄の黒瞳から目を逸らす。

「嘘なんか言ってないし、真一郎だっていつもより早いじゃん」
「オレはあれだよ、なんか目ェ覚めちまったんだよ」
「じゃあ私もそれ」

 そう言って膝を抱え直すと、「"じゃあ"ってお前な〜」と被っていたタオルケットを剥がれた。夜明けのひんやりした空気が首や足に触れて鳥肌が立つ。
 つんけんした態度をとれば私含めた弟妹たちにあまり年上として扱ってもらえない兄が拗ねてちょっかいを出してくるのが嬉しかった。
 ちょっとだけ口許を緩めながら、身を捩って頭をめちゃくちゃに撫でまわす兄の手から逃れた。


 佐野真一郎。男にしてはちょっと白めの肌と墨を流したように真っ黒な髪、不思議な顔立ちと眼差しをした、五つ上の兄。
 ちなみに佐野家は兄、私、弟、妹の四人兄弟で、両親はすでに他界しており同居している祖父が保護者だ。
 この春高校生になった真一郎、やっと小学五年生になった私、あと一年で幼稚園卒園の万次郎、この間我が家にやってきたエマ。

 ちょっと複雑な家庭環境で、けれど確実に同じ血が流れている私達。
 ちょっとヘンだけど楽しい佐野家に生まれ、育った私、佐野なまえは。

 ――困ったことに、実の兄である佐野真一郎が好きだった。


* * *


 私のなかの兄に対する愛情が世間では近親相姦と呼ばれ忌避されるものであることは充分理解していた。
 というか、逆に純粋な近親相姦であればどれほどマシだったことか。もしそうであれば、きっといつか自分の愚かさを笑い飛ばせる時が来たかもしれない。

 書類上の関係が兄妹である私と真一郎だけど、困ったことに私は生まれてから三年ほどで兄を含む佐野家の人々を血の繋がった家族と認知することをやめてしまっているのである。
 白状すると、私は佐野なまえであるけれどその実感を持たない。自分が佐野家の長女であることは理解しているけれど、実感として自分がそうであるとはどうしても思えないのだ。

 佐野なまえに異変が起こったのは私が三歳、兄が八歳の頃。
 別に何か特別なイベントや事故があったわけではないのだけど、兄に手を引かれて歩いていた私は唐突に、雷に打たれたように自分が三歳の幼女ではなく社会人の××なまえであったことを"思い出した"。
 次の瞬間、自分の手を引いているのは『五つ上のお兄ちゃん』から『この先の未来のいつかに後頭部をぶん殴られて死ぬことになる佐野真一郎』になった。

 ××なまえというのは佐野姓になる前の私の名前なのだけど、どう頑張っても以前の姓が思い出せないので便宜上××と伏字にしている。
 理由も根拠もない天啓にも似た情報量の暴力ではあったけれど、混乱のなか「三歳児がこんな緻密な思考をするわけがないもんな」と若干世の三歳児に喧嘩を売るような諦念で、私は佐野なまえでありながら××なまえの自我を持って生きていくことを受け入れた。
 その結果色々失ったものあったのだけど、二十代後半女性の自我を持っておきながら幼女のふりをして生きていくのはつらいものがありすぎる。


 そういうわけで、私こと佐野なまえは子供の肉体に二十代後半女性の精神を宿しすくすくと成長していった。
 釈明しておくと、二十代後半女の自我を持って速攻真一郎を恋愛対象と据えたわけではない。


 真一郎は、佐野家で過ごした家族としての記憶と佐野家とはまったく関係もない他人としての自認の衝突、ついでに兄である佐野真一郎が数年後には殺され、更にその数年後には妹が殺され弟は闇落ちなんていう地獄のような展開が待っているという知識でバチボコに病んだ私にずっと寄り添ってくれた。
 もちろん彼らの行く末については一切口外していないのだけど、口には出せない理由で不定期に病んでは夜中に家を脱走してみたり夜から朝までリビングで一人過ごしてみたりと謎の行動を繰り返す私を、ひどく心配したらしい。
 多分、というか絶対、小学校にあがったばかりの妹が死んだ目で真っ暗なリビングに一人蹲っていたり、玄関から脱走して明け方に戻ってくる、みたいな奇行に走るのは気味が悪かっただろうに。

 私がそうして恐怖やら罪悪感やらと戦っているとき、真一郎は何を言わずとも起きてきて、床に蹲って泣く私を抱き上げて、ソファにおろして、自分も隣に座るのだ。
 脱走に関しては何故か玄関に向かった時点でバレて、そのたびにおじいちゃんや万次郎まで起き出すので、正気度が低い発狂中でもなけなしの理性を総動員させて我慢するようになった。

 深夜の真っ暗でひんやりするリビングのソファに深く腰掛けて、眠そうな顔で時々舟を漕ぐ真一郎に「ひとりでも平気だよ」とすすり泣きの合間に呟くたび、真一郎はこう言った。


「なまえが泣いてんのにひとりで寝れるわけねーだろ」


 ……いや、そんなのずっと言われ続けたら好きになりますやん!?
 "妹"ではなく"なまえ"なのが特に始末が悪い。
 こちとらとっくに佐野家という家族の認知が稀薄だと言うのに、そんなこと言って優しくされたら好きになってしまうよ、やめてよしんいちろー、なんて言えればよかった。

 ともかく佐野姓でありながら他の家族のことをいまいち血の繋がった家族として見れていなかった私こと××なまえの自我は、あっと言う間に優しく寄り添ってくれる真一郎に恋をしてしまったのだった。
 どれだけ私が私の異変を説明したところで結局真一郎は兄で私は妹という太陽が東から昇ってくるくらい当たり前の方程式を打ち壊せはしないし、そうしようとも今のところ思っていないので、ひっそりこっそり、家族のフリを続行しつつ真一郎に展望も進展もない片思いを続けているのである。
 ちなみに真一郎は女にはしっかりモテないので、他の女に奪われていく心配は今のところない。
 何なら同じチームの仲間達に連れていかれる確率の方が高いし、私はやっぱり年上の不良達にメンチを切った方がいいんだろうか?




 散々私に構って満足した真一郎がリーゼントを作りに洗面所へ向かったので、私も学校の準備を始めた。
 といっても着替えて真一郎が占領している洗面台に滑り込んで顔を洗って歯を磨いて、朝ごはんを作るだけなのだけど。

 私がお湯を沸かし始めると真一郎より先におじいちゃんがリビングに出てくるので、先にスクランブルエッグと野菜をちぎっただけのサラダを出して、合間にパンをトースターに突っ込む。
 飲み物は各自勝手に準備する決まりになっているので、湧いたお湯でお茶を淹れたりインスタントコーヒーを作ったりと様々だ。
 全員ぶんのスクランブルエッグとサラダがテーブルに並んだら私も自分でコーヒーに牛乳と砂糖を足したカフェオレを作ってご飯を食べる。
 この辺りでエマが「おはよ〜…」とやってきて、その後に真一郎がやっとリーゼントを完成させてご飯を食べにくる。

「万次郎は?」
「まだ寝てた」
「起こしてきてよぉ」
「やだよぅ。ウチが起こすよりなまえが起こした方がはやいじゃん」

 絶対そんなことはない。万次郎は誰がどうしようがなかなか起きない。
 最悪真一郎がリビングまで担いでやってくる時もあるけど、しょうがないので今日はエマの言う通り私が起こしにいくことになった。

 布団が盛り上がってめちゃくちゃになっている山を割と容赦なく叩く。
 一度では返事どころか反応すらなかったので、二度三度と叩く。
 ようやくうざがるような唸り声が布団から洩れてきたので、掛布団を引っ張って剥いだ。
 ぎゃー、と大変ゆるい悲鳴があがる。

「寒い、やだ、なまえサイテー」
「お黙り。もうみんな食べてるよ、はやく食べないと遅刻だよ」
「……ぐぅ」
「コラコラ寝るな」

 しょうがないので万次郎の胴体にがっちり両腕を回して抱き上げる。
 万次郎が背の順で一、二を争うほど前の方というのと、何の遺伝子の突然変異なのか女子にしては背の高い私という組み合わせだからこそできる荒業だった。
 万次郎は確か大人になっても背が低かったと記憶しているけれど、でもだからってこの先小学生中学生と大きくなっていく"無敵のマイキー"を抱き上げて引き摺っていきたくはないな。

「なまえー」
「ああもう、なに? 起きたなら自分で歩いてよ」
「おはよー」

 相変わらず寝癖で頭はボサボサ、ムニャムニャしている顔だけど「おはよう」も「おやすみ」も欠かさないので、将来の東京卍會総長――果ては反社組織の首領とは思えない。
 何だか複雑な気持ちになりつつ、「おはよう」と返してやる。
 寝惚け眼で真一郎と同じ黒瞳がゆるゆると笑う。

 次の瞬間再び寝落ちしたので、諦めて大声をあげて真一郎にヘルプを要求した。
(title by FELICITE)

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