夜が歪さを保ったままだから

 何人目か解らないなまえの友達候補として現れた女は、綺麗な顔の割に股の緩い女だった。
 なまえはそういう人間の見分けはとんとできないし、男か女かにしか興味のない人間の思考回路なんてものは最も関心がなく、嫌悪すらしているだろうから、それが発覚する前にサクッと名ばかりの候補から除外できたのは僥倖と言えるだろう。
 特に、いつでも自分の外面に傾く女ばかりが相手とはいかないから。

 勿論完全に陥落させ、みょうじなまえという女からその目を逸らさせることは自分にとって造作もない手遊びみたいなものだったが、それでも今回は少し危なかった、かもしれない。
 どちらかと言えば同僚――ルッチのような男の方が好みだと聞き出した時は流石に驚愕を隠しきれなかった。
 まさか、ルッチへ到達する為のパイプとしてなまえを選ぶとは。
 二重の意味で恐れ知らずな女、なんて愚かな女、と内心せせら笑ったものだ。
 ともすればありがたいことでもある。


 あの愚直で愚かしいほど真っ直ぐな鋒が文字通り標的を変えたなら、今度こそ自分がどんな顔をするのか想像もできなかった。



「――今の、なまえが最近懐いてる女じゃねえのか」

 振り返ると、葉巻を咥えた同僚がばつが悪そうに頬を掻いている。
 にこり、と人好きのする笑みを浮かべて頷いた。
 基本的なことがとんと解っていないなまえは、今日も理想の友人とやらを探し求めるのに忙しい。

 ということは、自分もそこそこ忙しいということ。

「そうだったかのう。生憎差し入れもひっきりなしじゃ、いちいち顔を覚えようとすれば日が暮れる」
「ヘイヘイ、モテ男はつらいね」
「わはは」

 右手に握らされた紙切れを雑に上着のポケットに突っ込んだ。電伝虫の番号か、それとも住所か。どちらでもいい、連絡するのは最後に会う時だ。
 おちおちしていれば昼休憩がすぐに終わってしまう。もうじきなまえが本社から戻ってくる頃合いだった。
 僅かでも心を割いた相手を目の前で掠め取られる現場を目撃させるのもなかなかに愉快だが、それで毎度人目も憚らず包丁を振り回すようなことになっては困る。

 静かに、普段通り、愚直に、真っ直ぐに、熱い空気のなかで木っ端の胸が透くような香りだけを感じていてほしいから、こうして任務外にも関わらずわざわざ女漁りを繰り返していると言うのに。

「実際、モテているのはなまえじゃ。どんな相手にも警戒心を抱かせないのは、あの正直さゆえの特性だからのう。わしには、とてもとても」




 なまえの仕事場であるデスクには、動物を模った小さな木製人形や手彫りの花が散らされた見事な文箱が並んでいる。
 あまりに見事な出来栄えに手作りと聞くや否や自分にもひとつ、と頼み込んで嫌な顔をされたのは記憶に新しい。心底面倒臭そうにあしらわれても欲しいと思ったのだ。


 なまえはまさに、あのデスクの様相そのままの人間であった。

 少女趣味が伺えるような動物のチョイスとデフォルメをするくせに、出来上がるのは無骨さの残る木のフィギュア。
 色を塗ればもう少し可愛いのに、とカリファが残念そうに洩らすのには「塗りで失敗するのいや」と当然のように返していた。
 両手をあげて威嚇する淡い肌色のクマを指して「シロクマ」と言っていたのには流石に笑いが堪えられなかった。そんなもんわかるわけなかろうが。

 そばに置かれ、たまに新しいものと入れ替わる文箱も凝った装飾をするくせに黒塗りにしてしまうから、何となく地味になってしまう。
 数週間頼み続けてやっと作ってもらえたものも同じような見た目で、男が使っても悪目立ちしないデザインはいいものの、これが自分と年の近い女の手でできたものと思うのは不思議な心地だった。

 そして何より、なまえはそんな自分自身を嫌い、自分に欠けた少女時代の理想を僅かに感じさせる女ばかりを好み、愛そうとする。
 自分に欠けたものを持つ相手など最初から反りが合うはずもないと言うのに、それでも自分と少しでも違うと見るや否や地味な女にも派手な女にもついていってしまう。愚かで愛おしい、叶うはずのない願望だ。

 しかし、人嫌いの気があるくせに妙なお人好しで良くも悪くも他人を差別しないから、愚かな願いの矛先を向けられた人間は彼女をするりと受け入れてしまう。
 あの難儀なこだわりと性格がなければ友人などすぐに百人でも千人でもつくれることだろう。


 その矛盾した性質が好ましかった。
 どうしようもなく真っ直ぐな性根に異なる願望を二つ抱え、意味もなく心を削りながら愚直に生きる。
 途方もなく愚か。底が見えぬほど無垢。呆れてしまうほど素直。


 この胸を刺す感情は恐らく切なさと、少しばかりの尊敬。
 最早真っ当に日の当たる場所で生きることなど敵わない己には、なまえを歪なまでに人たらしめる不安定さが、何より愛らしく映ったのである。


*  *


 時折、恐ろしくも思う。
 あの女は、自分をこれ以上どうしてしまうつもりなのかと。
 『同僚』たちの目にも少しばかり奇妙に映っているらしい――心無いはずの執行人の姿は。

「なまえが拗ねてたわ。またカクに"友達候補"奪られたって」

 人気のなくなったドックの裏で、何気ない世間話のようにカリファが呟く。
 なまえのデスクから拝借した指先で摘まめる鳥の人形を夕陽に透かし見ながら、ぱちりと瞬きをした。

「なんじゃ、思っとったより仲が良い…」
「お陰様で、本社にあの子が来るたびに貴方の話題でついつい長話よ」
「熱烈じゃの〜照れるわい」
「……大丈夫なの?」

 わはは、と愉快な気持ちが口から溢れた。
 そんなこと。

「わかっとらんのう、色恋なんていうしがらみとは違うんじゃよ、これは。わしはただ――ただ、綺麗なものには綺麗なままでいてほしい」

 独白のようにぽつぽつと零れる感情を、思想を、頭で噛みしめる。

 別に彼女がどこぞの誰と友人になろうが、誰と恋人になろうがその過程に興味はない。
 ただもしもその結果が彼女を変えるのなら、それだけは許しがたい。だから、彼女に干渉する可能性がある存在をすべて遠ざける。

 愚直さで矛盾する、根底で人の好さと人嫌いが衝突する愛らしさが欠けるのなら、哀れで愚かな願いなど手離して、代わりに昇華させることのできなかった夢を廃棄物として吐き出し続けてほしい。
 いつまでも、あの心地よい風が吹き抜ける事務所で。
 叶うのなら、自分がこの街を離れた後も、変わることなく。


 剥き出しの愚かさで人を振り回す姿を、なまえが生み出したモノたち越しに想うことができれば、恐らくそれだけで満足なのだ。


「…はた迷惑で悍ましい恋だわ」
「迷惑も悍ましさも否定はせんが、恋と言われると少しなぁ。終わりの見える平穏にしがみつくような男に見えるのか?」
「じゃあなあに、まさか友情?」

 眼鏡の奥で冷たい瞳がきらりと光る。
 男女間に友情は成立しないって言ってたわよ、瞳の硬さとは裏腹に優しい声で囁かれる。

 ――温かな夕陽を受けてもなお温もりを一切通さない冷徹さを失った訳ではないことを、どう説明すれば理解されるだろうか。
 信仰にも近いこの奇妙な感情が恋だと言うのなら、世界はもっと神聖な愚か者で溢れているに違いない。
(title by 天文学)

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