満ちない夢のまま

「よくも私の友達をーーーッ!!」

 先に出勤していた白いキャップの後ろ姿が目に入った途端、反射的に大きな声が出た。
 遭遇直後がゆえに脈絡のない私の叫びに、けれども「"候補"じゃろ」と半笑いのツッコミが入る。欠片も悪いことをしたと思っていない声音が余計に癇に障った。

 まだ始業時間前だと言うのに仕事熱心に集まって話をしている職長たち…の中心にいる長鼻の長身に狙いを定める。
 背負っていた仕事用の鞄に忍ばせていた分厚い包丁――もちろん自宅から持参した――を引き抜くと、力いっぱい両手で握り締め、

「万死!!」
「ワーーーッッッ何しやがるなまえテメェ!!」

 脇腹の横にがっちり両手で固定した包丁で突進をする。現場はさながら修羅場であった。
 肝心の標的はひょいと身を翻して躱してしまう。代わりに狙われてもいないパウリーが咥えていた葉巻を落としそうになりながら怒鳴った。
 そちらには目もくれず、軽々避けたカクを見開いた目で睨み上げると、大したリアクションもしなかった割には驚いたような表情が滲み出ている。
 驚くならそのままさっさと刺されろ、と内心毒吐いたけど、不意打ちが失敗した以上今真正面からもう一度襲い掛かっても止められるのが関の山。

 うーん、と短い唸り声が口から洩れる。

「外れてしまった。…仕方ない、今日はこれくらいで勘弁してやろう」
「何だテメェ朝から…流血騒ぎも痴話喧嘩も御免だぞ!! ハレンチだ!!」
「いや、ハレンチなのは私じゃなくてカクだから」
「わはは、わし冤罪」

 なーにが冤罪だ。世の女の子の初恋泥棒するくせに誰にも本当の顔を見せないで。
 呑気に笑うカクをしっかり睨みながら、握っていた手を解いて包丁の刃を布で包む。それを鞄に戻して、はあと大きく息を吐くと、流血沙汰に備えて身構えていた他の面子もほっと息を吐いた。

「何じゃ、諦めるのか」
「違う、これ諦めじゃない。戦術的撤退だから。私の復讐はこんなんじゃ終わらないから。つーか襲われてニコニコするな」
「まーたカクにオキニの娘奪られたのか。懲りねえなァ」
「どっちが!」

 オキニの娘ってなんだ。変な呼び方するな。
 ドックの奥から私を取り押さえにやってきたらしいタイルストンとルルに片手を振って踵を返す。
 一応本社から試験出向中の事務員の身なので、職人でもない自分が作業場に足を踏み入れるのは流石に駄目だ、とほんの少しだけ息を吹き返した冷静な部分が叫んでいた。
 まあ、あの野郎に少しでも隙があれば敷地内外に関わらず全力で刺しにいくけども。

「……『懲りねえな』」
「さて、何のことやらわしゃ解らんわい」



*  *


「そう、じゃあまたカクに奪られちゃったのね。ええと、"お友達候補"が」

 本社とドックを行き来しながら伝書鳩もどきをするのが私の仕事である。事務員とは名ばかりの半分営業半分雑用係みたいなものだ。

 ドックから持ち帰った書類を手渡すと、それを確認しながら眼鏡越しにちらりとカリファが視線を寄越す。
 私はそれに大きく頷きながら後ろ手を組む。口端が下がってへの字になるたびカリファが小さく笑うので、私は限界まで無表情に徹しなければならなかった。


 カク――1番ドック大工職職長。
 奴のせいで私は生まれてからずっと同性の友達がいないままだ。
 生まれてからずっとと言うと少し語弊があるけれど、とにかくここ五年近く私に女友達ができないのは間違いなくカクのせいである。

「本当に最悪……先週知り合った子、私が職場の同僚の追っかけと化す子たちが嫌だって知ってて"絶対私は大丈夫!"って言ってたのに、週末ご飯食べに言ったら"私…"って、裏切り早くない?」

 父親が船大工で、小さい頃から造船場やドックに出入りしてばかり、趣味は端材を使ったちょっとした工作。
 汗臭くむさ苦しい男衆に囲まれて育った私には、基本的に友達と呼べる相手がいた記憶が一切ない。

 だからこそ、父のような船大工になるのは無理としてもそれに関わる仕事に就いて、少し落ち着いてきた今、普通の同性の友達がほしかった。

 そして、その友達とは仕事の話は絶対にしたくなかった。
 相手の仕事の話は全然許容範囲なのだけど、とにかく私は私の仕事をプライベートに持ち込みたくなかった。影がちらつくのさえも許しがたい。
 小さい頃にはまったく縁がなかった可愛いアクセサリーの話や流行りの服の話、キラキラして見える化粧品の話なんかを、紅茶やコーヒー、可愛いお菓子を片手にお喋りしたいのである。

 そもそも女の子に造船のアレコレの話をしてもまったくウケないし理解してもらえない、なんてことだけは昔から理解していた。
 だから仕事は好きだけど仕事の話はしたくなくなったし、する必要もないと思った。

 だって言うのに、街のあちこちで出会って友達になれそうだと期待していた子たちは、仲良くなればなるほど揃って「お仕事の話が聞きたいの、ずっと興味があって」「職長たち、普段はどんな感じなの?」「差し入れって受け付けてる?」「見学ってできるのかな?」等々………。


「いやそれは事務所に問い合わせてくれ! 私は事務員であって事務所じゃない! 差し入れなんかそこら辺から投げ込め! 勝手にやって!」
「うふふ」
「笑いごとじゃないよぅ、きっと私のことなんかどうでもよかったんだよ…」

 私が好ましく思う子がうちの社員に心を奪われる呪いでもかかっているのか、初めからうちの社員目当ての子たちに憧れの職長への架け橋とでも思われているのか。
 わからないけれど、とにかく念願かなって女の子らしい休日を過ごそうとワクワクしながら出掛けた時、満を持して飛び出してくる質問が"そういうもの"ばかりだから、余計に仕事とプライベートの線引きを意識してしまって、余計休日に仕事の話が出てくるのが許せなくなってしまうのだ。

 とりわけ多いのはカクについての質問だ。
 他の職長たちと比べれば若いし、基本的に愛想がいいから人気が高いのはわかっていたけれど、ここまで脳内『カク尽くし』の休日にはうんざりしてしまう。
 それだけ私の友達候補たちが軒並み心奪われているという事実に戦慄するのは毎週末のお約束みたいなものになっていた。


 確かにカクはいい奴だと思う。人柄もいい。
 特徴的な長鼻は目を惹くし、キャップと顎まで隠れる襟の服を好んで着るからぱっと見不審者ルックに見えなくもないけれど、よく見れば目はぱっちりしているし、金色の短い髪はさっぱりしていて好青年の代表みたいな男だ。だって言うのに笑う顔はなんだか幼い子供みたいだから始末が悪い。
 爽やかな性格で頻繁に笑うから、あの見る者すべてを魅了してしまう無邪気さと幼さが綯い交ぜになった仕草と笑顔で人々は自然と笑顔になってしまう。

 それを繰り返していくうち、短期間で「あれ? 好きかも」なんていう恋の自覚を促すとんでもないマジックを行使しやがるので、私はここ数年ずっと友達候補を奪われ続けていた。
 一目惚れとかいう一過性のものではなく、じわじわと積みあがっていく恋だから最早手に負えない。
 説得なんてものが効果を発揮したこともないので、カクを目で追い始めたり1番ドックの周辺で頻繁に見かけ始めたら「潮時か…」と勝手に落胆するようになってしまった。

 …たまにルッチの話が耳に入ることもあるけど、ルッチは何て言うか…肩に鳩乗せてるし腹話術をする面白人間だからひょうきんな男のようにも見えるけど、その実かなり気難しいうえに皮肉屋で毒舌家だから、あまり話題にのぼることはなかった。
 正直私もカクの話をされるより困る。
 カクなら「痴情のもつれで刺されてしまえ」と呪う程度で済むけど、ルッチに関しては未知数すぎてどう助言をしたらいいかわからないし結果も読めない。

「私の知らないところで私の友達候補とカクが出会ってる事実が恐ろしすぎて人間不信になりそう。この島そんなに狭かった? しかもこの前"やめておけ、流石にあれは趣味が悪すぎる"とか"なまえは人を見る目が絶望的じゃな"とか言われたし。ってことは絶対自覚的に私の周りにいる子落としにかかってるよね? なんで? 友達作るのになんであいつの審査入るの? あいつ私の何なの?」
「あらあら…。貴方と人の好みが似てるのかしらね」
「それだけは絶っっ対ないね。というか好みが似てるんだとしてもウリスちゃんのこと趣味が悪いとか言うの許せない、普通に女の敵すぎる」

 返ってきた書類を受け取ってがっくり肩を落とした。またこれを持ってドックにとんぼ返りだ。
 向こうに着くのが多分お昼頃だから、どうせまた友達になれたかもしれない女の子たちの群れを目撃してひとりで寂しくなるんだろうな。

「ずっと気になっていたけど、どうしてそんなに同性の友人に拘るの? 気が合う男と友人として付き合っていけば流石にカクに奪られる心配もないじゃない」
「男女の友情は成立しないって信じてる人間なので。それに男とじゃあ服の話も化粧の話も面白くないでしょ、たぶん。楽しいことを沢山して、今まで心労が溜まったぶん優しくされたい」
「優しくされたいの?」
「笑わないでよ、もう…」

 ――誤魔化すように振った自分の右手を見下ろすと、ひんやりした気持ちに襲われる。

 どうせ私には船なんて造れないし、男と女の間に友情はないと思ってるし、私はそんなに器用じゃないし、そういうことはちゃんと解っている。
 職場で話の合う同僚たちとワイワイ過ごすのも楽しいけど、今私が本当にほしいのはそういうのじゃない。
 私は私と同じくらい細くて頼りない手と手を繋ぎたい。

「友達って、家族の次に親しい仲でしょ。だからひとりでいいの。ひとりでいいから、仲良しになれる友達がほしい。…私の理想の女の子が友達になってほしいー、向こう十年くらいは仲良くしたいー!」
「……ますます恋人じゃ駄目なの?」
「全然だめ。恋人はお互いの面倒見なきゃいけないんでしょ。そういう責任を放って楽しいことだけ一緒にするのはずるだ。私、そこまで他人に興味持てないよ」

 友達は友達だから、そういうところが恋人よりもよっぽどいい。
 別にチュッとしたりギュッとしたりしたい訳ではないので、私は私のことを好きだと言って優しくしてくれる無二の友達がほしいのである。

 カリファは眼鏡をクイとあげて「面倒臭いわね」と微笑んだ。それに背を向けて歩き出す。
 そんなことは自分が一番わかっている。

 言ってしまえば、私には訪れなかった女の子らしい思春期の時代を今、復刻させたいという我儘だ。
 でも、カリファの言う通り面倒くさくて変なこだわりがあるから二十余年もの間ひとりも親しい友人を持たず生きてきた、そんな人生にちょっぴり嫌気が差すことの何がいけないって言うんだろう。

「私は立候補しちゃ駄目なの?」
「カリファは駄目ー、同僚だから。それにあなた人間出来すぎてるから私多分劣等感で死ぬよ」
「今まで通り仲の良い同僚でいましょうね」
(title by 天文学)

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