まことを見にいく

!百余年前


「え? 検案記録?」

 はい、と大きな身体を気持ち縮こませて頷いた隊士は、確か五番隊の人だった気がする。
 黒縁眼鏡で茶髪の優男。私なんかでは見上げてしまうほど背が高くて、仕事が出来そうな感じの雰囲気。
 失礼にもええと、と言い淀んだ私に嫌な顔一つすることなく「五番隊の藍染惣右介と言います」と名乗ってくれた。
 そうそう、藍染くん。なんかこの前後輩から聞いたことあったとは思ったんだよ。

「なんでまた検案記録なんか。というか、ただの席官に訊くより隊長に許可取りにいった方が早いと思うんだけど」
「卯ノ花隊長ですか? いえ、平隊士の僕なんかが隊長に直接お願いなんて…」
「そうかな…全然偉そうな人じゃないよ、うちの隊長」

 まあ卯ノ花隊長、穏やかに見えて結構厳しいし、四番隊以外の隊士に検案記録なんか見せてもわからないだろうしな。
 彼が検案記録なんて言い出した理由も謎だ。他にも訊きたいこと沢山あるけども。


 検案記録って言うのは、不幸にも亡くなってしまった隊士のうち、四番隊で回収し解剖や検死を行われた者たちの記録のことである。
 基本的にはその死に疑問ありと判断された死体たちの記録であるので、特に問題がなかった場合でも検案記録は四番隊外への持ち出しは規則で禁止されている。
 もちろん、他隊から正式な要請があれば開示もするし、必要であれば複写したものを渡したりもするけど。


「ええと、まず大前提としてただの席官な私には隊の機密情報をどうこうする力がないです。なので、ごめんなさい」
「そ、そこをなんとか……!」
「ええ…」

 会釈をしてお断りしたら藍染くんは私以上に頭を下げてきた。
 一体何がきみをそうさせるんだ。
 とはいえ、隊長からの依頼でもなさそうだし、彼個人の趣味で記録を見たいというのなら許可するわけにはいかない。私にそんな決定権ないんだけども。
 わざわざ人気の少なくなる終業時間を狙って私を訪ねてきた彼には悪いが、私は人並みに回道が使えるだけなので三席と言っても隊の中での発言力はそれほど強くない。

「僕に出来る範囲であればお礼は必ずしますので…!」
「お礼……いや別にいいかな…」
「みょうじ三席……!!」

 ぐぐ、と身を屈めて顔を寄せてきた藍染くんの視線から逃れるように背を逸らす。ついでに顔も逸らした。噂好きの後輩曰く藍染くんは大層人気だそうなので、安易にフラグは建てないべき。

「う〜〜〜ん…」

 いや、それにしても粘るなぁ。
 薄目で彼の顔を観察する。思慮深そうな印象を受けた。でもそれだけだ。

 別に意地悪しているつもりはない。
 私が彼に「いいよ」の三文字を告げてあげられない理由は沢山ある。
 まず大前提として検案記録含めた機密情報は許可のない開示・持ち出しが禁止であること。
 そして私にそれをどうこうする権限がないこと。
 権限以上のことをしでかして隊長に怒られるのが嫌なこと。
 あとは――


「…藍染くん、目が笑ってなくて怖いからやっぱり嫌かな……」


 私の口から飛び出した言葉に、それまでわざとらしく潤んでいた彼の双眸が丸くなる。反射的に空いている手で口をぺちんと塞いだ。しまった、余計なことを。
 胸の前で合わせた両手をそのままに、きょとんとしたまま藍染くんが首を傾げた。

「………怖いと言われたのは初めてです」
「そ、それは申し訳ない…」

 他の女性隊士ならワンチャンどころかツーチャンあっただろうが、私は今のところ彼の外見にときめきを感じていない。せいぜい姿勢がいいなぁくらいのもんである。
 肩を竦めてもう一度ごめんね、と呟くと藍染くんは数度切れ長の瞳を瞬かせてから大人しく身を引いてくれた。そうだね、それくらいの距離が適切だね。

「藍染くんの身長があともう少し低くて、華奢で色白で眼鏡の似合う美少年だったら私もうっかり頷いてたかもだけど、私藍染くんみたいな背の高い男の人別に好きじゃないの。だからお礼とか言われてもあんまり響かないって言うか……えっと、ごめんね」

 意味はないけれど、瞬きを繰り返して立ち尽くす彼のためにもう一度形ばかりの謝罪を繰り返した。
 藍染くん自身には変に気取ったところもないし全然嫌味じゃないからこちらも基本好感しか持たないけど、きっと彼も自分の見た目が整っていることは自覚しているはずだ。
 距離がやたら近かったり手を握られそうになったのはそうすれば交渉が円滑に進むと今までの体験で理解しているからだろう。
 ほんとに惜しいなぁ。きっと幼少期は白皙の美少年だったろうに。あと数十年早く出会っていたら。

「こちらにも危険のある頼みなら、もうちょっと工夫してもらわないと心揺らがないよ。私から言わせれば、藍染くんおねだり下手くそだからもうちょっと練習してから出直してほしい」
「な、なるほど」

 呆気にとられたままとりあえず相槌だけ打った、という感じの藍染くんの語尾には確実に「?」がついている。みっつくらい。
 まあ、藍染くんが私の理想とするおねだりを繰り出してきたところで、それが果たして私の保身意識に勝つかどうかは疑問が残るけども。

「……あ、ちょっと待ってください。つまりそれは僕がもっと上手く強請れたら検案記録を見せてもらえるということですか?」
「それはやって見なきゃわからないけど…まあ、可能性は広がるかも」
「なるほど」

 何がなるほどなのか。繰り返された相槌に疑問符はついていなかった。
 また来るつもりなのか、再び体の大きい彼が道を塞いで現れる様を想像して少し面倒臭いなと思ってしまったが、今度は口に出さないように唇を引き結んだ。


 終業時間から少し経ってしまった空は夕焼けから星月夜に移り変わろうとしている。
 これ以上ここに居て誰かに見られても嫌だし、このところ残業続きで仕事も持ち帰っていたので今日はさっさと帰って寝たかった。

「ええと、じゃあ…私はこれで」
「はい、引き留めてしまってすいませんでした」

 彼はあっさり道を譲ってくれた。
 二度目の邂逅が出来ればないことを願ってその横をすり抜ける。

 ……結局なんで検案記録なんか見たいのか訊いてなかったな。
(title by ユリ柩)

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