「水月」

 顔を上げると、病室の外に東仙くんの姿があった。
 面会許可が出てからの数週間、彼は何度かお見舞いに来てくれていた。話の流れで退院日も伝えていたけれど、荷物を置きに隊舎寮やら詰所やら、申請書と報告書を出しに一番隊やらに向かわなければいけないことも教えていたはず。

「どうしたの東仙くん、何か急ぎの用事でもあった?」
「急ぎじゃないが用事はある」
「はあ」

 困惑気味にまとめた荷物を風呂敷で包むと、病室に立ち入ってきた東仙くんが私よりも先に風呂敷を掻っ攫ってしまった。
 ついでと言わんばかりに四番隊から頂いた診断書と一番隊へ提出する調査書まで回収され、私は成す術なくぽかんと口を開けているしかない。

 すると病室の戸口から山田くんが顔を覗かせ、「水月先輩の送迎に来られたらしいですよ」とあっけらかんと言った。
 オウム返しに聞き返すと、東仙くんが「初めて聞く言葉でもないだろう」とちょっと笑う。

「十二番隊……というか涅三席が荒れていると噂が立っている。流石に病み上がりの君をそのまま一人で帰すのは恐ろしいからな。荷物持ちとでも思ってくれ」
「え? 涅さんが荒れてるって、どうして……」
「いや十中八九貴方のせいでしょ」

 山田くんの突っ込みに首を捻る。
 涅さん、確かに私が異動の話をした時は烈火の如く怒っていたけど、そんなに怒ると長い人だったっけ。
 これまでも何度か涅さんを怒らせたことはあったけど、大体次の日には何事もなかったようないつもの顔で私のこと「気味が悪い」とかなんとか言って罵倒していたような気がするけど。

 ……とはいえ、涅さんが比較的すぐに暴力に訴えてくることや言葉選びが刺々しいことは他でもない私が一番よく解っているつもりだ。
 心配ないと断ったけれど、東仙くんは頑として引いてくれない。山田くんまで「そこは甘えておいた方がいいんじゃないですか?」とか言って東仙くんの味方をしてしまう。

「そっか……まあ、此処まで来てくれたのに追い返すのも申し訳ないものね。じゃあ、お願いします」
「ああ。あまり気にするな、私も十二番隊に少し用がある」
「あら、そうだったの」

私はまだここに


 救護詰所の出口まで見送ってくれた山田くんに「二足歩行が可能になった程度で全快と思わないで下さいね。少しでも無茶をすればとんぼ返りですよ」としっかり脅しを頂いて、東仙くんと並んで四番隊隊舎を後にした。

 四番隊ではそれはもう丁寧に治療して頂き、「女性ですから火傷が残ったら嫌ですよねぇ」「いやこの人そういうのあんまり気にする質じゃないでしょ」とかなんとか色々言われながら、火傷跡も死覇装を着ていればほとんど隠れる程度にまでなった。
 右目だけれど、まだ瞼の傷が残っているので傷を晒して歩くよりは、という卯ノ花隊長の意見もあって眼帯をしている。
 どうせ眼帯があろうとなかろうと右目の視力はゼロなので私としてはどちらでも構わなかったのだけど、確かに傷跡を見ていちいち痛ましい表情をされては疲れてしまう。


 隻眼での歩きに若干苦戦しつつ、まずは一番隊の隊舎へ。
 復帰の報告と、入院中に書き溜めていた件の虚討伐――七番隊からの救援要請による戦闘の報告書の提出、それから穿界門と断界の不審に関する調査を受けた。

 どうやら私が先陣を切って救援に向かった直後、断界内にて虚の出現が確認されていたようなのだ。
 断界内に虚がいるという誰も想定していなかった事態に救援第二陣の現着が大幅に遅れ、断界と穿界門の精査を粗方終えた涅さんが断界内で戦闘中だった第二陣を連れて虚の群れを突破。ようやく現世に出たと思ったら今度は私が丸焼きになっていた……ということらしい。
 断界に虚が出現する前に穿界門を使用したのは私だ。一応不審や異変がなかったかの聞き取りを受け、当時のことを思い出せる範囲内で素直に答えておいた。

 次に十二番隊の隊舎寮の自室に寄って、入院中に使った衣類や私物を置いていく。
 そこで一旦小休憩を挟み、手帳にそれまでの行動を記入しながら東仙くんの横顔を見上げた。

「……涅さんが荒れてるってどこからの情報なの?」
「どこからと言うか、見ていれば何となく判る」
「まさか隊の外で暴れてるとか誰彼構わず暴言を吐いてるとか……?」
「……まあ、後半は普段通りな気もするが」

 ……さもありなん……。

「十二番隊の隊士達がかなり参っている様子だった。恐らくそこから口伝に内部の様子が伝わったんだろう。多少誇張されている可能性もあるけれど」
「……ちょっと心配だなぁ。涅さん、私にはいつもそういう感じだけど、他の隊士達には割と優しかった気がするんだけどな……」

 ちなみに優しいと言うのは出会い頭に暴言を吐かない、舌打ちをしない、叩いたりしない、が基準である。
 私という的がいなくて心的疲労が溜まっているのかしら。

 ぱたりと手帳を閉じる。東仙くんは静かな顔のまま、「十二番隊から異動したいことは伝えたのか」と言った。

「伝えたよ、意識が戻った日のうちに。その時はすごく怒ってた」
「……じゃあやはり十中八九それだろう、涅が怒っている原因は」
「そうかな……? でも涅さんって私のこと嫌いって公言して憚らないくらいには私のこと嫌がってるし、怒っているのはこの大変な時期に自己都合で仕事を投げ出すからでしょう。私が怒られるのは仕方がないよ」

 何となく、涅さんの両手が掛かった首に触れる。火傷は瘡蓋のような微かな痕を残すだけで、ほとんど綺麗に治っている。――十本の指が万力のような力で絞めてきた痕跡も当然、跡形もなく。
 寂しくなるような気がしたので、頭を振って手帳を懐に仕舞う。「そろそろ行こうか」東仙くんを見ると、顎に手を当て何やら考え込むような仕草をしていた。

「……水月」
「はい」
「……君、そういうところは徐々に直していった方が……、……いや、何でもない。私が口を出すことでは無いな」
「え……? 何……? 何なの、東仙くん、ちょっと……?」



 数週間ぶりに訪れた十二番隊舎には目立つような変化は無かった。
 奇妙な緊張に胸を押さえながら、「段差がある」と腕を差し出してくれた東仙くんに甘えて掴まらせてもらう。
 長いこと寝たきりだったし、片目だけの視界に慣れるのにも暫くかかるだろうな。以前と遜色なく戦えるようになるのはいつになるだろう。

 何とか転倒せずに、まずは詰所の方に顔を出すことにした。
 引き戸を開けて「おはようございまー……いや、もうこんにちは?」と言いながら声をかけると、室内で事務仕事をしていた全員が物凄い勢いでぐるりと振り返る。

「……乙子さん……?」
「げ、幻覚か……?」
「水月四席……」
「誰が幻覚ですか、しっかり現実の水月乙子ですよ」

「かっ、……帰ってきたーーー!!!」
「お帰りなさい水月四席ーーー!!」
「はい、只今戻りました」

 わっと殺到してきた隊士達を何とか受け止める。
 私が眼帯をしているのに気付いた女隊士が「もう退院してきて大丈夫なんですか……?」と恐る恐るといった感じで問いかけてきたので首肯した。
 四番隊送りになるとどうして毎回私が勝手に脱走してきているような見方をされてしまうんだろう?

「ちゃんと卯ノ花隊長に退院許可を頂いて帰ってきましたよ。まあ、……目は傷が残ってるだけです。見苦しくて隠してるだけだから、気にしないでね」
「嘘ですよ、阿近に右目は潰れてるって聞いてるんですからね俺達!」
「髪だって短くなってるし、もう、……乙子さん〜……」

 阿近に、の件で思わず微笑んでしまった。もう私がいなくとも、十二番隊と開発局とで意思疎通は取れているじゃないか。
 労しげに焼け落ちて肩口まで短くなった髪に触れる女隊士達に苦笑しながら東仙くんを振り返る。

「東仙くんありがとう、私はここまでで大丈夫です。次は東仙くんの用事ですけど……」
「ああ、技術開発局の方だ」
「そっか。じゃあ私も行こうかな、挨拶と帰還報告がてら」

 そう言うと、群がっていた隊士達が一様に顔色を悪くする。
 私が首を傾げるよりも早く、一斉に「今はやめておいた方が……」と口々に引き留めてくる。東仙くんが「それみろ」みたいな顔をしているのが気になるけど、とりあえず。

「涅さんのご機嫌がすこぶる悪いと聞いたんですけど、もしかして本当に様子がおかしい感じですか?」
「いや、機嫌が悪いって言うか……」
「俺達にもよくわからなくて……」

 再び泣きついてくる隊士達に揉まれながら、最後に見た怒りの迸る金色の眼差しを思い出す。
 ……らしくないなぁ、涅さん。


- ナノ -