雪崩のように次々襲い来る虚達は、けれども仲間意識は連携といったより知性体らしい行動に出ることはないようだった。
 一斉に掛かってはくるものの、別に協力している風ではない。ただそれぞれが私を殺すためにそれぞれの攻撃をしてくるだけ。

 てんでバラバラに動くのならまだやりようはある。

 攻撃をいなしながら虚を出来るだけ一直線上に集める。
 最も近くにいた虚が鱗のようなものの生えた尾を振り上げた頃合いを狙って、刃のない柄を握る手を振り上げ左右に振った。

「海中浮揚・あざみ

 瞬間、地面から空海月の触手が一直線上に並べた虚を次々刺し貫いていく。串刺しになった虚が次々塵になって消えていき、消滅を堪えた虚もやがては毒で死んでゆく。
 怪我人を狙って進路を逸れようとするモノは蒼い触手で縛り上げ首や手足を捩じ切った。


 もともと私は空海月の性質上、始解状態であれば他の隊士との共闘よりも、敵に囲まれている方が何かと都合がいい。
 せっかく広範囲に触手を展開し私の集中と意識がカバー出来る範囲では変幻自在に攻撃が出来るのに、味方が近くにいては本領を発揮出来ない。卍解は言うに及ばず、空海月は多対一の状況が最も力を発揮しやすい斬魄刀だ。

硝子が濁ってゆく過程


 とは言え。

「ちょ……っと、きついな……」

 私の霊圧が底をつけばその前提も意味を為さなくなる。
 蟀谷を伝って汗が流れるのを拭った。本当に一人でこんなに多くの虚を相手取るのは初めてかもしれない。

 正確な時間は不明だけれど、ここで一人戦闘を開始してから体感では半刻ほど経っている。まさか追加の救援部隊の派遣にここまで時間がかかる訳もあるまい。私のように偶然手が空いていて隊舎を飛び出すことが出来ずとも、正式な手続きを踏んで地獄蝶を引き取りに行くまでには四半刻もあれば十分なはずだ。


 ……一度は蓋をした違和感が、隙間を縫って立ち昇ってくる。


 どうして誰も来ないのか?
 どうしてこんな状況に陥っているのか?

 考えても答えは出ない。こんな時涅さんなら、……『隊長』なら。ああ、駄目だ駄目だ、余計なことは考えるな。
 でも、私はいつまで戦えばいい? 霊圧だって並みの席官程度。始解とは言ったってこの環境で無理矢理広範囲展開をしていれば消耗だって激しい。追加の応援は何故か望めない。背後には守らなければならないものがある。……卍解は、絶対に使えない。

 一人で、私は、いつまで。

「……、……」

 一人になると、押し殺していた空ろが這い寄ってくる。


 鈍色の空を仰ぎ見ると、翅を持った虚が何体も私の遥か頭上を旋回しているのが見えた。地上の虚を捌くので手一杯で、空にまでは気が回らなかったな、と自分の不手際を思い知る。
 でもなぁ、あんな場所まで空海月の触手は届かないからなぁ。
 困ったな。

 最早何体目かもわからない蛇のような形の虚を屠ったとき、ふいに大気が揺らめいて見えた。
 チカチカ、チカチカと白い光が天から降って、私の瞳を疎らに照らす。



 幻のように漂う輝きに目を瞠った瞬間、耳を劈く爆発音。



「っ―――!!!」

 白い光が連鎖するように炎と轟音を噴き上げ降ってくる。赤々とした炎がその場の空気を喰らい尽くしながら、私を焼くために天を駆け下りてくる。

 炎と煙の間から、空を羽ばたく蝶のような虚が白く輝く鱗粉を降らしているのが見えた。それが爆薬となっているらしい。
 至近距離で受けた爆発のせいで顔が熱い。数秒明るくなった辺り一帯が再びもとの暗さを取り戻すのを確認して、頭を庇っていた腕を下げた。内心には舌打ちをしたい気持ちがあったけれど、そうして音を鳴らすことには大した意味が無いので止めた。

「困った、困った……」

 別にあの厄介な鱗粉は空海月の触手を集めて壁を作れば防げる程度のものだ。それ自体は特段問題では無い。
 ただ、こちらを攻撃してくるのはあの虚だけではない。地上の防衛と攻撃を疎かにすれば私だけではなく鏡門の内側にいる七番隊の隊士達も危険になる。けれど地上にばかりかまけていては上空の鱗粉を防御する術も虚自体を倒すことも不可能になって、でもええと……。

 端が焦げた死覇装の裾が揺れる。垂れてきた前髪の一房を耳にかけながら首を傾けた。
 これは多分、私一人で捌ける領分を大幅に超えているなぁ。
 一体一体の程度は対処可能なものだけど、一斉に掛かって来られると手が足りない。

 ――少しずつ、「どうやって追加の救援が到着するまでを保たせるか」から「七番隊の隊士達を庇いながらどうやって致命傷を避けて戦うか」に思考が切り替わっていく。
 今ここで戦力として数えられるのは自分だけだ。私が戦闘不能に陥れば後ろの隊士達はまず戦えない。それでは駄目だ、意味が無い。
 けれど彼らの防御に力を注げば私は長くは保たなくなるだろう。それでは駄目だ、本末転倒だ。
 ……でも、私は―――。

「…、……」

 強風に身体を煽られる。地上を疾走する虚の咆哮が耳を劈く。反射的に柄を揮って脳天を触手で貫く。
 天から白い光が降り注ぐ。運の悪いことに、強い東風が鱗粉を拡散した。
 どんより暗い視界のなか、星のような輝きが再び私を強く照らす。


 光を見上げ空海月を揮いながら、半刻ほど前に別れた上司の伏せた金色の瞳を思い出した。
 涅さん、私、貴方の下に、


「――帰れないかも……」


 自分の輪郭が閃光に溶けたのを理解するより先に、五感が全て炎に消え去った。


*  *


 最初に戻ったのは痛覚だった。痛むと言うことは、どうやらまだ生きているらしい。
 咄嗟に詠唱破棄で練った円閘扇で急所は庇えたようだったけれど、身体のあちこちには火傷特有のヒリついた痛みがあった。
 空海月は全て強風で広がった鱗粉の爆発から鏡門を張った隊士達を守る為に使ってしまった。木よりも高い位置で網のように張り巡らされ、そして爆発を一身に受けあちこちが欠けた蒼い触手が見える。

 それらが解けて地面に再び溶けていくのを眺めながら、自分の霊圧が物凄い勢いで枯渇していくのを感じていた。
 虚を捌く最中にも空海月とかなりの数の鬼道を併用したし、今しがたの爆発から鏡門を守ったことで欠けた触手は私の霊圧で補われる。当然と言えば当然だ。

 私の霊圧が尽きれば空海月も操れなくなる。そうなれば本当に、打つ手が無くなって私達は死ぬしかなくなる訳だ。
 こういう時、いまいち実戦経験の浅い私は後手に回ってしまう。席官入りしてから事務仕事に付きっ切りじゃなく、もっと他の隊士と一緒に任務に走るんだった、と今更な後悔が脳裡を過っていった。

 ――手元で空海月の柄が鳴った。
 ここで折れるな、頑張りなさい、と叱咤されているようだった。水月乙子の意識を支える音。正常な思考を促すだった。

「……」


 ……でも、私は死ななければいけないんじゃなかったっけ。


 額を温い血が伝う。
 背後で虚が雄叫びを上げた。蒼い触手で胴を巻き、捩じ切る。
 上空から白い光が降り注ぐ。触手で振り払う。もう鬼道に割く霊力が無かった。端的に言って疲れ果てていたんだと思う。

 疲れ切り、消耗し、そばに誰もいないことで薄れた正気に取って代わって、潜めた狂気が忍び寄ってくる。
 こんな状況で、自分だけでなく他人の生死も懸かっているって言うのに、私は――



 ――死ぬなら今だと思った。



 無責任だと叱られるだろうか。確かにその点で私は悪いけど、いつまでも救援を寄越してくれない護廷十三隊も半分くらいは悪いんじゃないか。そうであってほしい。
 今此処で死ねば自殺だとは誰も思うまい。涅さんはもしかしたら気付いてしまうかもしれないけど、その時には私はもういないわけだし。

 ほとんどの人は不運な事故だと思って、……もしかしたら、『隊長』や、ひよ里ちゃんや、リサちゃん達が、遠いどこかで私が死んだという話を耳にして、あの乙子にしてはよくやった、なんて、こっそり褒めてくれるかもしれない。
 そんな甘い考えが脳裡を過った。やましい希望だった。もう此処にはいない彼らの姿に、私は許しを求めている。


「君の何もかもは私の所有物であり十二番隊の資源だと言ったのをもう忘れたのか」


 ……忘れてしまえば、よかった。
 私のことを嫌い、憎む貴方。私も今この瞬間、初めて貴方のことをほんの少しだけれど、憎いと思えた。
 本当に、忘れられたのならよかったのに。
 貴方だけが、私を許してくれない。


 ほのかに温かい鱗粉が額に、頬に、優しく降りかかる。その柔らかさは雪のようだと思った。
 私の嫌いな雨ではないことに息が震えた。
 背後の隊士達を守り通すことと私の生存はイコールじゃない。帰れないかも、なんて白々しい。帰らなくてもいいのだ、という空ろな安堵が後ろめたい願望を甘やかす。
 ……何だか色々、莫迦みたいだ。
 その『莫迦みたい』を最期まで貫き通さなければいけないのはちょっと不満だけど、仕方がない。

 力の残り滓をかき集め振り絞る。全身に降り積もった光が熱を持っていくのを感じながら、柄を握る手を大きく振った。
 戦う意志は、守る意志は欠けていない。ただ私は、それを為した先で死んでいたいだけだ。
 暗い空にはまるで獲物を啄む機会を待ち望むように、翼や翅を持つ虚共が私を中心として円を描くように旋回している。まるで烏の群れのように見えた。

 自分の防御に回していた分も含めたすべての触手を一つに集める。
 霊力の枯渇で震え、痙攣する喉を叱咤し、怒鳴りつけるように空海月に命じた。


「――"子"を見殺しにしたくなくば、すべての敵を斃して見せろ!!!」


 私の絶叫に呼応して、足元で蒼い水面が弾ける。
 それとほとんど同時だったと思う。
 私の体が、今度こそ防御無しに爆炎に包まれたのは。

 この期に及んで、全身が焼けていくのを感じながら、無責任にも死を選んだ私を叱ってくれる声を求めているようだった。
 何も見えないし何も聞こえないけど、温かな声に名前を呼ばれたかった。

 初めはたったそれだけのことだったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

「……ほんと、……莫迦みたい」


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