救われたい、なんて烏滸がましいことは思っていない。
 救われたいと思わない生き方を継続することこそが私の存在意義で、贖罪に等しかったから、それが歪んでしまうことは即ち私の破滅に他ならない。なら、救いを拒むことは生きる為には必要な行為だろう。そう、私はずっと生きていたくて、死にたくなかったのだから。

 それは今も、それだけは今も変わらずに。


「では、今回の惨事は浦原喜助の独断であると――十二番隊の貴様らはおろか、彼奴が創り上げ支配していた技術開発局の者共すらも知りえなかった悲劇だと、貴様はそう言うのだな、水月乙子」

 こういう時、浦原隊長はどうするだろう、と考えていた。
 護りたいモノ、護らなければならないモノはもちろん沢山あって、けれど浦原隊長わたしの腕は二本しかなくて、掴める数はたかが知れている。神の似姿をしておきながら、人のあらゆる行為には限界が付き纏うから。
 それなら、次にすべきは何を護るか、何を諦めるかの、所謂取捨選択。何もかもは護れないのなら、せめて大切なモノ達に一つひとつ優先順位をつけて、選び抜こう。
 すべてを護ろうとして総崩れするのだけは以ての外。多分、それだけは確かだ。

 きっと浦原隊長わたしはそうする。あの人の心の根っこは実はどこにも埋められてなどいなくて常に宙ぶらりんだから、実は切ろうと思えば何でも、どこまでも切れる人。
 そんなあの人が、私のことを自分と似ていると言うのなら、きっと同じことが私にもできるはずなのだ。
 だから、私は選ばなければならない。もう手遅れの、あとはどうしようもなく崩れ去るだけの箱庭の、せめて外殻くらいは残す為に、最後の悪あがきみたいなものを。

「全ては浦原喜助の単独犯であり、部下である貴様らは偽りの善性に騙されていただけだと言うのだな」

 少し笑えた。
 …今になって、漸く解る。浦原隊長と涅さんが繰り返し私に告げていた私の欠点の輪郭が、今になって漸くこの目に見える。
 どうやらやっぱり、私は本当に人を愛することは無いらしい。

 だって、騙されていたのだと嘘を吐くのなら、今この場で悲しみと苦しみを露わにして取り乱してやった方が、よっぽど現実味のある芝居になるはずで。
 それなのに、私はやっぱり泣きもせず、困った笑いを模って立ち尽くすだけ。泣いて叫んで本気で浦原隊長を非難した方が、裁判官達からの心証も"哀れにも上官に裏切られた愚かな被害者"で固まるだろうに。
 それでも涙一つ流れないのは、私が初めからどうしようもない程ただひたすらに"十二番隊"そのものを思いやっている/私に優しい十二番隊のかたちに執着していた証左に他ならない。

 つまるところ、私の欠点は自分の感情を判断基準にしないことなどでは無く。
 誰も愛せない、愛する振りすらも満足にできない心の無さだったのだ。
 笑いものだ。だって、初めから無い心でどうやって他人を愛するって言うんだろう。見失ってしまった、なんて面白くもない冗談だ。在りもしないものを在ると信じて捜していたんだから、私はどこまでも愚からしい。

 ああ、思い知りたくなかった、こんな惨めな自分。
 きっとこの虚ろな居心地の悪さでさえも、逃避と拒絶が生んだひと時の小波のような幻想だ。


「はい。浦原隊長――いえ、浦原喜助は、私達の信頼を裏切って最低最悪の悪辣を為した反逆者です。どうか逃亡した彼が心を入れ替え、中央四十六室の皆様方からの処分を自ら受けに来ることを、心から、願っています」

 何かが、剥がれ落ちていく。壊れていく。
 見えていたはずのそれも、最早何処にも。

時はきみを救わないよ


 一週間後、中央四十六室からの査問と二番隊・隠密機動の檻理下による隔離を終えた私と涅さんは、ひとまず五体満足で十二番隊の隊舎へ帰って来ることができた。
 と言っても、未だ十二番隊・技術開発局共に蟄居の命が解けてはおらず、斬魄刀もいつの間にか没収され、本当に"ひとまず"という言葉が相応しい状態であった。

「まさか本当に十二番隊と技術開発局が残るとは」

 私の言葉に渋々、といった感じで涅さんも首肯した。
 本当に、まずはそれなのだ。

 本来なら『邪悪な研究』の温床となった技術開発局は取り潰しになって然るべきの状況だったはずなのに、今のところ護廷十三隊と中央四十六室には技術開発局を廃絶させるという決定が為される動きが無い。
 理由はよくわからないけれど、恐らく十三隊の隊長格の誰かが残された私達を庇ってくれているか、或いは――。

「…いえ、とりあえず僥倖です。これなら浦原隊長にすべてを擦り付けて全力で大罪人に仕上げた甲斐があるってものです」
「えっ、そんなことしてたんですかお二人共」

 隔離を終えた私達を迎えて久しい集会に参加した隊士達の表情は疲れていたり、不安がっていたり、ひとまず上官たる私達が戻って安心していたりと様々だ。
 私の言葉でその様々な反応が一気に驚きに塗り替えられていったので、私は思わず数歩空けた隣に立っている涅さんを見上げた。

「…え、涅さんはしませんでした? だってあの状況で十二番隊と開発局が残る可能性を高める為には全力で浦原隊長を悪者にする他なくないですか…?」
「君、やはりその冷徹さと容赦の無さが本性だろう。まァ、私もあいつに全て擦り付けたが。有ること無いこと答弁に混ぜたりしたが」
「有ること無いこと言っちゃうような人に冷徹とか言われたくないです……」

 あの超人的な思考回路と慧眼を持つ浦原隊長が、よりにもよって最悪の手段たる逃亡を選んだのであれば恐らくもう二度と十二番隊に戻ってくることは無いだろう、と言うのが地下議事堂で査問を受ける前まで懸命に思考した結論である。
 聞いた話によると、浦原隊長は全霊力剥奪の上で現世への永久追放が予定されていたそうだから、もしかしたら霊力が剥奪される前に自分から現世へ逃げたのかもしれない。

 妥当だろう、四十六室の決定はほとんど完全に覆らないと言っていいし、浦原隊長がそんな処分を下されるに足る証拠が、何故かあちらこちらから上がって来ているようだったから。
 そう、例え浦原隊長が冤罪で、真犯人が別に居るのだとしても、その真犯人が自ら名乗り出るくらいの暴挙をしない限り、十二番隊はおろか尸魂界にさえ彼の居場所は無いのだ。

「…と言うことで。涅さんとも少し話し合いましたが、十二番隊及び技術開発局は今後浦原隊長――いえ、浦原喜助については一切関与しない姿勢を取りたいと思います。と言うか決定です、あの人のことを隊長と呼ぶことも、あの人が本当にあの件の犯人なのかどうかも、今後議論することはありませんので、皆さんそのおつもりで」

 異論の声は挙がらない。けれど、思うところが無い訳ではないことも解っている。私だってそうだからだ。
 けれどこの綱渡りのようなギリギリの現状でなんとか命を繋いでいる十二番隊と技術開発局をこれ以上窮地に立たせるような行為は望ましくなかった。それに、浦原隊長…いや、浦原喜助を庇ったところであの人が戻ってくる望みも無い。
 そして、尸魂界の貴族の頭が如何に硬く、如何に簡単に私達の人生を狂わせる存在であるかを皆よく理解している。吹けば崩れるような今の私達は貴族の気紛れ一つでも壊れてしまう可能性があることは、どうあっても度外視できない。

 そういう気持ちを込めて、ついさっきまで涅さんと話していた内容をほとんどそのまま復唱していく。

「それと、恐らく今後しばらくは技術開発局には特別な監視がつくと思われます。が、こればっかりはどうしようもないので、皆さん各自目をつけられないように巧く隠れて研究開発を進めるか、そういう危険のあるものは事が落ち着くまでお控えいただければ。
 今後の十二番隊の運営につきましては、主に涅さんが技術開発局担当、私が十二番隊担当という形で、新しい隊長、副隊長が決まるまで運営していくと思います」
「蟄居が解ければの話だがネ」
「そうですね、いつ解けるんでしょうね…あ、隊舎の中でしたらお好きなように過ごしてもらって構いません。開発局の方にはまだ調査の関係で入れませんけど」

 用件を全て言い切ると、私達を見上げる隊士達の表情が一様に困惑のまま固まっていることに気が付いた。
 どうしてだろうな、と微笑みながら首を傾げると、隊士の一人が恐る恐る、といった感じで手を挙げた。

「質問ですか? はい、何でしょう?」
「あの、浦原隊長についてはわかりました……でも、その猿柿副隊長は……」
「もういません」

 答えてから、自分の口から飛び出した声が硬く、冷たい響きを持ってしまったことを自覚する。あ、と思った時にはもう遅い。
 完全に呆気に取られてしまった隊士に、何故か弁解するように慌てて手を振った。

「ええと、ご存知の通りひよ里ちゃん…猿柿副隊長は例の"虚化"の被害を受けられました。なので、もう死神として復帰することはありませんし、十二番隊にも戻りません。なので、もういません」

 他に質問のある人は、と笑顔のまま集会場を見渡す。
 答えは無かった。




「――誤魔化すならもう少し巧くやったらどうかネ」

 私を見る金色の双眸は冷ややかだ。責められているようでも、呆れられているようでもある。
 隊士達が退室した集会場に残った私の欠陥を、涅さんは静かに指摘する。
 ほとんど脊髄反射でひよ里ちゃんに関する話題を拒絶してしまったことについては私も大いに反省している。壁に背中を預けて、汗が引いてきた両手の指先を擦り合わせた。居心地が悪い。

「…すいません。自分でもやっちゃったなーと思ってるんです。あまり言わないで下さい、落ち込みます」
「それ以上落ちる余地があるのか」
「え、落ち込んでるように見えます? ずっと私笑ってましたよね?」

 冷たい両手で頬を触ると、まだ口角は緩やかに上がったままだ。嘘をついたな、と涅さんを見遣ると、逆に睨み返されてしまった。

「何度も同じことを言わせるな。君のそれは笑顔では無いヨ」
「……」

 ガッと片手で頬を掴まれた。唇を突き出しながら涅さんの目を見つめる。
 そうは言われても、現状私が十二番隊を護る為に立ち続ける為には"これ"が最適解だと決めてしまった。これが剥がれてしまったら、多分私はしばらく使い物にならなくなるだろうという予感もある。

 数秒の沈黙の後。
 好きにし給え、と涅さんは心底嫌そうに吐き捨てた。

「不気味に怪しさを被せたところで信用ならない点は変わらない。せいぜいその強がりが抜けなくなるまでその不細工な面であちこち歩き回るといい」
「が、頑張ります…」

 乱暴に手を離される。ちょっとだけひりひりする頬を撫でながら、それでも下がらない口角のまま退室する涅さんの背中を見送った。

 悲しいから笑うしかない、という訳ではない。これは十二番隊を護っていくための武装であって、悲しみの消化手段ではない。
 そんな上等なものではないのだ。

 猿柿ひよ里。気が強くて、面倒見がよくて、何だかんだで私の手を離さずに居てくれた彼女。
 私は彼女のことが好きだった。大好きだった。

 けれど大好きな彼女を喪った事実を理解しても尚、涙一つ流れない。
 傷付いてはいるのだろうけど、多分取るに足らない小さな擦り傷みたいなものだ。
 普通の人は大好きな人を、友達を失くしたら泣くもの。ならばほら、本当なら、擦り傷という認識も大袈裟に思えてくる。
 涙しない私はこれっぽっちも傷付いてなどいない。


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