「十二番隊隊長・浦原喜助、鬼道衆総帥大鬼道長・握菱鉄裁が地下議事堂より何者かの幇助を受け逃亡した」

 思わず下げていた頭を上げる。
 驚きを露わにしていたのはその場では私だけだった。同じく隣で跪いている涅さんは身動ぎ一つしない。隊長達は皆一様に無言を貫いている。――いや、隊長達と言うには人数が少なすぎた。
 小さく開いた口から空気が洩れる。言葉が何も出て来ず、ただ目を見開いて、一番隊舎・隊首室の最奥に坐す山本総隊長の姿を見つめた。

 …本当に、理解が追いつかないまま悪いことばかりが起きていく。

「浦原喜助による"虚化"の実験により、三番隊隊長・鳳橋楼十郎、五番隊隊長・平子真子、七番隊隊長・愛川羅武、八番隊副隊長・矢胴丸リサ、九番隊隊長・六車拳西、副隊長・久南白、十二番隊副隊長・猿柿ひよ里、鬼道衆副鬼道長・有昭田鉢玄が犠牲となった。計八名の犠牲者も同じく行方不明、同じく二番隊隊長・四楓院夜一に関しても行方が解らぬ」
「…四楓院隊長まで…」
「お主等を此処に呼んだ理由は解っておろう。十二番隊第三席――技術開発局副局長・涅マユリ、十二番隊第四席・水月乙子」

 空気が重い。息が上手くできない。総隊長の声だけが脳に叩きつけられるようで痛かった。跪いたまま、浅く息をする。

「逃亡中の浦原喜助が再度接触を図る確率が高いとすれば、技術開発局で己の下に居た右腕か、或いは隊務を仕切っていた左腕。お主等は隊首会閉会後は速やかに地下議事堂にて査問を受け、その後は隠密機動・檻理隊の下で一週間隔離を受けよ。十二番隊の隊士についても別命あるまで蟄居を命ずる」

 浦原隊長が、逃げた。
 でもそんなの、罪を認めるようなもの。悪手のなかの悪手。頭がよくて冷静なあの人がよりによってそんな最悪な手を選ぶ理由がわからない。
 隊長格が八人も、よくわからない事の犠牲になった。
 "虚化"なんて、聞いたこともない言葉だ。虚と化す、なんて絶対いいことじゃない。虚となってしまったらしい彼ら彼女らの行く末を想像するだけで吐きそうだ。
 私と涅さんは査問。十二番隊は全員蟄居。けれどその程度で済むはずがない。きっとこの騒ぎがある程度収まったら、改めて処分が下されるだろう。

「各隊は事件の首謀者である浦原喜助の身柄確保を最優先にせよ。これ以上護廷十三隊の戦力を失う訳にはいかぬ」

 浦原隊長、逃げた。ひよ里ちゃん、いなくなっちゃった。
 十二番隊、壊れちゃったな。

 ――約束、破られた?

宇宙はひとつずつ消えていく


 続く隊首会から先に離脱することを許された私と涅さんは、ようやく太陽が昇ってきたほの明るい廊下を歩いている。
 と言うのも、特に浦原隊長との接触――簡単に言えば内通――を疑われている私達は、中央四十六室の御座す地下議事堂からお呼びがかかるまでは二番隊の特別収容室でそれぞれ隔離されることが決まっているからだ。
 一応現在は私と涅さんしか居ないこの空間にも、少し意識を研ぎ澄ませれば離れた場所で微かに霊圧が感じられる。隊舎で待機を命じられていた時と変わらず、私達は今も監視をされていた。

「…十二番隊と技術開発局、どうなるでしょうね」
「さて。元々護廷十三隊の組織である隊はともかく、あの男が手ずから創りあげた付属機関は廃絶の可能性が今のところ濃厚だと思うが。これ以上の希望ある展望があるのなら是非訊きたいものだネ」
「……ですよねぇ」

 頭が痛くなってくる。
 あの涅さんをして『よくて十二番隊は一定期間の謹慎、技術開発局は廃絶』の展開が最も希望あるものだと言わしめてしまう現状は、多分誰がどう考えても最早覆しようのない事実だろう。
 十二番隊内部が壊れる程度の問題ならばいざ知らず、被害は自隊どころか他所の隊長格複数人をも巻き込んだ大騒動。しかも犯人とされる浦原隊長は査問中に逃亡。おまけに四楓院隊長も行方知れずで、大鬼道長握菱殿も同じ。

 色々思うところも湧き上がる感情もあるけれど、それを嚥下するタイミングは今ではない。
 感情を凍結させることは慣れているし、隊長も副隊長も不在の今は"席次が一番下"なんて言っていられる状況でもない。
 護るべきものがあって、立ち向かうべき人達が居る。…どんなに怖くても、今はそうすべきだ。
 ――まだ、破られたと決まった訳ではない、かもしれないし。

「じゃあ、技術開発局の命運は私達の弁舌に懸かってますね。いやだなぁ、緊張しちゃいます」

 余計な思考を遮るように笑って言うと、涅さんが芝居がかった様子で肩を竦めてみせる。

「変な虚勢は止め給え。…どこぞの誰かに似ていて心底ぞっとしたヨ、ちなみにこれは紛れもない本心だ」
「えっそんなに……でも、強がりでもしないとつらいじゃないですか」

 言いながら足を止めると、本当に嫌そうに目を細めた涅さんも一歩先で立ち止まった。
 何となく袴を両手で皺になるほど握り締める。存外力の籠った指で黒い布地に爪を立てて、まだ記憶に残っている笑顔をなぞる。
 『薄気味悪い』私のものと対比して『胡散臭い』と称された、あの人の笑顔を。

「私は頭が悪いし咄嗟の機転も利きませんから、浦原隊長の真似でもしないときっと十二番隊涅さんの足を引っ張ってしまいます。烏滸がましいのは百も承知ですけど、ええと、私は十二番隊と技術開発局を護りたいので…」

 死覇装を握り込んでいた手から少しだけ力を抜く。
 正直怖い、中央四十六室に呼びたてられるのは多分真央霊術院に在籍していた頃以来。あそこに居るのは年老いた貴族ばかり。想像しただけで内臓が軒並み捩じ切れそうだ。
 なので、虚勢でも強がりでも、張れるものは何でも張っておかないと私は頑張れそうにないのである。

 今の私が思いつく一番強い人が、"あの人"の仕掛けた脅しにも平気な顔をして帰ってきた浦原隊長だったと言うのは、きっと涅さんには不快だろうけれど、私には他に真似できる人がいなかったのだ。
 ああ、そう考えると、やっぱり隊長と私は在り方が近しいのかもしれない。認めたくはない事実だけれど、私には涅さんの真似はできそうにないから。

「どこぞの誰かの威を借る私――で、頑張りたいと思います、はい」
「………、最低最悪な痩せ我慢だネ。君はやはり趣味も生き方も最悪だ」
「うふふ、すいません」

 また頭を掴まれるかと身構えたけれど、涅さんはただ目線を逸らしただけで暴力には走らなかった。きっと廊下の先に黒ずくめの人影が見えたからだろう。
 あと数十歩歩けば、私達の隔離が始まる。

「最悪を往くからには、巧くやり給えヨ」
「善処します」

 聞こえるギリギリの声量の囁きに微笑みながら頷く。
 そうして、気弱で臆病な水月乙子は息を引き取った。


- ナノ -