護廷十三隊、十二番隊。付属機関、技術開発局。


 そして、私の死ぬべき因。

遠退く背中はうつくしかった


 ドンドン、という騒々しい音で細い糸が散らかったようだった意識が明確な形を取り戻し始める。
 初めはそれが何の音なのかわからなかったけれど、しばらく胡乱な心地のまま耳を傾けて、それが戸を誰かが叩く音なのだとようやく理解できた。
 時刻も状況も理由も不明ではあったけれど、職業柄こうして起こされるのは少し慣れている部分もある。布団から出て、何とか眼鏡をかけるとのろのろ戸口へと歩き出す。

 隊舎寮の戸を開けると、黒い装束で顔まで覆った人達が複数人立っていた。この部屋の唯一の出入り口を塞いで尚余りある人数だったけれど、室内に踏み入ってどうこうしようという雰囲気は見られなかった。
 その人達の隙間から見えた外。空はまだ暗く、夜明けはまだ先だろうと言うことがわかる。

「十二番隊第四席、水月乙子様ですね」
「は、はい」

 寝惚けていた頭が急速に思考を取り戻していく。目の前に居る黒ずくめは隠密機動の類だ。流石にどの分隊かまではわからないけれど。
 そんなどうでもいいことを考えつつ、かといって夜明け前に自室を訪ねられる心当たりが無いので首を捻ると、無表情のまま目の前に立つ男は顎を僅かに引いた。

「同隊隊長・浦原喜助様へ中央四十六室より強制捕縛令状が出されております。夜明け前ではございますが、どうか十二番隊舎へお集まり下さい」
「強制捕縛――…? ちょ、ちょっと待って下さい、一体何の嫌疑で…」


 ――ボクは十二番隊隊長・浦原喜助です。


 いつかの浦原隊長の声が脳裡に蘇る。
 寝起きの頭で耳にしたくなかった情報だった。いや、寝起きじゃなくてもこんな、上司が前触れなく掴まったなんていう情報は下手すれば卒倒モノだ。逆に寝起きな分、まだあまり事の重大さが理解できていないらしい。口で驚いている割に、頭は比較的冷静だった。
 思考にまとまりがないなりに、告げられた言葉の意味を反芻してみる。

「――」

 ……反芻して、すぐにやめた。
 私がここでひとり、足りない頭を使って何になると言うんだろう。隊長が捕縛、副隊長は昨夜から不在。
 となれば、私はいち早く隊舎に向かって隊士達を安心させてやるべきだ。私が今すべきこと――できること――はそれだけだ。

「…承知しました。着替えますから、ちょっと待って下さい。戸は一度閉めてもいいですか?」
「構いません。ここでお待ちしております」

 呆気なく閉められた戸を背にして、両膝に手をついて俯く。
 落ち着け水月乙子、情けない。お前の唯一の売りは冷静沈着、大抵の事には動じない冷たさ・・・が売りだろう。あの人間味の無い浦原隊長をして「冷徹無慈悲」と言わしめた強みをここで発揮しなくてどうする。
 浦原十二番隊で予想の斜め上をいく事態に直面するのだって、この九年でそろそろ慣れた。あの人のことだから、きっとまた私達にも内緒でとんでもないことをやらかしてしまったか、それか勘違いだけれど普段の素行があまりよろしくないから疑われてしまったんだろう。…怖いから、一応何かやらかした体で考えておこう。
 ひよ里ちゃんは昨日の今日だから、やっぱり戻ってはいないはず。だったら隊舎で指揮を執るのは涅さん…と、私。
 しっかりしなければ。大丈夫、まずは落ち着いて、深呼吸をして。怖いことなんてまだ何も起きていないんだから。悪い予感を現実にしたくない。

 私は自分で"怖いこと"があっても十二番隊ならきっと大丈夫だと、信じることに決めたのだから。

「……よし」

 息を吸って、吐いて。
 着流しの帯に手を掛けた。




 隠密機動に監視、もとい付き添われ隊舎に着くと、広い集会場には隊士に加え開発局員もほとんどが揃っていた。
 空はまだ薄暗い。全員が何が起こっているのかもわからず、ただ夜明け前に集められたという事実に只ならぬ空気を感じてきょろきょろしている。
 室内の隅っこに涅さんを見つけたので、人ひとり分の間隔を空けて隣に並んだ。

「おはようございます涅さん」
「お早う水月」
「騒々しい朝ですね」
「全くだヨ」

 失礼にもちょっと笑ってしまいそうになるほど、いつも通りの涅さんだった。上司が揺れれば下に居る隊士達にも伝播する。この異常事態でも平静なまま居られる涅さんはやっぱりいい上司なんじゃないだろうか。
 私も見習わねば、と笑ってしまいそうになった口許を誤魔化しつつ、壁に背中を預けて周囲に視線を流した。

 一番隊舎の方には隊長格の霊圧が感じられる。当然だ、隊長格が捕縛されたのだからそりゃあ隊首会事案だろう。
 隊舎の周囲にはあちこちで隠密機動の気配があって、まるで誰も外に出ないよう監視されているようだった。

「この招集の理由、涅さんはご存知ですか? 私は浦原隊長が捕縛命令を受けたからって言われたんですけど」

 少し顔を寄せ、声を潜めて言うと、涅さんは肩を竦ませた。

「君が聞かされたものと概ね同じだ」
「隊長の容疑が明かされないのは仕方ないと割り切るにしても、ちょっとおかしくないですか? 隊舎の周りも隠密機動がかなりの数で固めてますし、これじゃあ浦原隊長どころか十二番隊全体が疑われているようなものですよ。心当たりが無いんですが…」
「…水月。君、本当に寮で眠っていたんだな」

 涅さんの妙な言い方に首を傾げる。
 外に遣っていた意識を戻して涅さんを見上げると、彼はいつもの猫背を維持したままとんでもないことを教えてくれた。

「深夜、西方郛外区方面でちょっとした騒ぎを観測した。霊圧の揺れは隊長格相当だったが、観測直後には霊圧が遮断されたから詳細は不明だが、直近の異変はその異常観測と――」
「――流魂街での魂魄消失事件、ですか」
「あの頓珍漢が愚かにも四十六室に目をつけられたと言うのなら、関連を考慮すべきだろうネ」
「…涅さんあのう、周りは隠密機動が固めてますから、あまり頓珍漢とか愚かとかは言わない方がいいと思いますよ」

 流魂街、西方郛外区方面の異常観測。霊圧の揺れ。
 九番隊の調査隊とひよ里ちゃん達が向かった方面だったはずだ。そちらで何かあったのなら、誰かしらから報告が上がってきてもおかしくないのに。
 それにどうして浦原隊長が捕縛されるのか、その理由は思いつかない。相変わらず隣で無表情に天井を見ている涅さんは、すでに可能性まで絞り込んで今の状況を把握しているんだろうか。
 こういう時、私は本当に役立たずだ。

「……捕縛されたのが夜明け頃なら、そろそろ査問が始まる頃ですね。浦原隊長、何でもいいからとりあえず適当に誤魔化して戻ってきて下さるといいんですけど。ひよ里ちゃんも、調査どころじゃなくなったし早めに帰ってきてくれないかな…」
「隠密機動が多いから口は慎んだ方がいいんじゃなかったかネ?」
「あ、すいません」

* *

 事態が進展したのはそれから数十分後のこと。
 静かに集まってきていた隠密機動隊が、十二番隊舎に足を踏み入れたのだ。大人数で集会場までやって来て、開発局の建物はどちらかなんて言う。

「開発局、ですか? この部屋を出て廊下を奥まで真っ直ぐに進むと大きな鉄扉がありますから、それを抜けて頂くとそこから技術開発局の敷地ですけど…」
「これより捜索を開始します。十二番隊所属の方々は引き続きこちらで待機をお願いします」

 それ以上話すことは無いと言わんばかりに、黒ずくめの人達がわらわらと廊下を進んでいく。侵略のようですらある。
 まるで浦原隊長の有罪は既に決定していて、決定的な罪のもとに十二番隊――技術開発局を荒らしに行くような様相で、思わず突き進んでいく人達を遮った。

「困ります。ご存知の通り技術開発局の建物内はほとんど局員達が管理を一任された魔の巣窟みたいなものですから、物を持ち出されたりすると何か事故が起こるかも…」
「お控え下さい水月四席。妨害行為は幇助と見なされ捕縛の対象となります」
「いえ、ですから――」

 尚も引き下がろうとする私を、涅さんの手が制する。
 予想外の行動に思わず目を瞠った私を引き摺って道を空けさせると、涅さんは掴んでいた手をすぐに放した。捜索隊はすぐに開発局の方へと消えていった。
 不満三割、意外七割で振り返り涅さんを見ると、逆に涅さんは目を細めて私を睨む。

「君らしくない愚行だ水月。今ここで奴らの心証を悪くしても我々に得は無いだろう」
「そうですけど…でも、いいんですか? 触られたくないもの、沢山あるんじゃないんですか?」

 私の気遣いに、涅さんはおろか後ろに控えていた局員達全員が首を横に振った。
 あれれ、と肩を落としたのも束の間。

「本当に触れられたくないものならば各自で他人の手の届かない場所に隠すのが常識だろう? 君の大変緩い危機管理能力とは比べるまでもない意識だと思うがネ」
「出過ぎた真似でした…」

 何でだろう、心配してたのに怒られてしまった。頭のいい人達は難しい。
 ちょっとだけ反省しながら壁に背を預けて腰を下ろすと、阿近くんがとてとてと歩いてやってきた。
 隣に座り込んだ小さな手が、床に投げ出した右手の小指をほんのちょびっとだけ握る。すっかり涅さんに似てしまった無表情がこちらを見つめるので、堪えきれずに溜め息を洩らしてしまった。

「乙子さん、副局長の言う通り、あまり出過ぎない方がいい」
「うーん…」
「正直、俺達のなかで一番危機管理能力低いから」
「…私、そんなに鈍そうに見えてるの?」
「意識的な鈍さが見える」
「……情けない限りです…」

 そう言うと、阿近くんはそう言うのじゃないです、と一言洩らして口を閉ざしてしまう。どうやら呆れつつもそばに居てくれるらしかった。



 それからしばらくして、奥に消えていった人達がぽつぽつと戻り始める。いくつかの物品は押収になるのか、開発局から出てくる人はそれぞれ何かしらの見覚えがある荷物を持っていた。

 けれど、馴染みのある開発局から持ち出されたにしては見覚えの無いものもいくつかはあって。何かの入った黒い袋を担いで出てくるのが複数人。
 大きさはばらばらだったけれど、それぞれが人ひとり分入りそうな大きさで。
 肩に担がれた袋の口から、白い何かがだらりと力なく飛び出す。

 ――乾いた血の跡のある、
 その、細い腕は。


「ひよりちゃん」


 咄嗟に立ち上がった私を、阿近くんの手が引き留める。息を呑んだ私が突然立ち上がったことに彼は驚いたようだったけれど、すぐに半端に繋がれていた指を解き両手で私の腕をしっかりと掴む拘束に変えた。
 肌の触れあったところから伝わる、子供にしては低い体温も、まるで遠い異界の事象。
 私の意識はまるでゴミでも捨てに行くかのように運搬されていく"それ"に釘付けになってしまっている。

 ――でも、どうして、だってあれは。
 ひよ里ちゃんは九番隊の調査隊の皆さんと合流する為に現地調査に向かったっきり戻ってきていないから、隊舎にも開発局にも居ないはずで。だけどそれなら、どうしてひよ里ちゃんが、あんな状態で研究棟から出てくるの。
 心臓が嫌な音を立て始める。自分が何を考えているのかもわからないまま、頭だけが無意味にぐるぐると回り続ける。勝手に浪費される酸素を補おうと、口が意味もなく開いたり、閉じたり。
 心が真っ白になっていく。

 "怖いこと"があっても大丈夫だって言ったのに、ああでも、待って。


「乙子さん」


 くん、と腕を引かれる。

「顔、真っ青。座った方がいい」

 いつの間にか、宙に伸ばしたままだった手を背伸びした阿近くんが回収してしまって、私は彼に両手を握られたまま立ち尽くしていた。
 全身が痺れている。指先がびりびりと痛くて、顔は石になってしまったように動かない。うん、と曖昧に頷いた空虚な声が、自分のものだとは思えなかった。
 全然大丈夫じゃないけれど、ほんの少し前の自分を裏切る訳にはいかなかった。皆不安で怖くて心配なんだから、私ひとりだけが取り乱していい訳がない。

「ちょっと驚いちゃった。……ごめんね、平気だよ」

 口を閉ざした阿近くんの両手を、汗ばんでいるくせに冷え切った両手で包み込んだ。
 聡明なこの子にはきっと私が全く大丈夫じゃないことなんてバレてしまっているだろうけれど、それでも虚勢を張らない理由にはならない。
 ざわめく隊士達の動揺を背に受けながら、握った両手に額を添えた。

 この優しい箱庭から、誰もつれていかないで。


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