六車隊長は、実際に衣服のみが残された異様な現場を目撃し、それが魂魄を分解する何らかの病原菌である可能性を考慮して研究員の派遣要請を出されたらしい。
 ――今回九番隊が発見した衣類は、死覇装と足袋が先遣隊の数人分、だった。

「さて。そういう訳なんで、ひよ里サン行って下さい」
「なんでやねん!!!」

 状況はかなり切迫している。
 被害が死神にまで及んでいることを考慮しても、こちらからの派遣が席官クラス以上であるのは然るべきと言える。
 けれど私は研究分野に関してはからっきし、能力に関しては文句なしの涅さんは現地で九番隊の調査隊達と円滑にコミュニケーションが取れるとは思えない。
 浦原隊長がひよ里ちゃんを指名した理由はそれで理解できた。それで心配が消える訳ではないけれど。

「いやや!! もっと下っぱ行かしたらええやろ!!」
「文句ばっかりだな…そんなに嫌なことばっかりなら副隊長なんかやめればいい」
「オマエもなんでタメ口やねん阿近!! しばくどコラ!!」
「こらこら阿近くんったら。ひよ里ちゃんも、隊の中で暴力はやめてね」

 ひよ里ちゃんの蹴りを躱した阿近くんを抱え上げてひよ里ちゃんと引き剥がす。阿近くん、ひよ里ちゃんには特に容赦ないんだよなぁ。私も結構色々言われる時あるけども。
 とにかく現地で調査隊の皆さんを待たせているし、こんな緊急事態で揉めている場合ではない。

「スイマセン、こういうことしっかり任せられそうなのってひよ里サンだけなんスよ」

 苦笑い気味の浦原隊長の言葉で怒り狂っていたひよ里ちゃんがぴたりと止まる。

「必要だと思う物があれば隊首室からでも勝手に持って行って構いません、魂魄消失の現場のサンプルは解決の為にはとても重要っス。頼りにしてるんスよ、ひよ里サン」
「…………」

 ひよ里ちゃんが顔を背けて口を閉ざす。「頼りにしている」なんていう嬉しい言葉と、綺麗な言葉で丸め込まれているような腹立たしい気持ちが綯い交ぜになった難しい顔だった。
 黙り込んだ彼女に歩み寄ってその華奢な肩に手を回す。ぎゅう、と抱き寄せると難しい顔をしたひよ里ちゃんがこちらを見上げる。

「ご飯は今度にしよっか、しばらく立て込みそうだし。お仕事頑張ってね、副隊長」

 そう言って微笑むと、もう我慢ならないといった感じで手を振り払われた。
 小さな背中がどすどすと大きな足音を立てながら扉へと歩いていく。

「くそったれ!! あとで経費余計にせびったるからな!! おぼえとけよ!!」
「…そういうことはナイショでやって下さいよ…」
「うふふ、どうしようかな〜」

翼よりもただの掌が欲しい


 ひよ里ちゃんが先に帰還した藤堂さんを追いかける形で調査に発った後、不測の事態に備えて開発局の方で何人か局員が居残ることが検討された。
 浦原隊長はこの事件が無くてもそこら辺で行き倒れているだろうし、涅さんも言わずもがな。私は居ても役に立たないことが容易に想像できてしまうので、残念ながら少し残業して様子を見た後は帰ることになった。
 居残り組がお腹空かないかな、仕事を抜けておにぎりでも握ろうかな、と思いながら隊舎を出て食堂へと向かう。

「あー、乙子ちゃんやぁ」

 と、背後から呼び止められた。
 くるりと振り返る。思っていたよりもずっと間近に銀色の髪があったので、思わずびっくりして仰け反ってしまった。
 そんな私の反応に大袈裟やなぁ、なんてにこにこ笑っている彼は、つい最近(と言ってももう九年経つけれど)入隊と同時に五番隊の三席に大抜擢された――

「い、市丸くん、近いですよもう、びっくりしたなぁ」
「まぁた市丸くんって、むず痒いわぁ。ギンでええって言うとるのに」
「いやいや、君三席だからね。私四席」

 入隊と同時に席官の座が用意されていたような稀代の天才を名前で呼び捨てなんて、恐れ多すぎて無理だ。そう何度も説明しているのだけど、物腰柔らかなようで意外と彼は押しが強い。
 一応妥協点としてひよ里ちゃんを相手にするように敬語が混じった常体で話す、という約束を出会ったその日にしているのだけど、やっぱり他隊の上官相手にくん呼びは慣れない。所謂年下の上司なのだけど、私は上司が年上だろうが年下だろうがしっかり仕事をしてくれる人であれば何でもいい質だ。
 言葉を交わしている間に市丸くんがひょこひょことやってきて隣に並んだ。どうやら行き先が近いらしい。

「乙子ちゃんがお仕事抱えてへんのに十二番隊舎外を歩いてるって珍しいね。何か用事あんのん?」
「あー、まあ用事かな。ほら、今朝九番隊から調査隊が流魂街に向かったじゃない」
「うんうん」
「あれの調査でうちからも一人調査員が派遣されて、一応何人かは局で待機してようかってことになって。私まったく役に立たないから、せめてお夜食くらいは用意してあげようかなって思って、今食堂でご飯炊きに行くところ」
「乙子ちゃんがご飯作るん?」
「うん。と言っても、日没まであんまり時間無いからおにぎりかなぁ」

 市丸くんはええなぁ、とのんびり頷いた。
 何と言うか、十二番隊の大変濃い面子と比べると市丸くんは特に穏やかなように見える。
 多分平子隊長や藍染副隊長が居る五番隊の子、という印象が大きいのだろうけど、それでもいきなり蹴られたり出会い頭罵倒されたりしないことを考慮すると大変いい子だな、と思えてならないのである。上司なんだけどね、うん。

「乙子ちゃんみたいなべっぴんさんにご飯作ってもらえたら、夜通しでも仕事できるやろうなぁ。ええなぁ、十二番隊の人ら」
「…」

 思わず私より少しだけ低い位置にある頭をぐりぐりと撫でてしまった。さらさらの髪を鳥の巣にしてしまう前に手を離していきなり触ってごめんね、と謝ると彼は細い目を更に細くして笑った。


「別にええで。だって乙子ちゃん、可哀想やから」


「――可哀想? …私が?」

 どうして、と訊ねる言葉は音にならずに消えた。退いた右手首を、市丸くんのひんやりした手が掴む。
 掴んで、自分の頭に乗せた。
 私はちょっとびっくりしてしまって、彼の頭のてっぺんに手のひらを置いたまま硬直してしまったのだけど、そんな様子を見て彼は更に笑みを深くする。

「十二番隊の人ら、乙子ちゃんに"ありがとう"も言えへんのやろ? この間も蹴っ飛ばされてたもんなぁ、可哀想に」
「……あ、あぁ。見てたの? まぁ、いつものことだからねぇ…」

 何だか恥ずかしくて言葉を濁した。
 ひよ里ちゃんだろうか。蹴っ飛ばすだからひよ里ちゃんだろうなぁ。暴力は隊舎内だけにして下さいって今度言わないと。

「だから、十二番隊で冷たーくされるぶん、ボクの頭撫でてストレス発散したらええで。ボクすぐに背ぇ伸びて乙子ちゃん追い越すから、今限定やし」
「じゃあ益々貴重な体験じゃないですか。もうちょっと撫でとこう」
「アハハ」

 年下の子の頭を抵抗されずに撫でられると言うのは結構貴重だ。ひよ里ちゃんはご機嫌によって滅茶苦茶な照れ隠し以上の肉体言語に走るし、阿近くんは基本的に塩対応だから。
 隊士同士の交流が無い訳では無いのだけど、特に男の子なんかは市丸くんの言う通りすぐに背が伸びて体が大きくなってしまうから、今のうちに沢山撫でさせてほしいものだ。

 ――驚いたのは、そう。
 私を"可哀想"と評した彼の表情があまりに温度の無いものに見えたから。
 私の手を抵抗なく受け入れて笑っている彼のどこに違和感を覚えたのか、今の私はすでに思い出すことができなくなっていた。多分、気のせいだったのだろう。


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