隊首室の前は日当たりのいい縁側とちょっとした庭があるのだけど、そんなひなたぼっこに最適であるその場所に十二番隊は日差し避けのすだれをかけている。
 勿論通路すべてを覆ってしまったら隊首室が真っ暗になることは必定なので、一部分に日陰をつくる感じだ。
 そして隊首室、あと技術開発局の研究室には毛布が置かれている。
 主にちょっと目を離したうちに建物のどこでも倒れて眠ってしまう上司の為に購入したのだけど、あの人は本当に場所を選ばず時間ができたら寝る、なんていう自由なスタイルなので、今のところ毛布が間に合った場面を見たことはあまり無かった。


「あら、起きた」

 板敷き状の通路で、ごろりと寝返りをうった練色の頭を見下ろし誰に向けてでもなく呟いた。
 床に膝をついて毛布を構えていた私の膝頭にごつんと額をぶつけて、「おでこが痛い…」と舌の回らない口調でぼそりと言った隊長に柔らかい色の布をばさりと被せる。
 容赦なく顔を覆われた隊長が力ない動作で両手をわさわさと動かした。

「な〜にするんスか〜……」
「もう少し寝たいんじゃないかな、という気遣いです。今回は廊下のど真ん中じゃなくちゃんと隊首室の範囲内で眠っていたことも考慮して、加点の毛布もつけました」
「…それはどうも…」

 ちょっと恨めしそうな声だったけれど、浦原隊長は体を起こすと、そのまま乱雑に髪に手を突っ込んでがしがしと掻きながら感謝を述べた。
 そう言えばこの人ご飯食べてるのかな、と見当違いな心配をしながら私もそれに頷く。

「今何時っスか?」
「昨日振りに会う私が此処に居る時点で気付きませんか? 大体始業時間ですけど」
「ああー……」
「とりあえず、お風呂に入って下さいね。その間に私、外回りついでにお店寄ってご飯買ってきますから」
「わ〜乙子サン様々…」
「冗談言ってないで起きて下さい。廊下のど真ん中じゃないだけマシですけど、ここも室外ですからね」

 こちらに伸ばされた両手を躱して立ち上がる。
 どうせ家にも帰らず隊舎のどこかで寝ているんだろう、とアタリをつけて見にきたけれど、逆にこの人が家に帰って眠っているところを想像したら鳥肌が立った。
 仕事熱心とも少し違うし、家に帰れない理由がある訳でも無く、ただ単に自分の個人的かつ人間的な時間を"勿体ない"と感じてしまう質の変わった人だからだろう。

 浦原隊長は毛布を畳みながら踵を返した私に「今日ずいぶん冷たくないっスか…」と愚痴みたいなものを洩らした。

「冷たさと言うよりは慣れですよ。もう九年ですからね、そうやって隊舎のあちこちで行き倒れる隊長を探すようになってから」
「九年かぁ…早いっスねぇ、時の流れは」
「そうですね。さ、もう隊士達も揃ってきますから、さっさと行って下さい」
「……やっぱり冷たくないスかぁ…?」
「うふふ、そんなことないですよ」

 九年。
 元曳舟十二番隊が浦原十二番隊になってから、九年。
 永遠が果たされ続けた九年間。
 年数で言えば短いものだけれど、私にとっては何より得難い平穏な九年だった。

短い春の夢を見ただけ


 白い日差しが窓から差し込む。
 丁度いい感じに光の当たる机に向かいながら、誰のせいでもなく溜まっていく書類仕事をこなしながら、私はここには居ない浦原隊長の顔を思い返し、無意識に溜め息を吐いていた。
 知らない請求書が多い。しかも結構な金額だ。
 十二番隊・技術開発局の財布の紐は一応四席わたしが閉めているので、そんな私の目を掻い潜ってこんな大きなお金を動かす人物はそんなに思い当たらない。
 多分、どうせ、きっと、確実に、浦原隊長だろう。

「ううん……」

 別に隊長が隊のお金を使うことが問題なのでは無い。大きなお金が流れるように出ていっていることが問題なのだ。大きい買い物をする時は一度相談して下さいって何度も言っているのに、また悪い癖が再発している。
 使ってしまったお金は戻って来ないので怒っても仕方ないことではあるのだけど、それはそれとして、である。
 きっとこの請求書片手に開発局の研究室に乗り込んだら、私の顔を見て叱られる子供のような顔で笑うのだろう。悪いことをした自覚がちゃんとある辺り質が悪い。

 もう一度溜め息を吐いて、請求書は机の端に避けた。



 書類を人別・緊急度別に分けて技術開発局の研究室の戸口を叩く。
 局員達も慣れたもので、「乙子さん」と私を呼ぶ言葉も最早浦原隊長の真似ではなくなっている。ぺこぺこと律義に反応してくれる皆に応えながら、何やらすでに揉めている涅さんとひよ里ちゃんのもとへ向かった。

「ヒトが親切で手伝ったっとったら何やねんその口のきき方は!! フザけんなやハゲ虫コラァ!!」
「口が悪すぎてびっくりしちゃった…でもこれって敷地を超えたらお互いが部下でお互いが上司になりますよね、私どっちの側についたらいいんでしょうか?」
「乙子! こいつ何とかせえや!!」
「いや、私はもうどの角度から見ても部下なので何とも……それよりお届けものですよ副隊長、副局長」
「どうせいつものつまらない通知書だろう。そこら辺に置いておき給え」
「了解です」

 脇に抱えていた紙束をそれぞれ宛先別に配り歩く。
 一番多いのはやっぱり隊長である浦原隊長宛てのものだけれど、この場に居ない人を探しても仕方ない(あの人は特に)ので後で隊長の個人的な研究室に置きに行こうと思う。

「あ、ひよ里ちゃん、今日晩ご飯一緒に食べに行こうよ」
「どうせ焼きおにぎりやろ」
「どうせって言わないでよ、そうだけども。焼きおにぎり美味しいよ」
「その焼きおにぎりに対する執念はどっから来とんの…」

 言いながらもきっとあの馴染みの店に一緒に来てくれるんだろう。私のお誘いをひよ里ちゃんが断ったことは今のところ無い。
 普通にそっぽを向かれたけれど、どうせ終業時間と同時に私を迎えに来てくれると思うので、ひらひらと手を振って局員達の書類仕事を見守ることにした。

 基本的に事務仕事の資料発掘や調べ物は十二番隊舎に戻らないとできないので、そんな時間すらも惜しい局員達はわからないことや困ったことがあると局に立ち寄る私を取り囲んで質問を投げかけてくることが多いのだ。
 なので、こちらに仕事を持ってきた後はしばらく局内に留まって彼らが黙々と文字を書くのを見守るのがここ数年で習慣となった。
 かちゃかちゃと雑多に音が鳴っていた室内には、今は文字を書く音と衣擦れの音、あとは紙が折れたり擦れたりする音だけがある。

「――ウチは副隊長オマエは三席!! オマエがウチに命令したらあかんねやっ!!!」
「君こそ解っているのかネ? この技術開発局に於いては私が副局長、君は研究室長。私の方が上だ。隊規に従うと言うのであれば此処に居る以上君は私に従うべきなんだがネ」
「喜助ェ!!!!」

 ……嘘だった。私が離れた隙にまた口論が再開されたらしかった。
 ひよ里ちゃんと涅さんが言い合っているのは割といつものことなのでそちらは気にしていないのだけど、今日は結構な声量なので普通に耳が痛い。
 怒鳴るひよ里ちゃんの声は壁を通過してこの隊の最高責任者を呼び寄せる力が物理的にも精神的にもあるのである。この隊で(色々)一番強いのは多分彼女だ。
 別室から眠い目を擦る浦原隊長がのたのたと覚束ない足取りで現れる。

「何スかもう静かにして下さいよ…ボクあんまり寝てないんスから…」
「寝てたじゃないですか朝方」
「乙子サン居るなら乙子サンが何とかして下さい…」
「あれっ私この場で一番席次下なんですけどね、おかしいな」

 眠気でまだあまり頭が回っていないらしい浦原隊長の軽口――無茶な命令とも言う――に付き合っていると、それまで怒り心頭だったひよ里ちゃんがふと言葉を止める。
 視線は浦原隊長が背負っている人形のようなモノに注がれていた。何となく私もそちらを見遣る。

「あ、コレっスか? 新しい義骸の試作品っス」
「ええと、あれですね、流魂街で魂魄が消失してる事件の…」
「それですそれです」

 流魂街での変死事件の続発によって、尸魂界には今あまりよくない空気が漂っている。
 ここ一月でかなりの数の魂魄が消失しており、しかも衣服はその場に残っているのだとか。
 魂が霊子化するのであれば衣服も同様に霊子化するから、恐らく外的な要因で魂魄が死んだ訳ではなく――何らかの理由で形を保てなくなった魂魄が破裂するように、或いは崩れるようにして、文字通り跡形もなく消えてしまった。
 と言うのが事件の様相らしいのだけど、今の段階では詳細不明。その調査で九番隊の六車隊長が席官の何名かを連れて流魂街へ調査に出られたそうだから、その結果が出れば原因が少しは判るだろう。

「流魂街の事件は人の形を保てなくなって魂魄が消えるんじゃないか・って。仮にそれが本当だとすれば、分解しかけた魂魄をもう一度人型の器に入れれば魂魄は消えずに済むんじゃないかと思って、その器を義骸技術を転用して作ろうとしてるトコっス」
「はあ…」

 難しい話はよくわからない。考えようとしていないだけだと涅さんには怒られてしまいそうだけれど、人には得意不得意があるからなぁ。


「――失礼します!」

 騒々しい足音と大きな声でぼんやりしていた意識が引き戻される。その場に居た全員で扉に視線を遣ると、硝子窓には人影があった。

「九番隊第六席・藤堂為左衛門! 十二番隊隊長・浦原喜助殿はいらっしゃいますでしょうか!! 小隊隊長・六車拳西よりの要請をお伝え致したく参りました!」

 声音から剣呑な空気が伝わってくる。ちらりと浦原隊長を振り返ると、彼も同じようなことを感じて目を細めていた。
 その表情を見れば、扉を開けるかなんていう回りくどい問答が不要なことくらいはわかる。

「…噂をすれば、ですね」
「そうっスね」

 静かな首肯を同意ととって、開発局の大きな鉄扉を開いた。


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