「水月乙子は十二番隊所属の死神であって、アナタ達の都合のいい人形じゃありません」

 まったく罪の無いひとではない。
 けれど、地獄で生き続けなければいけないほどの悪人では決して無い。
 そんな彼女が、ボクは必要だと思うから。
 十二番隊で、技術開発局で、これから先、いつまでこの十二番隊の形を続けていくかはわからないけれど、それでも。

 こんな世界の隅で繰り広げられる醜いくだらない意図のぶつけ合いで道連れにされることだけは、間違っていると思うから。
 まだ本当の贖罪も果たせていない彼女が、こんなことで潰れてしまうのは間違っていると確信しているから。

技術開発局こちらとしては将来の事も見据えて皆サンと仲良くしていきたいんスけどね、それ以上にボク達乙子サンが大好きなので、乙子サンによくないことをされるかもしれないって知っちゃったら、仲良く握手って訳にはいかないんスよねぇ。――彼女は護廷十三隊の一隊士で、ボクの部下です。その事実が揺るがないものである以上、他の誰にも彼女をどうこうする権利は無いんじゃないかと思うんスけど、ボクは何か間違ったことを言ってますか?」

 普段隊長らしいことはほとんどできていないのだから、こういう時くらいは上司っぽいことをしてみよう。
 本当は今すぐにでもこんなヒト達から彼女を引き剥がしてあげることが一番正しい事なんだろうけど、生憎それは難しいので。
 向こう百年くらいはこの話題聞きたくないな、という気持ちを込めて、努めて無害な笑顔を模って笑った。

白々と星はわらう


 言いたい事を言い終えて退室すると、先に帰っていたはずの涅サンが廊下に立ち尽くしているのが見えた。
 誰かと話しているのかとその様子をしばらく眺めていたけれど、それらしいイベントはすでに終わっていたらしく、涅サンがくるりと振り返る。

「まだ居たんスね。誰かとお話し中でした?」
「徹頭徹尾理解不能な輩に難癖をつけられただけだヨ。あの手合いは相手にしないに限る」
「それはそれは…」

 仮にも貴族街の中枢に在るこの場所で"輩"…。
 よくわからないけれど、涅サンが理解不能と言うあたり本当に妙な話題を振られたのだろう。明らかに立ち話に花を咲かせていた顔ではない。
 深堀りしたところで不快の矛先が見知らぬ輩サンからボクに変わるだけなので、追及はせずに災難でしたね、と笑う。
 建物の外へと歩きながら、涅サンはふと空を見上げ、薄い空色を睨み上げた。

「全くだヨ。誰も彼も私の足を止めさせる。目障りなことだ」




 今日の十二番隊舎は静かだった。特に技術開発局は物理的にも心理的にも、局長と副局長のツートップが外に出ているので穏やかだ。
 別に二人が落ち着きなく業務に爆弾を投下している訳では無い…と思うのだけど、やっぱりあの二人が居ないことで安穏と寂寥が綯い交ぜになった静けさがある。
 離れた別の場所から聞こえる話し声と、風の音だけが聞こえる執務室で、そんなことを思いながら手帳を読み返していた。仕事がまったく手につかないのである。

 理由は明らかだった。
 私が手にしている革の手帳、それが何冊分にも積み重なった記憶が簡単に握り潰されてやしないかを思うと不安になって、他には何も考えられないのだ。
 例えいつかは忘れるとしても、そんな悪夢のような光景を目にしたくない、と思う。この手帳のページ一枚一枚を丁寧に千切って握ってぐしゃぐしゃにされて、皺の寄った紙きれを最後は火にくべられて、それでお終い。そんなのは嫌だった。
 けれど私が首を垂れている相手はそういう人で、いつかは必ず断頭台の刃が落ちてくるように、容赦も躊躇も無く壊されていくのだろう。

 そういう時限式の夢のなかを、私は揺蕩っている。


 窓から吹き込んでいた風が止んだ。
 ふと顔を上げると、外からは「ただいま戻りましたー」なんていう呑気な声が聞こえてくる。
 居ても立ってもいられなくて席を立って執務室から顔だけを出す。

「わ。乙子サン。ただいまっス」
「……お、おかえりなさい」

 思ったより近い位置に浦原隊長と涅サンが揃って立っていたので、どういう顔をしたらいいものかわからないままとりあえず頭を下げた。
 言いたいことは色々あった。提携の件どうでしたか、とか。
 私のせいで変なことを言われませんでしたか、とか。
 私のことを心底邪魔だと感じませんでしたか、とか。

 口を小さく開いたり閉じたりしながら言葉に詰まる私を見て、浦原隊長の垂れ目がいつも通り呑気な笑顔を浮かべる。

「すごい典型的な脅し受けました! ね、涅サン」
「低レベルなあまり一周回って愉快ではあった気がするヨ、今思い返せば」
「えっ」

 あっけらかんと告げられた最悪の事態にさっと血の気が引く。
 硬直した私の頭を、涅さんの右手がいつかのように鷲掴みにした。ぐぐ、と力の込められた指先から痛みが広がっていく。

「いっいたいいたい、痛いです涅さん痛い…」
「君の周りは揃いも揃って頭の回らない凡才しか居ないのかネ? 付き合っていられない、面倒極まりないから早急にどうにかし給え。さもなくば私が君の頭を握り砕く。今決めたヨ」
「あたたたたたた」

 頭を掴む涅さんの力が予想以上に強くて、手足をばたばたさせることしかできない。無力だ、そして訳がわからない。
 結局私経由で余計な事を言われて権力を笠に着て脅されたけど、この人達にはまったく効果が無かったということなんだろうか?
 浦原隊長がやんわり(そしてしっかり)私と涅さんを引き剥がしてくれたので頭を擦りつつ「どういうことなんです…?」と首を捻った。

「これ以上乙子サンとは関わるなって言われましたけど、生憎ボク達みーんな乙子サンが好きなので、きっぱりお断りして帰って来ました。あ、提携の件は概ね合意できましたよ、契約書が後から郵送されるみたいですから、届いたらボクにください」
「あっはい……」

 理解が追いつかないので、一度そちらは諦めて手帳にその予定を書き込むことにした。
 "映像庁から提携契約書類が郵送される予定。届き次第浦原隊長に届けること。"…。

 …私は一体、誰にどういう情けをかけられたんだろう? それともこれは単なる猶予期間に過ぎないんだろうか?
 時灘様が私が十二番隊に居て楽しいことを知ったらすぐさまそれを壊しにかかるだろうと思っていたし、そんな爆弾となり得る私を置いておく利点は十二番隊と技術開発局には無いと思っていたのに。
 邪魔だと言われたら、大人しく十二番隊を離れようと、決心できそうだったのに。

「あの…」
「はい?」
「……ご迷惑をおかけしてすいませんでした。これ以上十二番隊の重荷になるようでしたら、私――」
「あっそれは止めて下さい。そっちの方が迷惑っス」

 言いながら、背の高い浦原隊長が四楓院隊長よろしく体当たりをしてくる。「う゛っ」隊長の肩が側頭部にあたって眼鏡が吹っ飛びかけた。
 暴力に訴えてくるほど私のことが憎いのか、と呑気な笑顔で思いっきり私にダメージを与えた浦原隊長を見上げる。
 見上げた眸は、どこか涅さんに似た無機質さを映し込んで、けれど奥底には人らしい温かさみたいな何かが漂っていて。

「今更冷たいこと言わないで下さいよ、ここまで来たら一蓮托生でショ。……いや、ボクらの滅茶苦茶さだとよくて呉越同舟レベルだけど…」
「――」
「とにかくっスね、ボクは水月乙子をどこかに置き去りにしていくことなんか絶対にしませんし、十二番隊と技術開発局には常識があって、気性は穏やかで、時々厳しいけど滅茶苦茶なボク達を見守っていてくれる、そんなアナタが必要なんス。それは誰に何を言われても決して変わらない事実で、ボクらが死神で在る限り変えちゃいけないコトです」

 その遠く儚い、触れれば掻き消えそうな温かさが、私には眩しくて、嬉しくて。
 例えそれが仮初の灯だったとしても、私は。

「ボクは十二番隊隊長・浦原喜助です。"十二番隊の悪口で怒れる人"を超えて、この隊を護る隊長で在りたい」

 ――私は……。

「その十二番隊には、もちろん乙子サンも入ってます。わかりますか、アナタも"十二番隊の皆さん"なんですよ」
「…………」
「あ〜っうるっときちゃいました? 今のところ十二番隊では誰が乙子サンを嬉し泣きさせるかっていうレースが始まってたり始まってなかったりするんスけど、この分だとボクがいちば痛い!!」
「浦原隊長最低です、そして泣いてません」

 私の顔を覗き込む浦原隊長を睨み上げながら脇腹に手刀を叩き込んだ。普段ひよ里ちゃんが隊長に振るっているものほど強烈な攻撃ではなかったものの、浦原隊長は身を捩って悶えている。
 眼鏡を直しながらしゃがみ込んだ隊長のつむじを見下ろしていると、同じく底冷えするほど冷たい眼差しで浦原隊長を見ていた涅さんと目が合った。

「ええと、涅さんも、……ありがとうございました」
「まさか私が君の為にあの戯れのような脅迫を蹴って来たと思っているのかネ?」
「ああいえ、そこまで自惚れてはいないですけど、でも、ええと…」

 こういう時に限って、私はうまく笑顔を作ることができなかった。眉が下がっていくのを感じる。
 よくわからない表情が恥ずかしいので顔を少し背けながら、うーん、と曖昧に唸る。

「…今は平気でも、今後私が荷物になることはほとんど決定事項なので、涅さんがそのことを承知していない訳はないだろうな、と私なりに推測しまして……なので、ありがとうございますをですね」
「…」
「私のことを心底憎みながら、それでも同じ場所に居ることを許して下さって、ありがとうございます」

 「涅さんは優しい人です」なんて言いながら向き直ると同時に再びガッと頭を鷲掴まれた。ギリギリ音を立てて頭の細胞と私の口が悲鳴を上げている。
 涅さんの顔はよく見えないけれど、また私が失言をしたらしかった。涅さんの優しさや寛大さに感謝を述べると高確率で尋常じゃなく肉体言語が飛んでくる。しかもまだ私にそれを解読する言語能力は無いので、私はただ肉体にダメージを負うだけなのである。

「もう付き合っていられないネ。茶番なら暇人だけでやり給え、私を巻き込むな」
「いたいいたい涅さん痛いです、頭とれちゃう!」
「いっそ取れてしまえ。髄まで私手ずから洗浄してやるヨ」
「怖いこと言わないで下さい」

 結局ぎゃーぎゃーやって、いつも通りのバイオレンスで愉快な空気に戻ってしまった。
 開発局に向かって去っていった涅さんを見送りながら、ぽつりと呟く。

「不幸自慢していいですか? 私、正直友達がまったくいないんですけど」
「それ自慢っスか……?」
「いえ、ここまでは自虐です」

 微笑みが抜け落ちて、目を開いたまま奥に続く廊下の果てを眺める私の言葉を、浦原隊長は笑いながら聞いている。
 訳もなく泣きそうな気持ちを必死に堪えて、平静を装って言葉を紡ぐ。

「友達がいない代わりに、職場には恵まれたんだなあって、今すごく思いました」
「……それ自慢っスか」
「何ですか、こんなに愉快で滅茶苦茶で優しくて楽しい職場、自慢以外の何者でもないでしょう」

 妙な諦めの心地だった。
 十二番隊を、彼らを諦めたまま今まで通りに生きることを諦めた私の胸を満たす、苦しみと寂しさに支えられた愛の感触だった。
 多分これは愛なんだろう。私はきっと今この瞬間、十二番隊を、この人達を一等愛していた。
 その感情には過去も未来も無いので、きっと劣化も風化もしない永遠のモノなんだろうと、私は信じ切ってしまって。


 多分、心の底から笑った。

「忘却の波に負けないように、ずっと一緒に居て下さい。どうか、私の永遠で居て下さい」

 この罪深くも幸福な私も、どうか永遠にしてねと微睡むように笑った。


- ナノ -