「ああ、君の事はよく知っているぞ、涅マユリ。随分とあれを手懐けてくれたらしいじゃないか。本当に、君や君の上司は私には終ぞ出来そうにない事ばかりを実現させていくな。私とてあれとは長い付き合いになるが、取るに足らない事で偽りなく笑うあれの姿は見たことが無い。
 君はなかなかに感情が表に出るな。そう嫌そうな顔をしないでくれ。私はこれでもね、あれ――乙子の事は我が子のように思っているのだよ。そうだな、子と呼ぶには些か年が離れすぎているが、まあ、気持ちの問題だ。
 霊術院に入学したばかりの頃から知っている事になるから、親心のようなものが芽生えても仕方がない、そう思うとも。私とて人の心は持っているからな。
 …ああ、話が脱線したか。お互いあまり時間が無いように見える。私が此処に何をしに来たかと言えば、勿論君と話をしに来た訳だが。
 十二番隊での乙子はどうだ? 随分楽しげだと監視からは報告を受けているが、同僚からの視点で見ると凡庸な感想も少しは現実味を帯びてくるだろうか? いやな、私にはやはりあの何もかもに怯えてばかりの乙子が出会って一年も経たない相手を前に、心から笑っているなどという事実が信じられないのだ。そもそも、あれにはそこまで他者に心を許すような機能は持たせていないはずなのだがね。どんなに親密になったとしてもあと一歩のところで自ら人間関係の輪から逃げ出すよう育てて来たつもりなんだ。だと言うのに、最近の乙子はまるで自分が普通の死神であるかのように仕事に励み、上司に付き従い、部下に目をかけている。"理想の善人"像からは外れられないはずのあれが、進んで人並みの強度を持つ自我を形成しようとしている。それがどんなに罪深い事かを自覚していても尚、君達の居る時間が愛おしかったのだろうな。
 そうとも、乙子は君達の在る十二番隊を愛している。何よりも惜しいと思っている。それは紛れもない、今更変えようのない事実だ。乙子はな、自分が心を傾ければ傾けるほど君達を不幸にすると理解していても、最早その自戒の思考だけでは離れられないほど君達を惜しんでいる。
 ――何があれをそうさせた? 自己に怯え、他人に怯え、罪に怯え、罰に怯え、過去に現在に未来に怯え、恐怖以外の感情がほとんど壊死してしまった、壊れかけの木偶人形に、君達は希望を与えてしまった。何が、目的の為ならば何を切り捨てることも厭わない君達の何が、水月乙子を変えさせた?
 教えてくれないか、乙子の心を掴んで離さない君達の核を。君達をどうこうしようとは今のところ思ってはいないが、それさえ判れば乙子を元の完璧な状態に戻す事ができるようになる、いつでも、何度でも。そうだ、君達をどうこうするよりも乙子一人を壊す方が手間が少ないのだよ。
 さあ、どうか教えてくれないか、天才科学者殿。
 乙子は、君達の何を愛し、君達の何を尊んでいるのかな?」


何でも言ってください。はい、どうぞ。何か起きても涅さんがずっと見ていてくれるんですよね。安心ですね。尚のことよかったです。昨日はご迷惑おかけしました。私はあくまで四席。涅さんが上司ですから。そんなに嫌われたら、普通の女の子だったら泣いてます。

私のことは、切って捨ててくださって構いませんので。



「――己の発言を一秒単位に忘却しているのかネ? 自分で言ったじゃあないか、"恐怖以外の感情が壊死した"と。心の無いモノがどうして他者を愛せると言うのか、その理論、私には理解しかねるヨ。まァ、君の言っている事は徹頭徹尾理解不能だがネ。
 いくら詭弁を弄したところで水月が他者を愛するなどと言う事実を実証するには不足だ。あれは、誰も、何も、愛してなどいないのだから」

苦しみの愛を我が許に




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