「今回の提携がよくないと思ってる訳じゃないんですよ、私」
「そうなんですか?」
「うん。勿論心配も問題もそこそこあるけど、技術開発局が発展する足掛かりになるならチャラだと思うの」

 なんやかんや涅さんに逃亡され、浦原隊長に日頃のだらしなさについてお小言をした後、何となく技術開発局の方で仕事をすることにした。
 大きな研究室の大きな机を占領する形で書類に目を通していたらお仕事にひと段落ついたのか向かいに阿近くんが座ったので、少し冷めてしまったお茶を新しい湯飲みに注いでやる。

「ただね、皆もよーくわかってる通り、貴族って言うのは全然こっちの常識とか融通が利かない存在なので…」
「でも、局長と副局長が口で負ける気はしませんよ」
「それに関しては阿近くんといっしょ。何なんだろうね、この根拠不明の安心感は」

隠し事の数だけ君を


 涅さん…と浦原隊長、もとい技術開発局が映像庁と手を組む計画を立て始めた理由は至って単純だ。
 欲しいものは尸魂界各所、更には現世の一部にまでその監視網を広げつつある映像庁の映像監視システム、ただそれだけ。
 元々技術開発局内でも涅さんを中心に尸魂界・現世・虚圏と三つの世界を効率的に監視・分析しようという試みが為されてはいたけれど、後々映像権利や技術侵害で揉めるくらいなら揉めそうな相手と手を組んでしまった方がいいだろうと言う魂胆だ。
 局のツートップは揉め事に発展したとしても実害が出る前に事を治めてしまいそうな気がするけれど、何せ映像庁の背後についているのは四大貴族の一家・綱彌代家だ。揉めないに越したことはない。

 涅さん曰く、平和ボケした無能の集団が運営する組織を裏から支配してしまえば更なる利益がもたらされるそうだけれど、仮にも四大貴族の一家が背後についている組織を"無能の集団"などと呼ぶこと自体が怖すぎて否定も肯定もできなかった。

「今のところ招集無視っていう大暴挙をやらかしてるからすでに心象はよくないだろうし、逆にこれ以上やらかすことは無いと思うからあとは隊長と涅さんに任せるとして…」
「…して?」

 言葉に合わせて首を傾げた阿近くんの動作の容赦の無さにちょっと微笑みながら、数日後に上司達が遭遇するであろう男の顔を思い出した。
 最早慣れてしまった恐怖がすとんと背筋を滑り落ちていく。

 ――随分楽しげだと聞いているぞ、乙子

 …私の考えすぎ、では無い、だろう。
 どんなに些細な事象でも、そこに他人の苦しみがあるのなら己の地位や命さえも懸けるような人だ。

「…………邪魔にならないように異動でも考えようかなぁ…」

 ごふっと噎せる音があちこちから聞こえてくる。
 びっくりして俯き気味だった顔を上げると、それぞれ自分の作業に没頭していたはずの局員達が一斉に私を見つめていた。
 何か変なことでも言ったかと居心地の悪さに肩を竦めていると、よろよろと近付いてきた一人が「乙子さん、十二番隊やめちゃうんですか…!?」と震え声を洩らした。

「え? いや、今のところはそうならないといいな〜って思ってますけど、私が開発局の発展の障害になるならどうかなぁと……」
「嫌ですよ乙子さん〜…」
「今の状態が一番上手く回ってるのに」

 女の子を中心にわちゃわちゃと囲まれる。お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいなぁ。
 ふと正面の阿近くんを見ると、幼い顔に深刻そうな表情を浮かべていた。

「乙子さんが居なくなったら今以上に無法地帯になる気がする」
「あー…いや、うーん……案外何とかなるかもだよ」

 今でも充分無法地帯だし…。
 大体、私の存在が十二番隊・技術開発局に与える影響なんてそう無いだろうに、いつの間に気遣いを覚えたんだろう。
 阿近くんの人間的成長にほんのり感動を覚えながら、短く切られた髪をさらさらと撫でる。すぐに頭を振って逃げられた。



 午後になってから隊舎の方に戻ると、執務室にはひよ里ちゃんがいた。
 探し物をしているらしい。戸棚の奥から引き摺り出された書類や本で周りに山を作っている彼女のところまで慎重に歩み寄る。

「何探してるの?」
「特別業務申請書の雛型」
「あー……私も探すよ」

 映像庁との提携関係で必要になることはわかっていたけど、涅さんを追いかけたり浦原隊長の隊長羽織を洗濯したりでそこまで手が回らなかったのだった。
 ひよ里ちゃんが探してるということはその後の記入と確認も任せていいだろうから、目的が見つかったら私は通常業務に戻ろうかな。

「申請書書くなら報告書も準備しておかないとね。うーん、気が早いかな」
「どうせ相手丸め込んで帰ってくるやろ、あの二人なら」
「まぁ、そうなるんだろうけど」

 何気ないツッコミだったけれど、普段なんやかんや言いながらも浦原隊長と涅さんに対するほのかな信用みたいなものが垣間見えたひよ里ちゃんの一言に自然と頬が緩んだ。
 しみじみとした気持ちで俯き気味の横顔を眺める。最初はあんなに警戒してたのになぁ。

 視線に気付いたひよ里ちゃんがぎゅっと顔を顰めて頬っぺたを抓ってくる。

「なに穏やかな顔しとんの、気色悪!」
「ひどい」

 笑いながら、ふと泣きそうになった。
 良かったな、嬉しいな、なんて気持ちを持ったって、どうせ失くしてしまうのに。
 遅かれ早かれ、私が死神として生きるのに必要無い気持ちは切り捨てられてしまうのに。

 …ああでも、ああいう風に今の私を惜しんでくれる人達が居るとしたら、それは嬉しいな。
 それは私が存在したことの証明だ。私がそれを忘れてしまったとしても、私が居たことの証明になってくれる。
 それさえあれば、私はきっと――…

「……あーあ、離れたくないなぁ、十二番隊!」
「何やねん急に」
「私は皆が好きなんだなぁと再確認した次第です、副隊長」

 今度は無言で肩を殴りつけられた。
 比較的低めの柱をばさばさと崩しつつ、ずれた眼鏡を直す。

「ところでひよ里ちゃん、申請書、もしかしたらここじゃなくて隊長の研究室の方にあるかもしれないよ」
「……はよ言えや! 道理でどれだけ探しても見つかれへん訳やわ!」
「ごめんって」

 そんなこと言ったって、隊の重要書類は浦原隊長の所在と一緒にウロチョロ移動するから定位置ってものが無いんだよなぁ。
 なんてことを呟こうものなら翌日から浦原隊長が外で逆さ吊りにされること請け合いなので、黙って殴られていようと思う。


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