別に戦えない訳じゃ無いけれど、限界まで広げた空海月を展開し続けていたので少し疲れてしまった。
囲い込み途中で空海月の触手に当たって身体が麻痺してしまった隊士も数名居るだろうし、早いところ戦いを終わらせて四番隊で診てもらいたいな。
それに、どれだけこちらの戦法が意外だったとしても、きっと平子隊長達もその場その場で対応してくるはずだ。時間をかければかけるほど不利になっていくのはこちら側かもしれない。
…まあ、だとしても新生十二番隊の看板を背負ってしまったからには負けたくはないのだけど。
「破道の三十一…!」
詠唱が耳に入る。
こちらに鬼道を放とうとしている隊士に半身を向けると、突き出された掌にはすでに赤い炎が揺らめいていた。
彼が詠唱破棄した赤火砲を放つ瞬間、空海月の柄を鳴らす。途端、死覇装の袖から覗く腕、その肌の下を通う血管が青褪めていく。
ぐるんと両目が明後日の方向を向いて、そのまま私よりも大きな身体をした彼は倒れてしまった。赤い炎は空気に融けるように消える。
「意識がはっきりしているからって油断しちゃ駄目ですよ」
空海月の毒を経由して彼の内部霊圧に割り込みをかけたのだけど、過去同じ攻撃を仕掛けた何名かからは「地面が崩れて空が降ってくる心地だから二度とするな」と白い目を向けられてしまっている。
この方法なら傷跡も残さずに敵を無力化できる。半面、それまで潜伏していた異物がいきなり牙を剥くのはとてつもない吐き気を催すし、回復した後もしばらくは接触箇所が痺れるので私としてもあまり使いたくはない方法だ。
こうして意識を飛ばしながら痙攣している隊士を見ると、流石に良心が痛むと言うか、なんと言うか。
なのにどうして分かるんだろう
地雷のどっかんどっかんという轟音もやがて静まり、最終的に意識のある状態で立っている五番隊の隊士が半数以下と判断され、演習は十二番隊の勝利で無事終わった。日暮れまで続く長期戦の泥試合なんかにならなくて良かった。
空海月の毒で意識の無い者から順に四番隊の救護班によって回収されて行く。
目立った外傷の無い私はその様子を眺めながら、しっかり怪我をしているひよ里ちゃんを場外に押し出したりしていた。
柵に背中を預けながら場内に留まっている私の背後で、僅かに鉄柵が揺れる音がする。
振り返ると、演習にはまったく興味無し状態だったはずの涅さんが場外で鉄柵を掴んでこちらを見つめていた。
相変わらずのじろりとした眼差しに口から心臓が出かかったけれど、何とか飲み込んで「お疲れ様です」と会釈した。
「私は疲れるような事をしていない」
「そ、そうですけども…そうですね……」
「何をしに来たという顔だな。まァ、確かに君本人に用は無いのだがネ」
別に用事のない上司が話しかけてきたって迷惑に思うことは無いんだけどな。浦原隊長なんかそんなのしょっちゅうだし。
「その銃、撃ったのなら報告を…と思ったまでだ」
言われて、斬魄刀と一緒に腰から提げていた武器の存在を思い出した。
空海月の毒で相手の大半が脱落してしまったので、結局私自身は一切渡された物を使えなかったのだ。
特に開発者については伝えられず使い方だけを教わっていたけれど、このちょっと大きめの銃は涅さんのものだったのか。
金具から銃だけを慎重に外して観察していると、部下達の搬送が一通り終わったらしい平子隊長が「何物騒なモン持ってんねん、もう演習終わってんねんぞ」と寄ってきた。
咎めるようなことを言っている割に口調は楽しそうなので、多分未知の道具が出てくるのがちょっと面白くなってしまっているんだろう。
涅さんは平子隊長の登場でちょっと嫌そうな顔をして後退ったけれど、「これ試し撃ちしてもいいやつですか?」と振り返ると足を止めて顎を引いた。
「別に構わんが――」
「わあ、じゃあ撃ちますね。平子隊長、行きますよ」
「お前決断と行動が早すぎるねんなぁ…」
「うちの隊長ほどじゃないです」
一応周囲に誰もいないことを確認して、無人の演習場に照準を合わせて引鉄を引いた。
ガチン、と重い音。
銃口からは銃弾ひとつ出ない。
「「ん?」」
弾詰まりか、と握ったままの銃を平子隊長と揃って覗き込む。
――瞬間、銃口から発せられた形容しがたい爆音と共にゴウッと台風もかくやという風が私達を直撃し、衝撃波で滅茶苦茶に吹っ飛ばされた。「あかーーーーん!!」平子隊長の叫びもどこか遠い…。
真面目に天地が軽く百回は入れ変わったかと思った。
自分が空を見ていると気付いた時には、いつの間にか柵の向こうに居たはずの涅さんが本当に本当に残念なものを見るような目でこちらを見下ろしていた。
「あれぇ……くぉつちさぁ、ん……」
「馬鹿なのか」
シンプルに罵倒された。全身が痺れていて口が上手く回らない。
「引鉄を引いてから銃口を覗き込む馬鹿が居るとは知らなかったヨ。全く、予想の遥か斜め上を往く馬鹿だな。愚かと言うのも少し違う、単純に脳が足りていない」
「ひ、ひど……」
「酷いのはその危機管理能力の低さだヨこの馬鹿め」
普通に怒られながら、ふと首を捻って同じく吹き飛ばされただろう平子隊長を探す。
結構離れたところに、腰を押さえて悶絶している白い隊長羽織が見えた。どうやら強打したらしい。
…その様子を見ていたら、何だか無性におかしくなってきた。
うふふ、と笑い出した私を、最早理解不能といった表情で見下ろしている涅さんにもっとおかしな気持ちが湧き上がってきて、全身痺れて痛い変な状態で腹を抱えて地面をごろりと転がる。
「いや、なんかおかしくって……すいませっ…ひっははははは」
「…」
「あははっ、まって、とまらなっうふふ、ふふ…」
銃はどこかに飛ばしてしまったらしい。
ついさっきまでは綺麗だったはずの両手は土で汚れて、髪も勝手に解けてしまって、多分砂や土を巻き込んでいるから最悪だ。意味の分からない吹き飛び方をしたから全身痛いし。
でも不思議だな、すごく愉快な気持ちだった。誰かもう一回私達と同じ要領で吹き飛んでくれないかな。
激しい笑いの波が治まるのを待って、仰向けに戻りながら、謎の律義を発揮して側に立ったままの涅さんを見上げる。
「さっきの銃って普通に撃ったらどうなるんですか?」
「直撃した者が霊力を霊圧として体外に放出するのを阻害する衝撃波だ。霊力が自動で低下し即昏倒するネ」
「な、なんて恐ろしいものを…」
完全に体感でしかないけれど、範囲もなかなかに広かった気がする。もし演習で実際に撃っていたらと思うと笑えなくなった。だから人死にが出るようなものはやめてくださいとあれほど…まぁきっと「死にはしない」とか言われそうだけど。
投げ出していた手でずり落ちかけていた眼鏡を直していると、ふと頭上から真っ白な手が差し伸べられた。二度見するまでもなく涅さんの手だ。引っ張り起してくれるつもりなんだろうか。
浦原隊長と比べると少し華奢だけれど、間違いなく男の人の手。爪は黒く塗られていて全体的に無機質な雰囲気だ。
触れてみるといつもひやりと冷たい肌で、時々涅さんはとんでもなく平熱が低いんじゃないかと思う。
そんな涅さんの右手が私に向けて伸ばされている。
私はほんの少し躊躇って、汚れてしまった手をそっと重ねた。
僅かに触れた肌はやっぱり冷たくて、ちょっと不安になる。
「………何いちゃついてんねん…」
いつの間にか歩ける程度復活していた平子隊長のマジトーンのツッコミに肩が跳ねた。
何となく掴まれかけていた左手は躊躇も情け容赦も無く離されて、上体を起こしていた私はあえなく地面に逆戻りである。受け身も取れず固い土に頭を強打した。
頭を抱えてごろごろ悶える私を他所に、本当に本当に少しだけ優しさを見せかけてくれていた涅さんはもうこの世のものとは思えないほど冷たい表情で割り込んできた平子隊長を睨んでいる。
「い…いちゃついてはないですよ……酷いです平子隊長、せっかく涅さんが死に体の人間性をわざわざ蘇生させてくださったのに横槍を入れるなんて…」
「それをいちゃついてるって言って…え……俺がおかしいんか?」
「あり得ませんよ、見てくださいこの涅さんの冷め切った顔。自慢じゃありませんが、私浦原隊長の次に嫌われてますからね」
「なん…………いやもうええわ…何でもないわ…」
「嘘じゃないですよ、本当ですよ」
多分十二番隊と技術開発局の面々にさっきの平子隊長の発言を聞かせたら同じ反応が返ってくるだろう。
さっきのは間抜けな部下の様子があまりにも哀れだったからだろう。一応一番目の部下だから余計に。
今度は呆れた顔の平子隊長が手を差し出してくれたので、ありがたく掴まらせていただいた。涅さんはとっくに平子隊長から逃げる為に演習場を出てしまっている。
「私は嫌いじゃないですけどね、涅さんのこと」
「エッ!?」
「今まで会ったことないタイプのお人なので。上司にこう言うのよくないかもしれないですけど、面白くて」
「………乙子お前…そういうとこやぞ…」
「な、何がですか…」
ちなみに演習場の地面をぼこぼこにしてしまったことはほんの少しだけ怒られた。