間抜けな声で自分を呼び止めた私を、黒いおさげ髪が振り返る。
眼鏡の奥の瞳はいつもよりきつい目つきになっていて、さてはまた京楽隊長が何かしたんだな、と失礼すぎるアタリをつけながらリサちゃんに歩み寄った。
「珍しいところで会うね。十二番隊…いや、技術開発局に用事?」
「んな訳あれへんやろ」
「そ、そんな言い方しなくったって…」
ちょっとした冗談のつもりだったのだけど、思いっきり無視されてしまった。余計なお世話だったようだ。
ほんのちょっと肩を落としながら「京楽隊長?」と本命を口にすると、彼女は黙って頷いた。その不服そうな表情に思わず笑みが洩れてしまう。
「そっかぁ。ちなみにね、うちの隊長は"どこかに行くときはなるべく書置きを残していってください"って口を酸っぱくして言ったら失踪癖は無くなったよ」
「迷子の子供か。…それに、うちのは"失踪癖"やのうて"脱走癖"やから。より罪が重いの。わかる?」
「なるほど」
確かに、浦原隊長の失踪と京楽隊長の脱走は違うかも。浦原隊長は失踪した先でも何だかんだお仕事をしているからなぁ。
それから少し世間話をして、リサちゃんは再び脱走した京楽隊長を捜しに行ってしまった。
隠れているものを覗き見るのが好きな彼女だけれど、曰く「隠れてるもんがヒゲのオッサンってわかってたら楽しくもなんとも無いわ、アホ」とのこと。
他の隊士が聞いたら真っ青になってしまいそうな口の悪さだけれど、京楽隊長とリサちゃんの間では最早当たり前のことなので、私は笑って流している。
おとなになってしまったせいで
リサちゃんの後ろ姿が見えなくなった瞬間、頭上から「いや〜ヒヤッとしたなァ」という低い声が聞こえてきた。
びっくりして見上げると、瓦屋根の上から見慣れた薄紅色の着物の裾が垂れている。
「きょ、…京楽隊長?」
「はぁい」
今度はにょきっと顔が出てきた。
リサちゃんの言う通り、その顔は"ヒゲのオッサン"なのだけど、表情がどことなく悪戯に成功したこどものようなので、驚きで逃げていった笑顔はすぐに復活してしまった。
「もしかして全部聞いてらしたんですか?」
「いんや、途中からだよ。なんかリサちゃんの声するな〜と思ってたら、ほんとに気付かないで行っちゃったからどうしようかなって」
「悪い人ですね、声かけてあげればよかったのに」
「さっきまで寝てたんだよ、本当さ」
肘をついたまま、垂れ目がにこにこと笑っている。
「ボク、乙子ちゃんのその"悪い人ですね"って言うの好きだなぁ」
「…よくわかりませんけど、恐縮です」
「浦原隊長には言ってあげないのかい? "悪い人ですね"って」
「浦原隊長は人を困らせようとして失踪する訳じゃ無いので、悪い人じゃないです」
遠回しに「はやくリサちゃんのところに帰ってあげてください」とお願いすると、京楽隊長は参ったなぁなんて笑いながらも屋根から降りてきた。
相変わらず背の高い京楽隊長が笠を被り直すと影ができて、私はその影に覆われてちょっとだけ涼しくなる。
リサちゃんと仲が良いだけの他隊の席官のことも気にかけてくれる、穏やかな気性のこの隊長のことが私は好きだった。
ちょっとサボり癖があるけれど、呆れ果てることなく探しに出てくれるリサちゃんと合わされば丁度いい感じだと思うし。
「ところで、どうして十二番隊舎の近くにいらっしゃったんですか? 八番隊からだとそこまで遠くはないですけど、近くもないですよね」
「十二番隊にはよほどの用事が無いと誰も近付かないからねぇ。避難するのにはうってつけだよ」
「……やっぱり誰も十二番隊には用事なんてないですよね…」
「あれェ、気にしてたの。元気出して乙子ちゃーん」
半分冗談、半分本気だ。
その存在を受け入れられつつあるとは言え、妙に湿度のある空気漂う薄暗い研究室と、そこに集う得体の知れない局員達がまだまだ浮いているのは事実だ。
技術開発局がこれから護廷十三隊にとって必要とされる機関となること、そしてやがては無くてはならない重要な機関となることをおこがましくも願っている者としては、そんな空気が寂しく、そして悲しくもある。
忘れようの無いくらい、大きくて強い繋がりになって欲しかったんだと思う。
「…ま。それもきっと来週までですよ。演習が終われば、きっと皆が羨望の眼差しで十二番隊を見るんです。そして言うんですよ、"技術開発局に用があるんだけど!"って」
「珍しいね、そこまで言うなんて。それじゃ、楽しみにしてるよ」
言って、京楽隊長は肩に掛けた着物の袖を翻した。
その足取りはリサちゃん含め部下数名に捜されていることなど気にも留めていないようなゆったりしたもので、また私は噴き出してしまうのだった。
「寄り道しないで戻ってあげてくださいね」
ひらりと振られた大きな手が私の声に応える。
本当かなぁ。
ちなみに、用事を済ませて十二番隊舎に戻ったところ、うちの隊長も行方がわからなくなっていた。
リサちゃんにほんの少しだけ自慢げに話した書置きも、"ちょっと外に出てきます"なんていうまったく意味の無いもので、私は思わず肩を落としてしまうのだった。
すぐ戻りますなんて、本当かなぁ。