流魂街で、一週間と少しの間失踪していた気の触れた男が、家族や近所の住人を巻き込んだ殺傷事件を起こしたこと以外に特筆すべきことも無く、雨の足音とともにほんのちょっとの異変は掻き消えたのだ。
ちなみに、あれだけ私に対する嫌悪を滔々と語ってくださった涅さんとも、私のすべてを知った上で私の罪を掲げてみせた浦原隊長とも、特に何が変化する訳でもなく、いつも通りの日々を送っている。
私が手帳に語られたすべてを記した上で何事もなかったように過ごしているから、彼らもいつも通り過ごしてくれているのか。
はたまた、何も知らないはずのひよ里ちゃんが、それでも私に何かあったことだけは敏感に察し、そしてその原因が涅さんと浦原隊長であると結論づけて威嚇していたせいだろうか。
――まあ、そんなこんなで若干軋みをあげていた十二番隊の空気も、すぐに一つの目的のもとですっかり統一されることとなるのだけど。
五番隊を相手とした大規模演習まで、残り一週間と三日だった。
なみだ声にきづかないふり
「あのですねえ……」
もくもくと立ち昇る煙を手で払いながら、数秒前の轟音でイカレてしまった耳をもう片方の手でぽんぽん叩く。
いや、実際に鼓膜が破れているだとかそういったことは無いのだけど、キーンという耳鳴りが鬱陶しかったのだ。
珍しく屋外――十二番隊舎の敷地ギリギリ、技術開発局の更に裏手のちょっとした広場に集結した局員達に見つめられながら、何から説明…いや説得したものかと頭を抱えたくなった。腕があと一本足りない。
「人死にが出ない程度にって、局長からも副局長からもあったと思うんですが」
「副局長からは無かったですよ、そんな話」
「…、…いや、でも局長からはあったんじゃないですか。いつからそんな屁理屈するようになったんですか阿近くん。よろしくないですよそれは」
みょーん、と白くて柔い頬っぺたを両手で伸ばしながら、今しがたできたばかりのクレーターを見下ろす。
本日いっぱいは演習で使用予定の物品の発表会…みたいな仕事を課せられている。
検品なんて浦原隊長に任せればいいんじゃないかと思われがちだけれど、常識人のように見えてあの人のなかでは常識なんてものはほとんど無いようなものなので、戦闘訓練を裁判問題に発展させない為にも浦原隊長は今回の審査員から満場一致で外されたのだ。
涅さんは物を提出した瞬間から次の研究に入ってしまったので招集には応じなかった。この時点で局のツートップが不在という意味の分からない状況になってしまっている。
「でも、研究室長は喜んでましたよ、この威力」
「そりゃあ今のひよ里ちゃんは平子隊長を吹っ飛ばせる威力があれば何でも喜んじゃうちょっとしたフィーバー状態だから……ってその話は止しましょう」
ひよ里ちゃんはハブられた浦原隊長に道連れにされたので今は隊舎の方だ。
「演習は虚が相手じゃないですよ、あくまで他隊の死神ですから、殺す為の道具を作る必要は無いんです」
「でも、敵が攻めて来た時のための訓練、なんですよね?」
「ええと、それはそうなんですけど」
とんでもなく恐ろしい威力の地雷をひよ里ちゃんの要望通りに開発してしまった局員の子が、しゃがみ込んだまま私を見上げる。
確かに、言われてみればちょっと不思議なことだ。
死神の敵と言うのはあまり思いつかない。それは大昔に死神と戦争をして破れたという滅却師のことを指すのかもしれないけれど、それ自体がもう妖精のような御伽噺の域を出ないから。
ならば次点で虚ということになるのだろうか。けれどそれも少し違う気がする。魂魄には整と負という属性があるだけで、私達死神はその負の魂魄を浄化し、輪廻の輪に戻すために斬魄刀を使う。
……だと言うなら、一体何を敵と見なして、一体何の襲撃に備えているんだろうか。
「…うーん。そこらへんの議論を局で開催すればそれなりに盛り上がりそうですけどね。まあ、今その議題でお話をしたところで何かある訳では無いので」
「あっ話逸らした」
「悪い大人だ」
「浦原隊長と一緒にしないでください。今この場で考えるべきなのは、演習の意味じゃなくて地雷の適正な火薬量ですよ」
私を交えた時だけ、開発局員達の空気はだいぶ軽やかになる。真央霊術院に通っていた頃を思い出すような空気だ。
多分浦原隊長は「自分達を表に引っ張り戻した変な人」、ひよ里ちゃんは「よく副局長と喧嘩してる怖い人」、私は「何しても何言っても怒らない人」というような認定なのだろう。
「あ、でもこの射程武器はいいと思いますよ。あとはもう少し軽くなって携帯ができるようになれば、実用化も夢じゃないですね」
「携帯か〜、耐久性的にこれ以上砲身と大きさを弄ると暴発が…」
「弾も種類が欲しいよな」
「着弾したら即座に魄睡を塞ぐ弾とか?」
「何て恐ろしいものを……」
局員達があれこれ出してくる開発物にあれこれ意見をしていたら、いつの間にか日が暮れていた。
一発で人死にを出しそうなものは必死でお願いした成果もあって、まだ少し局に残って改善をすると言う。
流石に平子隊長と言えどあの規模の爆発に巻き込まれたらタダじゃ済まないだろうし、あの人の好い藍染副隊長が頭を抱える様子が容易く想像できてしまうので、是非とも見た目に極振りしたものの再提出を期待したいものである。
今日はこのまま上がっていいと浦原隊長直々に言われたので、大人しく先に退勤することにした。
斬魄刀を腰に挿して、隊舎を出て、大路に出る。
「――乙子」
名前を、呼ばれた気がした。
夕暮れの中を歩く隊士は多い。
行き交う人のなかで何となく振り返ると、数メートルの距離を開けて私と向かい合う人影があった。
逆光になっていて顔はよく見えない。背が高いけれど、輪郭の雰囲気から何となく女の人だと言うことだけはわかった。
けれどそれ以上のことはわからなかったので、知らない人と見つめ合う数秒の沈黙のなか、私は恐る恐る「あの、何か?」と曖昧に微笑む。
時が止まってしまったような邂逅はそれで終わった。
その人はか細い声で、人違いだったみたい、ごめんなさい、と首を振った。護廷十三隊は大きな組織だから、人違いと言うのも間々あるだろう。
それから何となくお互いに頭を下げ、今度こそ帰路を歩き始めた。
肌が焼けそうな強い夕陽のなかを一歩、二歩。
帰り道はひとり。いつものことだ。人違いも、別におかしいことじゃない。
――例え人違いじゃなく、あの女隊士と私が知り合いだったとしても、今の私にとって彼女は間違えようのない他人だったから。
人違いではなかった可能性もほんの少しだけ考えたけれど、すぐにやめた。