「…私は、このままでいいです」

 浦原隊長は静かに目を伏せた。

「……このまま、これ以上辛くなっても私は耐えられます。恐ろしいし、人を傷付けてばかりで、正しく生きることはできないですけど。…こんな、間違った自分で居たくはないけれど。
 でも、怖い思いをするよりはマシです。何度も、十二番隊の皆や、こんな私を嫌わずに居てくれる人達を理由に脅されるのも、私がただ怖がるだけで時が過ぎるなら、それでいいです」

 それは一見すると矛盾した決意だったけれど、間違いなく私の本心だった。
 きっと私が少しでも希望を見出し変化を期待しようものなら、あの人達は嬉々としてそれを私の目の前で握り潰すだろうけれど、そんなことは私がさせない。
 要は、私が今まで通り彼らに従順でさえあればいいのだ。
 微笑んで頷いて、どんな命令にも従っていれば私は生きていくことを許される。
 私は、私の好きなものを護って生きていける。

「だから、私はこれで充分です。…うん、充分過ぎるくらい。この際だから隊長にだけ言いますけど、私は今の十二番隊に居るのがすごく楽しいんです。誤魔化せないくらい楽しいです。ずっとこのままで居たいんです。
 曳舟隊長の時も楽しかったですけど、此処は格別です。私はちっとも変われないけど、皆は目が回るくらいの速度で変わっていくから、私も変っているような気がするんです。面白くもなんともないただの錯覚ですけど、私はそれが何より嬉しかった。私も、皆の側に入れたような気がして、嬉しかったんです」

 それは、なんておこがましい夢。
 人を傷付けている事実に目を瞑り、汚い人達に汚い方法で生かされている事実に甘んじながら、それでも人並みの幸福のなかで生きられるだなんて。
 本当はこの記憶と感情を忘れるのは惜し過ぎるから、大事に守って生きていきたいけれど、それは無理なことだから。
 だから、懐に仕舞い込んだ薬はお守りなんだ。
 こんな私にも、失くしたくないと思えた記憶があったことの証明で、そんな私が一瞬でも存在したことの証。

「ありがとうございます、浦原隊長。――でも、ごめんなさい」

 この証があれば、私はきっと一生罪に溺れても生きてゆけてしまうから。

「私は、間違ったままでもいいから、生きていたいのです」

 ――差し伸べられた手を、
 払いのけて、微笑わらった。

ただしいよりもたのしいがいい


 浦原隊長は寂しそうだ。
 それが心を配った部下に心配を拒絶されたからなのか、はたまた私が罪を重ねることを肯定したからなのかはわからない。
 ただ、伏せられた瞳が寂しそうだった。

「……そうですね。生きていきたいっていうのは、誰しもが持っている原始的で最も強い願望っスから、そう思うのは当然のことです」
「ごめんなさい」
「謝ることは無いっスよ、乙子サンは全然、ボクに謝る必要は無いです」

 言って、乱暴に髪に手を突っ込みながら浦原隊長は顔を上げた。
 困ったように笑っているその顔が、はじめて自分に似ているような気がした。

「乙子サンがボクと似てるってことは解ってたのに、ボクと似てるならそうそう生き方を曲げられない、変われないってところまでは予想できていませんでした。いや、予想はできていたけど、認めたくなかっただけなのかもしれないっスけど…」
「隊長が変われないって言うんですか? ……探究と解明、ついでに進化の権化みたいお人なのに、ですか?」

 なんスかそれ、というツッコミは珍しく弱々しく聞こえる。

「ボク自体はずっと、何も変わってないですよ。本当に。言ったでしょ、ボクと貴方は似てるんス」
「…」
「悪いことをしている自覚があっても、罪を重ねている自責があっても、他人を不幸にする予感があっても。……生きていくことを、やめられない。…だから、似た者同士のボクが何を言ったところで響かないのは当然です。ボクの方こそすいません。踏み入った事を言って柔いところを暴いておきながら、ボクじゃ貴方を助けてあげられない」

 懺悔するように背中を丸めて俯いた隊長の、妙に青白い横顔を目だけで見つめる。
 どこか白々しいほどの感情のこもった言葉に、私は何と返せばいいのかわからなかった。謝られる謂れがないからだ。

 きっと私達のような者には救いなんていう明確な光は無いんだろう。
 もしもそれがあるとしても、きっとそれはこの雨のなかで懺悔をする二人に相互作用で与えられるものではなくて。
 もっと、温かくて、もっと普遍的な感覚を持ったひとなのではないかと、そう思う。

 それは今ではない。
 少なくとも、こんな暗い世界で罪の意識に悶える私達に、そんなものが与えられるはずがなかった。

「…そんなのはいいです。救われようだなんて、思っていませんから。どうか救われたいだなんてこれ以上ないほど卑怯な願いが生きる意味になりませんようにって、ずっと祈ってきたんですから」
「……殊勝な心掛けっスね。見習いたいです」
「ええ。…だから、いつも通り、仕事をしましょう」

 言いながら、解けていた髪を一つに束ねて、髪紐で結んでいく。
 散々な事を言われていつも以上に疲弊した一日だった、と思考が退勤の方向に向かいかけたけれど、まだおやつ時にもなっていない。

「水月乙子は部下で、浦原喜助は上司、私達は死神です。円滑に、何も変わらないように、変えないように――仕事をしましょう」

 おおよそ誰にも理解されない遠くを見据えている上司は、ややあってそうスね、と乾いた声で首肯した。
 その表情は、どこか嬉しそうで、どこか切ない。
 きっといつもは自由人の権化みたいな表情でからから笑っている浦原隊長が、珍しく誰かの悲しみに共感するような顔で静かに笑ったせいだろう。


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