ざあざあ降りの雨が昨夜から続いている最中、ボクは十二番隊舎に戻ってきた。
 出かけていた先は別にまったくの外という訳でもなくて、頑張れば屋根の下を通って辿り着ける他所の隊舎だった。それでも冷たい飛沫はあちこちに飛び散るので、ちょっと開発局の研究室から出ただけで頭も羽織も湿ってしまっている。
 肩のあたりに乗ったままの水分を手で払いながら隊舎に入ると、廊下を歩いていた隊士がくるりと振り返って「ああ、浦原隊長」と頭を下げた。

「丁度よかった。隊長に判をもらいたくて捜してたんです」
「ありゃ。それはスイマセン。判子なら確か隊首室にありますよー」
「あと、署名が欲しいってヤツも何人か。ちょっとした列ができますね」
「…ああ、そっか。今日は頼れる四席殿が居ないんスもんね」

 昨日の終業間際、乙子サンが午前の業務を休むことを報告してきたのだ。
 それ自体は別に構わないと手を振って答えたのだが、どうにもあの表情からして私用という訳でも無さそうだった。
 …相変わらず薄暗いままの研究室を後にする、死覇装の衣擦れの音、その不吉さを思い出す。
 漠然としたよくない予感は、激しい音を立てて降り注ぐ雨によるものだろうか。

「浦原隊長? そんなに外を見ていても乙子さんは帰って来ませんよ」
「ハハ、母親恋しい子供じゃないんスから…」

呪われた真実に愛されることのないように


「ひよ里サンは、いつから乙子サンと一緒に居るんスか?」

 結局、判子を探し当てたはよかったものの、机や椅子――おおよそ事務仕事に適した環境をつくりだすものを部屋から撤去してしまった隊首室では思うように書類が裁けなかった。
 乙子サンが「机と椅子がちゃんとある作業場がひとつは必要になると思いますから」と技術開発局の建物内の一室に設けてくれていた物置兼仕事場に隊士をぞろぞろ引き連れて入ると、すでにひよ里サンが埃っぽい室内で本棚をいじっているところだったのだ。
 一応そこで仕事を始めたけど、「仕事するにはちょっと狭いっスね」と洩らすと「ほとんど物置やろ」とにべもなく返されてぐうの音も出ない。

「いつからぁ…?」
「あ、具体的な年数は別にいいんスけど……ひよ里サンと乙子サン、同時に十二番隊に来たわけじゃないでしょ」
「それなら乙子のが先や。ウチが来た時には、もう四席。ずっと四席」

 彼女らしく机に腰かけ、天井近くまで本がぎっしり並べられている棚と格闘している。ひよ里サンはこちらを振り返ることはなく、淡々と事実だけを述べていた。
 ひよ里サンよりも十二番隊に配属されて長いとなると、本当に相当長いこと死神として働いていることになる。
 乙子サンの何の仕事を任せても大して驚きもしないあの熟練された雰囲気は、それに対応する職務歴によるものだろう。

「じゃあ、本当に十二番隊が好きなんスね、彼女」
「…あれは好きっちゅー言うより、むしろ……」
「?」
「……なんでもあらへん。キリキリ働きや」

 げし、と小さな足がそれなりの強さで肩を蹴る。こういう雑な扱いにももう慣れっこだ。
 隊長だからと、一歩も二歩も後ろに下がられるよりは、これくらいの距離感の方が自分に相応しいだろう。十二番隊に来たばかりの頃からは想像できない程、浦原喜助は十二番隊に馴染んだのだと思う。
 とはいえ蹴られたままだと文字があっちこっち歪んでしまう。大体書き損じで新しく書類を貰ってきてくれるのは彼女だから、また眼鏡の奥で苦笑いされてしまう。
 常に字が綺麗な部下を見習って"読めればいい文字"は卒業しようとつい最近決めたばかりなので、小さな副隊長の足を片手で受け止めてその姿勢で固定した。

「…ところで、探し物は見つかりそうっスか?」
「全然」
「何探してるんです?」
「技術開発局員、全員分の一覧と詳細まとめたヤツ。最初喜助が持ち込んだ表と人事案をすり合わせて改めて人員一覧表を作るって、乙子が」
「……スイマセン、それは存在自体初耳っス……」

 走り書き程度の情報をかき集めてそんなものを作っていたとは。これも常日頃から情報を記録として残すことを癖にしている彼女ならではだろう。
 ぱらぱらと雑に中身を流し見ていた赤茶色の背表紙のものを棚に戻しながら、「役立たずやないか」とこれまた雑に罵倒される。本当に、ぐうの音も出なかった。

「じゃあ尚の事、はやく帰って来るといいっスね。乙子サン」


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