白い光が隊舎の瓦屋根を照らし上げる。
 目を細めてそれを見上げる私は、今朝もしっかりと右腕を吊っている。

 結局一夜を四番隊の病室で過ごして、本当に業務に支障がないからと卯ノ花隊長を(片手で)拝み倒した結果、無事出勤が許可されたのである。
 正直死覇装の着用にめちゃくちゃ手間取ったので髪は結べないし色々ボロボロなままだけど、腕が動くので事務屋としてのお仕事には一切支障がないのは本当だ。


 いつもより少しだけ遅く出勤してきた私を見て、隊士達は「水月四席!?」「乙子さん!?」と目を剥いた。

「おはようございます皆さん、ご心配おかけしてすいませんでした。水月乙子、本日からお仕事に戻ります」
「右腕治してもらえなかったんですか?」
「いえ、骨はもうはまってます。あとは自然治癒に任せましょうと言うことで…」
「えっ、右手使えないのにお仕事するんですか? うそぉ」
「もう少し休んでていいのに〜…」
「お前知らないのか、乙子さん両利きだぞ」
「うわっ」

 うわって何だ。

苦しめと言うなら愛してあげます


 隊舎の次は技術開発局の方にも顔を出した。こっちはちょっと、恐る恐る。
 騒動と呼ぶには短すぎる一日を経ても、開発局の方はいつも通り規則的なとっ散らかり具合と不規則な整頓が共存する不思議な状態を保っていた。室内にはすでに数人の局員がいる。
 それに安心しながら、素材の剥き出しな床を一歩踏み出した。

「おはようございまーす…」

 気持ち小さめな挨拶に気付いて、阿近くんがたたたっと駆け寄ってきた。無表情のなかにほんの少し気遣わしげな眼差しを据えて、三白眼が右腕の三角巾を見上げる。

「おはようございます。乙子さん、何で来たんですか?」
「な、何で来たんですかって…? お仕事しに来たよ」
「だって怪我してるのに。多分、乙子さんが居ない方が隊長達の仕事効率は上がりますよ。甘える人がいなくなるから」
「な、なんか悲しいような嬉しいような…」

 多分、彼なりに心配してくれているんだろう。言葉の刺々しさはともかく、浦原隊長がいつも滑って遊んでいる椅子を引き摺ってきてくれた彼に感謝して小さな頭を左手で撫でた。
 今後は他人に勘違いされない言葉の選び方を教えてあげねば、と決意を新たにする。

 ちょっと笑いながら、次にこちらに背を向けたままの涅さんに「おはようございます涅さん」と声をかけた。
 藍色の七三分けがくるりと振り返る。

「お早う水月」

 じろりとこちらを一瞥する涅さんの姿に相変わらず圧みたいなものを感じる。
 てっきり振り返りもしないで「あァ」とか、最悪無視されるかと思っていたけど、こちらを見て挨拶を返してくれた。
 珍しいことがあるものだと感心しつつひょこひょことそちらに歩み寄ると、涅さんの手にはすでに何らかの薬品達が握られている。
 こういう時は迂闊に近寄らない方がいいと学んでいるので、涅さんまであと数歩というところで足を止めた。

「ええと、昨日はご迷惑おかけしました。今日からまたお仕事させていただきます、本調子とはいきませんが…」
「随分つまらないことを言うネ。そんなことは見れば解るヨ」
「そ、そうですね。すいません」

 冷たい物言いだけどまったくその通りだったので曖昧に頷く。
 嫌われたかな、なんて小さな不安は、文字通り意味を為さなかった。
 よく考えたら、涅さんはずっと私のことを皆の前で「気味が悪い」とか「不愉快だ」とか言っているようなお人だから、元々好かれていない私がこれ以上彼のなかで好感度的に落下することはないんじゃないだろうか。
 そう考えたらなんだか元気が湧いてきた。好感度云々はもう諦めよう。開発局が整形外科の分野にも進出するのを期待することくらいしか私にはできない。
 うんうんと頷いていると、大きな足音が背後から近付いてきた。

「やっぱり四番隊から脱走してきたやろ」
「うーん、乙子サンもしかしてかなりの仕事中毒なんスかね? ボク的には"一週間療養で休暇いただきます"も覚悟してたんスけど」

 ひよ里ちゃんと浦原隊長の隊長格コンビが揃ってやってきた。
 振り返る間もなくひよ里ちゃんに下ろしたままの髪を束で引っ張られ、海老もかくやというレベルで背中を反らされる。

「ぐえっ」
「髪、結んだるわ。結紐は?」
「あ、あるけど……急に引っ張んないでよ、腰折れるかと思った」

 阿近くんが勧めてくれた椅子に座ると、ひよ里ちゃんは慣れた手つきで私の髪をまとめて一束にしていく。
 ぐいぐい後頭部を引っ張られながら、せっかく開発局に来たのだからと懐から手帳を取り出した。
 「新しいのにしたんスね」と言った浦原隊長に頷いて、すでに私から関心をなくしている涅さんを呼び戻す。

「涅さぁん」
「その不愉快な呼び方をどうにかしろ」
「あっすいません……ええと、観測機の申請なんですけど、四十六室の決議も終わって認可下りたので、公に稼働させられます」

 私の言葉に、何故かその場の全員が目を丸くする。
 逆に私もその反応にびっくりしながら、四番隊を出る時にもらった封筒を取り出して中身を皆に見えるように掲げた。

「一番隊の方がわざわざ早朝、私が四番隊にいるって聞いて許可証届けてくださったんです。これ失くすと再発行にめちゃくちゃ面倒な手続きがついてきますから、扱いは雑でもいいですけど紛失は勘弁してくださいね」
「ただの紙切れだろう。そんなもの君の方で保管し給えヨ」
「紙切れ…」

 数多の審査と会議を経てやってきたありがたい証書を"そんなもの"扱いされてしまったら、私はもう笑うしかない。
 とりあえず封筒ごと許可証を浦原隊長に回すと、その内容を確認しながら目を白黒させて私と紙を見比べ始める。

「…乙子サン、昨日時点で観測機関連の記憶は綺麗さっぱり失くされてましたよね…?」
「そうですね、というか今もそうです。麻酔の効果がきれて夜あまり眠れなかったので、朝一で自宅に寄って過去のものと併せて"日記"を読み返してきました。水没したものもばっちり解読したので、多分これで記憶に抜けはないはず、です」

 任せてくださいという気持ちを込めてウィンクしてみせると、何故か浦原隊長はうわあと似合わない悲鳴をあげた。ついでにひよ里ちゃんに「動くな」と背中を蹴られた。踏んだり蹴ったりである。

「失礼ですねぇ、ひとの精一杯のお茶目を…」
「乙子サン、人って言うのはもう少し欠陥があった方が可愛げがあるってもんスよ…これは真面目な助言っス」
「冗談の方を否定してほしかったです。頑張ってボケたのをスルーされるほどつらいことはないですよ」

 浦原隊長は心底引いた顔をしているけど、仕事に支障が出るよりマシじゃないか。私だって、これからも顔を合わせる隊士のことがよくわからなくて都度微妙な気持ちになるのは嫌だし。

「貴方の心は、一体どこにあるんでしょうか」

 …隊長はああ言ったけど、心の所在なんてものは死神として生きていくうえでは多分そんなに重要じゃない。
 他者を傷付けず、いつも通り死神として働く。それが私の人生で、それ以外の道は無いんだから。

 いつも通り自分の路を確かめたところで、何故か私は吐きそうになった。
 気持ちが悪くて暴れ出しそうになった。
 けれどそれも一瞬の出来事。

「乙子、できた」
「――…うん、ありがとひよ里ちゃん」

 いつもより高い位置で結ばれた髪を揺らして笑ってみせた。
 絶望と言うのは希望を知る者だけが持つ感情だ。これほど私に縁遠いものはないだろう。
 私はいつだって、自分の意思で選んで、そして手放していくのだから。


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